研究部会報告2001年第1回

東日本研究部会

3月31日 (土) 上智大学で開催。雪にもかかわらず19名の出席を得て、大学院生3名による報告が行われた。いずれもメキシコ政治関連で、 参加者の関心が収斂し質疑応答も活発化した。なお第3報告は会報での通知後に具体化したものである。箕輪報告は、政府の統治能力を統治エリートの変化と関連づけて議論し、民主化過程の考察にもつながった。 質疑では、 政治エリートの具体像や、統治能力との関連をより明確にすべきだ、との意見が出された。成功例と対比させつつ民営化政策の失敗例を分析した山口報告では、政策の成否が政治勢力の同盟関係に求められた。 フロアーからは、部門の性格や法的状況、労組面などで違いはないか、受益者の動向や政策イッシューとしての順位にも配慮すべきだ、という指摘があった。 松崎報告は、参加型の社会開発政策を通じて国家と社会の関係を探ったもので、主な分析対象は国民連帯計画だった。質疑は、経済・流通面を含む政策の具体的内容や、政府の意図と現実の関連に集中した。今回のように対象と分野が重なると議論になりやすいが、事実確認にとどまらない意見交換を引き出すには、今後とも、運営側の環境整備に加え、斬新な発想と鋭い問題提起を心がけることが論者に求められよう。
(新木秀和 神奈川大学)

「メキシコにおける民主化と統治能力:統治エリートの変容との関連から」
箕輪 茂 (上智大学大学院)

1980年代以降、 民主化を達成、もしくはその途上にある国々において、 「政府の統治能力」に関する議論が盛んに行われているが、 その言葉の定義は定まっていない。本報告では、はじめにそれら議論における定義を概観し、 「統治能力」に関する概念化を試みた。 次に、 メキシコにおける統治エリートの変化が、政府の統治能力の変化にどのような影響を持ったのかに関する考察を行った。
統治能力とは 「政治社会が正統性を維持しながら、社会の秩序維持、市民の要求や社会問題などに時宜を得た有効な対応を取ることができるかどうかという事に表れる、政府の任務遂行能力」といったものであり、 法的領域、 経済的領域、社会的領域、政治的領域の4領域に分けて分析することで、その変化をより良く理解できよう。メキシコでは1980年代初頭に統治エリート構成が大きく変化し、それと共に各領域の統治能力が大きく変化していった。それは、 統治能力が、各領域を担う統治エリートの持つ能力やノウハウに大きく依存することを表している。

メキシコの民営化政策をめぐる政治過程:通信・電力産業部門の比較分析
山口恵美子 (東京大学大学院)

これまで政府系大企業の民営化を進めてきたメキシコで、1999年に電力の民営化に向けた産業改革が実現できなかったのはなぜか。これを明らかにする為には、一国内の民営化の成功と失敗の比較を行い、政治勢力を細かく分類した上での政治過程分析を行う必要がある。 その為、1989年に行われた電話会社(TELMEX) の民営化を成功例、電力産業を失敗例として、政策決定者であるテクノクラートとそれ以外の制度的革命党 (PRI) の政治家、そして独立系労働組合との同盟関係の形成と崩壊に注目した。彼らが相互の利益交換に基づく同盟関係を形成していたことがTELMEXの民営化の成功につながったが、1994年の経済危機により、 両者の間の利益交換作用が機能しなくなった。それがPRI 内部の政治家と独立系労働組合からの、テクノクラートによる民営化政策への反発を引き起こした為、電力産業改革は挫折することとなったのである。

メキシコの社会開発政策: 「国家-社会関係」の変容
松崎寛之 (中央大学大学院)

現在、開発戦略において開発プロセスへの受益者自身の参加が重要な要素となっている。本報告は、その事例としてメキシコにおいて1970年代以降実施されてきた参加型 (社会) 開発政策を取り上げ、 その政治的背景、 社会的帰結・効果、問題点などを検討した。
メキシコでは従来、 国家や国家政党 (PRI) に従属的な社会の 「代表者」を通じて社会統制・利益代表が行われてきた。 しかし、 1970年代以降これらが有効に機能していないという認識が政府内・社会内で強まり、社会では新しい「代表者」 を通じた国家との関係を求める運動が起こり、政府内では条件付きで新しい関係を容認しようとするエリートが台頭した。その試みを具体化したものが参加型開発政策であった。
これらの政策は、すでにある程度の力を蓄積していた住民組織に対して運動の基盤を与え、結果的に住民のエンパワーメントに貢献したが、住民側にそのような準備がなされていない場合、政府側が参加するための支援を積極的には行わなかったために、従来の「代表者」 に乗っ取られ、 エンパワーメントにはつながらなかった。つまり、参加型開発政策の実質的な住民参加は、住民のエンパワーメントの原因であるとともに結果でもあるということであり、そのような力を持たない貧困層にはあまり効果はないという問題が存在する。

中部日本研究部会

中部日本部会は4月7日 (土) 13:30-17:00、名古屋大学言語文化部棟A会議室で開催された。 出席者11名。
今回は考古学に関する研究と現代社会の葬礼に関する研究との2つの報告が行われた。第1報告は発表者自身が携った最新の発掘調査の成果である。有名な遺跡であるがゆえに、一般にはある種創作されたイメージとともに理解されてきた「テォティワカン」が、実は考古学的には多くが未解明の研究対象であることを再認識するよい機会であった。なお発表は嘉幡氏が代表して行った。
第2報告は、発表者が現地の葬礼を営む業者や行政担当者と直接接触し調査した研究
である。 この発表で特に注目された点は、カトリックの伝統的な死生観が根強いと思われるメキシコにおいて、火葬を巡る問題一つとっても人々の意識にかなり振幅や動揺が見られることであった。
2報告は分野的にも時代的にも異なる発表のはずであったが、筆者のみならず部会参加者にとって何か共通のテーマとして受取られたのではなかろうか。地域的にメキシコという共通項以上に、死生観というさらに普遍的な問題が、質疑応答の多くに見られたように思う。 「死」は現代の日本においても様々な観点から、タブー視するのではなく正視すべき問題として取上げられるようになって来ている。2研究の今後の展開が期待される (水戸博之 名古屋大学)。

報告要旨は以下のとおりである。

「テオティワカン、月のピラミッド発掘調査内容と初期神殿ピラミッドについて」
杉山三郎 (愛知県立大学)
嘉幡 茂 (愛知県立大学大学院)

テオティワカンは紀元前1世紀から7世紀頃まで繁栄し、メキシコ中央高原のみならずメソアメリカ地域に政治・経済的に多大な影響を与えた古代都市である。国家の規模は当時最大級であり、最盛期には人口約20万人もの住人が暮らしていたと考えられている。
しかしながら、 文字資料や都市形成期に関する考古資料の欠如から、政治形態や社会組織に関して充分に解明されていない。 そのような現状の中、国家の発生と政治形態に重点を置き、「月のピラミッド発掘調査 (Proyecto Pirámide de la Luna) が1998年から実施されている。
本発表ではその内容と成果について報告した。 成果に関して、 特に「月のピラミッド」 の建築史、およびピラミッド内から発見された3基の生け贄埋葬墓について説明し、そこから解釈されるイデオロギーの変質やピラミッドと生け贄の密接な関連性を指摘した。

「メキシコにおける葬制と死生観の変遷」
佐原みどり (名古屋大学大学院)

死者の日を国民的祝祭とし、死者と共存するという古来の思想があるメキシコにも、火葬という新しい葬制が普及しつつある。 政府や民間の葬儀会社が、人口増加による土地不足や「近代化」への政策の一つとして火葬推進を試みているのである。土着の死生観とカトリック思想の融合したメキシコ人の死に対する態度は、現在どのような変化の過程をたどっているのだろうか。
今回の発表では、近代的都市メキシコ市とコロニア色の強く残る地方都市オアハカ市の火葬状況及び墓地事情を中心とした比較調査から、火葬の普及に影響を与える社会的要因を考察した。19世紀における墓地建設の歴史に関わる政府と教会の闘争、伝染病による死への恐怖の増大、そして20世紀における土地問題や衛生意識・宗教意識の変化等、さまざまな側面から遺体や墓地に対する感覚・心情、それに対応または矛盾する現在の葬制との関係性を導きだそうとすることが本発表での主な目的であった。

西日本研究部会

日本ラテンアメリカ学会西日本部会は、 4月7日 (土)、午後1時から4時まで大阪市アウィーナ大阪で開催された。 司会は山蔭昭子 (大阪外国語大学)がおこなった。 以下が報告要旨 (文責は報告者)。

「衰退のレギュラシオン-チリ経済の開発と衰退化:1830-1914年-」
岡本哲史 (九州産業大学)

途上国研究にはさまざまな理論的接近法があろうが、報告者は、 多様性の認識や制度・歴史、権力関係などへの視点を具備した「開発の政治経済学」的な分析スタイルこそが最も現実的な研究プログラムであることを強調し、新古典派パラダイムと最も先鋭に対立しているレギュラシオン・アプローチこそが、開発の政治経済学としての知的比較優位を有していると主張する。この方法論に従って、チリの地域研究を行うならば、 同国の開発問題は、短期的な政策次元の問題として片づけるわけにはいかず、何よりも、開発と衰退の歴史的な起源を問うような長期の視点が必要になるという。そこでチリの経済史的な研究を実際に行ってみると、チリ経済の進化経路には、 ■ある時期までは先進国化しえたような時期があったこと、■1880年代が経済進化上の分岐点になっていること、 などが明らかになり、■20世紀の長期的な経済停滞の原因には、どうやら19世紀に創発されたさまざまな制度・構造諸形態が関わっているらしいことが結論として引き出される。