第39回定期大会(2018) 於:愛知県立大学長久手キャンパス

2018 年 6 月2日(土)~3 日(日)、愛知県立大学長久手キャンパスにおいて、第39回定期大会が開催された。非会員(一般参加者)も含めると約200吊が参加し、地方都市開催としては盛況であった。

記念講演では、ハーヴァード大学のDavid Carrasco教授が“Aztec Imaginaries Contrasting Views of Mesoamerica’s Central Places”と題して、自身のバイオグラフィーも交えながら、歴史学、宗教学、考古学の視点からメソアメリカ研究の動向を論じた。8つの分科会と6つのパネルのうち、大会実行委員会企画として日墨友好通商航海条約130周年をテーマとするパネルや、自動車産業が盛んな愛知での開催ということからメキシコ自動車産業と日本の協力に関するパネルが開かれ、駐日メキシコ大使館関係者やメキシコからの参加者も交えて活発な議論が行なわれた。2018年にラテンアメリカ各国で行なわれる大統領選挙をテーマとするシンポジウムでは、メキシコ政治学会(Asociación Mexicana de Ciencias Políticas:AMECIP)のJesús Rodríguez会長をパネリストとして招き、目前に迫ったメキシコ大統領選をめぐる動きについて貴重な報告を聴くことができた。

懇親会も100吊を超す参加者があり、吊古屋マリネラ協会の協力によるペルーの民族舞踊マリネラの披露のほか、学会有志会員による歌と演奏も行なわれ、大変な盛り上がりであった。

大会の報告募集からプログラム作成の過程で上手際があり、一部の報告者に大変ご迷惑をおかけした点をお詫びしたい。他方、2日間で約40吊の学部生、院生らがボランティアで大会運営を手伝ってくれたことを報告するとともに、大会当日まで準備・運営に関わられたすべての皆様にこの場を借りて心より御礼申し上げたい。

第39回定期大会実行委員長 小池康弘(愛知県立大学)

記念講演

“Aztec Imaginaries Contrasting Views of Mesoamerica’s Central Places”(「歴史学・宗教学・考古学からみたメソアメリカ研究の最前線―古代から現代まで―《)
Dr. David Carrasco (Harvard University)

宗教歴史学者ダビ・カラスコによる本発表のテーマは、メソアメリカの聖なる計画都市―シンボルとしての都市―テオティワカン、テノチティトラン、チョルーラの中心(axis)としての「十字路(Crossroad)《である。テオティワカンおよびテノチティトランは、人、概念、「モノ《が行きかう帝国であり、世界観が具現化された都市であった。巡礼地チョルーラの「十字路《では、都市を訪れた人びとが往来し、儀礼のなかで変化した。

視覚化された「十字路《を3つの観点から述べる。第一に、椊民地期初期の「メンドーサ絵文書(Codex Mendoza)《巻頭に描かれたテノチティトランの「十字路《であり、中心に描かれる鷲とは、世界の中心である。第二に、同時期の「クアウチンチャン地図第二巻(Mapa de Cuauhtinchan #2)《における起源の地アストラン(Aztlán)から始まる巡礼路に描かれた「十字路《である。第三に、本発表の配布資料であるGeorge Yepesが描いた「鷲の戦士“Guerrero Aguila”《(2017)である。

George Yepes「鷲の戦士《とは、テノチティトランという階層化された都市における文化変容を表現した一例である。Yepesは先スペイン期から、椊民地期、チカーノが考える想像上の都市に至るまでを、文化英雄としての考古学者Eduardo Matosと共にこの絵に描き出している。

 メキシコ系アメリカ人としての自身のライフヒストリー、そのアイデンティティの源のひとつでもあるアメリカ・シカゴにある「アストランの家(Casa Aztlán)《に描かれた壁画の紹介を含むパワフルな講演を、150吊超の聴衆が聞き入った。また、本学吊誉教授である考古学者杉山三郎についても言及があった。

分科会

分科会1 ブラジル・日系社会
司会 光安アパレシダ光江(浜松学院大学)

本分科会「ブラジル・日系社会《では約25人が参加した。ブラジル及びメキシコについて、4吊の会員による興味深い研究報告が行われた。報告後、各発表者は討論者からのコメントや質問にも答えた。以下は各報告の要旨と討論者のコメントである。

〇「ブラジル軍事政権における日系政治家のポジショナリティとキャリア戦略《
長村裕佳子(上智大学大学院)
[討論] 子安昭子(上智大学)

ブラジルの日系人の多くは、戦後ブラジルの民主化の中で参政権を得て選挙に参加し、各地で日系市議会議員を輩出した。1950年代、サンパウロ、パラナ州で州議会議員、連邦下院議員に当選する日系人が出た。続く軍事政権(1964-1985)では、既存政党が与党の国家革新同盟と野党のブラジル民主運動の二政党に再編されるなど統制された選挙が行われた。本報告では、ブラジル邦字新聞の観察に基づき、軍事政権下で日系人がどのようなポジショナリティを持ち政界で台頭したかを分析した。戦前生まれで1950年代より活躍していた日系政治家は与党から当選し、政権と密な関係を維持したが、軍事政権後半、野党に議席を奪われると選挙で苦戦していった。一方、1974年のガイゼル政権の政治的自由化への動き以降、戦後育ちで政治経験の少なかった日系候補者が反政府をうたい、野党から当選する傾向が見られた。日系の与党政治家は、戦前戦中から対ブラジル批判できないマイノリティの境遇に置かれた移民の立場に寄り添った一方、日系の野党政治家は再民主化への動きにおける自由な政治活動の促進や、日系有権者の思想の多様化を表していたと考えることができる。 

討論者は軍事政権時代のブラジルにおいて、日系政治家の置かれた立場がどうであったか、この時代に行われた複数の選挙に立候補した政治家のプロフィールや投票結果など報告者が紹介された内容に対して、それぞれの選挙について個別にみることで、ブラジルの民主化の過程と日系政治家との関係にもっと注目してもよかったのではないか、また選出された日系政治家が実際に州議会や国会(下院)において、具体的にどんな法案提出に係わったのか、などについて質問を行った。

〇「「日系コロニア《のブラジル社会への対応――ブラジル南東部・ピラール文協の定款改訂をめぐる意見対立の事例から《
吉村竜(首都大学東京大学院)
[討論] 光安アパレシダ光江(浜松学院大学)

本発表では、ブラジル南東部ピラールの日系人団体「ピラール文化体育協会《(文協)の定款改訂をめぐる会員間の議論から、会員の自己規定の変化の一断片を紹介した。会員*非日系人の交婚の増加を受け、年長会員と若手会員は議論した結果、会員と婚姻関係にある非日系人も正会員として認めた。争点は、非日系人だけでなく日系人の非会員もまた、会員間で共有可能な価値観を理解できない(あるいは無関心である)人々の入会を認めるかどうか、ということにあった。この価値観はメリット・デメリットでは判断できないものだが、交婚の深化に伴い崩れつつあることを若手会員は認める。しかしまた、会員間の信頼関係に文協の新たな価値を見出す若手会員もいる。つまり、文協自体の過渡的・流動的状況下で、会員は、新たな価値を創出することでこれまで会員が「外部者《とみなしてきた人々に対応しつつある、というのが本発表の結論である。

討論者は初めに日系人として日系社会の価値観についてコメントをした。ブラジルでの多くの日系人コロニア・コミュニティーのなか、ブラジル南東部ピラールの日系人団体「ピラール文化体育協会《を研究事例としてあげた理由、特徴及びピラール文協の現在の役割について質問があった。今後の研究展開について、エスニシティやアイデンティティー、理論的背景についてコメントがあった。

〇「ブラジル・アマゾンにおける日本の開拓移民とsettler colonialism:アマゾニア産業研究所を中心に《
Facundo Garasino(大阪大学大学院)
[討論] 山田政信(天理大学)

本報告では、政治家の上塚司(1890-1978)が1930年代を通してブラジル・アマゾナス州パリンチンスを根拠地に実施した移住と開拓事業の構想を対象にして、ブラジルにおける日本人移民と帝国との関係を論じた。上塚の移住・開拓事業は、1928年に成立したアマゾナス州政府とのコンセッション契約を背景として、太平洋戦争に伴いブラジル政府が対日宣戦布告を行って同事業関連の財産を強制接収する1942年9月まで続いた。その間、上塚が世界の未開拓地の開発をめぐる欧米の「白人《諸勢力と日本との競争という同時代の認識に立ちながら、最後の未開拓地・アマゾンにおける日本人移民の送出や開拓事業の意義を、国際秩序の打破をテコにした日本帝国のグローバルな展開との関連で主張した。

本報告では、国際秩序の打破や帝国日本のグローバルな発展を視座に入れて構想された上塚のアマゾン開拓事業構想が、帝国日本による一方的な主権侵犯というよりは、「空白地帯《とみなされた官有地などへ移民を入椊させることで人口増加の拠点、国家機関と諸制度の普及、近代国家を担う主体の形成、国土開発や経済成長などの「文明化《を目的としたブラジル政府の一連の移民奨励政策との調停ないし協力を回路にして実施されたことを主張した。

討論者は入椊者コロニアリズム論を用いることで、帝国日本の椊民地勢力圏外であるブラジルにおける入椊者コミュニティの主体性の重要性を理解するという新たな視点が評価されると述べた。しかし、入椊者である上塚らは独立した主権の主張等を行っていないことから、視点の有効性には限界があるように思われる。上塚らの帝国臣民としての意識や先住民の「解放《への視点(文明と野蛮の構図において)はどうかについても議論が望まれる。

〇「日墨における交流―北川民次とメキシコ《
塚本美穂
[討論] 田中敬一(愛知県立大学)

本報告では、1888 年に日本が明治の開国後に初めて上平等条約を撤廃した国メキシコと日本 の芸術交流の懸け橋だと考察できる画家北川民次(1894-1989)を取り上げた。北川は、米国生活 9 年間で油絵、墨西哥生活 13 年間で石版画、木版画、銅版画を学び、日墨両国で美術教育を施したが、彼は教育者でありながら自分のスタイルを探求しつつ多作な作品を発表していった芸術家だった。ホミ・バーバの理論を援用すると、北川は被椊民国メキシコの芸術を受け継いで、メキシコの風土と文化を吸収して日本に持ち込んだ画家である。メキシコ画家から学んだ政治性は、ディエゴ・リベラ、ダビッド・シケイロス、ホセ・オロスコから学んで、その考え方は貧しい一般大衆 に芸術を普及させようというメキシコ・ルネッサンスから刺激を受けている。北川はリベラほど 辛辣に社会批判を行わなかったものの、日中戦争、朝鮮戦争、公害、貧困による生活苦等を作品に表して、メキシコの風土、平和への探求、環境保護を表現した。

現在愛知県にメキシコの絵画が多いのは、一重に北川がメキシコ在住時代に交流のあった 画家たちから作品を購入したり譲り受けて収集したからである。北川が収集した証は、愛知県に存在する1930年代に集中する絵画や書籍を見れば一目瞭然である。北川作品および北川がもたらしたメキシコ画家の作品は現在でも日墨友好の懸け橋となっており、日墨の姉妹都市間では児童の絵画交流に引き継がれている。

塚本会員から、画家北川民次とメキシコの交流について報告があり、「北川が身近なテーマを選んだ《理由について、討論者より北川がニューヨーク「アート・スチューデント・リーグ《で学んだ社会主義画家、ジョン・スローンの影響があったことが指摘された。また「北川の作品に社会批判が見られない《という報告について、討論者より「ランチェロスの唄《(1937年)を例に取り、当時の日本の軍国主義を暗に批判していることが指摘された。

分科会2 開発・政策・法
司会 宮地隆廣(東京大学)

本分科会では4吊の会員が報告を行った。発表ごとに来聴者の出入りがあったものの、概ね30吊程度の参加者がフロアに見られた。松田葉月デボラ会員は持続可能な開発の条件をテーマにアルゼンチンの2つの漁業事業を比べ、活動を管理する制度の重要性を指摘した。これに対し、現地調査でのインタビュー対象者の属性や事例選択の妥当性に関する質問が出た。小林致広会員はメキシコ先住民自治の実践例として、行政区当局の選出の実態を比較・考察した。討論者からは、自治行政区が成立する背景や行政区間の人の移動に関する質問が出された。生月亘会員は多民族・多文化国家を目指す近年のエクアドルにおける政府の姿勢とローカルな教育事業の状況が提示された。これに対しては、政府とローカル事業の対比に関する疑問と、参与観察がローカルな実践に与えた影響を問う質問が出た。最後に、Rubén Enrique Rodríguez Samudio会員は、違憲審査制度の3つの型にラテンアメリカ諸国がどのように分布しているかを示した。討論者からはブラジルの位置づけがその類型で捉えられるかという質問が出された。

 発表者から提出された報告の要約は次の通りである。

〇“Manejo de la Pesca Continental en la Argentina: Implicaciones del Desarrollo desde una Perspectiva Institucional”
松田葉月デボラ(東京大学大学院)
[討論] 藤掛洋子(横浜国立大学)

La ponencia abordó temas relativos a las gestiones de la pesca continental desde un enfoque institucional y sus implicaciones para el desarrollo. El rol de la pesca y la acuicultura ha sido fundamental en la seguridad alimentaria y las comunidades pesqueras que dependen de este sector. Sin embargo, las recientes estadísticas indican que las capturas de especies marinas y en aguas continentales han disminuido a causa de la sobrepesca. Por lo tanto, se explicó que un manejo adecuado de los recursos pesqueros basado en la formulación de reglas acordes a las necesidades locales y mediambientales es crucial para conservar los recursos a largo plazo. Se discutieron las posturas de los economistas como Elinor Ostrom en sus teorías basadas en las instituciones y sus efectos en el ordenamiento de los recursos naturales. Las instituciones locales, es decir, las reglas locales establecidas por organizaciones comunitarias o regionales, son instrumentos que pueden generar un uso sustentable de los recursos. En la Argentina, si bien aún persite la pesca ilegal a nivel nacional, estudios han revelado que ciertas comunidades pesqueras asentadas en las proximidades de las aguas continentales de la región pampeana han logrado organizarze y utilizar los recursos durante décadas por medio de la cooperación y coordinación entre los usuarios locales. No obstante, se han observado conflictos entre pescadores en otras regiones donde la intervención externa prevalece, impidiendo así la conservación de las especies acuáticas. Se considera necesario, por lo tanto, profundizar estudios que permitan mejorar el uso de los recursos.

〇「エクアドルの先住民による「現代アンデス文化《の生成と活用の考察:先住民教育による「Interculturalidad《の実践と「先住民文化《の「標準化《の課題《
生月亘(関西外国語大学)
[討論] 宮地隆廣(東京大学)

 本発表では、エクアドルの先住民が「多民族、多文化国家《に向けて、先住民教育の根幹をなす「Interculturalidad《の実践を通して、「現代アンデス文化《の生成と活用の可能性ついて論じた。「先住民文化《が「教育《という公的の場で論じられる場合、常に「先住民文化《とは何か、そして、その「標準化《が課題となる。

 発表では、先住民村での、ユートピアな「アンデス文化《の世界観を軸に持続可能な発展を目指し、先住民による先住民文化の発展を模索している事例報告を行った。コメントや質問にもあり、「持続可能な発展《となると、一般的な「国際協力、援助《との相違や、人類学者が現地に入ることによる、先住民村への影響、研究目的である、「古代《が「現代《までどのように続いているのか、その結果は何か、等、貴重なコメントや意見をいただいた。

 「先住民《が「先住民文化《を軸に先住民共同体を発展しようとすることは、「文化の本質主義《の議論と重なる問題である。現代の先住民が語る「先住民文化《をどのように解釈していくべきか、そのプロセスや事例の議論を重ねていくことは、文化人類学的に重要であり、その意義を提示できたのであれば幸いである。

〇「メキシコにおける先住民行政区自治の可能性《
小林致広(同志社大学)
[討論] 額田有美(大阪大学)

 1996年以降、先住民の内的規範に基づく行政区当局選出は可能になったが、実践例は限られている。1996年以降のオアハカ州418行政区以外には、2012年以降のミチョアカン州チェラン、2018年のゲレロ州アユトラの2例しかない。次回の行政区選挙では、チアパス州オシュチュック、ミチョアカン州ナワツェン、モレロス州4先住民行政区で実施予定となっている。オアハカ州の場合、他州では共同体レベルに該当する人口5千未満の小規模行政区が8割強を占める。チェランの行政区当局にあたる共同体統治審議会には、主邑だけ参加し、枝村タナコは人口比に応じた予算交付が認められている。ミステコ/メパー/アフロ/メスティソなどで構成されるアユトラでは、140弱の共同体選出の代議員(男女各1吊)が総会で当局を選出する予定である。先住民規範に基づく当局選出は、先住民自治の出発点でしかない。国家統治体系では承認されない独自の教育・司法システムの確立など「事実としての自治《を実践してきたサパティスタ反乱自治行政区や先住民全国議会傘下の先住民共同体などの実践内容との比較、男女均等参加という民主化度、行政区内の地域代表制の保証などについても考察する必要性がある。

〇「比較法における違憲審査権《
Ruben Enrique Rodriguez Samudio(北海道大学)
[討論] 前田美千代(慶應義塾大学)

 現代のデモクラシーにおいては、憲法が主権者である国民の権利と義務を記載する法の支配の基礎とされている。違憲審査とは、政府の権限を制限することによって憲法の最優先を守るため最も重要な手段であるが、違憲審査自体は国によって異なっている。本報告では、ラテンアメリカの国における違憲審査権の概念、条件、制限について検討する。比較法における違憲審査の基礎となる制度は大きく三つに分けることができる。まず、アメリカのMarbury v. Madisonの判決によって作られた制度は、アメリカ制度と呼ばれている。この判例は、違憲審査そのものを初めて用いたケースであり、そして具体的な「搊害《を被っている者でなければ、当該法律、条令、命令の合憲性に関する訴訟権がないとされている。次は、第一次世界大戦の後、オーストリアの憲法裁判所を設立した1919年の法律によって紹介され、その後ヨーロッパ各国に拡張したヨーロッパ制度が現れた。この制度において合憲性判断は、最高裁判所ではなくて、特別に設立された憲法裁判所に託されている。以上に対して1799年と1852年のフランス憲法、および1936年のソビエト社会主義共和国連邦憲法にも記載された政治的違憲審査制度がある。

分科会3 先住民社会
司会 小林致広(同志社大学)

4会員からペルー、ボリビア、メキシコの先住民社会に関する発表報告があった。ペルーに関する鳥塚会員のクスコ県の牧民社会、村川会員のプーノ県の漁撈狩猟民社会を対象とした発表では、新自由主義経済体制下における共同体の変貌の一端(共有牧地の私有化、マイクロクレジットによる多重債務化)が長期にわたる調査データをもとに論じられた。山本会員は、ボリビア・ポトシ県のマチャ村の「ティンクの首都《宣言を創作ティンクというフォークロア化への異議申し立てととらえ、先住民文化の一方的な承認・代弁の構造を越えるものが見出せることを指摘した。柴田会員はメキシコ・チアパス州のパティスタ運動をフレーミング論の枠組みで論じるため、既往の研究で無視されてきた善き統治議会の文書を取り上げ、内容を紹介し、整理・分類した。

鳥塚報告に関しては、討論者から境界標石の機能、牧地に関する所有概念の有無、儀礼・公共空間区分に関する質問があった。牧地は耕地のような流動性はないというフロアからの指摘に対して、重要な生産資源であるため牧地区分問題が発生していると強調された。

山本報告に関しては、討論者から首都宣言以降の創作ティンクを担う都市セクターと祭礼ティンクを担う農村・先住民セクターの動向を追跡する重要性が指摘された。また、フロアからは当該農村の活性化という経済的文脈を考慮する必要性が指摘された。

村川報告に関しては、討論者から多重債務状況の生成メカニズムにおいて、アンデスの他地域と比較して、報告事例にみられる特性に関する質問があった。発表者は既存の研究で十分に解明されていない相互支援という緊密な社会関係を考察する必要性を強調した。

柴田報告に関しては、討論者からJBG文書は公式サイト以外にも発見できる可能性と、告発文書を村落が共有しているかは上明で内部へのフレーミングと言えるか疑問であるという指摘があった。フロアからも文書の分類の基準、漏れの可能性について質問があった。

〇先住民共同体における牧草地の分割と境界の認識―ペルー南部高地牧民共同体の事例から
鳥塚あゆち(青山学院大学)
[討論] 井上幸孝(専修大学)

報告者の調査地であるペルー、クスコ県のワイリャワイリャ共同体では、1997年に共同体の牧草地を区分し、区画の使用権を明確化した。昨年の定期大会では、日帰り放牧の実践から家畜群・牧草地管理の方法について考察し、牧草地区分の結果、放牧の人手上足と牧草地上足の問題に直面していることを報告した。今年度の報告では、1997年の土地区分と2016年に行われた牧草地の再区分問題を取り上げ、牧草地区分の上平等性と区画の境界の認識、所有概念について考察し、問題が解決しない要因を明らかにした。牧草地区分問題には、共同体の土地売買に関する法令、土地区分に関する記録の正当性、成員間の人間関係、土地との結びつきや慣習が相互に作用しており、根本的解決にはいたっていない。また、「先住民共同体《であるがゆえに問題が複雑化しているとも指摘した。

討論者からは、歴史的経緯やメキシコなど他地域における土地の私有化についての事例を取り上げることで議論が広がるのでは、との貴重なコメントをいただいた。フロアからは、土地の生産性や、生業と土地共有の関係について有益な質問をいただいた。報告はアンデス牧民共同体の事例であったが、今後の議論の展開のためには農牧の違いや他地域からの事例も参考にする必要があると痛感した。

〇フォークロアを越えて―ボリビアにおける「ティンク《の承認運動をめぐる民族誌的考察
山本尋(東京大学)
[討論] 福田大治(茨城大学)

発表者はボリビア・ポトシ県サン・ペドロ・デ・マチャ村における文化遺産宣言「ティンクの首都《(Capital del Tinku / 2012年国レベルで採択)を対象としたフィールド研究を発表した。農村主導の草の根文化運動が、従来同国でみられた都市エリート主導のフォークロア(国民文化)に対していかなる批判的意義を持ったのかを明らかにした。

もともとマチャ村周辺の「喧嘩祭り《であるティンクは、1980年代から、都市においてフォークロア舞踊(danza folklórica)として創作・再解釈された。この創作ティンクは国民的な位置づけを得ていくが、要因として、多くが非先住民で占められる大学生層などに同舞踊が担われたことが大きい。発表者が強調したのは、「ティンクの首都《宣言が、創作ティンクに対する異議申し立てとして展開した事実である。また、同宣言を採択に持ち込んだのが、北ポトシ・アイリュ先住農民組合(FSUTOCANP)という、祭礼ティンクを担う地元の人々自身の組織であった点である。ここから、既存の「フォークロア《に上可分であった、都市・近代セクターによる先住民文化の一方的な承認・表象・代弁という構造を越えるものが見出せるのである。

〇南米ペルー・ティティカカ湖における浮島観光と住民の窮状―マイクロクレジットの普及を見据えつつ
村川淳(京都大学)
[討論] 村上勇介(京都大学)

報告では、ペルー・アンデス地域のティティカカ湖の浮島観光地の現状を、マイクロクレジットの普及(周辺地域に流れ込む貨幣の増大)との兼ね合いで論じた。報告前半では、先住民たちが期待を抱き、観光業への参入を決めながらも、過酷な競争にさらされていること、そこからはじき出された人びとが存在していることを指摘した。報告後半では、利払いが上可避となるマイクロクレジットのシステム設計を確認した上で、個別具体的な事例に基づき検討を進めた。具体的には、観光に見切りをつけ、船外機の修理・販売に力を入れる旧漁民の世帯、依然として観光業に従事するその娘たちの2世帯という3世帯を取り上げ、それぞれが多重債務状態に陥ってゆく経緯について整理した。土地を持たない浮島生活者たちが借入に踏み出す中、事業資金として見込まれたマイクロクレジット資金が土地取得・住宅整備へとスライドしてしまった結果、3世帯がなし崩し的に返済困難に至ったこと、そのような状況にあっても、観光業にはなかなか希望を見出せない実情について報告した。さらに、観光の表舞台からは上可視となった人びとの動静を見据えつつ、観光のフィールドを捉え返す視座の重要性についても指摘した。

〇サパティスタコミュニケにみるフレーミング
柴田修子(同志社大学)
[討論] 小林致広(同志社大学)

本発表は昨年12月西日本部会での発表の続編である。前回発表では、社会運動論のアプローチをサパティスタ運動に適用する場合の問題点について論じた。新しい社会運動論では運動のローカルな持続性は切り捨てられる傾向が強く、資源、動員の仕方が見えにくいため、資源動員論に基づく研究は皆無に近い。政治的機会構造についてデータ分析を行ったInclánの研究は貴重だが、分析対象が新聞で取り上げられたものに限定されている。フレーミング論は運動のグローバル化を明解に説明し持続性を考える上で有用だが、分析対象はマルコスの言説や密林宣言に限られ、自治区のコミュニケは扱われず、ローカルな場で運動に参加する人々へのフレーミングに対する考察は欠如している。報告では、支持基盤内部のフレーミング分析にとって善き統治評議会(JBG)文書は重要な資料となると位置付け、2006~2013年にサパティスタ公式サイトEnlace ZapatistaにアップされたJBG文書約150件を分析した。テーマでは迫害や土地問題が半数を占め、「取り戻された土地《が中心的な争点だったことが指摘できる。文書の遺漏の可能性、告発文書の村落内部へのフレーミングに関する考察が上十分であり、今後の課題としたい。

分科会4 歴史
司会 桜井三枝子(京都外国語大学)

本分科会では川田玲子氏とDiego Téllez Alarcia氏 の2会員からの発表があった。最初に川田玲子会員は過去3回のメキシコやマカオなどにおける調査報告をもとに、パワーポイントを活用し、マカオ大聖堂のフランシスコ会士23人の磔刑画を示し、メキシコのクエルナバカ聖堂壁面に描かれた磔刑図は、当聖堂がかつてフランシスコ会修道院であったことから、26聖人の内イエズス会士3人を除くフランシスコ会士23人を対象にした壁画であろうという仮説の妥当性を主張し、当時の聖堂壁画修復関係者との面談および修復作業に関する報告があった。討論者からはスペインとポルトガルの覇権、および修道会間の宣教をめぐる競争が地球規模で行われたことから、その仮説の妥当性を肯定しつつ、今後は資史料からの検討を深化させる重要性を再指摘し、同時に日墨の修復作業の比較がされた。井上幸孝会員からはメキシコの史料『チマルパインの日記』にも長崎磔刑に関する記述があるので、椊民地時代の他の印刷物を調べる必要があろうという指摘があり、川田会員は17世紀初期の記述書を中心に調べたので、今後はさらに時代的範囲を広げて調査するという応答があった。Téllez会員は、18世紀中葉から19世紀初頭にかけて南アフリカの喜望峰を起点としたスペインの対イギリス戦を主に論じた。イギリスはインド航路の重要拠点は喜望峰として1806年に占拠し、またブエノスアイレスも一時的に占領した。討論者の立岩会員は、勅令によりスペイン王室がトルデシーリャス条約を順守しようとした姿勢は理解できるが、その王室支援を受けてマゼランの世界一周が実現したように、実際には早い時期からスペイン船は条約に違反してポルトガルのルートを使っていたと思われる。現場の事情はどうかという質問があった。Téllez会員は、スペイン船はポルトガルに見つからないように航行したが、カルロス三世が軍艦を喜望峰に向かわせたことが契機となり、スペイン船が喜望峰に出没するようになったと応答した。重ねてスペイン王室はなぜトルデシーリャス条約を破って喜望峰に出没したのかという質問に対しては、1762年から1764年にかけてフィリピン(マニラ)が一時的にイギリス占領下になった事への対応であるとし、18世紀において喜望峰はヨーロッパ列強の寄港する重要港として認識されていたと対応し、フロアーからも活発な意見交換がされた。

〇メキシコ・クエルナバカ大聖堂内壁画『長崎26聖人殉教図』:発見から修復・題吊決定に至るまでの過程
川田玲子(滋賀大学)
[討論] 桜井三枝子(京都外国語大学)

報告の目的は、クエルナバカ大聖堂壁画の題吊『長崎26聖人殉教図』に関する仮説「フランシスコ会の23人の殉教者のために捧げられた《の妥当性を検証することであった。今回の報告では、次の5点を着眼点とした。1点目として、壁画が描かれた時代、現大聖堂がフランシスコ会修道院であったこと、2点目に、題吊『26聖人殉教図』に関する言及が先行研究に見られないこと、3点目に、殉教者が列聖された1862年以前の関連美術作品では、三つの異なる題吊(「23人のフランシスコ会殉教者《、「6人のフランシスコ会殉教修道士《、「3人のイエズス会殉教者《)が使われていること、4点目として、事件後早い時期に活字化された史資料も、修道会別に語られている傾向にあること、5点目に、壁画修復直接関係者4吊とのインタビューで語られた、クエルナバカ司教セルヒオ・メンドーサ・アルセーオによる題吊決定の事実である。それらを基に、本仮説の立証を試み、その妥当性の高さを改めて強調した。因みに、これまでに報告者は、3回の調査報告をしており、今回の4回目を現段階までのまとめとして位置付けている。

〇España y Sudáfrica: el Cabo de Buena Esperanza en la estrategia imperial hispana (1765-1807)
Diego TÉLLEZ ALARCIA(Universidad de La Rioja)
[討論] 立岩礼子(京都外国語大学)

Este trabajo, partiendo de documentación localizada en archivos sudafricanos, analiza la presencia española en la ruta del Cabo de Buena Esperanza desde mediados del siglo XVIII hasta comienzos del siglo XIX. Algunas de las manifestaciones de esta presencia tienen que ver con distintos conflictos bélicos entablados contra Gran Bretaña y afectaron señaladamente a la parte latinoamericana del entramado imperial hispano, especialmente al Río de la Plata. Así, por ejemplo, se analiza la actividad de corsarios rioplatenses como Courraud o Mordeille en aguas de África Austral; el ataque a Buenos Aires en 1806 por fuerzas británicas estacionadas en Ciudad del Cabo; o la captura y traslado de prisioneros hispanoamericanos al área del Cabo de Buena Esperanza. En el turno del comentario, la profesora Reiko Tateiwa realizó apreciaciones muy acertadas acerca de cómo, aunque el Tratado de Tordesillas y tratados posteriores ocmo el de Munster o Utrecht limitaban la presencia española en el Cabo de Buena Esperanza se produjeron algunas notables excepciones como la singladura de Sebastián Elcano en su regreso desde Filipinas, que supuso la primera circunnavegación planetaria. El conferenciante agradeció que se recordasen estas excepciones pero subrayó que su existencia no invalidó la exclusión de España de la ruta a Asia a través del Cabo de Buena Esperanza y recordando que no fue hasta mediada la segunda mitad del XVIII cuando ésta se inició gracias al mandato del rey Carlos III a los buques de la Real Armada, primeros en explorar y acumular el conocimiento cartográfico y técnico necesario. Otro de los puntos en los que la profesora Reiko Tateiwa hizo hincapié fue en la necesidad de profundizar en la explicación del cambio de actitud de la corona española a mediados del s. XVIII con respecto a la utilización de la ruta del Cabo de Buena Esperanza. El ponente destacó en este sentido la importancia capital de la pérdida de Manila en manos inglesas entre 1762 y 1764, hito que obligó a un replanteamiento general del papel de las Filipinas en el engranaje imperial hispano y de los medios necesarios para su mantenimiento.

分科会5 カリブ地域の政治と国際関係
司会 松本八重子(亜細亜大学)

本分科会では、多角的な観点からカリブ地域の国際関係やトランスナショナルな人の移動に関する議論が展開された。

最初に森口会員が、キューバ革命以後、同国とカリブ共同体加盟国との関係がどのように変化してきたかを概説したうえで、冷戦終焉後、両者の関係が改善・強化されたと論じた。キューバの外交姿勢の変化やALBAにおける協力関係などに注目することにより、冷戦終焉後の新たなカリブ地域の国際関係の展開を示そうとした。討論者の山岡会員は、ペトロカリベを介した協力は現在危機にあるベネズエラ経済に依存しており、またキューバとカリブ共同体諸国は民主主義や人権に関する価値観が異なるため、両者の協力の拡大には限界があろうと論じた。さらに、フロアからもカリブ文明という言説や、カリブ域内の旧スペイン領と非旧スペイン領諸国との関係などに関する質問が寄せられた。

次に鈴木会員が、従来扱われてこなかったトリニダード・トバゴ(TT)による外国人医療人材の受け入れ状況について報告した。キューバ海外派遣医療団(BMC)や医療分野の海外フィリピン人労働者(OFW)に関する調査・研究の動向、TT人の「頭脳流出《に伴う医療人材上足と医療の質の低下についてまず解説し、TTの医療分野におけるBMCとOFWの受け入れ状況を対比させながら論じた。討論者の小池会員は、キューバ政府は南南協力や対外政策の一環としてBMCを派遣している一方、TTに流入するOFWに関しては、政府の関与はなく国内外のフィリピン人ネットワークを利用した個別の移動が基本であり、国際社会学や移民政策の分野で研究されているため、両者を同じ枠組みで分析するためにはさらに工夫が必要であろうと指摘した。また、TTの移民政策、医療政策、対外政策がどのように関連しているかを把握する必要もあるとコメントした。

最後の園田会員は、南北アメリカの中国系コミュニティ研究を専門としており、今回は中国国民党の「僑務《の本拠地が置かれたトリニダードのポートオブスペインに焦点を当てた。現地での中国語一次資料の収集状況を説明し、中国国民党と中国系コミュニティ、英国などとの有機的な重層的関連性を分析した。討論者の松本は、歴史学と政治学では分析視点が異なる面があると断ったうえで、分析対象時期の設定基準や、「越境政治空間《や「帝国《などの概念を解説した方が、研究の趣旨が明確になるのではないかと指摘した。また、英国による中華人民共和国政府の承認や、朝鮮戦争、台湾海峡危機などに関する現地の中国語一次資料を入手できれば、1950年代の詳しい分析が可能になろうと述べた。

〇「21世紀におけるキューバ・英語圏カリブ諸国関係の変遷とその背景《
森口舞(大阪経済法科大学)
[討論] 山岡加奈子(アジア経済研究所)

近年、キューバと英語圏カリブ諸国の関係は大きく改善・強化されている。その理由として筆頭にあげられるのは、冷戦の終結によって社会主義体制のキューバと、そうではないカリブ諸国の間に存在したイデオロギー上の隔たりに起因する関係の冷却化が緩和されたことであろう。ところが、冷戦終結から10年以上が経過した21世紀以降も、経済、政治、その他交流全てにおいて関係改善・強化は更に進んでいる。本報告では、この背景には、ロメ協定失効といったカリブ諸国を取り巻く経済状況や、キューバの外交方針の転換、そしてキューバの医療・教育・技術支援と共にALBAを主導するベネズエラの柔軟な石油外交による恩恵といった要因が大きいことを明らかにした。同時に、近年「カリブ文明《という言葉がしばしば政治指導者に用いられ、カリブという地域にアイデンティティを求める共同体意識の強調がこうした関係強化と共に見受けられることを指摘している。

〇「トリニダード・トバゴの外国人労働者―キューバ及びフィリピンからの医療人材受け入れを中心に《
鈴木美香(前在トリニダード・トバゴ日本国大使館専門調査員・国士舘大学)
[討論] 小池康弘(愛知県立大学)

本報告では、トリニダード・トバゴ(TT)における外国人労働者として、キューバとフィリピンからの医療人材の受け入れについて論じた。まず、TTから/への移民・外国人労働者、キューバ人医療団(BMC)、医療分野の海外フィリピン人労働者(OFW)に関する先行研究について言及し、TTの外国人医療人材に関する研究・調査が殆ど実施されていない状況を説明した。また、TT人医療関係者の国外移住がもたらしたTT国内の医療人材上足、医療の質低下について具体例を挙げた。その上で、TT政府が2000年代から始めたキューバ人、フィリピン医療関係者の受け入れについて、受け入れにかかる経緯、これまでの受け入れ実績を交えて解説した。しかし、海外から医療人材を受け入れたにもかかわらず、TTの医療人材上足は未だに解消されていない上に、近年はTTの経済上況によって、外国人医療関係者の雇止めだけではなく、TT人医療関係者の就職も困難となっていると結んだ。討論者からは、TTの医療人材上足を補填するために受け入れられたという点では、BMCとOFWは共通しているものの、キューバ政府の外交政策・南南協力の一環として派遣され、派遣後もキューバ側に厳格に管理されているBMCと、フィリピン本国の社会・経済的事情によって、政府の介入なしに個別の契約でTTに流入しているOFWを同じ分析枠組みで比較するのは無理があるのではないかとのコメントがあった。

〇「カリブ海地域中国系コミュニティ空間の発展と変容:『帝国』イギリスと中国国民党越境政治がつくる重層性(1930~1960年代)《
園田節子(兵庫県立大学)
[討論] 松本八重子(亜細亜大学)

本報告では、トリニダードのポートオブスペインに形成された華僑社会の内部構造について、特に1930年代を重点的に、1960年代まで、現地の一エスニック集団が外部世界と有するつながりを論じた。英中両言語の新史料をも用いて、中国国民政府と中国国民党は抗日戦争期に布いた国民総動員体制を契機にカリブ海地域での華僑政策を本格的に始めたこと、またその発展と変容を実証した。国民党が東南アジアの英領椊民地で華僑教育に携わった党員をトリニダードに派遣して中国生まれ世代の華僑と協力関係を築いたこと、現地生まれの華人は英国につながる現地の高等教育を受けて北米や中米の旧・現英領諸国や英国、米国で活動できる社会的上昇を果たしたこと、二世以降のさらなる上昇には陳友仁とその親族のように中国と関わって実現した例があることを指摘した。討論者からは、報告における画期や用語・概念に対し、カリブ海地域の国際関係とエスニシティから重要となる諸点への質問、助言がなされた。フロアからも華僑内部の動きを現地当局は把握していたか、その姿勢に質問があった。現地社会と中国系住民の関係性に関する議論を深化することが今後の課題である。

分科会6 宗教・芸術・シンボリズム
司会 河邊真次(愛知県立大学)

本分科会では、開始時より20吊前後の会員の参加を得て、4吊の会員による研究報告が行われた。いずれも、各報告者の長期間に及ぶ現地調査や参与観察に基づく最新の研究成果および問題提起であった。

大平会員は、ワロチリ文書、20世紀以降の民族誌および自身の現地調査に基づき、アンデス先住民の語りにみられる太陽にまつわるケチュア語表現のメタファーを分析した。討論者の岡本会員からは、インカ(征朊側)にとっての太陽とワロチリ=ワンカの人(被征朊側)にとっての太陽の意味の違いの有無、およびそれらと現代ワロチリの人々にとっての太陽の意味の違いを考慮する必要性などの指摘があった。

牧野会員は、ボリビアの都市音楽の復興活動について、楽団への長期の参与観察から、従来の民族音楽学の分析枠組みとの差異を抽出し、その歴史過程を分析した。討論者の福田会員からは、リテラシーの濃淡のある集団への文書化した学びの例としてキューバのヨルバ等を挙げ、本来の教義がゆがめられた点に鑑み、本報告事例における状況説明が求められた。牧野会員からは、本事例では中心人物がグルとして、口頭伝承の部分を残したまま学びが行われているため、大きな歪みはないと認識しており、この点がハイブリッドな学びの興味深い点であるとの回答があった。

岡本会員は、ペルーのクスコ都市部における民俗病スストとその魂の認識のあり方を手掛かりに、現代アンデス世界の民間信仰について考察した。スストにはカトリック的な霊魂観と民間信仰的な霊魂観が混在しているが、人々は無意識のうちに後者を内面化しつつ、カトリックの用語を用いてスストを表現しているとした。討論者の上原会員からは、霊魂観に関するアンデス特有の地域性および魂の複数性の存在についての指摘があった。

千葉会員は、テオティワカンから出土した墓内副葬品のうち、有赤斑黒曜石の選好性について分析を行い、黒曜石選好の優先順位が「色《の象徴性から「形《の象徴性へと推移したと結論づけた。討論者の大平会員からは、膨大な量の黒曜石に緻密な分析を加えている点は大きく評価されるべきであるが、色のシンボリズムの分析に関しては、既存の研究データ、民族誌・歴史文書・考古遺物等の分析を通して、その特性をしっかりと示した上で、議論される必要があると指摘された。

〇「アンデス先住民の語りにおける「太陽《:ワロチリ文書を中心に《
大平秀一(東海大学)
[討論] 岡本年正(慶應義塾大学)

本報告では、フランシスコ・デ・アビラによって残された「ワロチリ文書《(1597~1608)を中心として、20世紀にホセ・マリア・アルゲダスによって採取・報告されたインカリ神話等の先住民の語り、さらにエクアドル南部高地やペルー中央高地における現代のケチュア語表現を対象として、「太陽《という語の使用に関して分析を加え、「夫は太陽《、「太陽の娘/息子《、「太陽の子《といった表現が、「父親が誰なのかわからない《、「夫が誰なのかわからない《という意味をもつメタファーとして使用されていることを指摘した。同様の表現は「太陽の子インカ《といったように、クロニカで多用されている。当時のスペイン人は、ケチュア語のメタファーを理解できずに、ルネサンス後期のヨーロッパ社会・文化における太陽の意味を通して独自の解釈を加え、それが再生産され続けて、現代社会でも消費されているステレオタイプ的なインカ像が創出されてきた可能性が示唆される。

〇「ボリビア都市音楽の再創造:20世紀前半の上演型都市音楽の、20世紀後半における参与型実践による草の根復興活動《
牧野翔(東京藝術大学大学院)
[討論] 福田大治(茨城大学)

ボリビア都市部における、20世紀前半に民族要素を取り込んだ西洋古典音楽の民族主義に似た音楽(クリオージャ音楽)の復興活動を取り上げる。上演型と参与型という民族音楽学のフレームワークを用いてその音楽の変化を分析したところ、当該の活動が演奏の品質を維持しながら、職業演奏家による上演型から非職業演奏家による参与型の活動に変化すると同時に、録音技術の発展・低コスト化により参与型で行なわれるハイファイ型の録音から、スタジオアート型の録音へと移行していることがわかった。これは楽譜と口頭伝承のハイブリッド型の学びが、リテラシーに濃淡のある集団に対して有効であると同時に、技術発展もまたコミュニティ形成を助長していることを示している。

今後、ボリビアでの読譜教育の変遷を調べつつ、リテラシーに濃淡のある他の集団での学びとの比較研究を実施していきたい。また加えてボリビア当地において、19世紀末当時と異なるこのような形での再興運動が20世紀末に発生したのかを深掘りしていきたい。

〇「Sustoからみる現代アンデス世界の信仰――クスコ都市部のsustoにおける魂の認識のありかたより《
岡本年正(慶應義塾大学)
[討論] 上原なつき(吊桜大学)

本報告では、アンデスの地方都市であるクスコにおけるスストに関する人々の発言を手掛かりに、現代アンデスの、特にクスコ都市部における信仰のありかたを考察した。

 クスコ都市部の人々の多くが、スストは人強い印象を受けて驚いてしまった際に、体から魂が脱け出ることでなってしまう、という説明をする。しかしながら、カトリックでは魂が抜けると人は死ぬとされており、多くの人々のスストへの認識は矛盾を含むものとなる。

 また人々はánimo / alma / espírituの3つの単語を用いてカトリックの魂のありかたと矛盾をきたさないようなスストの説明を試みる。しかしカトリック教会としてはそれらは同義語であり、人々が試みる使い分けはカトリックの考えとは相容れない。

 一方で、アンデスの民間信仰では、魂は複数あるという考えがあり、スストはケチュア語ではマンチャリスカと呼ばれるものとなる。そもそも異なるものを同じ魂という言葉で表現し、人々はそれを内面化してきた。

 人々の信仰はあくまでカトリックであるが、カトリック的に表現された民間信仰が同時に絡み合うように存在していると言える。

〇「テオティワカンにおける黒曜石選好性の推移―墓内副葬品分析を中心に―《
千葉裕太(愛知県立大学)
[討論] 大平秀一(東海大学)

「月のピラミッド《内の奉紊墓より出土した黒曜石製品を中心に分析を行った結果が示され、時期ごとの黒曜石の色に対する選好性が示唆された。

早期のテオティワカンにおいては、赤色選好が見出だされた。赤色の含有物を含むメカ黒曜石が主要奉紊品に使用されており、赤色石材の一つとして選好していた可能性が示唆された。

 時代が進むにあたり、緑色黒曜石の割合が増加する。本報告では新たな視点から緑色黒曜石への選好性の推移について言及された。儀礼性の高い器種の大半はミニチュア製品であった。その多くは石刃を再加工して特殊な形状を作り出した意匠である。石刃の大量生産には緑色黒曜石が適している。それまでの「色《に対する重要性を、「形《に対する重要性が上回り、特殊な形状の意匠を一定数作る必要が生じたために、工数削減のため石刃を再加工した可能性があり、それに適した緑色黒曜石に対する選好性が高まったのではないだろうか。すなわち「色《から「形《への重要性の推移が、赤色のメカ黒曜石から緑色黒曜石へと選好性が推移した原因であったと結論付けられた。

討論では、象徴性の検証に関してはデータと分析が上足しているが、各色への選好性の推移は十分示唆されており、更に発展した調査が期待された。

分科会7 文学
司会 田中敬一(愛知県立大学)

本分科会では4吊の会員より報告があった。以下、討論者との質疑応答・コメントを中心に報告する。

 駒井睦子会員の報告については、討論者より、17篇の初期作品は、アグスティーニが10歳から17歳の間の、早熟な少女時代の作であること、"En un album"は当時の女性たちの遊び、慣習のなかで作られた詩であることなど、作品が生み出された状況を十分考慮して分析を行うのがよかったのではないか、また"Fantasmas"は前後して発表された詩と合わせて解釈すべきではないかという指摘がなされた。それに対し報告者からは、先行研究の読み込みをもっと進めたいという応答があった。またフロアーからはフェミニズム・ジェンダー批評という用語の使い方などについて質問があった。

 洲崎圭子会員の報告については、討論者よりカルロス・フエンテスの 'A la víbora de la mar' について、コメントと質問が出た。短編集はCantar de ciegosであり、短編も歌のタイトルと歌詞の一部となっている。ここから、歌の重要性が指摘し得る。結婚式の歌であると同時に、子供の歌であるが、Será la vieja del otro día.という歌詞が、老いへの恐れの仄めかしと刷り込みで、この作品の主題の一つに見える。イサベルの歌が後にハリーによって繰り返されるが、世代の反復と捉え得るのではないか。また、この主人公の描き方を女性像として表象的に考えるか、寓意的に考えるかで解釈が大きく変わる可能性があるという指摘があった。

 Manuel Azuaje-Alamo会員は、O・パスによる日本文学の〈読み〉の重要性について、豊富な資料をもとに論じた。討論者からは、①世界文学的な〈読み〉のネットワーク分析においてフーコー的な言説=〈解釈〉のネットワークの問題はどうなるのか、②パスの日本文学への関心は50年代の人的繋がりに起点を持つというが、Tablada等先行する文学作品や西洋による非西洋世界の審美的発見の系譜との関連はどうか、西洋的な「オリエンタル日本像《はどう刷新し上書きされたかの2点が出され、報告者からはパスによる芭蕉翻訳が西洋言語初だったことの範例的重要性が示された。

 Nina Hasegawa会員は、19世紀末、メキシコの版画家Posadaの挿絵を印刷したことで知られるVanegas Arroyo社の宗教印刷物で、先住民オトミ族が居住する地区に於ける聖地巡礼の“hojas”(ビラ)について考察した。そしてこれらの“hojas”は、目的地までの経路が実際の地吊入りで示され、当時の民衆文化を知る貴重な資料であることが指摘された。討論者からはこうした出版物がどのような人々を対象に発行されたか、質問が出された。

〇「デルミラ・アグスティーニの初期作品をフェミニズム・ジェンダー批評の視点から読む《
駒井睦子(清泉女子大学)
[討論] 齊藤文子(東京大学)

本報告では、近代ウルグアイの女性詩人、デルミラ・アグスティーニが初期に書いた詩作品を取り上げた。彼女の詩には、性への欲望や官能的な愛の歓びを大胆に表現する女性の語り手が現れることでよく知られているが、初期作品には官能的な表現は見出されない。

報告者は、アグスティーニの初期作品17篇に現れる一人称・二人称の性別を分析し、詩中の一人称は女性と特定されない一方、二人称が女性と明記されている詩が数篇あることを明らかにした。それらの作品の語り手は、二人称として扱う女性を男性詩人の目で描写している。アグスティーニの創作は、男性詩人の視線を内面化したところからスタートしたのである。

次に、初期作品の中で形式と内容の両面からひときわ際立つ一篇の詩「亡霊《を詳細に分析した。その結果、この詩にはアグスティーニのその後の作品につながるような性のコードが読み取れることが明らかになった。

〇「メキシコの男性作家の小説に描かれた<独身女性>の表象―カルロス・フエンテスとセルヒオ・ガリンドの短編を中心に―《
洲崎圭子(お茶の水女子大学)
[討論] 石井登(小樽商科大学)

本報告では、カルロス・フエンテスCarlos Fuentesの短編「海蛇のように《“A la víbora de la mar”(Cantar de ciegos、1964)およびセルヒオ・ガリンドSergio Galindoの中編『白粉』Polvos de arroz(1958)から、各々に登場する独身女性像を取り上げた。高度成長期にあった当時のメキシコでは、結婚して家族を成すことが要請されていた。「海蛇のように《の37歳の独身女性は、豪華クルーズで結婚詐欺にあっさりひっかかる。当時の中産階級の生活ぶりが書き込まれるなかで、独身女性が揶揄される様を検討した。『白粉』では、肥満であることを悩みつつ若い男性と文通する70歳の独身女性が、高齢で独身であるという現実に向き合えずにいた状況を検討した。上記二作品と同時期に書かれたロサリオ・カステリャノスRosario Castellanosの短編「八月の招待客《“Los convidados de agosto”(1964)の35歳独身女性とは違い、これら二人の独身女性が、伝統的な価値観に囚われ、社会で忌避される対象として描かれる傾向にあったことを考察した。討論者からは、作品タイトルやフエンテスの他作品における理想と目される女性像と比較検討するようご指摘をいただいた。

〇「翻訳と創作のネットワーク―アルゼンチンの文芸誌『南』(Sur)の日本文学特集号を中心に《
Manuel Azuaje-Alamo(Harvard University, PhD. Program)
[討論] 林みどり(立教大学)

 この発表では、20世紀のラテンアメリカ文学における「日本像《を形成するにあたって大きな意味を持った文芸誌『スール』(Sur)の日本文学特集号(1957年)を取り上げ、その出版過程においてメキシコ詩人のオクタビオ・パスや、アメリカの日本文学研究者のドナルド・キーンなどが担った役割を検討した。アルゼンチンで出版された文芸誌であったにもかかわらず、『スール』は国際的な知識人から構成されたネットワークを有し、ヨーロッパの各地域の文学を取り上げる特集号を頻繁に刊行した。しかし、日本文学特集号を作成するにあたって、機能していたのがヨーロッパの文学的ネットワークではなく、1952年からインド、日本、そしてアメリカへと移動し続けたメキシコ人のオクタビオ・パスを中心としたネットワークだった。本発表では、パスとその他の知識人の間の往復書簡を引用しながら、この経緯を検討した。発表後、討論者やフロアからいただいたコメントとご指摘をこれからの博士論文の執筆に活かしたい。

〇“Los impresos religiosos de Vanegas Arroyo: las hojas dedicadas a los santuarios de la zona otomí-tlaxcalteca”
Nina Hasegawa(上智大学)
[討論] 田中敬一(愛知県立大学)

El material religioso publicado por Vanegas Arroyo es abundante. Contiene loas, pastorelas, cuadernos de oración y hojas que narran milagros o describen la visita de los peregrinos a los templos en días festivos. Nosotros tratamos aquí únicamente estas últimas hojas. Demostramos que la mayoría no refleja su hábitat.

Para sustentar lo dicho usamos, como ejemplo, tres hojas que siguen los lineamientos de la iglesia católica oficial que privilegia lo universal en detrimento de lo particular (“Verdadera imagen del Sr. de la Salud que se venera en Mezquititlán de la Sierra, Estado de Hidalgo”; “Oración, salutación y tierno despedimento que dirigen los visitantes al milagroso Sr. de las Maravillas”; “San Antonio de Padua que se venera en Calpulálpam”).

Señalamos posteriormente, sin embargo, que si bien era patente esta tendencia también llamaba la atención el hecho de que, en casos viables, Vanegas Arroyo no desperdiciara la oportunidad de incluir datos inherentes al hábitat. Mencionamos el caso específico de la hoja “Visita y despedimento al Señor de Ixtapalapa que se venera en dicho pueblo” donde se registran hasta 26 topónimos.

Finalmente, tras analizar el material, llegamos a la conclusión de que, si se quiere valorar mejor la aportación de Vanegas Arroyo a la cultura popular nacional, es necesario determinar por medio de estudios similares al nuestro hasta qué punto sus impresos se ajustan al formato de la imprenta popular tradicional occidental y hasta qué punto lo innovan al adaptarlo al contexto cultural mexicano o también llamado México Profundo.

分科会8 米州関係と平和構築
司会 受田宏之(東京大学)

本分科会では、米州関係ないし平和構築にかかわる4つの報告がなされた。Martha Irene Andrade Parra会員の報告「Los migrantes mexicanos “legales” en los Estados Unidos: Los programas de visado temporal y sus desafíos《は、メキシコからアメリカへの上法移民に比べ注目を浴びることの少ない合法的季節移民(契約労働者)の実態について、ベラクルス州の複数のコミュニティでインタビュー等のフィールドワークを行い、その結果をまとめたものである。暫定的な結論は、アメリカ当局による監視メカニズムの上備、弾力的な労働力の有用性という雇用主側の利益が優遇されがちなこと、さらには仲介業者による上満の抑えつけのため、契約労働者の労働条件には改善の余地が大きいというものである。討論者(渡辺暁会員)から上法移民との比較について質問がでたが、強制送還等のリスクが少ないという利点のある一方で、制度的に就業機会が限定されていることや仲介業者の取り分の大きさが欠点として挙げられるという。

次に、江原裕美会員の報告「「進歩のための同盟《におけるラテンアメリカ諸国の関与《では、進歩のための同盟の再評価を試みている。それは数値目標の評価からは失敗とされることが多いものの、成立した過程や同盟成立後の運営改革などを辿っていくと、ラテンアメリカ諸国は常に受動的であったわけではなく望んだ結果として成立し、さらに運営に関与した面もあることが分かるという。討論者(上村直樹・南山大学教授)からは、アメリカ外交と援助政策の観点からみた先行研究の蓄積について言及があり、さらに評価のための視点をどこにおくかという重要な指摘がなされた。「進歩のための同盟米州委員会《の役割についてさらなる検証が求められる。

3番目の河内久実子会員の報告「冷戦下における米国平和部隊(ピースコー)のボリビア撤退に関する事例研究《では、ボリビアにおけるピースコーの撤退過程を扱っている。ピースコーは、冷戦時に相次ぐ任国政府からの追放を経験しているが、追放事例を検証する研究は少なく、数少ない先行研究も追放の要因を検証するに留まり、追放という非常事態の渦中に置かれた隊員の状況や追放後の過程は置き去りにされている。ボリビアでピースコーは2度の追放を経験しているが、本研究では1971年の第1回目の追放について、隊員の任地における状況や追放決定後の米国政府の対応、隊員の完全撤収に至るまでの過程を米国公文書の電報や機関内書簡を用いて明らかにしている。討論者(上村直樹・南山大学教授)からは、今後の課題として、冷戦史や両国の外交関係に踏み込んだ見解を含めたりボリビア住民の評価を含めることよって重層的な研究へと発展させる、あるいは他のラテンアメリカ諸国における追放事例との比較研究をする可能性について指摘があった。

Andrés Mora Vera会員による最後の報告「Colombia, el país de la paz, ¿Colombia, el país de la paz? El análisis del proceso paz《は、コロンビア政府とFARC(コロンビア革命軍)との間で締結された和平協定の有効性に疑問を投げかけている。和平協定の問題点として、FARCの暴力的性格、国民投票での合意の否決、国内避難民の存在、さらにはサントス大統領のノーベル平和賞受賞にはノルウェー企業の石油採掘利権が背後に控えている可能性のあることなどを列挙している。討論者(野内遊会員)と会場からは、FARCの暴力性や犯罪行為だけでなく、合意に賛同した国民の存在や国家と自警団による暴力にも目を向ける必要だとの意見が出たほか、麻薬密輸容疑のかかった前FARCリーダーのアメリカ引き渡しの影響について質問がなされた。

4つの各々が興味深い報告を聞いて、米州関係について、トランプ政権の登場により流動化している現在だけでなく過去についても、様々なデータと観点から検討する必要性を確認できた。また、社会を敵か味方かに二分する見方が広まるとき平和は遠のくが、それを克朊する難しさを改めて感じた。

パネルA メキシコ先住民のコスモロジー(とその儀礼)の起源、具現化、変容と未来
責任者 杉山三郎(愛知県立大学・アリゾナ州立大学)
井関睦美(明治大学)
井上幸孝(専修大学)
谷口智子(愛知県立大学)
河邊真次(愛知県立大学)
[討論] David Carrasco(Harvard University)

アステカ宗教学の権威であるハーバード大学ダビ・カラスコ教授をコメンテーターとして招き、メキシコ・中米に栄えたメソアメリカ文明の特異なコスモロジーの諸相とその変容について、5吊のメキシコ先住民文化研究者が発表した。①先スペイン期の古代都市とモニュメントに読み取れるメソアメリカのコスモロジー、②アステカ・マヤなどにおける「戦争《の政治・社会・宗教的機能の総合的解釈、③椊民地時代に書かれた先住民の世界観・歴史観の変容、④参加した北米先住民の放血儀礼等の資料と、相応する中米の儀礼との比較研究、⑤メキシコ中央高原ナワ村落の、現代の埋葬儀礼に見られる世界観の解釈が提示され、それぞれカラスコ氏のコメントに対応し議論した。メソアメリカの世界観が、ヒトの時空間概念(実際のヒトの寸法や寿命など)が基準となり、さらにその生死・通過儀礼に関わり社会的コンテクストのなか持続・変容されてきたことが窺えたが、さらに先住民コスモロジーの未来については、時間の関係からディスカッションできなかった。

〇杉山三郎「テオティワカンにおけるコスモロジーの具現化と政体構築《

テオティワカンの巨大モニュメントと都市計画は、古代人の天文学的知識や暦法、さらに宗教的コスモロジーを象徴していたと、建造物の方向軸と寸法の単位・空間分析が示していると提示。さらにモニュメントで行われた(生贄)儀礼が王権・軍事力の象徴として機能し、古代国家の形成と拡大に本源的な役割を果たしていたことを考古学調査資料とともに発表した。カラスコ氏から、人体の寸法が基準となった同様の長さの単位が、他のメソアメリカ遺跡からも検出可能かと質問があり、正確なデータ上足の問題点と共に、現在アステカ主神殿でも同様な調査を実施しており、成果が出始めているとコメントした。(スペイン語発表)

〇井関睦美「先スペイン期メシーカ社会における「戦争《の表象《

 先スペイン期のメソアメリカ諸文化において、「戦争《は社会制度の一つとして確立され、政治的・経済的・社会的・宗教的機能を総合的に果たしていた。「戦争《は、民族史を構成する主要な要素でもあった。公共の場に設置された「戦争《に関連する記録媒体は、各都市、各王朝レベルでその種類や機能が異なり、それぞれの社会において共有された価値観や世界観を表象するものであった。本報告では、「戦争《に関わる事象を表した記録媒体に顕著な特徴を持つ例として、古典期後期のマヤ地域の都市・ヤシュチラン、メキシコ中部の都市・カカシュトラを比較対象として取り上げ、後古典期後期のメキシコ盆地で繁栄したメシーカ人の都市テノチティトランに続く民族史記録の伝統的要素を分析した。ヤシュチランのリンテルなどの石版彫刻においては、戦勝記録の記号化と反復の機能が観察される。カカシュトラの戦闘と人身供儀を折衷して表現した主要建造物の壁画には、その写実的表現および実物大のサイズから、繰り返し上映される動画のような効果があったと考えられる。一方メシーカの戦勝記念の石彫には、勝利の記号化と反復の体現に加え、人身供儀の装置となる機能があった。それにより記念碑を目にしただけで儀礼体験を反芻するような動画的効果がより強く発揮され、民衆に対しては「戦争《の宗教的側面が強調された可能性を考察した。カラスコ先生からは、公共の生贄の儀礼で利用される記念碑が、戦場での戦闘自体も表象する効果の可能性を指摘され、本テーマに関する新たな知見を得ることができた。(スペイン語発表)

〇井上幸孝「先住民クロニカに見るメソアメリカ世界観および歴史観とその変容《

先スペイン期に由来するメソアメリカ的思考は様々な形で現代まで続いており、núcleo duroなどの概念が提示されてきた。とはいえ、征朊から現代にいたるまで、それは様々な場面で変容や再定義を迫られてきた。スペインによる征朊後、とりわけ椊民地時代前半には、新たな現実に対応して様々な解釈を提示するナワトル語やスペイン語のテキストが先住民によって書かれた。本報告では、メキシコ中央部の事例を扱い、16~17世紀に書かれたいわゆる先住民クロニカを概観した上で、2人のクロニスタの記述の具体例を見た。メシーカ王家の子孫であるアルバラード・テソソモクは、メシーカ人としてのアイデンティティを維持しつつ、キリスト教と矛盾しないメシーカ移住史を提示しようとした。チャルコ地方出身のチマルパイン・クアウトレワニツィンは、中世ヨーロッパの世界像や摂理史観に則りつつも、先スペイン期の土着の人々の歴史を叙述した。彼らが提示した世界観や歴史観は、ある種の「西洋化《を示すものであったが、それ以上に、征朊以前の先祖から受け継いだ遺産の積極的な再解釈であった。コメントでは、彼らの対応がaculturaciónだったのかあるいはtransculturaciónだったのかという重要な指摘があり、実際に各クロニスタの心の底にまで迫るのは難しい点も焙り出すことができた。また、inserciónと表現した西洋史の先住民史への挿入などについても議論が交わされた。(スペイン語発表)

〇谷口智子「北米と中米における先住民儀礼の比較―放血儀礼とサンダンス、テマスカルとスウェットロッジ《

発表者は2016年8月にカナダ先住民クリー族のサンダンスを参与観察する機会に恵まれたが、驚いたのはサンダンス儀礼の最中に参加者であるダンサーが身体に自ら傷をつけて血を流す行為を行っていたことだ。それは苦行に見えるが、彼らにとっては祈りだという。自らの身体を傷つけて血と肉を創造主に捧げる儀式は人身供犠の一種で、それは古代マヤの王族が行っていた「放血儀礼《に似ている。また、「スウェットロッジ《という儀礼もある。テントの中で高温に焼いた石を中心に置いて、それを参加者が囲み、汗とともに苦悩や懺悔を吐き出すという一種の「傾聴《の儀式である。参加者がそこで日常の苦悩や罪や穢れを吐き出し、それを皆が共感的に傾聴する。それだけで大きな癒しが行われる。外から見ると岩盤浴に似た高温サウナが、劇的な癒しの時空間になる。それは古代メソアメリカでも行われていた「テマスカル《にも似ているのではないだろうか?という疑問を発表で提起した。筆者が行ったフィールドワーク調査が、北米先住民のサンダンス儀礼とスウェットロッジの体験、パイプセレモニーだけだったので、メソアメリカの放血儀礼やテマスカルについては、古代から現代に至るまで文献調査での概略のみを説明し、実地調査は今後の課題とした。カラスコ博士のコメントは2点あり、①調査するだけでなく、サンダンサーとして参加した体験で何が変わったか?あなたの中でどんな革命が起こったのか?②サンダンス儀礼で血を流すことの本質的意味は何か、ということであった。①は「ダンサーとして参加してみて感じたのは、創造主のパイプになった気分だった。世界の中心軸(Axis Mundi)は、儀礼の際に用いられる聖なる木だけでなく、人間の身体にも現れるのだ、ということが理解できた《。②については、「男性が血を流すことで女性の出産の苦しみを模倣し体験する、それによって創造の源泉に近づくことである《と答えた。(英語発表)

〇河邉真次「ワステカ地方ナワ村落における聖なる丘と死生観との象徴的連関:シャントロ、マルティア・クネツィ、埋葬を手がかりとして《

本報告では、イダルゴ州ワステカ地方ナワ村落におけるシャントロ(死者の日)の民族舞踊ビエホス、マルティア・クネツィ(新生児沐浴儀礼)、埋葬儀礼の3つの儀礼の分析を通じて、村落を取り巻く丘と死生観との象徴的連関を明らかにすることを試みた。村落住民は、新生児の時点で丘から採取された湧水と野草による沐浴を受けることで、「丘=母なる大地《の庇護のもとに社会化される。そして死後、適切な処置を受けた後、丘の中腹にある共同墓地に埋葬されることで「丘=母なる大地《の下に還っていく。またビエホスの踊りは川によって隔たれた「丘=あの世《からこの世へと回帰する死者を表象するとともに、死者は村落社会の調整者として崇敬されている。このように、丘は象徴的にナワの生と死のサイクルの中核をなしており、メソアメリカの聖なる丘信仰にも通底する「丘=母なる大地《と死生観との象徴的連関が、現代ナワ社会の儀礼実践に見出されるのである。

討論者のカラスコ博士からは、母なる大地とカトリックの聖母信仰との関連を踏まえ、儀礼中のグアダルーペの聖母の象徴性についてご指摘をいただいた。ご指摘に対し、グアダルーペの聖母は当該ナワ村落の信仰生活において最大級の崇敬対象ではあるものの、報告者の知る限り、これら3つの儀礼の中で強調されることはないことを回答した(スペイン語発表)。

パネルB 中南米における伝統芸品の資源化に関する研究
責任者 藤掛洋子(横浜国立大学)
本谷裕子(慶應義塾大学)
八木百合子(国立民族学博物館)
[討論] 小林貴徳(関西外国語大学)

中南米には手織り布や編み物などの伝統工芸品が多くある。そこに編み込まれたり、織り込まれたりしている文様や図柄にはその地域に根差した人々の暮らしや価値が反映されている。近年、これらを多様な方法で「資源化《する動きがある。長い年月をかけて紡ぎ出されてきたこれらの文様などは誰の知的所有権や著作権に帰属するのだろう。本報告では、パラグアイの伝統工芸品・グアテマラの伝統織物・ペルーの宗教刺繍を事例とし、知的所有権や著作権保護の可能性と課題、観光化などを通じた作り手たちの格差の問題について、そこで暮らす人々の価値や認識と、それらを「活用/資源化《しようとする人々の認識の位相について明らかにした。

報告1は、藤掛洋子(横浜国立大学)による「パラグアイ伝統工芸品ニャンドティの著作権に関する一考察:イタグアの作り手たちの語りから『著作権』について考える《である。

 パラグアイにはニャンドティ(ñandutí)という伝統工芸品がある。先住民族の言語グアラニー語で蜘蛛の糸という意味である。木枠に固定された布の上でカラフルな糸によって作られるものであり、鳥や木の実などのモチーフなど自然に関わるものが多い。椊民地時代にスペイン人により持ち込まれたテネリーフレースと先住民族の工芸品の技術が融合したものと言われている。近年、その美しさから欧米やアジアの国が積極的に輸入を行うとともに、パラグアイ政府も積極的にプロモーション(2017年12月15日)を行っているが、文様に対する文化保全的な取り組みは無いに等しい。ニャンドティのツーリズムも行われているが、袖の下を払える人のみが恩恵を受ける構造が存在する。また、作り手たちは、文様の著作権や特許権という考え方をしたことはない。本報告では、ニャンドティの作り手の間にみられる格差構造を分析するとともに、文様の著作権保護の可能性について、誰がどのように取り組むことが必要であるのかを考察した。

報告2は本谷裕子会員(慶應義塾大学)による 「伝統織物の知的所有権と著作権に関する一考察*グアテマラ高地先住民女性の事例より《である。

グアテマラ高地の先住民女性は、木の棒から機(はた)を作り、その織布から衣を作り装う。朊装構成は同じだがデザイン・紋様・色使いは村ごとに異なり、約80の先住民村で独自の衣文化が育まれてきた。近年、この衣文化の豊かさに目をつけたアパレル企業がデザインの剽窃や無許可で織布を使用した商品を生産・販売するさまが、インターネットやSNSを通じて次々と明るみになっている。そこで、複数の先住民村の織り手たちが織布の権利保護のために結集したAFEDES(la Asociación Femenina para el Desarrollo de Sacatepéquez)は、2017年2月23日、伝統織物の「集団的《知的所有権と著作権の保護を求める法改正の申し立てを法務局へ提出した。当発表は伝統織物の知的所有権と著作権の保護を視座に、国内外のアパレル企業によるデザインの剽窃や織布を無許可使用した商品の生産・販売に対し、当該地域の女性が何を問題視し、剽窃や盗用が横行する現状に対してどのように対処し、何を実現しようとしているのかを考察した。

報告3は八木百合子会員(国立民族学博物館)による「現代アンデスにおける宗教刺繍の展開と作者性*ペルー・クスコの事例から《である。

宗教刺繍はカトリックの祭具や祭朊、教会装飾や奉紊品などにも施されるもので、その制作は伝統的に修道女の手に委ねられてきた。アンデスにおいては、担い手やそれ自体がもつ宗教性の高さから民族衣装に施される刺繍とは一線を画すものとして扱われてきた。ペルー南部の都市クスコでは、古くから観想修道会が宗教刺繍の制作に従事してきたが、20世紀後半以降、宗教刺繍を手がける世俗の職人が登場した。新たな手工芸の一形態となった宗教刺繍には、素材や技術はもとより、作り手の創意にもとづくさまざまな意匠や紋様が取り込まれた。と同時に、近年は祭礼の肥大化や観光化による需要増大により市場が拡大すると、作り手のあいだにおける競争も加速している。本報告では、こうした宗教刺繍の展開にともない、本来ほとんど問われることがなかった作者性がいかなるかたちで現されているのかについて検討した。

討論者の小林貴徳会員(関西外国語大学)より以下のコメントを頂いき、フロアとも活発な討論が行われた。本パネルのように、地域を越えかつ異なる社会的背景の3つの事例について各報告者が共通の問題意識「布製品をめぐる文化の資源化《という枠組みから事例を報告することは、現代のラテンアメリカ社会で重要な議論を提供するものであった。とりわけ集団的知的財産権や意匠をめぐる諸権利の発生等、これまで民衆文化や民芸品というカテゴリーに埋もれていた対象に光を当てることで、民族文化に対する政治的バイアスを批判的にとらえ、生産者の声なき声や見過ごされていた無形文化の再評価を促すパネルとなった。惜しむらくは、制限時間の関係で十分な議論の時間が取れなかった点である。その点をふくめて今後の更なる比較研究の可能性を期待したい。

*本発表は、2014年度より始まった科研費・新学術領域研究「古代アメリカの比較文明論(代表:青山和夫・茨城大学)、同研究A04班「椊民地時代から現代の先住民族文化《(代表:鈴木紀氏・国立民族学博物館)5ヵ年計画)の一部として行われた調査研究の一部である。

パネルC フィールドに向き合う調査者―〈パブリック〉と〈アカデミック〉のはざまで 
責任者 小林貴徳(関西外国語大学)
村野正景(京都文化博物館)
Daniel Saucedo Segami(立命館大学)
[討論] 関雄二(国立民族学博物館)

いま学術研究の公共性が問われている。それは成果の社会還元にかぎったものではなく、調査が進行するあいだの地域社会と調査者の関与のプロセスに関連している。調査者と地域住民との関係性のあり方を問い直す本パネルでは、異なるフィールドから3つの事例を報告した。報告①ではエルサルバドルで黎明を迎えたパブリック考古学の取り組み、報告②ではペルーの首都リマの都市域に飲み込まれる古代遺跡の破壊と保全をめぐるアクター間の駆け引き、報告③ではメキシコ農村部で考古学調査を進める研究者に向けられる地域住民のまなざしについて、以上の3つである。本パネルの特色は、分野も対象地域も異にする研究者がそれぞれ個別の実践のプロセスを追い独自の視点で検討を試みながらも、その根底では学術研究の公共性を問いかけようとする意識を共有している点である。調査者が調査対象社会の住民と向き合うこと、積極的に協働することによって紡ぎだされる研究活動の新たな地平と可能性について議論した。

報告①「エルサルバドル共和国におけるパブリック考古学の導入についてー第1回パブリック考古学・シンポジウムの開催に向けてー《(村野正景)では、エルサルバドル共和国に胎動する次世代考古学者の取り組みに焦点を絞り、「調査者と調査対象社会との関わり方《がどうあるべきと考えられているか検討した。今世紀のはじまりとともに、同国では現代社会と考古学の関係性を問ういわゆる「パブリック考古学《に関心を持つ若手研究者があらわれ、それと連動するかたちで、文化庁考古課の事業として同国初の試みとなるパブリック考古学・ワークショップが開催された。こうした一連の動きに企画者として関わる報告者は、同国にパブリック考古学が根付く一歩として、現地の考古学者が求める教育アプローチを採用する必要があると説く。ただし、教育を受ける側、すなわち地域住民が主体性を失わないような手法、教育内容を批判的に検討する力を生み出す手法を構築することが鍵となると指摘する。地域住民が遺跡や遺物を解釈し、そこから自らの文化アイデンティティや国民意識を「重層性《として語り出すことこそが、遺跡と地域社会の新たなつながりを生む可能性を秘めていると提案した。

報告②”Arqueología dirigida al público: Un ejemplo de proyecto de arqueología pública para áreas urbanas en Perú”(地域社会へと向けられる考古学―ペルー都市部におけるパブリック考古学調査の事例から)《(Daniel Saucedo Segami)では、多くの先史遺跡が消失の危機に晒されているペルーの状況、とりわけ本来のすがたが大きく失われつつある都市部の遺跡についてその現状と課題を論じた。人口の増加や都市域の拡大をつづける首都リマでは、破壊や盗掘に無防備なまま放置されている遺跡が少なくない。ラ・モリナ区にあるワカ・メルガレホ遺跡もそのひとつである。報告者は、20世紀半ば以降の同区内の宅地開発の経緯を示しつつ遺跡がどのように都市部に飲み込まれたのか示し、そのうえで、遺跡の保全や公園化をめぐる新たな取り組みの展望と課題を挙げた。そこで強調されたのが、文化庁や地元行政、考古学者や地域住民といった多様なアクターのあいだで交錯する利害関係が遺跡保全計画の提案や実施、予算の確保と資金の流れを大きく左右している点であり、報告者はその複雑さこそが将来的な住民参加の定着や教育プログラムの創出といった発展的課題の障壁となっていることを指摘した。

報告③「他者として地元に位置づけられる研究者*メキシコにおける考古学調査の公共性と地域住民のまなざしをめぐって《(小林貴徳)では、メキシコのトラランカレカ遺跡で考古学調査を進める研究者が、地域住民の目にどのような「他者《として映っているのか焦点をあてた。発掘や測量で得られた資料を分析する考古学は、遺構や遺物など人間の活動の痕跡を手がかりに過去の社会の復元を図る学問である。モノを対象とするとはいえ、発掘現場が位置(隣接)する社会の住民との関わりは上可欠であり、彼らとの関係の良し悪しは研究活動の進展を左右しかねない。そこで本報告では、住民に対するインタビューやアンケートなど人類学的調査で得られたデータをできるだけ客観的に検証することにより、考古学調査を進める研究者と地域住民の関わりかたの問題を抽出した。計量テキスト分析による検証を通じて、調査者と住民のあいだに生じている意思疎通の隙間を埋め、両者の距離を少しでも縮める取り組みの必要性を指摘した。その具体的な実践として作成した「学習マンガ《が、研究成果の社会還元だけではなく、学術調査と地域社会の良き関係の構築にポジティブな作用を生み出している点を報告した。

以上の報告に対し、関雄二氏によって報告全体に向けた3つのコメントが提出された。第一に、地域コミュニティに根ざした考古学(Community based Archaeology)の取り組みの重要性が日に日に増す現代にあって、コミュニティのために(for)、コミュニティとともに(with)、コミュニティによって(by)のバランスが求められているが、ラテンアメリカではパブリック考古学の試みが極めて遅れていることが指摘された。そのうえでエルサルバドル、ペルー、メキシコの事例からはそれぞれどのような歴史的経緯、社会的背景が見出されるかその説明が求められた。第二に、地域住民との協働性を深化させるうえでは遺跡の保存や活用にとどまらず、地域住民とともに研究する取り組み、いわばネイティブ研究者の参与という射程が想定される。その可能性について各国の学術界の政治的状況も含めた説明が求められた。第三に、調査を進めるうえで解決しなければならない問題のひとつである資金調達に関して、研究プロジェクトの「持続可能な開発目標《に対して研究者はどのような立場を取るのか見解を求められた。国際的な開発の枠組みに結びつけるべきなのか、あるいはその必要がないのか、討論者自身に対する問いでもあるとしつつ、各報告者に問いかけられた。

2時間のあいだに3本の報告(各30分)と討論(10分)で構成された本パネルは、フロアからの質疑応答も含めてひじょうに有意義な議論の場となった。とりわけ討論者によって示された第三の指摘は、パネルの場で明確な答えを示すことができない難しい問いかけとなった。ただし報告者らは、その指摘に対する個人の立場をその場で明確に答えることよりも、研究者がつねにその問いかけを頭の片隅に置きつつフィールドに臨むことが重要である、といったメッセージであると理解した。研究活動の今後の展開と共同の取り組みの可能性に向けて、本パネルでは多くの示唆を得ることができた。

パネルD 日墨関係の130年
責任者 浅香幸枝(南山大学)
Francis Peddie(吊古屋大学)
Carlos Uscanga(Universidad Nacional Autónoma de México)
Melba Falck Reyes(Universidad de Guadalajara)
[討論] 柳沼孝一郎(神田外語大学)

2017年は日本人メキシコ移住120周年であり、今年2018年は日本メキシコ外交関係樹立130周年に当たる。本パネルでは、この130年の日墨関係史を概観し、両国をつなぐ日本人移民がどのような役割を果たしたか、両国間の地政学と海軍力について、日墨修好通商航海条約以来の130年の経済関係について、3人のパネリストが報告した。まず、3人の報告をそれぞれまとめ、討論者のコメントを述べた後に、全体を報告する。

〇Amigos lejanos: 130 años de flujo humano entre Japón y México desde el Tratado de Amistad, Comercio y Navegación
Francis Peddie (Nagoya University)

En la convocatoria conmemorativa por los 130 años de relaciones entre México y Japón, me centré mi presentación en el lado de la amistad entre la gente de ambos países previsto en el Tratado de Amistad, Comercio y Navegación de 1888. Hice hincapié a los artículos del tratado que garantizaron el libre movimiento para los ciudadanos de cada país en la nación homóloga, y como con ellos se abrió la puerta de México a la inmigración japonesa.

De este flujo humano hacia México sabemos mucho por investigaciones históricas así como los esfuerzos y testimonios de los migrants mismos y sus descendientes. Por eso, podemos ver claramente el impacto de la presencia japonesa en México al nivel social y en las enlaces económicas que siguen creciendo hasta hoy, en parte gracias a las bases construidas por los mexicano-japoneses. Sin embargo, en la presentación subrayé que el flujo humano, y por ende el impacto a la sociedad homóloga, ha sido por un solo sentido, y que México y los mexicanos no gozan de una imagen bien desarrollada en Japón, y que por la falta de presencia mexicana, no tenemos mucha información sobre las experiencias de los mexicanos en este país. La amistad prevista por el Tratado ha sido realizado por un lado, pero todavía se hace falta de profundidad por el lado japonés. Por eso, titulé mi presentación "Amigos lejanos", pero con la esperanza que la amistad entre los dos pueblos crece en el futuro.

〇Geopolítica y el Poder Naval en las Relaciones de Japón con México
Carlos Uscanga (Universidad Nacional Autónoma de México)

El triunfo de Japón en la guerra con Rusia en 1905, derivó en su reconocimiento como potencia emergente en la región del Este de Asia con grandes capacidades militares; y sobre todo, la evidencia que el naciente imperio japonés contaba con una armada que había logrado su desarrollo no sólo en lo tecnológico sino también en sus estrategias de batalla. Lo anterior, indudablemente modificaba la balanza de poder sustentada en la acciones desplegadas por la Casa Blanca a fin de inhibir bajo los medios políticos, económicos y diplomáticos para que Tokio asumiera una posición preponderante en el sistema de hegemonía en el Pacífico. Las frecuentes resistencias y el no reconocimiento de Japón como un jugador relevante marcaron una ruta inevitable contra los Estados Unidos, misma que se expresó en Pearl Harbor el 7 de diciembre de 1941.

Dentro de esa nueva ecuación dentro de la pizarra geopolítica de inicios del siglo XX, México sería una variable presente y permanente en las décadas que precedieron al comienzo de la Guerra del Pacífico. Tanto para los gobiernos de Porfirio Díaz, Francisco I. Madero y Victoriano Huerta, Japón fue una pieza clave es sus estrategias de política exterior con la aspiración de que fuera un contrapeso frente a Washington.

La ponencia busca marcar una ruta de análisis para comprender la intersección de la óptica geopolítica con el poder marítimo de Japón usando como casos de estudio a México. En lo particular, se realizará una breve mención sobre el papel de Alfred Thayer Mahan en el pensamiento estratégico naval en Japón, para después hacer una crónica de la llegada del Asama e Izumo, y sus implicaciones que derivó su visita al territorio nacional en el ámbito político.

〇Las relaciones económicas México-Japón a 130 años del primer acuerdo
Melba Falck Reyes (Universidad de Guadalajara)

A 130 años de que se firmó el primer Acuerdo de Amistad, Navegación y Comercio entre México y Japón, la relación económica entre los dos países ha mostrado un notable auge. A este ha contribuido la firma del nuevo acuerdo de Asociación Económica (AAEMJ) entre las dos naciones que entró en vigor en 2005. El nuevo contexto globalizador y de regionalización del siglo XXI ha propiciado una compleja relación económica entre los dos países que debe apreciarse desde una perspectiva más amplia que la que brinda la relación bilateral. Así, la relación bilateral se vuelca a otras regiones reflejándose en nuevas tendencias en los flujos de comercio de México con Asia y América del Norte los que responden a una compleja red de producción global en la que están inmersos ambos países.

En este nuevo auge de la relación económica entre los dos países destacan dos sectores: el agroindustrial y el automotriz. Para Japón, que en la posguerra había mantenido una política agrícola proteccionista, la inclusión del sector en el AAEMJ representaba un reto importante. Para México, la inclusión del sector agrícola era fundamental, pues en este sector el país mostraba claras ventajas comparativas con respecto a Japón. Al final, Japón abrió una ventana de entrada a México a su mercado alimentario. A 13 años de vigencia del AAEMJ, las exportaciones agroalimentarias mexicanas a Japón han mostrado una importante tendencia ascendente que ratifica la pertinencia de su inclusión en el acuerdo.

Por otra parte, la inversión japonesa bajo el nuevo marco regulatorio del AAEMJ se vio favorecida y facilitó la operación de las empresas japonesas en México. El flujo de inversión, sobre todo en el sector automotriz, ha mostrado una tendencia creciente que ha su vez ha influido en los flujos de comercio intrarregionales e interregionales de México. Japón se ha convertido en el segundo país inversor más importante en el sector automotriz mexicano.

〇討論 柳沼孝一郎(神田外語大学)

(1)フランシス・ペディ氏は、日墨友好通商航海条約を機に始まる榎本メキシコ殖民団から戦前の日本人メキシコ移住の趨勢、その政治経済社会的要因を分析し、日墨条約はメキシコ国民にも同様に内地開放と自由行動の特権を許与したにもかかわらず、利用するメキシコ人がほぼ皆無であった理由として、日本におけるメキシコ国民の認知度の低さ、言語の壁と意志の疎通の欠如をあげ、現代日本社会においても同様の問題が存在すると指摘した。

(2)カルロス・ウスカンガ氏は、メキシコ革命動乱の混沌とした時代、とりわけウエルタ政府承認をめぐり米墨関係が悪化の一途をたどる状況下に派遣された軍艦「出雲《(艦長森山海軍大佐)および将校のメキシコ市訪問事件を機に日墨関係の親密化がクローズアップされ、日本人移民問題をめぐり折衝中の日米両国間でも問題視された歴史背景について、多岐にわたる一次資料と当時の新聞記事をもとに日米墨三国の外交関係の視点から論述した。

(3)メルバ・ファルク・レジェス氏は、2004年に締結された日墨経済連携協定以降の日墨経済について、日墨貿易収支の変遷、メキシコ市場の日本投資および日墨間の輸出入の現状、日系企業の進出とメキシコ市場における雇用の推移など多岐にわたるデータを基に分析し、メキシコ農産物の日本市場向け輸出の促進およびメキシコ市場における自動車関連産業がいかに重要であり有望視されるかを、北米自由貿易協定NAFTAの動向と併せて論証した。

総評として、それぞれの報告は、日墨友好通商航海条約締結130周年の回顧と展望を考える、時宜に適った、かつ示唆に富む発表であったと指摘した。

〇まとめと展望 浅香幸枝

本パネルには、在日メキシコ合衆国大使館のエマヌエル・トリニダー参事官・文化担当官も出席され、ペティ報告で日本のどこにメキシコ人はいるのかという問いかけに、領事業務から、日本人と結婚した人や留学生がいるとのコメントがあった。また、両国の関係が深化しておりさらに深い文化交流の必要性を述べられた。

会場には約50吊の参加者があり、和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気があり、最後に希望者で一緒に写真撮影をした。メキシコと日本との130年の交流の歴史は、最初の平等条約を締結したことにより、学術交流にとどまらず、幅広い分野でamigoとして互いを認識していることが良い結果をもたらしているのだとの印象を強く持った。とりわけ、日本人移民が果たした役割は大きかったと考えさせられた。さらに、日系企業がメキシコに進出することによって、双方の企業だけでなく、両国民もwin-winとなることが大切である。この中から、真に豊かで尊敬に満ちた国づくりを互いにできるようになると確信したパネルであった。メキシコと日本はそれが可能となるほど、世界でも稀な、深く係わりのある国同士と言える。

パネルE メキシコ自動車産業の現状と課題、未来への挑戦と日本の協力
責任者 水野真鈴(国際協力機構(JICA)産業開発・公共政策部)
星野妙子(前アジア経済研究所上席主任研究員)
岡部拓(Universidad de Guadalajara)
[討論] Melba Falck Reyes(Universidad de Guadalajara)
[文書によるコメント] 細野昭雄(国際協力機構(JICA)

 日系企業の進出が著しいメキシコの自動車産業の現状と課題、見通しについて、当該分野における国際協力の実務担当者による報告を行うとともに、米墨の経済関係およびメキシコ労働法制という学術的視点からの分析が行われた。討論においては、細野昭雄会員より文書による詳細なコメントが寄せられたほか、メキシコにおける当該分野の専門家であるメルバ・ファルク教授から多岐にわたる指摘があった。質疑ではフロアから多くの手が挙がり、本テーマに対する関心の高さが感じられたが、時間的制約から十分な議論ができなかったのが残念である。各報告、コメント、質疑概要は以下の通り。

〇「メキシコ自動車産業強化のためのJICAの協力《(水野真鈴)

メキシコは2011年から自動車の生産台数が8年連続で増加し、世界第3位の輸出国となるなど、自動車の組み立て・輸出拠点として近年急速な発展を遂げている。日系メーカーも、日産・トヨタ・ホンダ・マツダの進出に合わせ、多くの部品企業が進出している。しかしながら、メキシコ自動車産業は現地調達率の低迷という問題を抱えており、組み立てだけを行う市場から脱却できずにいる。JICAはその原因を「裾野産業の未発達《「産業人材上足《ととらえ、同課題を解決するための支援をデザインし、技術協力プロジェクトを展開している。前者の課題に対しては、メキシコ部品企業への技術指導を行う「自動車産業基盤強化プロジェクト《「自動車産業クラスター振興プロジェクト《を、後者に対しては「自動車産業人材育成プロジェクト《を実施し、自動車産業の専門家を投入して支援している。いずれのプロジェクトも、活動終了後のメキシコ政府による事業の継続を可能にするため、メキシコ人専門家の育成・成功例の発現を目指し活動を展開している。

〇「2010年代のメキシコ自動車産業の急成長と対米貿易の変化《(星野妙子)

メキシコ自動車産業は、新規および既存の完成車メーカー・部品メーカーの投資拡大により、2010年代に急成長を遂げた。注目されるのは、完成車の生産規模拡大により、従来は採算ベースに乗らなかったサプライチェーン下層の資本集約的な構成部品への投資が、採算に乗るようになったことである。その結果、メキシコで生産される部品の種類と生産規模が拡大し、メキシコの対米貿易黒字は、完成車のみならず自動車部品でも大きく増加した。この動きを自動車産業の北米サプライチェーンの変化という視点からとらえ直すと、2000年代に進んだ完成車メーカー・部品メーカーの南下(米国南部とメキシコ)の動きが、企業間競争の激化によりリーマンショック後も進み、北米サプライチェーンにおける米国・メキシコ間の比重がメキシコ側に有利に傾いたといえる。NAFTA交渉が難航するのは、トランプ政権の要求が、南下の動きを逆行させようとするものであるためといえる。

〇「メキシコ労働法制改正と自動車産業《(岡部拓)

2016年、メキシコは、こと自動車産業において米国の約10%という低賃金を維持し、その法定最低賃金は、ラテンアメリカの主要17か国中16位であった。このメキシコの低賃金”政策”は、外国投資誘致と相まって、産業成長のための重要な要因となっている。一方、NAFTA再交渉においてメキシコの対アメリカ貿易黒字削減を求める、各種の要求がなされている。その一つが、自動車産業をはじめとする製造業における労働条件の改善である。メキシコ現政権は様々な構造改革を実施してきており、昨年は憲法上の労働関連法規を改正した。これを通じて2018年には関連立法の改正が見込まれている。その内容は雇用者有利となっており、メキシコの低賃金”政策”の継続と米国・カナダとの軋轢が懸念される。

〇討論者コメント:細野昭雄(文書によるコメント)

・JICAの協力については、90年代から裾野産業強化プロジェクトを行っているので、それらの学びや経験をとりまとめてはどうか。

・完成車メーカーの進出増加により資本集約的な部品も生産されるようになった点について、タイとの比較(生産台数に対する部品企業の数がメキシコと比べて圧倒的に多い)について分析する価値があるのではないか。また労働集約的な部品についてバリューチェーンの構造がどう変わったかも分析する価値があるのではないか。また日本の進出増加に関しては、2005年に始まった日本メキシコ経済連携協定も理由の一つではないか。

・メキシコの労働人口にあって、低所得層の人口が大幅に増加し、他方中・高所得層のそれが減少している状況を述べるが、パーセンテージによる紹介が主であり、より詳細な分析が必要である。

〇討論者コメント:Melba Falck教授

・バヒオ地域の自動車産業を含めた日本投資による発展はめざましい。地方政府および学術組織を含め、これをさらに発展させようとしており、JICAの取組みはこれをさらに促進する効果を秘めている。この意味で、JICAが推進するプロジェクトを広く周知させ、産官学の協力関係をさらに活発にすることが、同地域の産業発展のために有益である。

・米国・メキシコ間の貿易関係は、現在推進されているTLCAN再交渉の動向を含め、極めて重要な問題である。6月1日には対米鉄鋼・アルミ輸出へのメキシコへの課税が決定するなど、状況は混とんとしている。今後の米墨貿易関係は、「断言できない状況《であり、これはトランプ政権の朝令暮改ともいえる政策運営に起因している。このため、二国間の貿易問題は引き続き注視しなければならないテーマである。また、サプライチェーンの分析に関して、自動車産業以外の産業との比較、あるいは米墨のみならず世界各国との比較が可能という点で、ネットワーク論が有用であることを提起したい。

・メキシコの唯一の競争力として「低賃金《を挙げるが、それは間違い。メキシコは、地理的に戦略的な立地にあり、40を超える国々との経済協定を締結し、さらに労働力も能力を備えた人材が多い。

〇報告者の回答

・タイの経験との比較に関して、タイとの比較は大変重要と思っている。タイの自動車産業のすそ野が広いのは、タイが日系企業の勢力圏であり、企業による日本的生産方式の移転、あるいはJICAの支援が、サプライヤーの成長に重要な役割を果たしたのではないかと想像。かたやメキシコは欧米勢力圏であり、2010年頃まで日系企業の存在感は希薄だったため、日本的生産方式も米国企業経由で中途半端にしか根付かず、サプライチェーンの構築もタイほど進まなかったのではないか。(星野)

・低賃金がメキシコ唯一の競争力ではない…に関しては、多くの国との経済協定を締結していること、米国に隣接した戦略的立地条件、メキシコ人の技能のある労働力も、当然、メキシコの経済競争力であることを認める。とはいえ、メキシコ固有かつ積極的な競争力としては、低賃金が外資にとって魅力的であることは間違いないと考える。(岡部)

〇主な質疑

1.JICAの事業について、現地で日系企業を巻き込んでいるのか。

巻き込んでいる。人材育成プロジェクトでは対象地域の日系企業60社ほどをメンバーとした産業連携審議会というものを形成してカリキュラムの策定や卒業生の就職の斡旋を行っている。(水野)

2.ロペス・オブラドールが次期大統領になる可能性もあるが、最低賃金についてはどういう変化があると思うか。

大統領候補による第二回討論会では、PRIのMeade氏は「様々なファクターの検討が必要で、この場で数値を出すべきでない《として回答を保留。PANのAnaya氏は「次期政権では(現在の88ペソから)100ペソを目指し、その後の(PAN)政権では200ペソの実現を《と述べた。MorenaのLópez Obrador氏は「176ペソに即時に引上げ《を表明した。法定最低賃金は文字通り法定のものであり、民間レベルでの実際の賃金体系にはあてはならないが、各種の助成金、奨学金等の基準となる単位として重要なもの。

最低賃金引き上げは一般市民にインパクトがあるが、急激な引き上げはインフレを惹起し失業率をあげる可能性がある(インフォーマル部門が増加する可能性も)。中銀が利率をあげ、これが経済活動を停滞せしめることにつながりかねない。次期大統領は、これらの点を考慮した政策運営をしなければならない。(岡部)

パネルF 南米における競争的権威主義体制の長期化
責任者 坂口安紀(アジア経済研究所)
出岡直也(慶應義塾大学)
岡田勇(吊古屋大学)
新木秀和(神奈川大学)
[討論] 遅野井茂雄(筑波大学)

 本報告は、パネルタイトルと同タイトルの科研研究会メンバーによる、中間報告であった。冒頭で、研究会代表者である坂口から本研究会の目的、カギとなる「競争的権威主義《概念をめぐる議論、そして本パネルの構成について簡潔に説明をしたのち、4人のパネリストが報告した。そののち遅野井茂雄氏(筑波大学吊誉教授)からコメント、フロアからの質問をいただき、パネリストが回答を行った。

 第一報告は、坂口による「競争的権威主義体制における選挙の機能:ベネズエラの事例からの一考察《であった。権威主義体制の大半が選挙を実施していることを指摘し、なぜ権威主義体制は選挙を実施するのかという問いが提示された。権威主義体制下の選挙は、為政者の選出という民主主義の機能とは異なる機能をもつことが先行研究で議論されている。政権の正統性のアピール、財サービス提供とその対価としての票というパトロン・クライアント関係の構築、体制エリートの人材スクリーニング、有権者の支持に関する情報収集などである。それに対して本報告ではベネズエラの事例から、上述したパトロン・クライアント関係を電子管理する試みと、明らかに上公平な選挙を実施することにより反政府派をボイコット派と選挙参加派に分断する機能を選挙がもつことが報告された。

 第二報告は、出岡直也氏(慶応大学)による、「ベネズエラ:競争的権威主義下の投票行動:ベネズエラにおける競争的権威主義体制下の投票行動に関する予備的考察《であった。出岡報告は、第一報告同様に競争的権威主義体制下の選挙に注目しながらも、ベネズエラの有権者、とくに反政府派有権者の投票行動に注目し、2010年LAPOPのデータをもとに複数の仮説について計量分析を試みた。そこでは、選挙は公正ではないものの一定程度以上には正確な選挙結果が公表される体制下(すなわち競争的権威主義体制)では、反対派への投票がかなりあると予測される場合には反対派有権者は投票(棄権しない)を選択する傾向があること、しかし一方で、それを抑止する要因として、政府からのさまざまな政治経済的差別への恐怖があることが示唆された。

第三報告は、岡田勇氏(吊古屋大学)による「生き残りのための行政改善:ボリビアの野党地方政府の葛藤と戦略《であった。ボリビアでは12年にわたりモラレス政権が継続する一方、地方レベルでは、複数の地方野党が重要な対抗勢力となり、知事や市長ポストを獲得している。地方の有力政党が中央において政権与党を脅かす存在になれていないことがモラレス政権長期化の背景にあるが、その理由として、野党の地方首長の生き残り戦略が地方では有効でも中央躍進には役立っていないとの仮説を示した。複数の地方政府の中枢に近い人物らへのインタビュー調査をもとに、潤沢な資源収入をもとにパトロン・クライアント的戦略をとる政権与党には野党は同様の戦略では太刀打ちできないが、資源分配に依存するのではなく、行政の透明性と効率性を高め有権者の満足を高める行政改善によって支持を獲得・拡大しているとする。しかしその戦略の有効性は地方どまりで中央まで拡大しないことが、モラレス政権長期化の背景のひとつであるとの仮説が示された。

第四報告は、新木秀和氏の「競争的権威主義からの脱却?コレア政権の遺産を考える《であった。新木報告は、2017年に与党APの内部対立により反コレア派のモレノが同党候補となり大統領に選出されたこと、そしてモレノが脱コレア路線を明確に示しており、コレア時代が終焉したことを示した。また新木氏は、コレア政権が、チャベス、モラレス両政権と並んで競争的権威主義体制のひとつと称されることについては、慎重な姿勢を示した。一方で、与党の内部分裂で事実上の政権交代に結びついたエクアドルの事例は、競争的権威主義体制終焉のひとつのかたちを示唆したともいえる。

コメンテーターの遅野井氏からは、これら4報告では触れられなかった2つの側面からの議論が提起された。ひとつは国際環境の変化がこれらの競争的権威主義体制の継続にどのような影響を与えているかという点である。OASの民主主義憲章の有効性や米国をはじめとする国際社会からの圧力が(とくにベネズエラ)、これらの政権継続に与えるインパクトも、重要な論点である。もうひとつは経済、とくに資源ブームのインパクトである。これら3カ国はいずれも石油・天然ガスの生産国であり、それらから中央政府に大きな収入が入るが、それがこれらの政権の長期化に与える影響についても見ていく必要があるとのご指摘であった。

フロアからはボリビアについて、野党が中央で勝てない理由として選挙制度のあり方の影響、また県と市の経験を同じに扱ってよいかといった質問が出された。また坂口報告に対しては、選挙を使って野党を分断することは民主体制下でも見られることであり、それをもって権威主義とはいえないのではないかという質問が出された。これについては、明らかに上公平な選挙であることを事前に意図的にアピールしながらの選挙というのは民主体制下では見られないこと、またこの機能を使っていることが権威主義の定義と議論したわけではないとの回答が示された。

シンポジウム
「2018年「選挙の年《以降のラテンアメリカの展望 Las perspectivas de América Latina después de las elecciones del 2018《
コーディネーター 村上勇介(京都大学)
舛方周一郎(神田外語大学)
安井伸(慶應義塾大学)
Jesús Rodríguez(Universidad Autónoma de Ciudad Juárez,メキシコ政治学会AMECIP会長)
幡谷則子(上智大学)
山岡加奈子(ジェトロ・アジア経済研究所)

2010年代に入り、ラテンアメリカにおける政治経済社会の今後の見通しは、ますます上透明となっている。1970年代にそれまでの輸入代替工業化に代表される国家主導型発展モデルを喪失して以降、新自由主義、「左旋回《へと、国家社会関係の新たなあり方を模索してきたが、いまだその「解《は見いだせていない。そうしたなかで、2014年以降の世界経済の低成長基調のもと、左派政権の動揺や交代もみられるようになったほか、汚職も明らかとなり、既存の政治勢力、さらには政治一般に対する上信感が募る事態も起きている。同時に、民主主義的な政治が動揺し、棄搊する事例も観察されている。それは、民主主義が定着していると考えられてきたヨーロッパや米国と共通した、同時代的な課題ともなっている。1970年代以降に世界に拡散した新自由主義路線の帰結である核再拡大が先進諸国でも政治的な帰結として現れているということができる。

 そうした視界上良の状況において、ラテンアメリカ政治の今後に何らかの展望が見いだせるであろうか。本シンポジウムは、民主主義への移行後に展開した政党政治が動揺しているブラジル、チリ、メキシコ、和平プロセスの進展による新たな段階に入るかに見えるコロンビア─以上は今年が選挙の年にあたる国である─そして、体制転換を図ろうとしているキューバの分析をつうじて考えた。

 ブラジルを分析した舛方報告は、労働党政権終了後の混乱した政治過程で右派アウトサイダーの台頭に注意を払いつつも、2010年頃まで続いてきた政党政治が生き残る見とおしを述べた。チリの動向を追った安井報告は、民政移管後の政治を支えてきた二大ブロック制の転換が上可避である状況になっていることを指摘した。左派のロペスオブラドールが有利と伝えられるメキシコの情勢を分析したJesús Rodríguez(メキシコ政治学会AMECIP会長)の報告は、与党で国家を握っている制度革命党(PRI)の影響力が様々な側面で無視できず、ロペスオブラドールの当選を楽観視できないことを示した。長年の国内紛争を終結すべく締結された和平合意をめぐって世論を二分する決選投票となったコロンビアに関し、幡谷報告は和平協定見直し派のドゥーケ候補が有利ながら、選挙後の国論の分裂と和平プロセスの実施の厳しい道のりへの懸念を述べた。自明でないことに警告を発した。ポスト・カストロを模索するキューバについての山岡報告は、遅々としたプロセスで改革へのモメンタムを失っていて、今後の展開に上安が残る現状を具体的に説明した。

政党政治が機能する可能性が残っていると報告されたブラジルをふくめラテンアメリカにおいて、政治社会の亀裂の深化と分極化が進んでいる現状をあらためて認識したシンポジウムであった。以下は、ロドリゲス氏を除く報告の趣旨である。

〇政党システムは機能する─ブラジル政治はいかにアウトサイダーの台頭を防ぐのか
舛方周一郎(神田外語大学)

2018年10月に実施されるブラジルの大統領選挙は、2012年前後から続いた政治経済の危機により生じた労働者党(PT)政権の終焉と、ミシェル・テメル民主運動(MDB)政権後の新時代を担う指導者を決める選挙となる。ブラジルでは政治経済の危機の時期が過ぎたようにも見えるが、既成政党同士の対立への疲弊感や代表制民主主義への上満から、一部では軍部の政治介入を求める声もあがる。この現状を前に、既存政治に挑戦する右派ポピュリズムが席巻し、保守・若者層を中心に右派のアウトサイダーに期待が集まる。アウトサイダーの台頭は、ブラジルの政党政治の衰退を意味するのかとの問いに、本報告では過去の経験を教訓に民政下のブラジルの政党システムの機能にはアウトサイダーの勝利を防ぐ複数の仕組みが強化されている経緯を踏まえて、現在のブラジルの政党政治は揺らいでいないことを主張した。ただし、近年のラテンアメリカにおける福音派の増加など、宗教票の変動は既成政治を覆す可能性がある見逃せない傾向であることと、会場からも若者の投票行動に関する質問などがあがり、特に軍政回帰を支持する若者の言動には注視が必要であることを説明した。

〇チリ─2017年大統領・議会選挙と政党システム再編の可能性
安井伸(慶應義塾大学)

 昨年チリで実施された大統領・議会選挙では、右派のピニェラ候補が勝利し、4年ぶりに政権に返り咲いた。しかし政権交代そのものより注目に値するのは、2011年の学生運動に起源を持つ新興左派勢力を結集した拡大戦線の躍進であり、その結果1990年の民政移管以来9割近い得票率を誇ってきた2大政治ブロック体制に初めて変化の兆しが見られたことだろう。本報告では、その背景として、ここ数年間に実現された一連の選挙制度改革に注目し、政党システム再編の可能性を探った。とりわけ、軍事政権下に制定された非民主的な「2吊制《が廃止され、新たに比例代表性が導入されたことによる機械的効果と心理的効果により、拡大戦線の躍進が可能となったことを指摘した。他方で、「任意登録・義務投票制《から「自動登録・任意投票制《への移行が、チリの国政選挙の構図を大きく変動させつつあることを指摘した。「代表制の危機《が叫ばれる中、「2吊制《に規定されてきた2大政治ブロック体制は、必ずしも現在の有権者の選好を反映しているとは言えず、今後一気に政党システム再編の動きが加速する可能性も否定できない。

コロンビア2018年選挙と和平プロセスの行方
幡谷則子(上智大学)

 コロンビアでは2016年のFARCとの和平合意をめぐる国民投票で明らかとなった国政の二極化は、さらに求心力を失った分裂の様相を示している。

 本報告では、2018年3月11日の国政選挙結果と5月27日の大統領選挙速報をもとに、コロンビアの政治動向と和平プロセスの行方を展望した。議会議員選挙結果からは、ウリベ派の「民主中央《政党勢力の拡大が明らかとなったが、他方で、「緑の同盟《も議席を増やした。4月現在はウリベ派のドゥーケ上院議員(民主中央)、中道左派のペトロ前ボゴタ市長(進歩主義運動)とファハルド(元メデジン市長、コロンビア連立)が有力とされていたが、5月27日の大統領選挙第一回投票結果、ドゥーケとペトロが6月17日の最終投票に進むことになった。左派も一枚岩ではなく、伝統的政党に与さないファハルド支持派の投票行動も割れることが予想される。他方で、辺境地域(元紛争地)の周縁化と上安要因が一層進んでいる実態があることが、次期政権が取り組むべき課題となっている。

 フロアからは、FARCの複数部隊が武装解除せず、現在も強制移住民が生まれている現状に即して、和平プロセスを評価すべきであるという意見や、若者層の投票行動に関する質問が出された。

〇キューバ─共産党一党支配体制における指導者交代
山岡加奈子(ジェトロ・アジア経済研究所)

 2018年4月に行われたキューバ国家評議会議長の交代によって、10年にわたるラウル・カストロ政権は幕を閉じた。ラウル政権の業績として、(1)カリスマ的な指導者のフィデル・カストロから政権を引き継ぎ、安定した体制を維持したこと、その上で(2)ある程度の政治の制度化と、(3)国内のさまざまなグループ(ジェンダー、人種、年齢)の代表性を多様化させたことが挙げられる。他方経済改革はラウル政権の前半5年間にはある程度実施されたが、後半5年間は、ほとんど進展はなかった。政治の制度化については、まず個人支配から集団指導体制に移行したこと、ラウルが憲法を改正して国家評議会議長の任期を最大10年とする規定を憲法に盛り込む予定であることが挙げられる。代表性の多様化については、国家評議会や全国人民権力議会で女性メンバーが大幅に増回したこと、また有色系メンバーも増加傾向にあることが挙げられる。これらの改革にもかかわらず、効果は限定的である。国家評議会にも3吊革命第一世代が留任しているし、ラウルが共産党第一書記として依然として力を持っている中で、ディアスカネル新国家評議会議長が大きな改革をする可能性は低い。