研究部会報告2000年第1回

東日本研究部会

2000年3月25日(土)上智大学で開催。修士論文の報告会となり、参加者21名の間で活発な議論が交わされた。渡会報告は、ネイションとして想像されるブラジルをめぐり、その言説の形成と展開、および国家像と具体的な地域(とくにリオグランデドスル)の関係を考察した。ナショナリズムや地域というテーマに国民社会論の側から光をあてようとする試みであり、多様で生産的な質疑が寄せられた。藤井報告は、グアテマラにおける先住民と労働力移動の関係に焦点をあて、小商品生産への編入が、彼らの首都への移動を抑制する主な要因になってきたと明解に論じた。質疑は、商品生産の実態や移動の多様性などについてのものであった。両報告は今後の発展が期待できる意欲的な内容であり、切口としての地域の場なり、言説や生産構造の具体像なりをより明確に打ち出せば、問題提起な研究が深められるのではないかと思われた。
(新木秀和 早稲田大学)

ネイションとしての「ブラジル」
多文化社会におけるナショナリズムと地域的多様性に関する一考察
渡会 環(上智大学大学院)

本報告は、上智大学大学院提出の修士論文をもとに行ったものである。多民族田文化社会でありながら、「ブラジル」が独自の文化的、政治的共同体、すなわち単一のネイションとして想像されるに至った歴史的、思想的背景を分析し、その想像のプロセスの考察を試みた。「ネイション『想像』としたのは、ナショナリズムを発展段階別に捉え、「ブラジル」がネイションとして知識人の頭の中で想像される段階、すなわちイデオロギーの段階の焦点をあてたためである。そして、単一のネイション像と国内の多様性との関係を考察するにあたり、本報告では地域的多様性に焦点をあて、リオグランデドスル州を事例として取り上げた。
そして、「真正な」ブラジルの「存在」の絶対視と、国内の多様性の「対立」や「社会紛争」のアスペクトの排除が、「調和した」一社会の想像、または創造を助長し、実態のない「ブラジル」に向って各々が働きかけてきたプロセスを示した。

先住民と労働移動
グアテマラ西部高地における生産形態の歴史的変遷
藤井嘉祥(上智大学大学院)

本報告は、グアテマラ西部高地で発達した小規模な商品生産の考察を通じて、1950年代から80年代にかけて西部高地からグアテマラ市への先住民の流入が抑制された原因を明らかにするものである。言語や服装などの文化的異質性が先住民の向都市移動を妨げるという説明に対して、先住民社会をより大きな社会経済のなかに位置付けることを通じて先住民の動態的側面に注目し、生存維持戦略の視角から説明を試みる。
19世紀前半に導入されたコーヒー・プランテーションは西部高地を労働力の後背地とし、先住民を世界的な商品連鎖に包摂していった。その過程で、農園両道力の供給源として先住民社会は温存されるとともに先住民が参入可能な商品市場がもたらされ、先住民は生活基盤として農産品や手工業品の小商品生産を発達させた。その結果、西部高地では潜在的な労働予備軍が十分に形成されず、グアテマラ市への人口流出が抑制されていたのである。

中部日本研究部会

春季中部日本部会は、4月22日土曜日の午後、南山大学で行われた。雨上がりの気持ちの良い日和で、出席者は9名。水戸報告は、ブラジルにおけるスペイン語教育の義務化の決定をめぐる議論を主に紹介しつつ、メルコスールなど経済統合の進展が文化的インパクトを及ぼしつつある点を強調した。川畑報告は、アウトゴルペ以降の連続再選問題を正当化する議論と、それを批判する議論を対峙させ、ペルーの大統領再選問題に法律学の観点から分析を加えた。今回も名古屋大学関係者の発表となったが、これは大学院の有無との関係でいたし方ない面もあろう。今年は理事改選期にも当たっており、多様な会員の発表の場としての開かれた研究部会が、新たなセンスのもとで、より充実したものとなることを期待する。
(遅野井茂雄 南山大学)

ブラジルにおけるスペイン語教育  近親言語間のバイリンガリズム
水戸博之(名古屋大学)

1998年8月11日、ブラジル上院は2003年までに全国の中等教育においてスペイン語を必修科目とすることを決定した。これは、1995年のメルコスル発効により著しい進展が見られる南米の地域統合の流れにおける一つの出来事である。メルコスルはスペイン語とポルトガル語2言語を公式言語と明確に規定しているが、ブラジルにおいては、外国語教育のみならず、スペイン語圏に対して、ともすれば防衛的な姿勢の観があった言語文化政策の大転換を意味し、今後社会に与える影響は極めて大きいと考えられる。本論では筆者のスペインでの経験からはじまり、上院の議事録(Diario)を中心にスペイン語義務化に至った背景を明らかにした。また同時に、現在かなり普及をとげ、もはや特殊言語の域を脱したスペイン語教育の蓄積をもとに、ポルトガル語への移行学習が、エスニックメディアとともに日本国内において社会問題化しつつあるブラジル人への対応の一助となる可能性について指摘した。

ペルーにおける憲法政治の規範と動態  大統領の再選問題を素材にして
川畑博昭(名古屋大学大学院)

フジモリの「自主クーデタ」を出自とする1993年憲法が導入した大統領の「連続」再選規定は、2000年の大統領の「三選」を可能とする「憲法解釈法」の制定、同法律をめぐる違憲訴訟と憲法裁判所判事の罷免、同法律の改廃を目的とするレフェレンダムの阻止など、ペルーの内政上の大きな焦点となってきたといえる。
本報告では、この93年憲法の「連続」再選規定をめぐる賛否両論を検討することによって、ペルーにおける「憲法」、「クーデタ」、「独裁」、「民主主義」といった問題を考察することを試みた。「大統領の再選は終局的には主権者たる国民の決定による」との与党の正当化論理は、確かにフジモリ与党の党利党略を隠蔽するイデオロギー的機能を有していたとはいえ、同時に国民の政治意識を発揚するという意味での「権力を民主化する」契機を併有していたのではないかとの問題提起を行った。

西日本研究部会

西日本部会研究会は4月22日(土)に神戸大学で開催され、出席者は7名であった。まず、松本陽子氏(神戸大学国際協力研究科)の報告「ブラジルにおける経済自由化と労働市場」は、1990年代のブラジルにおける経済自由化の影響を、とくに労働市場への影響に焦点を当てて議論したものであり、資本と労働の生産要素価格の変化が、資本使用的、労働節約的な技術導入を促進し、製造業における雇用の低下と労働生産性の改善をもたらしたことを検証したものであった。今後はより厳密な計量的なアプローチによって議論が改善されることが指摘された。続く吉江貴文氏(元総合政策研究大学院)の報告「カシーケ運動と先住民学校―語る権利を求めて―」は、20世紀初頭のボリビアに出現した「カシーケ運動」による学校建設運動の過程に注目し、この運動が支配者=被支配者という現実認識のもと、形式的には支配者の論理に従いながらも、内面的には先住民たちが共同体の枠組みを超える新たなアイデンティティーを確立する過程にあったことを明らかにしようと試みたものである。現地のフィールド・ワークに基づくユニークな研究であり、今後の発展が期待されるが、人類学的観点からの再検討が必要と考えられる。なお、もう一人の報告予定者は急用のため取りやめとなった。
(西島章次 神戸大学)

ラカンドン密林への入植過程
柴田修子(大阪経済大学)

1994年に起きたサパティスタ軍の蜂起以来、チアパス州は世界の耳目を集めているが、彼らの支持基盤をなしているのが、東部に広がるラカンドン密林地域であることは案外知られていない。ましては同地域が、20世紀の半ば以降先住民を中心とした農民たちが「自主的な」入植を行い、新しい村が次々に作られたいった場所であるということはなおさらである。同地域への入植については、メキシコの研究者たちによる地道な調査によって少しずつその過程が明らかにされつつあるものの、こうした一連の研究は何が起こったかという点に的がしぼられており、入植者たちがエヒードとしての法的権利を手に入れるに至るプロセスの解明など、政府との関係を視野に入れた研究はまだなされていないのが現状である。そこで本発表では、同地域の入植の過程を歴代の入植政策と合わせて考察し、政策と実態の過程との関係を明らかにした。

ブラジルの経済自由化と労働市場
松本陽子(神戸大学大学院国際協力研究科)

ブラジルは、1930-80年代の輸入代替工業化政策の下で経済発展を遂げてきた。しかし政府介入、保護政策に伴って生じるさまざまな弊害が次第となり、90年代に入り経済自由化が実施されることとなった。これに伴う国際競争の波はインフレ抑制のための為替政策とともに製造業の行動に大きな変化をもたらし、その影響は必然的に労働市場にも波及した。本研究は、90年代のブラジルの経済自由化と為替政策が製造業の雇用や賃金といった労働市場に与えた影響について企業行動の視点から分析したものである。分析より得られた含意は、ブラジルのような途上国における経済自由化の下では、為替レートが過大評価され、労働市場に重度の規制が存続し、労働者に有利な賃金決定がなされれば、資本と労働の代替がさらに加速することである。長期的な視野に立てば、資本深化のための投資はその産業に成長をもたらすが、労働者はその成長の利益をシェアできなくなる可能性がある。

カシーケ運動と先住民学校  語る権利を求めて
吉江貴文(元総合政策研究大学院)

ボリビアでは1910年から20年代にかけて、「カシーケ」を名乗る先住民を主体とした学校建設運動が展開された。この運動はもともと土地返還を目的とした法廷闘争に由来し、その過程で支配者側のレトリックを習得するための学校建設へと発展したものであった。この運動のなかでカシーケたちが提示する<近代化>や<国民統合>のためといった論理は、一見すると中心社会の支配的言説への接近を示すようにも見えるが、実際には<非先住民=支配者:先住民=被支配者>という現実認識に立ったうえで、支配者側の論理をいったん取り込むことによって先住民側の言説を構成し直すという、生き残りのための文化戦略を示すものであった。本報告では、こうしたカシーケ運動の言説分析を通じて、<先住民性>や<先住民のアイデンティティー>といった考え方が、歴史的・社会的コンテクストに応じて構築される戦術的資源としての一面を持つことを指摘した。