研究部会報告2000年第2回

東日本研究部会

11月18日(土)上智大学で開催。大学院生による2つの意欲的な報告が行われ、参加者は11名ながら活発な議論が交わされた。前半は3名の共同発表という試みが新しく、理論的な検討を進めようという姿勢からは、熱意が伝わってきた。質疑応答で明らかになったように、モデルの概念化を工夫するとともに、具体的な事例の検証を綿密にしていくことが、今後の課題となるであろう。第二報告は急遽決まったもの。ブラジルの公的年金制度改革を政治過程との関連で分析した報告で、OHPの活用が効果的だった。改革を阻む要因として、年金制度と選挙・政党制度にかかわる制度論的な側面が強調されたが、説明要因の順位や、改革反対勢力の内実などについて質疑が続き、分析視角を明確化すべしとの指摘があった。今回はともに政治学関連の報告だったので、参加者全体の関心にまとまりが見られ、議論がかみ合ったのは幸いだった。ただ逆にいえば、地域研究的な一層の発展を期するには、各自の専門領域の越境もいとわない、積極的な問題提起や議論が必要となることも確かであり、そのためには今後とも、より多様な会員の参加が求められよう。
(新木秀和 早稲田大学)

脱「スルタン支配型」体制:理論モデルとラテンアメリカの事例
尾尻希和・寺田純子・稲森広朋(上智大学大学院)

「スルタン支配型体制」とは、リンス(Juan Linz)が非民主主義体制のひとつとして提示した概念で、伝統的統治ではない家産体制を指し、その最大の特徴は著しく恣意的な個人統治形態をとることである。
本報告では、スルタン支配型体制以後の政治体制すなわち「脱スルタン支配型」体制の概念化を試みた。その概念化にあたり、リンスが民主体制の定着に必要であると提唱した政治体の5領域(政治社会、市民社会、経済社会、立憲主義、国家機構)のうちから、立憲主義を除く4領域の相互関係に注目した。次にラテンアメリカの4事例としてリンスが『脱スルタン支配型体制』(シャハビとの共編、1998年)で取り扱ったドミニカ共和国のトルヒーリョ体制、キューバのバティスタ体制、ニカラグアのソモサ体制、ハイチのデュバリエ体制に、パナマ(ノリエガ体制)とパラグアイ(ストロエスネル体制)をつけ加えた合計6カ国に「脱スルタン支配型」体制概念を適用し比較分析した。その結果「脱スルタン支配型」のサブタイプとして3類型を抽出した。

ブラジルにおける公的年金制度改革の政治過程
高橋百合子(東京大学大学院)

カルドーゾ現政権は、1995年の政権発足以来、年金財政赤字再建を目的として公的年金制度改革に必要とされる憲法改正作業に取組んできた。改革初期の段階では、同政権は議会の圧倒的多数を占める与党連合を支持基盤としている点、および改革反対派の労働勢力は結束を欠いている点は改革推進要因と考えられたが、実際の改革は難航を極めている。
本報告は、「年金制度」と「政治制度」の両制度が利害対立の帰結に与える影響に着目し、改革挫折を説明する試みである。まず、ブラジルの「職域別年金制度」は、反改革勢力内部に亀裂をもたらす。最大労働組織のCUTと労働党(PT)が民間労働者のスキーム(RGPS)の既得権を擁護する一方、議会多数派の年金受給議員が公務員と結託して公務員スキーム(RJU)の改革に反対する。
そして、非拘束名簿式比例代表制に依拠する、個別利益優先型の「分断的政党システム」が、連立政権内部の年金受給議員に改革阻止の機会を提供する結果、改革を行き詰まらせている。

中部日本研究部会

中部日本部会は12月2日(土)13:30-17:00、愛知県立大学スペイン学科共同研究室で開催された。13名出席。報告者と要旨は以下のとおりである。

1920年代メキシコに見る国民文化の創造
バスコンセロスの教育・文化政策をめぐって
田中敬一(愛知県立大学)

バスコンセロスは今日のメキシコの教育制度及び国民文化の基礎を築いたと言われ、その功績は高く評価されている。本報告では、まず初めに彼のメスティーソ文化による国民統一理論を、同世代のモリーナ・エンリケス及びマヌエル・ガミオの思想と対比しながら、分析した。
次に彼の行った教育・文化政策、特に一般大衆に対する芸術教育に焦点を当て、バスコンセロスが芸術のメシア的役割を信じ、芸術の普及によるメキシコ国民のアイデンティティの確立を目指したことを明らかにした。
また彼が公共の建物を画家に開放したことで大きく前進した「壁画運動」について、土着のテーマが国民意識を育てる接合要素となったこと。そしてこの運動は革命後の復興期のメキシコを国の内外にアピールする役割を果たしたが、バスコンセロスの思惑を越え、独自の発展を遂げたことを指摘した。

日本の公立学校におけるブラジル人教育の現状と課題
愛知県内を中心に
二井紀美子(名古屋大学大学院)

本発表では、この10年の間に急増したブラジル人児童生徒を中心にした外国人児童生徒教育について、98年度の愛知県内の行政に施策と実際の学校現場の状況を検討した。全体を通して、日本語能力に課題のある外国人児童生徒教育はまだ歴史が浅く、現在のところ適応指導・日本語指導(特に初期段階)が取り組みの中心であること、またその取り組みの内容・指導体制は地域・学校ごとに大きな差が見られることや、既習歴、日本語能力が生徒ひとりひとり異なるため全体で統一されたカリキュラムがなく、指導者の主観に任せられる部分が多いこと、それゆえ指導者の質が重要になる点などを指摘した。
そして以上のような課題の解決には、外国人生徒を学校の中でどのように位置づけ彼らにどのような学びを保障していくのか、ひいては日本人も含めて学校で何を学ぶべきかという根本的な課題への着目の重要性を提起した。

運営委員コメント
今回の報告は、ベテランと新入会員の2名によるものである。いずれも極めて活発な質疑応答が行われ、時間が足りず懇親会にまで持ち越すほどであった。
第一報告のメキシコにおける為政者が意図した国民文化や意識の形成とその後の展開は、一層増大する北米の影響と地域ブロック化の進む中で省みるべき今日的な問題提起である。
また、日本国内のブラジルやペルー出身者の児童に対する教育が報告として取り上げられたのは、ラテンアメリカが単に研究対象としての地理的領域のみならず、この地域が私たちにとって身近な問題でありうることを再認識するよい機会であったと思う。
なお、これらの報告に先立ち、愛知県立大学ラテンアメリカ地域研究小池ゼミ5名が、テーマ「ラテンアメリカにおける日本の援助」の発表を行い、先輩諸氏から様々なコメントや指導を受けた。若い世代の今後の成長が楽しみである。(水戸博之)

西日本研究部会

西日本部会研究会は、2000年11月18日(土)に同志社大学今出川学舎で9名の出席者をえて開催された。桜井三枝子氏の報告は、スペイン南部、グアテマラの先住民共同体、エルサルバドルのラディーノ共同体の3カ所でのセマナ・サンタ(聖週間)の儀礼を比較して、グアテマラとエルサルバドルのそれにはキリスト教の儀礼であるにもかかわらず、先住民の神話・伝承に依拠した先住民的要素が顕著に見られることを明らかにしようとするものであった。フロアからは、「聖週間」という共通項だけで括って他の重要な要素を考慮に入れないで比較を行うのは問題があるのではないかという意見が出された。松本健二氏の報告は、エンリケ・ロドがルベン・ダリオの詩集Prosas・Profanas第2版に寄せた序文から、ロドが詩をどのように位置付けていたかを詳らかにしようと試みたものだったが、原文解釈に関して松下マルタ会員からの貴重な助言もあった。
最近は研究部会参加者数が低迷気味のようだが、研究活動活性化のためにも多くの会員の研究部会への参加が望まれるところである。
(山蔭昭子 大阪外国語大学)

聖週間儀礼をめぐるエスニック集団の文化比較:中米の事例研究より
桜井三枝子(大阪経済大学)

中世スペイン・カトリシズムが強制的に中米先住民社会に移植され5世紀が経過したが、現代スペイン南部、中米グアテマラの先住民共同体(サンティアゴ・アティトラン村)、エルサルバドルのメスティソ共同体(チャルチュアパ市)の3共同体を聖週間儀礼を媒介として、宗教的組織(コフラディア)と儀礼の過程を中心に文化比較を試みた。スペインの聖週間儀礼が聖書の解釈の演劇化に忠実なことと対極的に、グアテマラ先住民のそれはきわめて先住民の神話・伝承に依拠していることが、マヤの祖先神(マシモン仮面像)の復活再生劇に読み取れた。また、メスティソ社会のエルサルバドルの共同体ではカトリック改革派(アクシオン・カトリカ)の活動が顕著であるにも拘らず、先住民的要素が聖衣の洗浄儀礼に噴出し当局にも容認されている。儀礼に関する理論的諸研究・理論といかに自分のフィールド調査とがかみ合うかという点で視点が定まらない中間報告であったため、参加者たちから有効な指導と忠告がなされた。

ロドのダリオ論における詩の位置づけをめぐって
松本健二(大阪外国語大学)

ロドは、1901年に刊行されたルベン・ダリオのProsas Profanas第2版序文において、モデルニスモと同時代の詩をめぐるその両義的な立場を示している。ラテンアメリカ主義とギリシャ・ラテン文化尊重の文脈に基づく詩のアウラの戦略的肯定と、20世紀特有の展示的価値偏重傾向を視野に入れたアウラ喪失の的確な記述とである。
前者に関しては、安直な土着的要素描写の否定と反俗の徹底、教育と啓蒙といった要因があげられる。が、とりわけ音楽賛美にまつわる言説などにおいて、若干批判意識の不在が見られる。つまり散文言説が支配的な近代社会への強烈な対抗意識という、19世紀以降の西欧文芸、主として韻文を支配してきたあの特徴が不在なのであるが、もちろんそこには西欧と南米という異なる歴史が背景にある。また、後者に関しては、芸術のための芸術という囲い込みにより、芸術の価値が上昇・希少化するのではなく、逆に大衆化・商品化するという現代芸術のパラドックスをロドが感知していたことを、「ダリオは(現代西欧文化の)行商人であった」という一文他にうかがうことができる。