研究部会報告2002年第2回

東日本研究部会

2002年11月16日に慶應義塾大学三田キャンパスにて開催された東日本部会では、「ミクロな事例から見たメキシコの現在」 と題して、メキシコにおけるフィールドワークの成果を報告した3組の発表が行われた。
趣旨説明に続いて行われた 「選挙監視員としてみた民主主義定着の現状:メキシコ・ユカタン州の事例を中心に」と題した渡辺発表では、発表者が実際に加わった選挙監視活動の体験から、メキシコの選挙監視活動が選挙不正に対抗する市民運動の一環として主に国内NGOにより行われたこと、現在でも選挙不正は根強く残っていること等を指摘した。会場からは、今後の方向性として、選挙監視NGOの運営資金や政治的立場についてより詳しく調査することが提案された。
受田発表は 「メキシコ先住民の教育問題」 と題して、ケレタロ州のオトミの例を中心に先住民に対する教育の問題を扱った。従来教育水準が非常に低かった農村地域でも、インフラを含めた教育制度の整備や親の関心の高まりから、近年その大幅な改善が見られる。その一方で、二言語教育などの先住民文化保護のための教育は行われておらず、むしろ教育によって、先住民の多くがオトミ語を放棄する事態が生じるなどの社会的な変化をももたらしていることが指摘された。
禅野・井上発表は 「都市にのみ込まれた旧村落の文化―メキシコ市南西部を中心に―」と題して、メキシコ市の拡大によって都市圏に取り込まれた旧先住民村落の現状を、元々の村人と外来の移住者との関係に注目しつつ、歴史的経緯も交えながら紹介した。具体的には祭礼および埋葬の形態や、土地や水利権をめぐる問題の中で、村人と移住者の間にどのような線引きが行われているかに焦点を当てた。人類学者の禅野と歴史を専門とする井上が、それぞれの立場から共通の問題にアプローチしているという意味でも興味深い発表であった。

中部日本研究部会

11月30日 (土) 14時から15時30分にかけて愛知県立大学外国語学部スペイン語学科研究室にて開催された。出席者は18名。今回の2報告は、言語と美術に関するものであった。
堀報告は、従来、近親関係の言語ゆえに比較対照が経験則を超えるものでなかったポルトガル語とスペイン語を、語源あるいは語形的要素が共通であるいくつかの副詞の用法に焦点をあて、両者の同一性と差違を体系的に解明しようとするものである。質疑応答では、文法論の問題のみならず、東海圏の2言語の状況を反映した、スペイン語とポルトガル語間相互の移行あるいは学習上の問題点からの指摘もあった。
大橋報告は、壁画運動という美術史の視野から論じられて来たオロスコの作品を、ジェンダー論の視点から再評価しようという意欲的な試みである。スライドを使用した発表は、非常に説得力のあるものであった。フロアからは、メキシコ留学経験者から作品の所在や公開の状況といった情報提供のほか、実証主義や優生思想との関係など、狭義の美術史に留まらない、幅広い分野からの質問がなされた。
今回は、いずれも発表当初の対象は、言語と美術という文化系分野の報告であったが、活発な質疑応答のなかで、内容は社会学、政治史、思想史と広がっていった。学際的研究会の良いところである。特に今回、司会者をつとめた筆者が痛感したことは、研究が進展していると思われる既知の分野であっても、異なった視点からの理解のさらなる深化が必要であるということである。
水戸博之 (名古屋大学)

「ポルトガル語とスペイン語の対照研究 副詞の強調用法について」
堀 由美 (名古屋大学大学院)

ポルトガル語とスペイン語の副詞の強意的表現を比較検証した。具体的には、「とても」 と 「まさに」 を意味するbem(ポ)とbien(ス)、mesmo(ポ)とmismo(ス)を、intensificação「強意化」機能とfocalização 「焦点化」 機能を用いて分析した。類義語muito(ポ)とmucho(ス)、muy(ス)やjusto(ポ)とjusto(ス)との競合関係を明らかにすることにより、上記の強意語が意味する 「とても」 と 「まさに」 の違いを実証した。

「ナショナリズムとジェンダー:メキシコ壁画運動第一号プロジェクトにおけるホセ・クレメンテ・オロスコの女性像に関する一考察」
大橋敏江 (名古屋造形芸術大学)

1922年、メキシコ壁画運動第一号プロジェクトで、ホセ・クレメンテ・オロスコによって描かれた女性像がジェンダー視点から分析され、それらが自己犠牲、母性、良妻賢母、家族への献身の表象であったことが議論された。女性や家族という自然化された対象を表象することによって、母への愛と祖国への愛を同一化させたこれらの作品は、国家が国民のナショナリズム高揚のために制作したきわめて巧妙な政治的装置であったことが明らかにされた。

西日本研究部会

西日本部会研究会は、12月14日 (土) 1時半から5時半近くまで、神戸大学国際文化学部会議室で開催された。出席者は30名で、久々に多数の参加者を得て、活気があった。
はじめに松下洋理事より、挨拶と特別ゲストを紹介いただき、なごやかに会は始まった。ゲストのアルゼンチンの政治学者、サンマルティン大学政治学学部長のマルセロ・カバロッシ(Marcelo Cavarozzi) 教授は、神戸大学国際協力研究科で開催された国際シンポジウム「途上国の政治―ラテンアメリカにおけるポピュリズムを事例として」の発表者の1人で、氏も挨拶の言葉を述べられた。
今回は両者ともフィールドワークに基づいた人類学的研究報告で、しかも重なり合うテーマ、民衆音楽、言語実践、アイデンティティなどを主題としたものである。同種あるいは近似するテーマ、専攻で研究会を開催する是非を勘案しながら計画された。2報告とも音饗資料なども併用しつつ、特に興味深い使用言語と実践のあり方についての特徴を具体例をもって浮き彫りにしながら、そこに含まれる様々なレベルの意味や問題点を指摘するものであった。欲を言えば、両者を合わせた発展的議論への盛り上がりももう少し欲しかった、などという反省点もあるものの、鋭い質問や建設的なコメントも多く出て、報告者、出席者双方に有意義な時がもてた。有効な資料の提示と結論部分への道筋、また解釈において、さらに発展させられる課題をいくつか含むものであり、今後これらをもとにした論文などへの結実が大いに期待される。報告者による要旨は以下のとおりである。2001年12月8日 (土) 13時30分から17時まで同志社大学今出川キャンパスにて開催した。出席者は11人で活発な議論がなされた(松下マルタ)。

「ブラジルの都市サンパウロのヒッピホッピ(hip hop):貧しい若者の言説的実践」
北森絵里 (天理大学国際文化学部)

本発表では、サンパウロのヒッピホッピにみられる言説を対象とし、そこに表現・表象される貧しい若者の生活や感情をみることで、彼らは自分たちを取りまく社会と他の社会集団をどのように捉えているのか、また、貧しく過酷で暴力的な現実と折り合いをつけながら生き抜いていくための実践はいかなるものかを考察した。言説の特徴を検討すると、そこには貧しい若者による他の社会集団との差異化が見取れる。彼らは、都市化が排除してきた 「汚点」 としての他者であることを誇示し、自ら都市社会の中の 「内なる他者」 であろうとする。同時に、彼らは、弱者としての、また、善良な低賃金労働者としての貧困者であることを拒否することで 「さらなる他者」 であろうとする。このようなヒッピホッピの言説的実践は、単純な「反権力」や 「対抗」 ではなく、日常を支配する権力の場から出ることなく、様々なレベルで自己と他者を差異化し、排除を通じた主体の形成であると考えられる。

「メキシコ・プレペチャ音楽 「ピレクア」 とエスニック運動の展開
<プレペチャ語>でピレクアは歌えるのか」
田中雅彦 (日本学術振興会特別研究員)

ピレクアとは、ミチョアカン州に居住する先住民プレペチャの音楽である。ピレクアを歌う人々は、1980年代以降のエスニック運動の興隆によって、先住民文化の担い手・表現者としての地位を得ていく。こうした状況のなか、1999年にメスティソとプレペチャとで構成されるピレクア・グループが登場し、多くのコンクールで好成績をおさめる。しかし、このメスティソ歌手を排除しようとする動きが他のプレペチャ歌手たちのあいだから生じた。これをきっかけとして、ピレクアは 「純粋で正しい<プレペチャ語>で歌うべき」であること、「スペイン語の影響をうけた言葉や表現を歌詞に用いるべきではない」 ことがコンクールで明言されるようになる。メスティソとともに活動するプレペチャ歌手は、この条件を満たそうとして、歌詞の見直しを図る。しかし、現在日常的に使われている 「プレペチャ語」 はスペイン語の影響を抜きにしては成立しえない言語である。そのために、ピレクアを<プレペチャ語>で歌うことができないという事実にプレペチャ歌手自身が直面している。