研究部会報告2010年第1回

東日本研究部会

2010年4月3日14時から18時まで、獨協大学で開催。4名の報告者を含む16名の参加者の間で活発な議論が展開された。

本部会の春の研究会では例年、修士・博士論文の報告を中心にプログラムが組まれており、今回も4本中3本が大学院生による修士論文の報告となった(なお発表者の所属は4月の発表時点のものであり、学位論文の提出先は現所属と異なっている場合がある)。山田報告に関しては作品中での「父性」の扱いなど、仁平報告に関しては共同体の定義や共同性のあり様など、井堂報告に関しては養蜂文化としての医療や儀礼の変化や不変化など、高橋報告に関しては「個人主義」の概念が意味や妥当性など、様々な観点から質問やコメントが出され、議論が尽きなかった。研究の意義、ならびに今後の課題がいっそう明瞭になり、たいへん意義深かったように思う。今後のさらなる研究の発展を期待したい。なお、各報告者はすべて、すでに本学会の会員になっているか、入会の意思を表明している者である。以下は報告者自身による要旨である。(浦部浩之:獨協大学)

「マヌエル・プイグ―遍在する慈愛の母―」
山田美雪(東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了)

本発表では修士論文の概要をもとに、アルゼンチンの作家マヌエル・プイグの作品において、映画的アイコン/ヒロインに託される母性の様相がいかに発展を遂げたかを検証した。プイグ作品の変遷は、絶対性の象徴としてのアイコン/ヒロインの「脱神聖化」の過程であり、物語の主人公は、①理想の「母」を体現すべき映画的ヒロインの傷=「背信」への愛憎(『リタ・ヘイワースの背信』)②ヒロインへの同一化願望と、行動の末の挫折(『ブエノスアイレス事件』『蜘蛛女のキス』)③アイコンの相対化と、血縁と切り離された「母性」の可能性の提示(『天使の恥部』)④代替的な家族や他者への献身、弱きアイコンへの眼差しの獲得(『南国に日は落ちて』その他)という過程を経て、アイコンの不完全さを許容し、自らの切断された母性を代替的に回復する。著作が示す母性の様相・受容の変化は、プイグが自身との間に見出した、和解の過程でもあったのではないだろうか。

「名づけられない場所から語る―『ペドロ・パラモ』の声をめぐって―」
仁平ふくみ(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)

報告では、メキシコの作家Juan RulfoのPedro Páramoを、音声に着目して読解した修士論文の概要を発表した。まず、小説中で共同体の外部者として疎外されている、女性、狂人という立場の人物が、その立場を自ら選びとることで共同体の支配から自由になろうとすることを述べた。この場合には理解不可能なものを外部化した共同体の結束は揺るがない。しかし、噂話、叫び声など、話者と受け手が特定できない音、空間を満たす音により、共同体が理解できるものとできないものとの境界が不明瞭になり、共同体が混乱に陥ることを、引用を交えつつ提示した。共同体の紐帯でもある声が、共同体を内側から切り崩していくのだ。つまり、この小説は、内部に外部が潜 み、存在を主張する様子を描いている。Pedro Páramoはまさに、隠されているが聞くことを求める声を聞き、ことばにできないものを言語化する試みであるという結論に達した。

「ユカタン・マヤ地域における養蜂文化―その通時的研究―」
井堂彰人(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士後期課程)

養蜂は、メキシコ、ユカタン半島のマヤ先住民の間で2000年以上行われてきた。本発表では、先スペイン期から今日までその生業・生産物・ミツバチに対して与えられてきた文化的意味・機能およびその変容を明らかにした。ミツバチやその生産物には聖性が与えられ、宗教儀礼や医療行為の効果を高めるために養蜂生産物は重要な役割を果たしていた。また、1970年代に全国先住民庁の主導により現金収入獲得の目的で導入された近代養蜂の受容にも着目した。養蜂は一番の現金収入源となるが、当事者は自給自足のミルパ農耕に影響が及ぶことから養蜂に多くの時間や労働力、資本の投入を好まないという実態が明らかになった。経済的な合理性など政策実施者の思惑が必ずしもそのまま当該社会に受け入れられるわけではないことを示す一例である。そこからは、植民地政府や国家などの政策に一方的に包摂されるのではなく、自らの論理に基づいて主体的に行動する先住民の姿が浮かび上がった。

「土地の占拠と「個人主義」:ブラジル北東部バイーア州におけるMSTの展開をめぐって」
高橋慶介(一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程)

ブラジル北東部でのMSTの展開について「個人主義」に着目しつつ考察を試みた。MSTはブラジル各地の農村部で土地占拠運動を展開する。運動参加者にはしばしば運動内の役職を放棄し、他の参加者との関わり合いを拒否する者がおり、協調主義を掲げるMSTはそうした個人主義を問題視する。特に北東部の参加者は個人主義が強く、それが運動の阻害要因になるとみなされる傾向があった。本発表では、MST参加者の参加、離脱を北東部における頻繁な人の移動の中で捉えつつ、不法行為である占拠への参加は、多くの場合、親族や知人による反対を伴うという聞き取り調査の結果に着目することで、参加の決断は、否定的に言及されがちな個人主義と通底するものがあることを指摘した。その上で、北東部におけるMSTは、個人主義批判という社会的正義の幻想に運動参加者を加担させると同時に、まさにその個人主義はまた運動が展開してゆく重要な要素ともなりうるという視点を提示した。

中部日本研究部会

2010年4月10日(土)13:00から17:00まで、中部大学名古屋キャンパス5階、510講義室において、2009年度第2回中部日本部会研究部会が開催された。研究報告は5名で、参加者は12名であった。
今回は、日本国内および日本留学経験者を対象とした社会学的なアプローチが2件、南米のアルゼンチン、ベネズエラ、チリをそれぞれ対象とした政治学的なアプローチが3件の合計5つの報告が行われた。博士論文報告となった「スペイン語新聞は「危機」をどう扱ったのか―エスニック・メディアの役割―」と題した寺澤報告は、2008年末以降の経済的「危機」状況下における日本国内のスペイン語新聞の役割を、エスニック・メディアとしての機能に注目しながら考察したものであった。会場からも活発な議論やコメントがなされ、メディアの多様化の中で相対化されつつあるスペイン語新聞自体の存在意義を踏まえた上で、エスニック・メディアを捉えていく必要性があるという印象を受けた。「日本留学の長期的成果―ラテンアメリカ出身者の場合」と題した田中報告は、これまで進んでいなかったラテンアメリカ出身の日本留学経験者の追跡調査報告で、日本留学の長期的な成果の分析を通した留学政策の改善を目的とした意欲的な研究であり、今後のさらなる調査が期待されるものであった。「アルゼンチンにおける移行期正義と人権問題に関する先行研究と今後の研究課題」と題した杉山報告は、1984年以降の民政下における人権裁判などに見られる「移行期正義」の流れを丹念に見ながらその特徴を指摘した上で、軍政期以前の人権侵害に対する記憶と正義の実現をも視野に入れた国民和解の必要性を示唆するものであった。「チャべス政権以前ベネズエラにおける市民社会の一考察:住民運動の分析を手がかりに」と題した林報告は、「市民社会」という用語自体をめぐる陣地戦がまさに展開されている近年のベネズエラにおける「市民社会組織」の動向を1980年代に拡大してきた住民運動の分析を通して、チャべス政権を支えるボリバリアン・サークルなどにも触れつつ、自律的な「市民社会組織」の定着の困難さを提示するものであった。「現地報告:チリ政権交代と震災直後のサンティアゴ」と題した中川報告は、3月11日の新政権発足の様子と震災後1週間余りの首都サンティアゴの様子と被害状況に関するスライドを交えた報告であったが、報告者が滞在後半の写真を記録したメモリーカードをチリ出国手続中に失くすというハプニングがあり、同時期に滞在していた獨協大学の浦部浩之会員のご厚意によって提供された写真も一部織り交ぜたものとなった。

いずれの報告にも参加者からの活発な議論とコメントが寄せられ、各報告者にとっては非常に有益であったものと思う。以下は、報告者自身による発表要旨である。(中川智彦:中京学院大学)

「スペイン語新聞は「危機」をどう扱ったのか―エスニック・メディアの役割―」
寺澤宏美(名古屋大学大学院国際開発研究科博士後期課程修了)

日本国内で定期的に発行される唯一のスペイン語新聞・インターナショナルプレス(スペイン語版)は、滞日年数と日本語能力が必ずしも比例しない在日ペルー人にとって、主要な情報源のひとつとなっている。2008年末以降の不況により引き起こされた「危機」(la crisis)において、同紙は何を報道し、エスニック・メディアとしてどのような役割を果たしているのか。
本発表では、2008年11月から2009年8月までの10ヵ月間に発行された同紙の記事(761号~803号)を分析、「危機」報道における記事のタイプを6つに分類してその傾向について報告するとともに、エスニック・メディアの持つ集団内的機能、集団間機能、社会安定機能といった観点から概観した。また同紙が今後どのように在日ペルー人社会、日本社会と関わっていくかなど、今後の展望についても考察した。

「日本留学の長期的成果―ラテンアメリカ出身者の場合」
田中京子(名古屋大学留学生センター)

日本留学の成果について、ラテンアメリカ出身の留学生に焦点をあて、留学後帰国してから10年~30年を経た元留学生たちへの面接調査を通して考察した。日本留学は、元留学生の就職、職業観や倫理観、世界観などに長期的に影響を与えており、元留学生を通して次世代の人材育成や、日本と留学生出身国の友好関係に貢献している。

留学生が在日中に苦痛と感じていたことでも、年月を経て客観的に捉えられ、本人や次世代の成長に役立っている例や、留学を経て自文化の長所が明確に認識され、それによって元留学生が自国により貢献しよう、長所を次世代に伝えていこうとする場合などがみられた。他の文化圏出身者と比べて特徴的と考えられる成果もあり、これらについて、事例も紹介しながら報告した。

留学政策は、多文化の視点から、長期的成果も視野に入れて検討することが重要であろう。

「アルゼンチンにおける移行期正義と人権問題に関する先行研究と今後の研究課題」
杉山知子(愛知学院大学)

アルゼンチンのプロセソ時代の軍部による人権侵害について、その歴史的経緯を簡潔に説明し、真実委員会、人権・真実裁判、集合的記憶などを通しての移行期正義の在り方についての報告を行った。アルゼンチンにおける人権侵害・移行期正義関連の研究は、これまでプロセソ期に限定されてきたが、1970年代のペロン、イサベル・ペロン政権期にまで遡り研究することが大切なのではないかとの指摘をした。先行研究については、詳細に紹介することが出来なかったが、質疑応答・コメントでは、アルゼンチンの経済危機・経済状況と人権問題、グアテマラとの比較、政府の謝罪声明、補償について、アメリカ合衆国の日系人収容問題、オーストラリアのアボリジニーに関する有益なコメントが出、アルゼンチンやラテンアメリカの事例をこえた比較についての示唆を得た。

「チャべス政権以前ベネズエラにおける市民社会の一考察:住民運動の分析を手がかりに」
林 和宏(愛知県立大学客員研究員)

2002年から2004年にかけての政治経済危機を脱したチャべス政権は2005年以降ベネズエラの社会主義化を開始する。政治経済の安定を達した同政権が次に支配を目指したのが市民社会であった。地域住民委員会やボリバリアン・サークルといった組織により再発見されたのは地域住民の上からの組織化であった。チャべス政権以前のベネズエラにおいても70~80年代に都市中産階級を中心に腐敗した地方政治の刷新を目指す住民運動が活発化した。これらの運動は80年代後半の地方分権化を推進する大きな力となったが、同時に政党によるコープテーションによりその批判力を低下させる。大統領のカリスマとオイルマネーに基づく潤沢な資金力に依拠するチャべス政権下の住民運動と同政権以前にベネズエラに開花した市民社会運動を比較・分析することによりその歴史的意義を検討した。

「現地報告:チリ政権交代と震災直後のサンティアゴ」
中川智彦(中京学院大学)

民政移管以降、20年にわたり政権を維持してきた「中道左派」の政党連合「コンセルタシオン」が下野し、初めて旧軍政派である「右派」諸政党の擁立する大統領が誕生することになったチリの様子と、2月27日未明の大地震による首都圏の被害状況について、3月10日から12日まで首都サンティアゴに滞在した際に見聞した内容を、報告した。

サンティアゴ中心街では、壁が壊れ、ひびが入ったビルがあるものの、大きな損害はなく、人通りも通常どおりであった。一部地域では、水や電気が1週間ほど復旧しなかったが、報告者が行った時期には、復旧していた。

今回の政権交代に関しては、チリの現代政治史の中で捉える必要があり、46年ぶりの民主体制下の「右派政権」であるピニェーラ政権を、単純に「軍政派」の復権と捉えることは不適切である点と、震災による復興という課題に直面し、社会経済分野における関与を強調せざるを得ない想定外の事態にある点等を強調した。

西日本研究部会

2010年4月10日、午後2時から6時にかけて、京都大学地域研究統合情報センターにおいて開催された。参加者は、報告者の4名を含め12名であった。最初の2つの報告は、先行研究ないしインターネットで収集した新聞資料を整理し議論を組み立てた試論を披露した。残りの2つは、統計ないし聞き取り調査のデータを基礎に行論した実証性の高い研究であった。

最初の高橋(亮)報告は、ブラジルのヴァルガス期の対外政策を取り上げ、1937年の「新国家」樹立から42年の連合国として参戦するまでの5年弱の展開を5つの段階に分けて分析し、その背後に親米・民主主義派と新独派の軍部の間の確執があったことを述べた。先行研究と比較しての報告内容の違いや位置づけ、ヴァルガス台頭時の軍部依存と政権奪取後の新米・民主主義派の台頭という展開の背景をめぐって議論がなされた。

次の武田報告は、土地をめぐる対立が起源となり、メキシコのチアパス州のミツィトン村で起きているカトリック派と福音派の間の暴力事件を含む紛争に関し、その背景を説明したうえで、それに関する報道が持つステレオタイプと偏りを指摘した。報告の課題設定の方向性(新聞報道に基づく紛争過程の再構築か、あるいは新聞報道の批判的検証か)とともに、全国レベルでの政党間競争の影響、分析対象とした新聞の妥当性、メキシコ革命や新自由主義改革の分析対象地への影響などが議論された。

3番目の高橋(百)報告は、メキシコのサリーナス政権(1988~94年)で行われ国家連帯計画(PRONASOL)に焦点を当て、これまで入手困難で使われなかった市レベルのデータ群を用い、同計画が本来の目的である貧困対策よりも、88年の選挙で大きく後退した制度革命党(PRI)の支持基盤を強化するためだった可能性を示した。国家連帯計画実施の際のコミュニティ参加のあり方と実態、計画そのものの効果や帰結について議論が展開した。

最後の村上報告は、ペルーの政軍関係を取り上げ、その歴史的展開を振り返ったのち、現役ないし退役間もない軍人に対する意識調査に基づいて、軍人の間に民主主義を擁護しようとする意識が芽生えていない可能性を提示した。意識調査の方法、ブラジルなど他国との比較、今後の国防のあり方に関する軍人の認識といった点に議論が及んだ。

以下は各発表者から提出された要旨である。 (村上勇介:京都大学)

「ヴァルガスの対外政策―『新国家』樹立から連合国参戦まで―」
高橋亮太(筑波大学大学院生)

第二次世界大戦の参戦前にヴァルガス政権が展開した対外政策は、ブラジルの戦後高度経済成長の礎となった。外交政策をめぐる「新国家」体制内部の対立を手掛かりにして、体制樹立から参戦までの経緯について考察する。

「メキシコ・チアパス州における異宗教団間の対立―ミツィトン村における暴力事件の背景と報道―」
武田由紀子(神戸市外国語大学非常勤講師)

チアパス高地ミツィトン村ではカトリック伝統派と福音派の間で摩擦が頻発している。本発表では、これまでの争いを検討し、今回の事件の特徴と報道のあり方について考える。

「メキシコ・サリーナス政権下の全国連帯計画(PRONASOL)再考―クライアンテリズムか?近代化計画か?―」
高橋百合子(神戸大学)

本報告は、メキシコ・サリーナス政権下(1988-1994年)で実施された「国家連帯計画(PRONASOL)」の財源は、社会経済発展という本来の目的よりも、1988年の大統領選挙で苦戦を強いられたPRIが支持基盤を強固にするために配分された可能性を、新たなデータセットを用いて検証した。

「ペルーの政軍関係に関する一考察」
村上勇介(京都大学)

ペルーの政軍関係を、1980年の民政移管以降の時期を中心に振り返り、軍が力を失った点と力を新たに持った点を明確にした。また、軍人に対し報告者が実施した意識調査を分析すると、ペルーの軍人には民主主義派が極めて少ない可能性がある。