第21回定期大会(2000) 於:京都外国語大学

記念講演

Elena Poniatowska(メキシコ人ジャーナリスト・作家)
 「メキシコの社会運動とグローバリゼーション」要旨

メキシコの社会運動の例としては、1968年の学生運動の高まりと、その結果の10月2日のトラテロルコ広場でのデモ参加者の大量殺戮と投獄がまず挙げられるが、この運動に先立つものとして、58年のデモトリオ・バジェホに率いられた鉄道労働者の賃上げ要求ストとバジェホの拘留、59年の大統領を批判したかどでの画家シケイロスの投獄、62年の農民運動指導者ルベン・ハラミージョの暗殺がある。これらはいずれも国家権力によって行われた。また、85年のメキシコ大地震では政府の無策ぶりに対して、多くの人々が献身的な救助活動に係わったが、これを契機に幅広い運動が展開されることになる。94年1月のサパティスタ国民解放軍(EZLN)の蜂起は、チアパスの住民の人権侵害に対する反対行動だったが、政府はEZLNとの合意を実行せず、さらに97年の政府軍によるアクテアルの虐殺、それに関して非難を表明した人々の国外追放、人道的目的のNGO受け入れ拒否、等があった。
一方、グローバリゼーションとは、我々の営みをアメリカ化、画一化し、非人間的で没個性的なものに変質させてしまうもので、遅れて「文明」にたどり着いたラテンアメリカやアフリカ諸国にとってはなんら益するところはなく、人間関係を喪失させるだけのものである。メキシコがメキシコであるのはメキシコの大衆によってである。
今回の講演でポニアトウスカ氏は、その著作においてと同じく、社会の周縁に追いやられた声なき人々や抑圧された社会的弱者の側に立つ視点から、グローバリゼーションというものを否定的に捉え、それと対抗しうるものとして社会運動を位置付けられた。
会場からの質問に答えて、未来を開く鍵は女性の果たす役割の大きさにある、との氏の言葉に接して同感の意を強くした。
(山陰昭子)

シンポジウム「ラテンアメリカグローバル化時代の国家と市民社会」

司 会 高橋 均(東京大学)
報告者 乗 浩子(帝京大学)
斎藤 晃(国立民族学博物館)
荒井芳廣(大妻女子大学)
ベルナルド・アスティゲーダー(上智大学)

グローバリゼーションの進行は、一方で国家の主権の相対化や規制の縮小へと向かう力を、他方ではその反動として国民文化の見直し、ナショナリズムへの回帰という別の方向へ向かおうとする力を生じさせている。こうした相対抗する力が複雑に交錯しつつ進行しているラテンアメリカの「グローバル化」のプロセスやそのインパクトをどう評価するか。グローバリゼーションに対応する経済モデルとしてのネオリベラリズムの問題点、すなわち失業や貧困の拡大をどうするのか、さらにラテンアメリカにおけrく「国家」と「社会」の新たな関係の展開をどう見るか、以上が本シンポジウムの共通の問題意識であった。
司会役の辻豊治会員からの問題提起の後、パネリストとして佐野誠会員がアルゼンチンにおける企業行動や労使関係、狐崎知己会員が中米カリブ地域における「国家」に対する評価と社会運動、小林致広会員がメキシコにおける市民社会的な運動の状況、小倉英敬会員がペルーにおける「チョロ化」と国民意識、三田千代子会員がブラジルにおける社会経済と情報化の現状について、それぞれ発言した後、討論者として恒川恵一、青木芳夫両会員からのコメントがあった。
ラテンアメリカにおけるグローバル化の波の拝啓には、国家の能力に対する信頼感の欠如があるとの指摘(たとえばハリケーン・ミッチやメキシコ大地震といった「危機」における政府の対応と市民側の反応)や、いわゆる「良い統治」を実現するための市民参加を保証する制度的、法的枠組みの未熟さ、社会運動の主体自身の多様化や複雑かという問題、多様性を認めつつも共通するアイデンティティを構築することの困難さ、さらにはIT革命の影響とディジタル・ディバイドの問題等、各パネリストからはそれぞれが関心を有する国の具体的事例をあげながら、様々な問題が報告された。討論者からは「グローバル化にマイナスのインパクトがあるというのは所与の議論。どこが問題なのか。反グローバリズムといって、再び規制強化、国営化の方向へ進めということなのか」と敢えて挑戦的?な問題提起もなされたが、まさにこれこそ、徹底的に議論すべき問題であったかもしれない。パネリストのひとりは、グローバル化にともなう問題点として、仲間意識、ゆとり、自己決定権の低下を指摘したが、経済面でのグローバル化が、「人権」という別の「グローバルな価値」を抑圧するとすれば、やはり現在のグローバル化の流れには、経済的側面と政治社会的側面、さらにいえば「人間の尊厳」とのバランスに問題があると、あらためて考えさせられた。
(小池康弘 愛知県立大学)

研究発表

第1分科会《自由論題》
司会 松久玲子(同志社大学)

第1分科会では4題の発表が行われたが、自由テーマで相互に関連する内容ではなかったので、20分程度の各発表の後、10分程の質疑応答を行った。斉藤泰雄会員の発表では、教授法の問題、今後のITの導入による階層間の教育格差の問題、貧困層へのインセンティヴ等の質問があり、ラテンアメリカ諸国に共通した基礎教育の現状と問題点への理解を深めた。岡村順子会員の発表はポルトガル語で行われ、外国語としての日本語教育への流れのなかで、現状についての質問がだされた。柴田修子会員の発表は、調査地がチアパス州東部でサパティスタの支持基盤となった地域と言うこともあり、調査法や入植者とサパティスタ支援の関係などの質問があり、活発な議論が行われた。竹村卓会員の発表では、トルーマン時代のラテンアメリカ諸国側からの援助要求の視点にたいし、アメリカの援助政策を世界経済の流れの中でとらえるべきであるという意見が出された。各テーマは個別的で関連はなかったが、各々活発な議論がみられた。

ラテンアメリカにおける90年代の教育改革の動向
斉藤泰雄(国立教育研究所)

80年代の経済危機は、公教育予算の大幅削減というかたちでこの地域の教育の発展に重大な影響をおよぼした。予算の制約の中で、教育の量的拡張と室の維持とはトレード・オフの関係になり、提供される教育の室は低下を余儀なくされた。それは、きわだって高い留年率、多くの中途退学者、国際的な教育評価調査で示された学業成績の低さ、短い授業時間・日数、暗記・詰め込み型の旧式な教授方法などに示される。教育条件の国内格差(社会経済階層間、都市・農村間、公立・私立間、民族・言語グループ間等)も解消されていない。90年代以降、ラテンアメリカ諸国の社会経済体制の変革(市場経済体制への転換、グローバル化、知識・技術を基盤にした国際競争力の育成、民主的政治体制の強化、社会的不公正の是正・極端な貧困の緩和)は、教育に対する要求や期待をより一層高めている。教育の質の向上と公正の確保をキータームにして教育改革が推進されている。

A EVOLUCÃO DA EDUCACÃO JAPONESA E BRASILEIRA EM ASSAI
-com ênfase no ensino da lingua japonesa-
ブラジルにおける義務教育と日本語教育
-アサイに於ける日本語教育を中心に-
岡村順子(天理大学)

ブラジルに於ける日本語教育のルーツは、コーヒー栽培労働力が不足していたサンパウロ州で働くために、ブラジルへ移住した791人の日本人に始まる。ブラジルに渡った日本人移住は1世紀にわたって約130万人の日系社会を築き上げた。どこの移住地、入植地においても、祖国の言葉や文化、良き習慣である真面目さ、規則正しい生活、勤勉さ等を守り伝え、子供の教育にも、困難な状況にかもかかわらず励んだ。

ヴァルガス独裁政権下のブラジル社会、第二次体制勃発によってブラジルにおける外国語使用禁止令やその他の制限令が発布された最も厳しい社会においてアサイにおける日本人移住者の子供に対して、どのように日本語教育がなされたか、今日、日本語教育がどのように位置付けられているかを論じ、21世紀を迎えるブラジルの、そしてアサイの日本語教育について考察した。

メキシコにおける国有地への自主入植とエヒード化
柴田修子 (大阪経済大学)

本発表の目的は、メキシコのチアパス州東部における国有地への自主入植とエヒード化の過程を、具体的事例をもとに明らかにすることである。チアパス州東部では、20世紀半ばから国有地への入植が盛んに行われるようになった。メキシコのエヒード制度は通常、土地譲渡・土地回復・新設入植エヒード・土地拡大の4つに分類されるが、同地域ではこの範疇に含まれない「自主入植」すなわち、自らの意志によって許可なく入植を行い、事後承諾的に政府の許可を得ることでエヒードとしての土地獲得が行われていった。では国有地のエヒード化は具体的にどのようなプロセスを経て行われたのか。政府の対応はどのようなものであったのか。本発表では、1948年トホラバル系先住民によってサンキンティン渓谷部に作られたグアダルーペ・テペヤック村の事例を取り上げ、エヒード化の過程を明らかにした。

米国トルーマン政権期の対ラテンアメリカ政策-援助問題を中心に-
竹村卓 (駿河台大学)

現在輸入代替工業化政策・新自由主義的構造調整・市場経済原理優先の「グローバル化」の限界が、広く指摘されている。しかし市場経済原理・民間投資優先の先進国と、政府間公的援助・市場への政府介入前提の途上国との対立は、すでに米国トルーマン政権とラテンアメリカ諸国との間に現れていた。「ラテンアメリカ版マーシャルプラン」を拒否した同政権は、「ポイント・フォー」に基づく民間投資を優先し、同政権期の対ラテンアメリカ援助は、全対外援助の 1.98%に留まった。当時の国際金融体制(英ポンドの封鎖)との関連・現在の概念を過去に適用する当否・米国が援助したとしても歴史は変化し得たか?との課題を報告の際頂いた。米国の援助計画策定資料も含め1945-60年当時の資料およびその所在を、報告者あるいはつくば国際大学竹内恒理会員にご一報下されば幸いである。

第2分科会《宗教・人類学》
司会 加藤隆浩(三重大学)

第2分科会(宗教・人類学)の研究発表は全部で4本。時代区分では先スペイン期に関する論題2本、現代に関するもの2本とに分かれ、地域的にながめてみるとメソアメリカ2本、南米2本とこれまた半々となった。偶然といってしまえばそれまでのことだが、こうした現象が起こるのは、研究者の関心が地域的にも時代的にも格段に広がったことと無関係ではなかろう。実際、研究が重なり合うように展開していた一昔前ならこのようにはならなかったはずである。むろん、欧米のラ米研究のような層の厚さにはまだ及ばないものの、これまで我が国では蓄積がほとんどなかった地域やテーマにも研究の手がのびてきたことは、日本における今後のラ米研究の可能性と明るい見通しを伺わせるものと考える。蛇足ながら、緊張して声を震わせながら発表した初々しい若手研究者と、堂々と自説を展開したベテラン研究者との比も1:1であり、これまたバランスがとれていたと思う。

先スペイン期メキシコの終末論的宇宙観について
岩崎賢(筑波大学大学院)

古代メキシコのメシーカ人の宗教伝統を特徴づける最も重要な要素の一つである終末論的宇宙論は、この地域に於いて紀元前二千年期より続いている都市文明の伝統と深い関わりを有している。メシーカ人が自らの都市テノチティトラン(1325-1520CE)の崩壊の可能性を強く意識していたことは、継続する五つの時代の周期的崩壊を語る「五つの太陽の神話」等から知ることが出来る。一般に近代以前の伝統的社会では時間は循環する輪のごときものとして捉えられてきた。そこでは時間は通常は新年儀礼と伴に新しく再生するのであるが、新しい弛緩が始まる前には必ず過ぎ去った一年の時間、さらには古い世界そのもの、が象徴的に無化される時間が先行するという構造が見られる。メシーカ人の一年の農耕周期における、「ネモンテミ」と呼ばれる最後の五日間もまた、このような非秩序の時間帯であった。サアグン、ドゥラン、オルモスらの資料に散見する様々な都市の崩壊の物語は、その象徴構造に於いて「ネモンテミ」のそれと興味深い共通性を持っている。「理論は主にアナロジーによって動く」というギアツの言葉に即せば、メシーカ人の宗教伝統に於いては一年の周期が閉じる「ように」、都市の周期も閉じていたと言えよう。そこには都市文明以前より生きられてきた民衆の循環的時間を基層として成立する、都市の宗教のダイナミズムが認められるのである。

エルサルバドル、チャルチュアパ市の聖週間儀礼に関する考察
桜井三枝子(大阪経済大学)

メスティソ人口が大多数の民族公正のエルサルバドルにおいて祝祭儀礼に関する調査を行ってきた。(文部省科学研究費補助・国際学術研究、代表京都外国語大学・大井邦明教授、1997~2000年)。まず、エルサルバドルの先住民の歴史的背景を概観し、1932年の先住民「大虐殺」についてふれ、この不幸な事件以来先住民は自己防衛のために、表面的に言語・民族衣装・観衆を放棄し同一化政策に従わざるをえなくなった事に着目した。インディヘナの三共同体、内戦終結後の先住民文化復興運動について概略し、次にチャルチュアパ市の地理的背景・略史・社会的背景を概観した。最後にチャルチュアパ市の使徒サンティアゴ教会の信徒集団組織・伝統保存委員会・教会修復保存委員会などの勝つ同組織と聖週間儀礼(1999年)の過程を報告した。メスティソ社会とされるチャルチュアパ市の儀礼には、すぐれて先住民的要素の濃厚な儀礼的要素が認められた事例について言及した。

「人間・神の子」と心霊主義 -ブラジル生長の家の受容の問題-
山田政信(筑波大学大学院)

報告者は、実態調査に基づいて非日系ブラジル人による生長の家の受容の問題から見えてくる救済観と現代ブラジルの宗教風土を考察した。受容の要因として、(1)生長の家の教義がシンクレティック、(2)キリスト教信者にとって生長の家の「人間・神の子」という教えは魅力的、(3)アラン・カルデック系の心霊主義(カルデシズム)と生長の家の教えは類似点が多い、などが指摘されており、それらは現在もなお有効だといえる。一方、報告者は、生長の家を受容している人びとがこれをニューエイジ(精神世界)的なものとして理解している傾向があって、当教団の受容の要因に大きく関わっていることを指摘した。ニューエイジは、ブラジルのカトリック教会はもとよりプロテスタントからも危険視されるようになった。そこには「今・ここ」という救済次元を共有するからこそ、互いに競合し合わねばならないという現在ブラジルの宗教運動の姿があることを指摘した。

インカ国家とエクアドル南海岸部 -ムユプンゴ遺跡が示す新たな様相-
大平秀一(東海大学)

本発表では、トメバンバとエクアドル南海岸部間に位置するインカの行政センター、ミラドール・デ・ムユプンゴ遺跡において、1995年以降の4シーズンにわたって実施した発掘調査のデータを基に、インカと同海岸部の関係について新たな様相を指摘した。発掘調査を通し、インカ自身が聖なるウシヌを切り込んで他の構築物を建設していること、重要な建造物が配されるはずの場所において、遺跡建設に携わった労働者が居住していた痕跡が確認されたことなどから、同遺跡が建設終了間際において緊迫した状況にみまわれ、放棄されたことが明らかとなった。遺跡が機能していた様相は、認められない。周囲で得られたデータを併せて考慮すれば、インカ国家は、全アンデス地域で儀礼的意味合いをもって需要の高かった、スポンディルス貝の採取が可能なエクアドル南海岸部の直接的支配・統合に向かっていたにもかかわらず、それも途中で放棄したという状況が考察される。

第3分科会《文化・民俗》
司会 飯島みどり(立教大学)

約20名の参加を得た本分科会では、分科・民俗のテーマにふさわしくスライドやビデオを駆使しての報告が続いた。司会の不手際により、準備したものすべてを照会してもらうことはできず、そのためたとえば大橋報告では、ともかく作品の解説が中心となり、フェミニズムに引きつけた議論にまでなかなか進めなかったのが残念であった。
フロアからは、先住民の側から近代化への対抗手段として学校を要求するというボリビアのカシーケ運動について、メキシコやペルーの事例とどこが異なり、どこがボリビアの固有性といえるのか、との基本的な問いかけがあった。土地をめぐる法廷闘争から出発したこの運動は、近代の論理という相手の土俵に乗り、自分たちの主張に耳を傾けてもらうことを前提としている点が特異、との返答がなされたが、このような解釈と、学校を抵抗の原点と位置づけることへの報告者の懐疑とはどう関係するか、いま一歩議論を深めたいところで時間切れを迎えた。

フォークロアと国民文化 -1940年代のアルゼンチンにおける民俗学-
長野太郎(東京大学大学院)

本発表では、近年までラテンアメリカで一般的であった、<単一文化的、閉鎖的、伝統的>フォークロア観を代表する民俗学者、アウグスト・ラウル・コルタサル(1910-1974)を中心に、1940年代のアルゼンチンにおける民俗学的言説の位置づけを検討した。コルタサルは書誌作成や啓蒙を通じてアルゼンチンにおける民俗学確立に尽力し、のちに教育者、文化行政官としても影響力を行使した人物である。コルタサルを通じて流布された民俗社会像の具体的内容を知るために、主著『カルチャキ民俗におけるカーニバル』(1949)を検討し、その結果明らかになったのは、首尾一貫した民俗社会像を構成するために用いられた、映画的描写や心理的描写の機能である。民俗学者コルタサルは、こうした文学的手法を用い、中央におけるコスモポリタン的文化社会観に意義を申し立て、クリオージョ=メスチーソ的文化社会観を提示したが、結果的に対立する図式間の溝は深まることとなった。

ニューヨークのガリフナ人 -移民音楽にみるアイデンティティーの再構築過程
冨田晃(東京工業大学大学院)

ニューヨークのガリフナ人は、プンタロックとよばれる音楽を発達させている。その歌詞の大半は、ガリフナである、ホンジュラス人/ベリーズ人/グアテマラ人である、ラティーノ/カリビアンである、黒人である、アフリカに祖先をもつ、セント・ビンセントからやってきた、といった「われわれの誇り」だ。ただし、公的・制度的にガリフナ人であるかを問われることはないし、一般に想定される黒人、ラティーノ、カリビアン、ホンジュラス人、グアテマラ人、ベリーズ人と、ガリフナ人は異なる。このような状況下、ガリフナ人はプンタロックによっていかなる「われわれ」を構築しているのだろうか。
発表では、プンタロックを、ガリフナ人移住者により社会運動とみなし、それに関わるアーティスト、オーディエンス、CD、クラブ、イベント、歌詞などを解析することにより、移住という経験がもたらすアイデンティティーの揺れと再構築の過程を考察した。

チカーノ壁画家ジュディス・バカの作品とフェミニズムに関する考察
大橋敏江(名古屋造形芸術大学)

黒人公民権運動が牽引力となり1960年代末以降チカーノ壁画運動とフェミニズム運動は車の両輪のように関連しあって展開した。ジュディス・バカ(1946-)のフェミニスト壁画家として面目躍如たる移動用壁画「女性の蜂起」(1979)、ロスアンゼルス・オリンピック・プロジェクトで制作された「壁を突き破って」(1984)などの作品を歴史的・図像的に読み解くことにより、これらがメキシコ壁画運動で活躍したダビド・アルファロ・シケイロスの作品や伝統的なチカーノ芸術を本歌に取り、彼女の部ミニズムを描いた作品であることが明らかとなった。バカは階級・人種・エスニシティ・性志向など様々な視点からジェンダーを問題として、家父長制・搾取構造・植民地主義などに対する批判の視点、さらに環境問題・核廃絶・世界平和といった視点をも加えた、ポストコロニアルで多文化主義的なフェミニズム理論の先鞭を付けたとも言える壁画を1970年代後半から制作している。

植民地主義と先住民学校 -ボリビアの事例に基づいて-
吉江貴文(民俗学専攻)

本発表は、ラテンアメリカ社会における植民地主義と先住民学校の関係を今世紀前半のボリビアにおける事例に基づいて考察したものである。ラテンアメリカにおける近代国家建設のプロセスにおいて、非先住民と先住民の関係はしばしば支配・非支配という二元論的構図において語られ、先住民学校は『同化・併合』策に見られるような支配装置として捉えられてきた。それに対し本発表では、学校が植民地主義的な文化的支配をもたらす一方で、先住民の抵抗の手段ともなったことや、脱植民地主義運動の中心ともなった点を論じることにより、学校を巡って展開される非先住民と先住民の相互作用の複雑な様相を明らかにし、ラテンアメリカにおいて植民地主義的関係が清算されるプロセスが一様ではないことを明確にした。

第4分科会《文学》
司会 立林良一(同志社大学)

井尻会員と高林会員は、ペルー生まれという点で共通する2人の現代作家の作品を、一方は文学論的に、他方は自伝的に読み解こうとする報告を行った。高林会員が取り上げたサバレタは日本ではほとんど紹介されることのなかった作家であるが、バルガス=リョサを始めとする<ブーム>の世代に少なからぬ影響を与えたとの指摘もあって、2つの報告が有機的に結びつき、興味が倍加した。
ユーモアを核として400年前のセルバンテスの中にボルヘスの先駆者たる要素を見出そうとする牛島会員の報告は、引き合いに出される実例の面白さと、報告者自身の機知とが相乗的な効果を発揮して、しばしば聴衆の笑いを誘った。質疑応答では、ボルヘスが化粧をしていたというエピソードにまで話が及び、この作家に対する参加者の興味は尽きることがなかった。
全体を通して20数名の参加者があり、例年以上に活気が感じられる分科会であった。

インディヘニスモ文学の限界とバルガス=リョサの試み
井尻直志(関西外国語大学)

インディオをいかにその実相において描き出すかをめぐって展開したインディヘニスモ文学の限界は、極言すれば、リアリズム文学の限界だと言える。何故なら、主観とは独立して自存する客観的現実を借定し、それを言葉によって忠実に再現・反映しようとしても、語り手が視点拘束的な存在である以上、決してインディオの客観的現実を描き出すことはできないからである。インディヘニスモ文学は主客二元論的現実認識に基づいているリアリズム文学の自己誤解を共有しており、不可能なことを目指したと言える。一方、そのことに自覚的なバルガス=リョサは、対位法、メタフィクション的書法、一人称の語り手の戦略的使用といった技法を駆使することで、メタレベルとオブジェクトレベルという階層的区別を無効化する自己言及的な世界を描き出すとともに、多元論的世界や他者との対話の不可能性(あるいは他者への開放性)を表現している。

C.E.サバレタにみる<意識の核>としてのシエラでの原体験
高林則明(京都外国語大学)

ペルーにおけるインディヘニスモ小説は1920年代から30年代に大きな発展をみせたが、1950年代にはいると小説の主流はリマを中心とする都会とその住人を主題にするものへと変化をみせる。この転換点に位置するのが「50年代の世代」であり、心理的陰影に富む現代的な手法でペルー文学を一新させた。現代英語圏文学の熱心な紹介で有名なサバレタは、アンカシュ県山岳地方と首都リマの双方を結びつける一貫した姿勢でも際立っている。50年世代に刺激されたアルゲーダスは新境地を開拓するが、他方でその小説世界の拡大はサバレタによって国際的なものにまで発展させられる。現代ペルー社会の主流をなす「チョーロ大衆」に焦点をあてる点はバルガス=リョサとも共通するが、山岳地方の生活や価値観を否定的に描きだすバルガス=リョサとは対蹠的でもある。多彩な表現手法で定評ある作品群から注意の小説Los aprendices (1974)とRetratos turbios(1982)を紹介した。

セルバンテスとボルヘス -ユーモアについて-
牛島信明(京都外国語大学)

相互に350年のへだたりのあるセルバンテスとボルヘスを合わせ読み、アイロニー/ユーモアを介して二人の類似を認め、それによって時間を超越した文学そのものの意義ある在り様を考えようというのが、この報告のねらい。
まず、文体における「ズレ」や「不一致」(ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』)、および「曖昧性=多義性」(牛島『反=ドン・キホーテ論』をアイロニー/ユーモアの前提とし、それらを作り出す意図をセルバンテスとボルヘスのなかに認めた。そして両者に共通する文体の「非断定性」を確認したうえ、分析の対象を、Don Quijote及びFicciones; El Aleph; Discusionに限り、アイロニー/ユーモアの実践を様々なレベルにおいて、例えば、倫理的価値の転換、文学者に対する風刺、ノンセンス・ユーモアなどにおいて実証した。

第5分科会《パネル:文化・民衆・権力-ラテンアメリカのcultura popular》
パネル代表 石橋純(宇都宮大学)

本パネルにおいては、4名の文化人類学研究者が、各人の研究地域において特定の時代に起こった文化運動・文化表象・文化政策の事例をとりあげ、文化・民衆・権力のさまざまな関係を論じた。演題は、発表順に・「国民国家編成時メキシコにおけるArte Popular」木村香苗(お茶大・院)・「キューバ革命後の文化政策と民衆文化」工藤多香子(慶応大)・「国民アイデンティティ救済思想-1970年代ベネズエラにおける『新左翼』と文化復興運動」石橋純(宇都宮大)・「ボブレ・チョロからスーペル・チョロへ民衆文化における『チョロ像の変遷』佐々木直美(法政大)であった。司会とディスカッサントは鈴木茂(東外大)がつとめた。
木村発表では、革命期メキシコに勃興した文化ナショナリズムを背景に、「メキシコ的なるもの」の形成に奔走した知識人の運動を、焼き物や織物などの事例を通じて論じた。工藤発表ではサンテリーアの事例をとりあげた。カストロ政権が、アフロ系信仰実践から舞台芸術側面を「脱コンテクスト化」することを目論んだ1960年代から80年代の流れを踏まえたうえで、90年代以降政策が転換し、アフロ系信仰そのものが伝統的民衆化として評価されつつある現状について分析した。石橋発表では、1970年代初頭ベネズエラにおこった国民文化復興運動をとりあげ、新左翼政治運動の興隆と関連づけて論じた。佐々木発表では、過去50年の新聞漫画や大道芸にみられる「チョロ」像の変遷を辿った。かつて侮蔑的呼称であった「チョロ」が、文化的エリート(チョロと呼ぶ側)の意図によって、啓蒙された民衆を表象し、さらには民衆(チョロと呼ばれる側)の文化英雄に転換してゆく過程を資料により跡づけた。
パネルでは、cultura popularをスペイン語表記のまま残し、発表者間において共通の「popular」概念を提出することはしなかった。ここには・popularという用語が、文脈によって「民俗」「民衆」「大衆」「ポピュラー」などさまざまな日本語に翻訳可能であること・cultura popularの担い手として、どのようなpuebloが、誰によって、どのような意図から想定されているかという具体的文脈を読みとる作業なしにはpopular概念の抽出は不可能であるという発表者の主張がこめられていた。popular概念のさらなる検討については、会場のコメントにおいても今後の課題として研究の継続を待望する声が寄せられた。

第6分科会《パネル:ペルーおよびブラジルにおける日系人帰国児童生徒への再適応》
パネル代表:田島久歳(城西国際大学)

本パネルでは、ペルーおよびブラジルの日系人の子どもが、日本において学校教育を経験した後、それぞれの国に帰ってからホスト社会の学校や地域社会に如何なるかたちで適応しているのかを、1998年と1999年に行った調査(文部省の科学研究費補助金)に依拠して学際的に考察した。
このため、まず江原裕美(帝京大学)が、「ブラジルの学校における日系人帰国児童生徒の受け入れと再適応状況」報告で、学校における帰国児童生徒の受け入れの制度的整備状況、および1996年の新教育法の精神により、児童生徒が学年を落として通学することの少ない点を指摘し、最後に異文化間を往復する児童生徒の再適応過程を(1)日本文化統合型(2)両文化併存型(3)両文化適応型(4)ブラジル文化統合型に分類して考察した。つづく、山脇千賀子(文教大学)は、「ペルーにおける親の教育観がいかに帰国した子どもの学校・社会への再適応を左右するかを事例に基づいて考察し、また1995年に行われた一般のペルー人を対象にした学齢期の子どもをもつ親の教育観や子どもに対する期待といった調査のデータと、日系人の親を比較しながら検討した後、日系人の親の文化資本・社会関係資本の重要性について考察した。最後の田島久歳(城西国際大学)の報告は、江原、山脇の報告内容を統合しながら「子どもの学校・社会への再適応と家族」、子ども、再適応といった用語の定義を試み、つづいてブラジルとペルーにおける親の学校教育に対する期待の相違点を比較した後、ペルーとブラジルの日系社会の歴史的な形成過程のちがいを紹介した。同過程によって、ペルーには子どもの再適応を容易にする疑似拡大家族的な役割を果たす日系校が存在する一方、ブラジルにはそれが形成されなかったため、拡大家族がその役割を果たす点を指摘した。

第7分科会《パネル:開発への新しいアプローチ:「社会資本」と公共政策》
パネル代表 柳原透(拓殖大学)

本パネルではラテンアメリカの開発において近年注目されるようになった需要主導型のアプローチについて、この新しい考え方とそれに基づく取組みの可能性と限界を検討した。ここでは、人々が共同で行動を起こして開発に取組む、あるいは外部アクターに要求を伝えるといった「下からの」行動、あるいはそれに対する外部アクターの適切な関与のあり方などが検討の対象となる。一般論のレベルでは、「社会資本」という概念を用いることが、この問題の的確な把握に役立つ可能性がある。社会資本とは、人々が目標達成のために共同行動をとることを可能とする規範および社会関係として定義される。
柳原によるこのような問題提起の下で、4人の報告者がそれぞれの実証研究の成果を報告した。久松報告は、メキシコの家計調査を基に、各家計における「社会資本」の形成・維持に向けられる支出の水準とそれが全支出に占める割合を計算し、相対的に豊かな家計および農村に居住する家計の支出割合が比較的大きいことを報告した。野口報告は、エクアドル山岳部(シエラ)での貧困層意識調査の結果と共同土地購入を支援するプロジェクトの失敗例を検討し、統計面では組織数の増加が必ずしも共同経済行動の活発化を表すわけではないという見解を示した。上岡報告は、ペルーの首都リマにおける女性組織の共同食堂運営の活動と、それに対する政府機関、NGOなどの関与の実態と変遷を報告し、このケースでは組織活動と外部支援の好循環が生まれたという見解を示した。受田報告は、メキシコシティにおける先住民移住者への支援政策の検討を行い、彼らが於かれている現状は深刻であり、組織かを支援するアプローチが必ずしも各移住者が個別に抱える問題に有効に対処しえないという見解を示した。