第22回定期大会(2001) 於:名古屋大学

記念講演

"Latin America and the Caribbean in the History of the World: Going Global is Nothing New" (要旨)

Franklin W. Knight (Johns Hopkins Univ. 教授, 前米国ラテンアメリカ学会会長)

今日グローバル化が不安と混乱をもたらしているが、そのような現象は18世紀の思想家Abbe RaynalやAdam Smithの言説に見られるように、決して新しいものではない。特にAmericasが1492年以降大西洋通商システムに統合されたことが、Americasにおいてもヨーロッパにおいても、物質生活や世界観に大きな揺らぎと変化をもたらした。第1にAmericasとの出会いはヨーロッパ人の空間・時間観念を変え、自己認識に変更を迫るものだった。 Americas経験の深さは多くの単語が意味を変えたことにも伺える。逆にスペインとポルトガルはAmericasで新たな帝国建設の実験をおこなうことで、土着の社会を決定的に変えた。第2に、 旧大陸から持ち込まれた動植物は、間もなく新大陸から旧大陸へ逆輸出されることで大西洋経済を活発化させた。Americas原産の植物もヨーロッパ、アフリカ、アジアの食糧生産に革命的な影響を与えた。第3にAmericasとヨーロッパとの出会いは、Americasをさまざまな大陸出身者の統合体という他に類を見ない大陸にした。これはヨーロッパ人来訪の直後におこった人口激減を埋めるため、多数のヨーロッパ人とアフリカ人が、後にはアジア人が移り住み、混血化も大規模に進んだ結果である。第4にAmericasからの貴金属はヨーロッパ経済とヨーロッパ・アジア貿易に大きな影響を与えた。またアフリカ人奴隷は商品としてと同時に生産要素として、近代資本主義の形成に不可欠の役割を果たした。Americasの物産の通商は巨大な富をもたらしたので、ヨーロッパ列強の力の源になると同時に、列強間の戦争をもたらし、フランス革命やナポレオン戦争の行方すらも左右したのである。第5にAmericasは国際法の発展とユートピア思想の形成に寄与すると同時に、植民地時代以来理想社会を作る実験の場ともなった。それは近代以降の7大革命中4つがAmericasで起こったことにも表れている。このようにAmericasの「発見」後世界の歴史は決定的に変わった。当事者が必ずしも結果を見通すことのできないグローバル化は、その意味で決して新しいものではない。人々が違いを認め合い、コミュニケーションを深めることができれば、過去500年間人類がしてきたように、将来もグローバル化に対応することができるだろう (要約:恒川恵市、東京大学)。

第1分科会・自由論題(司会:澤田眞治・岐阜大学)

第1分科会では5名の会員による研究報告が行われた。分科会に割り当てられた2時間半という時間制限のなかで、各々の報告に20分ほどの時間しか与えられなかったが、出席者は20名を超える盛会となった。自由論題の分科会という性格ゆえに、当初は報告テーマの相互の関連性は薄く、それぞれが独立した発表となるものと予期された。 しかし、大平秀一会員による教科書とイメージ形成をめぐる問題、小坂亜矢子会員による移民史、山本英作会員によるスポーツ研究、浅香幸枝会員による日系エスニシティ、今井圭子会員によるメディア・イメージなどのテーマは、人文社会科学の多くの領域で近年ますます活性化している「文化研究」に関連するものである。日本とラテンアメリカ地域の関係について多面的な理解が求めらているが、これらの研究報告は大きな枠組みで近年の学術的潮流と時代の要請に対応したものであったと言えよう。

「日本におけるラテンアメリカ・イメージの変遷」
大平秀一 (東海大学)

本報告では、明治時代の初等教育で使用された地理教科書の分析を中心に、日本におけるラテンアメリカ認識の変遷に関して考察した。1540年代以後にヨーロッパの人々から得た情報を通して形成されはじめる同地域のイメージは、江戸時代末期にいたるまで、一貫して歪んだ視線に満ちている。しかし明治時代の教科書をみると、大方の地域に関して歪んだ記述がほぼ一掃される。ところが江戸時代末期まで巨人の国として捉えられてきたパタゴニアのみは、依然として野蛮な地域として捉えられており、その影響は少なくとも大正時代末期まで継続している。地域によって、イメージ・認識内容の変遷に差異が生じてくる意味合いを考察していくと、ヨーロッパ的要素あるいは先住民的要素の強弱と関連していることが明らかである。すなわち、ヨーロッパ的要素が強く、先住民的要素が弱いと捉えられている地域・国家ほど、イメージの格上げがなされていくのである。

「グアテマラの写真家・屋須弘平の生涯」
小坂亜矢子 (大阪大学大学院)

屋須弘平 (1847-1917) は、現在の岩手県東岩井郡に医家の長男として生まれた。尊王攘夷の動きの激しい時代に15歳で江戸に出て、激動の幕末・明治の日本文化の中で28歳まで過ごした。その後、日本に訪れたメキシコの金星観測隊とともにメキシコに渡ったが、ポルフィリオ・ディアスのクーデターの成功によって、グアテマラに移住することを余儀なくされた。グアテマラでは写真技術を学んで写真館を開き成功する。成功したのちに洗礼を受け、非常に信心深いカトリック教徒となった。一度は日本に帰国したのだが、高橋是清の推し進めたペルー銀山開発事業に関わり、秘書兼通訳としてペルーに渡る。しかし半年ほどで事業は失敗した。日本への帰国途中グアテマラで下船し、 再びこの地で写真館を営み、二度と日本に戻ることはなかった。 70歳で病没するまでグアテマラで写真家として裕福に暮らした。本報告では、ほとんど無名ながら上述のように特異な生涯を送った屋須弘平について、当時の日本およびラテンアメリカの政治・文化的状況や、屋須の残した手記・写真に基づいて、屋須の撮影した写真を交えながら発表した。

「ブラジル・サッカー史に関する研究動向」
山本英作 (筑波大学大学院)

サッカーは20世紀初めからブラジルで最も人気を得たスポーツであるが、同国内における学術的なサッカー史研究は1980年代からようやく着手され始めたにすぎない。それ以前にサッカー史を記述・記録していたのはM. Filhoに代表されるスポーツ・ジャーナリストであった。 1980年代以降、歴史学、 社会学、 文化人類学の各々の領域に少しずつ研究成果が現れ始め、1993年のブラジル体育・スポーツ史学会創設を契機に、体育・スポーツ系大学院を有する研究機関等を拠点として歴史学的な研究が継続的に行われるようになった。

本研究報告は、今日までに計7回開催された学会の報告書所収の研究発表を検討することにより、ブラジル・サッカー史研究の最新の動向について報告することを意図した。その結果、諸研究が用いた史料や方法論に関する吟味等いくつかの課題を残したが、諸研究が取り扱うテーマ別 (トピックス別) の大まかな傾向を把握することができた。

「トランスナショナル・エスニシティ―アメリカ大陸における日系人のネットワーク:パンアメリカン日系協会の事例研究―」
浅香幸枝 (南山大学)

1981年7月に、 メキシコ・シティで、 第1回 「パンアメリカン二世大会」が、 実施された。 二年毎に南北アメリカ大陸の一国で、第2回目以降「パンアメリカン日系大会」と名称変更され大会が継続されている。リーダーたちへのインタビューとパンアメリカン日系協会の議事録 (1981 2000年) と公開されているホームページを一次資料として、「トランスナショナル・エスニシティ―アメリカ大陸における日系人のネットワーク:パンアメリカン日系協会の事例研究―」について論じた。具体的には、 以下のような順で考察した。1.拡散する日系人を見る視座と方法、 2.国際関係史における日系人の拡散の134年の歴史、3.パンアメリカン日系協会の20年の歴史

「戦前のアルゼンチン主要紙にみる日本報道」
今井圭子 (上智大学)

これまで研究課題としてほとんど取り上げられてこなかったラテンアメリカの新聞による日本報道について、19世紀末から20世紀初めまでを対象に考察を加えた。とりあげたのは、アルゼンチンの代表的な新聞であるナシオン、プレンサ、パイスの3紙で、対象時期において報道記事が多かった日清戦争、日露戦争、そして20世紀初めの日本人移民排斥をめぐる解説記事を中心にその内容を要約し、分析を加えた。ナシオン、プレンサ両紙は世界的に高く評価され、世界の一流新聞に数えあげられており、1920年代の発行部数は20万部に達していた。報道内容はナシオンに特徴的な愛国的統治者の視点、プレンサの高い専門性と客観性を備えた報道、新興勢力を購読者に組み込んだパイスの報道などに触れながら、3紙の報道内容を比較、説明した。 限られた時間であったが、ベネズエラの新聞による日露戦争の報道、社会的ダーウィニズムについての質問、コメントがあった。

第2分科会・経済(司会:安原毅・南山大学)

経済学のセッションである第2分科会では、フェルナンド・バリオ氏がかつてのラテンアメリカ自由貿易連合の分析から現在のメルコスールの可能性と問題点を指摘し、原田金一郎氏はペルーのビジャ・エルサルバドル市の工業団地における住民自治の実態調査を報告した。そして北島啓示氏は米国とNAFTA, メルコスールの関係を中心にFTAAの可能性と困難とを指摘した。いずれも詳細な資料に基づく発表であり、質疑の時間も充分取れたことはよかったと思う。また発表は三者三様だったが、新自由主義が行くところまで行き着いてまた新たな転機を迎えつつあるラテンアメリカについて、これまでの経緯を総括して新世紀の方向を考える上で、興味深い視点と分析方法を示すものだった思う。

Situación de Argentina, Brasil y Chile frente a la ALALC y el ALCA
Fernando Barrio (MA Estudiante de Doctorado, Universidad de Nagoya)

En la actualidad nos encontramos con un mundo globalizado, con una sola potencia hegemónica en lo militar y con un relativo consenso sobre el libre Mercado.

En la región, en su mayoría, se han dejado de lado los conflictos bilaterales, los países han abandonado las políticas de industrialización de importaciones de la década del 50 y se han producido reformas tendientes a la desregulación y apertura de los mercados.

En cuanto los países mencionados, han abandonado sus políticas de seguridad que veian a sus vecinos como enemigos, hay acuerdo en la dirigencia y en la academia sobre la necesidad de llevar a cabo acuerdos de integración y los tres cuentan con regimenes democráticos. Todo esto colaboraría con la idea del ALCA.

Sin embargo, también hay que señalar que hay razones que hacen pensar que la creación del ALCA va a encontrar en los países del Cono Sur un escollo dificil de salvar. Entre estas se pueden señalar: la pretensión de Brasil, aceptada por los otros países, de convertirse en una potencia subregional; la formación del MERCOSUR, que representa una realidad y mayores beneficios que una possible ALCA.

「ペルーのビジャ・エルサルバドルにおける社会主義と工業団地」
原田金一郎 (大阪経済法科大学)

ペルーの首都リマから南へ20キロ離れた人口40万人のビジャ・エルサルバドル市がある。一見ふつうの近郊都市に見える町であるが、1971年スラムとして発足してから1970年代には「自主管理社会主義」を標榜し、 独自の歴史的経験を持っている。 報告者は、 1999年からこの町の独自性に注目し研究し続けてきたが、今回の報告では、まず、この1970年代の自主管理社会主義をめぐるビジャ・エルサルバドル内部の論争を当事者たちとのインタビューにより、その試行と限界について分析を行なった。そして次には、ビジャ・エルサルバドルの歴史における第2期、すなわち1984年市当局の発足後の1987年に開設された工業団地について、企業主たちとのインタビューを通じて分析を行なった。

米州における自由貿易協定の動向―アメリカ、 EU, メルコスルのトライアングル-」
北島啓治 (国際協力銀行)

本研究は米州の自由貿易協定 (FTA) の動向分析において主要なアクターであるアメリカ、 EU、メルコスルの戦略間の相互関係に焦点を当てる。まず、米州におけるFTAの締結状況からラテンアメリカのFTA網のハブ化、 EUを含むブロックFTAの動き、ならびにアメリカのイニシアティブの下推進されている米州自由貿易地域 (FTAA) 交渉の特徴と課題、 を指摘する。 次に、 EUのハブ化戦略、アメリカの囲い込み戦略、メルコスルの両面戦略といった戦略の中味を検討し、それらの戦略上の主要な問題 (農産物問題、 ファーストトラック問題、メルコスルの危機的状況、 EUの東方拡大のメルコスルへのインパクト) について分析する。 以上を踏まえ、今後の展望について、 FTAAやEU―メルコスル協定の成立のためにはWTOニューラウンドにおける農産物問題の決着が必要であること、これらの協定の成立までには難問が山積していること、これらの協定が成立すればメキシコ、チリ、 メルコスルに外国資金 (外国直接投資を含む) が集中する可能性が高いことを指摘した。

第3分科会・メキシコの「聖と俗」(司会:田中敬一・愛知県立大学)

第3分科会では3題の発表が行われ、いずれもメキシコの歴史・社会を扱っているがテーマにおいて関連性はなく、また分析の方法もそれぞれ異なっていた。発表及び質疑応答は発表者ごとに行われ、発表後約30名の参加者と活発な質疑応答が繰り広げられた。以下、その内容について簡単に報告する。

川田会員はメキシコの聖人・聖母信仰の歴史的変遷を多くの史料にもとづき実証的に分析したが、フロアからはヨーロッパにおけるキリスト教の歴史との関連性について質問がでた。佐原会員の報告では、資料として利用したインフォーマントについてより詳しい説明を求める質問や、メキシコ人の死生観についてのコメントが相次いだ。吉田会員の発表では、マヤの疾病観を病気・医療に関する語彙を通して解明する新しい分析法が紹介された。これに対しフロアからは一次資料となるマヤ語辞典の執筆者やその成立について質問がでた。

「メキシコのグアダルーペの聖母と聖フェリーぺ・デ・ヘスス信仰:比較研究の試み」
川田玲子 (名古屋大学)

メキシコ・クリオージョのシンボルと言えば、一般にグアダルーペの聖母が挙げられる。しかしクリオージョの聖人、聖フェリーペ・デ・ヘススも同様にシンボルとして扱われていた。本報告では、シンボルとしてどちらがより適していたか考察するため、両崇拝の比較を試みた。この結果、聖フェリーペがメキシコ市守護聖人とされたのは1629年で、同タイトルが聖母に与えれた1737年より1世紀以上も早い。また「メキシコ紋章(16世紀よりメキシコのシンボルであった鷲・サボテン・蛇の図像)」と共に描かれた両者の図像が何点か見つかっているが、現在のところ、最初に同紋章とともに描かれた図像は聖フェリーペの図像 (1652年) で、聖母の図像 (18世紀初め) より半世紀以上古いことがわかった。さらに17世紀後半、聖フェリーペが聖母以上にクリオージョのシンボルとして注目されていた形跡が見られることを報告した。

「メキシコにおける葬制と死生観の変遷」
佐原みどり (名古屋大学大学院)

死者の日を国民的祝祭とし、死者と共存するという古来の思想があるメキシコにも、火葬という新しい葬制が普及しつつある。政府や民間の葬儀会社が、人口増加による土地不足や「近代化」への政策の一つとして火葬推進を試みているのである。土着の死生観とカトリック思想の融合したメキシコ人の死に対する態度の歴史的変遷をふまえながら、今回の発表では、近代的都市メキシコ市とコロニア色の強く残る地方都市オアハカ市の火葬状況及び墓地事情を中心とした比較調査から、火葬の普及に影響を与える社会的要因を考察した。19世紀における墓地建設の歴史に関わる政府と教会の闘争、伝染病による死への恐怖の増大、そして20世紀における土地問題や衛生意識・宗教意識の変化等、さまざまな側面から遺体や墓地に対する感覚・心情、それに対応または矛盾する現在の葬制との関係性を導きだそうとすることが本発表での主な目的であった。

「民俗語彙分析によるユカタン・マヤの疾病観再考」
吉田栄人 (東北大学)

pユカタン・マヤの疾病観および医療文化に関する従来の研究は、医療行為における呪術的要素に注目するあまり、病気を操作可能な記号の体系とみなし、その象徴論的操作の分析に偏重してきた。本報告では、こうした従来の研究法に対して、ユカタン・マヤ固有の身体生理学の立場から彼らの医療的実践を捉えなおす必要がある点を指摘した。そうしたユカタン・マヤの疾病観の再考の試みとして、植民地時代に作成されたマヤ語スペイン語辞典の利用に関して報告した。また、同辞書に記載された身体および疾病に関連する語彙の検討から得られた、ユカタン・マヤの人々の疾病観に関するいくつかの特徴に関しても報告した。

パネルA.「日系社会とデカセギの現状そして展望」パネル代表・文責:水戸博之 (名古屋大学)

ラテンアメリカと名古屋・東海圏との関係を地域的に特徴づける存在は、日系南米人のデカセギ者である。日本に在住する南米出身の日系人の約4割10万人以上が静岡を含む東海4県に集中していると言われている。このような情況を踏まえ、デカセギに関する以下の4報告から構成されるパネルを企画した。

"El aspecto social y cultural de la colectividad okinawense en Buenos Aires" (ブエノスアイレスにおける沖縄コミュニティーの社会的文化的様相)
María Valeria Ayala Montes (名古屋大学大学院)

この報告では、アルゼンチンにおいて日系人の8割を占めるという沖縄出身者のコミュニティーと沖縄の芸能エイサーを通じて接触し交流を続けているヨーロッパ系アルゼンチン人留学生の記録が述べられた。まず日本とアルゼンチンとの外交史の簡潔な回顧の後、日系社会における日本語や伝統文化の継承が学校教育等を通じて如何に行われてきたかが詳細に報告された。特に、その中で沖縄系日系人が他の日系人に対しても、独自の伝統を維持するため、最近まで必ずしも交流に積極的ではなかったことが注意を引いた。報告者がエイサーのグループに日系以外の初のメンバーとして加わることが許されたのは5年前のことであった。この解説に当たっては、報告者自身のエイサー公演の模様が写真で紹介された。ブラジルなどでも婚姻において日系が他の民族を配偶者とすることにかつてかなり抵抗があったことはしばしば言及されてきたことであるが、アルゼンチンにおいて沖縄系コミュニティーはさらに純血を求める傾向が顕著であった。他方、報告者は例えば伝統食の豚肉から牛肉への転換に見られる食生活や、年中行事と信仰生活において現地社会との融合も行われていることを指摘した。なおこの報告はスペイン語で行われた。

「司牧者から見たデカセギ」
João Manuel Lima Mira (上智大学; 共同研究者:シスター Mouri Yoshiko)

第2報告では、日本で暮らすブラジル人を中心とした南米人の精神生活の問題に携わるカトリック者の視点から、日伯関係における 「デカセギ」 の諸問題が自らの経験を通して語られた。報告者はブラジル人であったが、聴講者の事情を考慮し、日本語のOHPとスペイン語で発表を行った。

前半は予備的考察として共同研究者シスターMouri (毛利) 作成のOHP資料をもとにブラジルと日本の歴史や社会、国民性の基本的データの比較が行われた。資料の媒体的制約からやや図式的な印象もあったが、デカセギ問題の根本原因を再確認する上で有益であった。また歴史的考察の中で、ザビエルの日本上陸とブラジルにおける実質的な組織的宣教の開始が同年1549年という指摘は新鮮であった。

後半は報告者自身のアルゼンチンなど南米スペイン語圏での活動と13年の滞日経験に基づく発表であった。かつて日本のカトリック教会では必ずしも適切に在日外国人への対応がなされなかったこと。ブラジル社会が奴隷解放から1世紀以上経過しているにもかかわらず、未だに前近代的体質を克服しえずいるということ。識字率の向上が大きな課題である社会の出身者が、日本において「デカセギ」体験することは経済的目的以外にも有意義であること、が指摘された。

来日する 「デカセギ」 は日本文化、習慣など殆ど予備知識無しであるので、日本人社会の中で軋轢を生む事になっている。 いくつかの工場の労働条件は、しばしば劣悪である。故に、仕事場での、厳しい人間関係のみを、日本人全体に当てはめ、恨みを持つ人々も居る。せっかくのこのブラジルと日本の関係を両国の人々の新しく、実り豊かな人間関係に繋がなければならない。

報告者の日程の都合により、帰京のため十分に質疑応答が尽くされなかったことが惜しまれるが、日本社会を再考するよい機会であった。

「日系南米人の子ども達の教育環境~東海地方を中心に~」
松本一子 (愛知淑徳大学)

愛知県豊田市や豊橋市の公立小学校にはじめて日系南米人の子ども達が編入してきたのは、1989年4月であった。彼らは、在日韓国朝鮮人のような定住外国人と異なり、日本語がほとんど話せない子ども達であった。そして、1990年に入管法が改正され、就労目的で来日した日系南米人が家族を呼び寄せたため、子ども達の数は急増し、日本の学校は日本語教育が必要な子ども達を受け入れるための対応を迫られたのである。

近年、帰国後の教育に困らないように母国の教育制度を取り入れたブラジル人学校が設立されることで選択肢が増えたが、日本の学校にもブラジル人学校にも在籍しない子ども達の数も少なくない。

今、日本の学校では、日本語教育から教科教育の指導法に研究対象が広がり、長期的な展望で外国人児童生徒教育を見直そうとする声があがっており、学校と連携して地域でも子ども達を支える活動が始まった。ブラジル人学校では、日本ブラジル人学校連盟を作って経験や知識・情報を交換し、相互援助の活動を目指そうとしているところである。これらの現状について報告を行った。

「日本人の日系人に対する認識とそこからの考察-日本人大学生へのアンケート結果より―」
井下佳子・瀧藤千恵美 (名古屋大学大学院)

愛知県内でスペイン語を学ぶ大学生305名に対し実施したアンケートの結果の一部を以下に報告する。

2.かつて日本が貧しかった頃、多数の日本人が富を求めて海外に移り住んだことを知っていますか?はい:225名 いいえ:80名

3.移住先と思う国名を挙げてください。 (上位5つの国または地域)。 ブラジル:219名、 アメリカ (ハワイ) 83名、 ペルー:76名、アルゼンチン:21名、南米:17名。

4.海外に移り住んだ日本人やその子孫は、日系人と呼ばれ各国で活躍されています。また現在、多数の日系人が日本に滞在しています。その事を知っていますか。はい:247名 いいえ:58名。

5.4の質問で 「はい」 と答えた人のみ答えてください。その情報を何から得ましたか?

a 日系人の知り合いがいる:34名 b 日系人を見かけた:49名 c新聞・テレビから:188名。 d インターネットから:2名

e 学校の授業から:53名。

6.日本に滞在する日系人が主に使っている言語は何語だと思いますか。日本語:101名 英語:52名 ポルトガル語:178名 スペイン語:93名。

アンケートの結果より

パネルB.「ラテンアメリカ政治社会におけるローカル/ナショナル/グローバル:EZLNを中心に」安村直己(司会・東京外国語大学)

本パネルはおよそ50名の参加者を迎え、組織者兼司会の安村からの趣旨説明で幕をあけた。そこではEZLNを中心として昨年来メキシコで展開した政治社会の変動をどのように捉えるべきか、またこれをラテンアメリカという文脈に拡大して考えるにはどうすべきか、という問題提起がなされた。

以下が報告要旨である (文責:安村)。

「チアパスにおける地域社会とEZLN:運動の担い手を中心に」
柴田修子 (同志社大学ほか)

柴田氏は、チアパスの地域社会の中で70年代以来の農民運動と都市ゲリラの協力関係がEZLNの支持基盤を形成していくプロセスについて報告した。そのポイントは、メキシコ革命以後のチアパス高地からのラカンドン密林地帯への先住民の入植、彼らがそこで直面した諸問題に対する政府の無策、その結果としての農民運動の組織化の延長上に、EZLNの成立を位置付ける点にあった。農民運動内部での対立に触れることはなかったが、その点については討論時に問題とされることになった。しかし、地域社会を基盤としてEZLNが成長してきた過程の大筋を提示するという、本パネルの基調報告としての役割は十分に果たした。

「サパティスタ女性発、 先住民女性の権利要求運動」
北條ゆかり (滋賀大学)

北條氏は、 欧米のフェミニズムとの異質性を強調しつつ、EZLNによる女性の権利をめぐる主張の展開について述べた。インディオ女性の要求が先住民運動の大目的を分断し、敵に攻撃材料を与えると非難されてきた現実や、欧米のフェミニズムとは異質でありながら、地域の現実、日々の暮らしに根ざしていることにより、次第に非先住民女性にまで支持者を広げていく過程を指摘したが、それにより柴田氏の報告では触れられなかったチアパスと他州の都市部との関係や運動内部の対立の側面が浮き彫りにされた。

「1990年代ラテンアメリカの社会運動:ローカル/ナショナル/グローバル空間再編成の視座から」
小倉英敬 (国際基督教大学ほか)

小倉氏は、グローバル化の下での新しい公共空間を創出する運動としての共通性をEZLNとラテンアメリカ各地で展開される地域通貨運動に見出し、新社会運動という分析枠組みの下に両者を比較した。地域通貨運動についての説明が長くなり、比較分析が十分に展開されなかったきらいはあったが、かなり詳細なレジュメのおかげもあり、その意図は出席者にも伝わったと思う。メキシコにおける政治社会の変動をその固有性においてのみ捉えるのではなく、広くラテンアメリカ全域における歴史的潮流という視点から相対化してみようとする本パネルの意図を体現した報告であった。

「先住民自治と発展モデル:グアテマラの状況から」
狐崎知己 (専修大学)

狐崎氏は、今年3月のEZLNによるメキシコ・シティまでの行進と大集会の開催をきっかけとしてフォックス大統領、議会、政党の間での交渉が開始され、その結果として先住民の権利を「保障」した憲法改正が行われたが、その中身はEZLNの要求からは大幅に後退したものであった事実と、グアテマラにおける先住民権に対する無関心の間の共通性を指摘した。その上で、フォックス大統領には本気で先住民権を保証する意図がないことを、EZLNによる大集会の当日に彼が公表したプエブラ・パナマ計画の中身に即して説明し、他方でそうした上からの大規模な開発計画に対し、草の根からの発展を目指す国内・国際NGOの活動も変質しつつあり、新たな選択肢を提起しうるかどうかはにわかに判断できない、と述べた。メキシコ政治社会の変動に対する評価は安村と対照的であったが、ローカル/ナショナル/グローバルな連関において両国の情勢を分析する視角は、本パネルの趣旨に合致していた。

コメント 大串和雄 (東京大学)

4報告を受け、大串氏からコメントと疑問が提起された。いずれも各報告の本質を突いたものであり、それらに対する報告者からの応答と合わせ、EZLNとメキシコ政治社会の変動をどのように捉えるべきかという本パネルの趣旨のもつ射程をより多面的にとらえる契機を、報告者・出席者双方に与えることになった。たとえば柴田氏に対する、ペルーの農民運動との比較から、チアパスにおける農民運動はどの程度エスニックな側面を有していたのか、運動の参加が共同体単位であるとしたら伝統的な権威の構造がラカンドンへの入植、EZLNへの参加にいかなる影響を与えたか、 という質問。また、小倉氏に対する、本来先進資本主義社会での新たな動きとしてメルッチらが定式化した「新社会運動」という概念をラテンアメリカに適用することの当否、および適用した場合にはメルッチらの議論を修正せざるをえない諸要素をラテンアメリカの運動はもっているのではないか、という問題提起。司会の不手際で報告者に応答する時間が十分に残されていなかったのが残念であった。

最後にフロアからの質問を受け付けた。 加茂雄三氏から狐崎氏に対し、NGOの変質をもう少し具体的に説明してほしいとの要望が、清水透氏からは柴田氏に対し、プロテスタントの浸透による共同体内の対立とEZLNへの参加・不参加の関連をどう考えるかという問いが出された。狐崎氏は具体的な説明をおこない、柴田氏は今後の研究課題であると返答した。なお、辻豊治・細谷広美・幡谷則子氏からも質問が出されたが、時間の関係上取り上げることができなかった。司会としての未熟を恥じるとともに、3氏にはお詫び申し上げる次第である。

パネルC.「現代メキシコ製造業の研究」柳原透(司会・拓殖大学)

1990年代後半以降、メキシコの製造業はそれまでにない新たなパフォーマンスを示すようになった。この点は、成長率、輸出、新産業の台頭などの多次元にわたって様々な視点から検討される必要がある。例えば、確かに輸出は伸びたが、雇用創出はあまりなかったという指摘もされている。近年の変化の整理・理解が進行中というのが研究の現状である。

本パネルは、 現代メキシコ製造業を3つの角度から分析し、更なる議論の土台を提供することを目的とした。3つの発表の位置付けは、おおまかには以下のようなものである。80年代後半からの改革の結果を、まず第1報告において生産性に着目しながら理解した後、その労働市場との関係を第2報告において整理した。 第3報告では、改革による最大の変化ともされる一具体例を調査することにより、改革が好結果に繋がる要因を検討した (以下文責は柳原)。

第1報告 柳原透 (拓殖大学)

第1報告では、 メキシコ製造業の 「二重構造」 を吟味した。具体的には1988、 1993、 1998年の経済センサス資料に基づいて、企業規模別の労働生産性・全要素生産性の計測結果を報告した。とりわけ、 1988-93年と1993-98年の2つの時期の間で企業規模別のパフォーマンスがはっきりと異なることに注目し、それを説明する上での仮説の提示と、関連資料の検討を行った。

第2報告 受田宏之 (東京大学大学院)

第2報告は、 製造業を支える労働市場を吟味した。種々の統計データの比較対照と、近年までの労働市場研究を整理・吟味し、80年代から製造業が創出した雇用の性格を明らかにした。とりわけ、教育の便益、労働生産性と雇用者報酬についての検討に重点をおいた。これらの検討から、人的資本に対する報酬が不平等化を強めていることがあきらかとなった。

第3報告 久松佳彰 (東京大学大学院)

第3報告は、1990年代中盤から急速に発展しつつあるグアダラハラ市近郊のハイテク電子産業クラスターの発展過程を対象とした。製造組み立てに特化した工場がなぜ多数集積することになったのかについての要因を明らかにし、また、今後の発展にむけて多国籍企業による現地工場に勤める地元経営者が参加している業界団体が産業振興に大きな役割を果している現状を紹介した。94年末からの為替危機による為替レート減価、 整備された交通等のインフラ、安定的な労働供給、エンジニアを供給する複数の大学の存在など、複数の要因が集積の要因であった。今後の発展の焦点として、業界団体が先導し州政府、国際機関等の支援を得て、川上部門である部品製造業者の誘致とソフトウェア産業振興について、専門特化した機関を創設し、現地に進出している多国籍企業が協力しやすいように運営している現状が紹介された。

これらの報告に対し、以下のコメントおよび討議が行われた。製造業の生産性に関しては、生産組織・労働組織の変化、Outsourcingの採用などの経営方法の変化による効果を捉えるべきこと、が指摘された。雇用に関しては、労働時間を検討の対象に含めるべきことが指摘された。産業集積については、クラスターの重層化は容易ではないこと、全体としての在庫管理コストに配慮すべきこと、また部品生産の能力向上にも注意を向けるべきこと、などが指摘された。

第4分科会・メキシコの歴史と先住民共同体(司会:高橋均・東京大学)

考古学・歴史学・都市人類学の立場から、それぞれメキシコ先住民をとりあげた報告がなされた。約30名の参加者との間に活発な質疑応答が交わされた。杉山会員は高度な画像処理技術で作成したスライドを駆使して、ピラミッド内部の六層の建造物や、生贄埋葬墓の遺骸の状況など、豊富な情報を短時間に圧縮した発表が印象深かった。井上会員は17世紀の二人の先住民歴史家を読みこんで、それぞれのアルテペトルへの忠誠心を越えた汎先住民的立場からの叙述の企てが見られることを指摘した。フロアの安村会員との間に緊張した質疑応答があった。田中会員はミチョアカン州サカプに近いある村の農地改革期の村内紛争にオラルヒストリーの手法を用いて接近を試みた。フロアの石井陽一、石井章両会員との間にとくに改革の制度面について質疑応答があった。禪野会員はミシュテカ高地のフィールドの村の、誰もなりたがらない村長の選挙の過程を、参与観察の手法で克明に描きだした。

「メキシコ、 テオティワカンの 「月のピラミッド」におけるイデオロギーと国家:1998―2000年発掘調査概要」
杉山三郎 (愛知県立大学)

当発表はメキシコの古代都市、テオティワカンで中心的モニュメントの一つである「月のピラミッド」に象徴される国家イデオロギーとその政治的役割を研究する総合発掘調査の概要である。日本学術振興会の援助により、愛知県立大学とメキシコ政府研究所との共同プロジェクトとしてモニュメント本体にトンネル発掘を実施、ピラミッド内外部の施設、さらに古い遺構の確認を目指した。その結果7層の建造物が 「月のピラミッド」中心軸上に、それぞれ一時代前の建物を覆うように拡張されてきた事を確認、また時代の異なる三つの埋葬複合体を多くの副葬品と共に発見、当時の国家権力の象徴や宗教的イデオロギーに関する資料を提供する。その改築の歴史は拡大する国家権力を反映すると考えられ、また戦士に纏わる副葬品は国家間の抗争も暗示する。発表はその調査結果を簡単に紹介し、また調査団の意義についても触れた。

「17世紀前半ヌエバ・エスパーニャの先住民記録者に関する考察チマルパイン・クアゥトレワニツィンとアルバ・イシュトリルショチトルを中心に」
井上幸孝 (立命館大学・非常勤)

メキシコ中央部の先住民の記録文書は、従来、作者が属する特定の部族集団に独自の伝統を伝える史料と見なされてきた。本報告では、17世紀前半メキシコ中央部の二人の記録者を取り上げ、彼らが新たな自称「先住民」として、征服以前の伝統とは異なる歴史認識に基づいて記録文書を作成したという側面を明らかにしようと試みた。本報告では、チマルパインの『歴史報告書集』 およびアルバの『トルテカ人とチチメカ人に関する歴史報告書』 と『ヌエバ・エスパーニャの歴史』を対象とし、二人の記録者それぞれに関して考察を進めた。その後、彼らの共通点として、神の摂理を前提としてキリスト教的な歴史観に基づいて征服以前の先住民の歴史を記述した点を指摘した。また、特定部族集団のアイデンティティが希薄である点とその原因を指摘し、メシーカ人という集団の強いアイデンティティを維持している文書 (テソソモクの 『クロニカ・メシカヨトル』) との違いにも言及した。

「メキシコ・ミチョアカン州の 『先住民』共同体ティリンダロにおける農地改革期の村内分裂」
田中雅彦 (大阪大学大学院)

メキシコ・ミチョアカン州に位置する共同体ティリンダロで20世紀初頭に生じた農地改革運動の歴史を、現在の住民が語る農地改革史において重要な位置を占めている村内分裂を中心に、農地改革派・村長・大土地所有者たちによって書かれた資料を利用して追っていった。

村に隣接するこれまで見向きもされていなかった巨大な沼の利用価値が19世紀初頭に「発見」され、同世紀末にはスペイン人が干拓をおこない肥沃な土地を持つアシエンダが突如として出現する。この新しく出現した土地を求める運動がティリンダロでは1910年に先住民指導者セベロ・エスピノサを中心に始まっていたこと、しかし村が一致団結していたわけではないことが史料からも確認できた。

研究者による農地改革史では村内分裂は相対的に等閑視されている。現在の住民による語りの中で占めるその位置との差を史料により補いつつ、語りと史料を付き合わせる作業がさらに必要とされる。

「メキシコ・オアハカ州・サン・マルティンにおける村長選出の過程」
禪野美帆 (慶應義塾大学・非常勤)

メキシコ、 オアハカ州に位置するサン・マルティン村には、現地の人々によって 「カルゴ」 と呼ばれる、 行政的・宗教的役職がある。村人はカルゴを無償で担わなければならず、多大な負担がかかる。それらを誰が担うのか指名するのは村長である。では村長はどのように選ばれるのだろうか。 1998年10月にサン・マルティンで行われた村長選挙の過程から考察した。選挙において次期村長は、本人の都合と関係なく、村人の挙手によって一方的、 強制的に決められてしまう。だからこそ村人は、後に村長によるカルゴへの指名に従うと考えられる。

カルゴの負担から逃れるために村から都市へと移住してしまう者もいる。一方、移住者でも村人としての成員権を得たければ、村役場に献金するといった、都市において実現できるかたちでカルゴを担わなければならない。カルゴは村から移住者を生む要因になり、同時に都市移住者と村を結びつける紐帯ともなっているのである。

第5分科会・教育とアイデンティティ(司会・畑恵子・早稲田大学)

ジェンダー、アイデンティティ、自治という新しい視点からの報告に対して、さまざまな質疑がなされた。浅倉報告は先行研究の結論を再確認するものであったが、丁寧な聞き取り調査によって、新たな生き方を選択した中間階級の専門職女性たちの葛藤も浮き彫りにされた。斎藤報告では、国家と「自治」を求める大学の確執の歴史が明らかにされた。UNAMの巨大化、常軌を逸するストの背景にはこのような歴史があることが理解できた。また質問のなかには、現在の日本の国立大学問題と絡めて、学問の自治と国家の関係を問うものもあった。 牛田報告では、定説と異なり、母語の喪失や英語習得が早いという、メキシコ系アメリカ人像も提示された。エスニック・アイデンティティと地域差や世代間対立、セサール・チャベスの神格化、提案227の影響、ネイティブスピーカーのためのスペイン語教育などをめぐっても、活発な質疑が行われた。また、浅倉、牛田報告には、調査結果をどこまで一般化できるのか、という指摘もあった。

「アイデンティティの変容へ向けて:女性アイデンティティにおける母性の意味―メキシコシティーにおける中産階級の専門職を持つ女性達―」
浅倉寛子 (お茶の水女子大学大学院)

メキシコ社会では、母性概念は非常に複雑な意味を持ち、キリスト教やマチスモ、女性性に関する概念など、文化的要素と非常に強く結びついている。結婚し母になることは、女性の運命と考えられ、母性は、メキシコ女性のアイデンティティの中心軸として機能してきた。しかし、女性の労働市場や高等教育への進出や、出生率の低下が進んでいる現在のメキシコシティーでは、経済力や身体のコントロールを獲得した中産階級の専門職を持つ女性達の間で、自分の意志でパートナーを持たずに子供を産む選択をする女性や、パートナーの有無に関わらず子供を産まない選択をする女性など、伝統的人生様式に対抗する、新しいアイデンティティを構築する女性が現れてきた。しかし、これらの女性達は社会が創り上げた女性性の表象から決して自由ではなく、社会的アイデンティティと主観的アイデンティティの間における、ジェンダーの葛藤というものを常に経験している。

「メキシコ国立自治大学における"nacional" と "autónoma" の葛藤」
斉藤泰雄 (国立教育政策研究所)

メキシコ国立自治大学は、メキシコ革命の勃発直前の1910年に旧体制派の知識人によって設立される。このため革命国家の誕生の直後から、国立大学と政府との間で、相互不信と反目の歴史がはじまる。大学は、できる限り国家から距離を置こうとして 「自治」 を模索するようになる。1929年大学組織法によって、部分的な自治が付与される。しかしながら、大学の混乱は続く。革命政府が推進しようとする事業への大学人の無関心と非協力的態度、政権の安定性を脅かしかねない学生運動に業を煮やした政府は、1933年、大学の完全自治制= 「ナショナル」 の称号の剥奪、年次補助金の廃止という強行策を打ち出す。大学は存亡の危機に瀕する。やがて両者の歩み寄り、和解が模索されることになる。こうした歴史的経緯を経て、1945年に現行の 「メキシコ国立自治大学」の名称と法的地位が確立されることになる。

「メキシコ系 (チカーノ) 学生のエスニック・アイデンティティ―カリフォルニア大学におけるアンケート調査の結果から―」
牛田千鶴 (鈴鹿国際大学)

カリフォルニア大学デーヴィス校およびロサンゼルス校でチカノ・スタディーズ・プログラムの講義を受講する学生たちを対象に行ったアンケート調査をもとに、メキシコ系 (チカーノ) 学生の言語維持状況・家族や友人との関係・居住環境・価値観・習慣などについて分析し、彼らの文化変容の度合とエスニック・アイデンティティのあり方を探ってみた。その結果明らかとなったのは、文化変容の進行が緩慢で、強いエスニック・アイデンティティを保持していることであった。集住傾向が高く住み分けが顕著であるため、コミュニティの文化的独自性が維持され易く、被差別民族集団であるという意識が、共通のエスニック・アイデンティティによる絆を一層深めている。しかしその一方で、母語の喪失と主流言語 (英語) の習得は、他の移民マイノリティ集団同様、 比較的早い時期に生じている。「外国語」として母語の学習・回復が行われているという事実も、興味深い発見であった。

パネルD.「グアテマラ--和平合意後のゆくえ--」池田光穂(司会・熊本大学)

本パネルでは1996年末のグアテマラ政府と左翼ゲリラ組織 (URNG) の和平合意後におけるグアテマラ社会が直面している諸問題をとりあげ、政治学、文化人類学、 歴史学などの研究アプローチが、どのような解法を提示でき得るのかを検討した。

ポスト和平合意のグアテマラ社会が抱える問題とその克服のための課題は、おおよそ次の4点に集約することができる。(1)内戦で疲弊した経済的状況の改善あるいは経済の再構築という課題。(2)虐殺の記録=記憶を取り込みながら、どのように国家を再建してゆくかという国民統合に関わる課題。 (3)国民の多数を占めているにも関わらず、内戦時代にはさまざまな形でその生存権が脅かされていた先住民族の社会参加や開発およびアイデンティティの復権という課題。(4)内戦時代に反国家分子と認定されていた左翼ゲリラの政治活動の合法化ならびに彼/彼女らの国家再建への参入をめぐる課題、である。

このような一連の課題に対して、パネラーのそれぞれの専門領域から解法にむけての発言がなされた。ラテンアメリカのある地域問題への取り組みを通して、既存の学問領域では取り扱われてこなかった新たな学問上の課題を約40名の参加を得たフロアからの意見参加を交えて、十分とは言えないまでも、検討することができた (文責は、 以上池田、以下各報告者)。

報告1 池田光穂 (熊本大学)

内戦時を想起する人びとの語りを中心に政治的暴力の社会的効果についてつぎの3つの点に焦点をあてて考察した。すなわち(1)人びとが受けたトラウマとその語りが生みだすもの、(2)人びとが生きることに与える意味とその変容、 (3)政治生活における保守化の動向を説明すること、である。そこから現在の我々が学んでいることは、苦悩の語りが、徐々に多様性を失い、紋切り型に整理されつつあり、それに関する人びとの感性の馴化がおこりつつあるという実態である。トラウマの語りをふくめた、人びとの語りの多様さ、個別化を保証しながら、繰り返し想起する基盤づくりの重要性である。そのような想起行為こそが当事者と局外者との脆弱な連帯をより強固なものへと展開させる可能性をもつことを提案した。

報告2 狐崎知己 (専修大学)

狐崎報告では、グアテマラにおける二つの真相究明活動 (CEHとレミー) の意義と特徴ならびに限界が、国際比較を通して明らかにされた。真相究明活動の意義として、(1)人権侵害の公的認知、(2)犠牲者の名誉回復および補償、(3)訴追の根拠提供、(4)制度改革への勧告が一般に指摘される。グアテマラのレミー(『歴史的記憶の回復プロジェクト』) においては、以上の諸点に加えて犠牲者のトラウマからの回復とコミュニティの再建を目的に草の根レベルの試みが続けられている。だが、関係者の殺害や脅迫が続いており、犠牲者の安全とコミュニティの信頼・協力をベースとする和解への道は程遠い状態にあり、国際的な支援が欠かせないことが強調された。

報告3 飯島みどり (立教大学)

和平協定発効後、武装放棄したURNG (グアテマラ民族革命連合) ゲリラたちはどのように「社会復帰」しつつあるのか。武装闘争の有効性云々とは別に、経験としての内戦を否定することができない以上、内戦の最たる当事者であった彼らの去就は、和平の内実を測る重要な視角を成す。本報告では、URNG側が実施した調査と報告者の聴き取り調査に基づき、社会復帰過程の現況および除隊者のアイデンティティをめぐる考察を試みた。除隊者5千名余の7割が自らをマヤ系エスニシティの裡に位置づけている結果は、武装闘争と先住民の主体性を改めて問うに足る数値と言えよう。一方、出身共同体に戻るのではなく元ゲリラの同志たちと新たな共同体建設に踏み出した者も少なくなく、彼らのエスニシティ意識が今後どのような発展を遂げてゆくかは、「多民族・多言語・多文化」を掲げる和平後のグアテマラが、さらに政治性をも組み込んだ地平で個々人に許容しうる新しいアイデンティティの緒を開くのではないか。今後も追跡してゆきたい。

報告4 太田好信 (九州大学)

本発表では、 90年代から隆盛してきたグアテマラにおける「マヤ運動」が、和平合意後のグアテマラを民主国家として建設するプロジェクトに、どのように貢献をしうるか、その可能性を考察した。マヤ運動は左翼大衆運動からは階級的団結を弱体化させるもの、保守派からはグアテマラ国家を分裂に導く要因として排斥されてきた事実がある。マヤ運動にたいするこれらの批判は、90年代後半米国でのマルチカルチュラリズムへの反動があらわになってきたことと対応している。メンチュウをめぐる一連の論争がその例である。これらの動きにたいして、マヤ運動は分離主義ではなく、サバルタン的地位からグアテマラを平等な社会として想像するイマジナリーと不可分であることを本発表では主張した。その論拠は理論にあるのではなく、むしろ実際のマヤ運動の一つの活動 (バイリンガル教育) の中での主張を解釈することから生まれる。

コメント 八杉佳穂 (国立民族学博物館)

同じ民族が、かたや軍に、かたやゲリラに身を投じ、同じ民族を虐殺、弾圧してきた。 真相究明活動は加害者を罰することはできなかったが、その活動は恐怖の支配に対する予防になるだろう。加害者からの記録が得られるなら、それはもっと優れた予防になろう。悲惨な歴史を語ることは、 少なくとも被害者の癒しとなっている。社会秩序を守るべき軍と警察に対する不信、インディヘナとラディーノの間の相互不信、不信に満ちた社会で、信頼できるものは力、金、そして親族だけである。 先の選挙では、グアテマラ国民は、すべてを承知で、援助や利益を誘導できる力を持つ支配者をまた選んだ。我々は民主主義をあたりまえのこととして議論しがちであるが、国民の選択は、その前提を考え直す必要があることを教えている。 36年にわたる内戦で、彼らは暴力では社会を変えられないことを学んだ。社会変革の大本は教育である。いま多言語、多文化社会における国家100年の計が始まったとみたい。

パネルE.「文書化と文化変容--ボリビアの先住民社会を中心に」斉藤晃(司会)

本パネルは、 西欧との接触以降のボリビアの先住民社会において、文書という思考・伝達・表現の道具が拡大・浸透し、その文書との関係で社会が変容していく過程を、具体的事例に基づいて解明することを目的とした。

文書化の過程は、文書管理技能を備えた一定数の個人の存在に加えて、その文書を信頼し、それに基づく行為を正当とみなす共同体の成立を前提とする。中村による冒頭の概論では、文書と社会の関係を考察するうえで有効な理論的枠組みが示された。それに続く3つの報告では、宗教、司法、職業訓練の各分野において、文書に基づく新たな社会関係が形成される際の技術的要件、阻害要因、波及効果などに焦点が当てられ、具体的事例の分析が行われた。

質疑応答では、先住民言語のアルファベット表記、司法闘争における指導者の社会的地位、NGO活動における現地社会との関係など、多彩なテーマが取り上げられ、議論が深められた。

「文書化の諸相」
中村雄祐 (東京大学)

本報告では、「文書化」すなわち「文書という道具の増大・普及、それに伴う個人、社会の変容」の過程を考察するための基本的な枠組みの検討を行った。まず、 文書を 「図、数字、文字など、視覚的な 『記号』 が記された平らな面 (=書面) を持つ人工物」 と定義し、新石器時代以降の文書化の過程を様々な先行研究を参照しつつ、以下のような順番で概観した。(1)書面を構成する諸要素 (図、数字、文字) の小史、(2)書面上の表現の複合性と汎用性、(3)文書のライフサイクル―記録・保管・参照 (・・・廃棄)、(4)文書管理技能、文書共同体、文書化。

「印刷から写本へ―イエズス会ミッションにおける宗教教育と文書―」
齋藤 晃 (国立民族学博物館)

本報告は、新大陸の先住民に対するキリスト教の布教において文書が果たした役割を解明するとともに、宣教師が持ち込んだ文書への先住民の対応を再構成することを目的とした。具体例は、モホス地方 (現ボリビア共和国ベニ県) のイエズス会ミッションである。

対抗宗教改革において、活版印刷術は唯一公式のテクストの確定を通じて典礼を統一し、宗教的正統性を確立する役割を果たした。 新大陸でも、印刷された典礼書や教本は、画一化された儀礼的言語行為の確立に貢献した。他方、 1767年のイエズス会追放後、典礼書は先住民の手で筆写され、継承されるようになった。その過程で、情報が取捨選択され、典礼は次第に独自性を帯びるようになった。

活版印刷術が典礼の画一化とともにその形骸化を招いたのに対して、写本という文書管理形態は、典礼の自発的な変化と適応を促し、現在のモホス地方に伝わる独特の宗教文化の発達に貢献した。

「カシーケ運動の司法闘争にみる先住民社会と文書」
吉江貴文 (民族学専攻)

本報告では、20世紀はじめにアイマラ系先住民を中心に起こったカシーケ運動の分析を通し、土地所有の正当性をめぐる司法闘争のプロセスにおいて先住民が文書との関係をどのように築いていったのかを明らかにした。

元来、文書よりも身体的記憶に高い信頼性をおく文化をもっていたアイマラ系先住民社会は、19世紀末に生じた土地収奪と司法制度による囲い込みを契機として文書化への対応を余儀なくされる。そうした中、植民地時代の文書記録を出自として起こったカシーケ運動は、慣習法的規範をいかにして文書世界の論理と対立しない形で司法制度の枠内に持ち込むかを模索したという点において、身体的経験に基づく文化が文書化の流れに一方的に飲み込まれることなく生き延びる可能性を見出そうとした運動であったといえる。本報告では、こうした文書世界との衝突によって生じた先住民社会の葛藤について、当時の裁判記録をもとに具体的な分析を行った。

「職業訓練工房における機能的文書管理の試み」
中村雄祐 (東京大学)

本報告では、報告者が1999年以来、スクレ市近郊の移民地区の職業訓練NGOと共同でケチュア語・スペイン語二言語使用者を対象に実施している機能的文書管理導入に関するアクションリサーチの中間報告を行った。

報告の構成は以下の通り。(1)20世紀のボリビアにおける先住民教育の概観、(2)現在の識字学習法の実際、(3)編物クラスにおける機能的文書管理―Action Researchの試み、(4)調査の概要、(5)調査開始当時 (1999年8月頃) の編物クラスの文書管理状況、(6)文書管理エクササイズの導入、(7)中間報告―2001年3月時点。なお、当調査プロジェクトは2001年中に終了する予定である。

招待パネルI Globalización como ideología(司会・松下マルタ・神戸大学)

El simposio se inició con la exposición del Dr. Hugo Biagini, cuyo análisis senaló la falta de neutralidad y las vinculaciones con intereses puntuales cuando se trata el tema de la globalización, intereses a los que identificó con el capitalismo tardio, la burguesía financiera, los países centrales y las transnacionales, y la necesidad de enfocar a la globalización en el marco institucional generado por el neoliberalismo. Ante lo que considera como resultados desvastadores del sistema, mostró como elementos positivos la globalización de la justicia y la sociedad civil, junto a algunos movimientos alternativos en cuya dinámica atribuye a la juventud un papel dominante.

El Prof. Yasuhiro Koike definió a la ideología antiglobalización de Cuba en sus tres dimensiones, de oposición a la reestructuración del mercado mundial, la universalización del criterio de democracia y derechos humanos, y la imposición en lo cultural del sentido de valores norteamericano. Como factor actuante en la política interna e internacional cubana, el pensamiento antiglobalizante funciona a un tiempo como ideología y como estrategia para sustituir al marxismo-leninismo.

El Sr. Shin Yasui se refirió a la transferencia intelectual en un contexto de hegemónia ideológica norteamericana, tomando como casos el de Chile y el de Indonesia, como ejemplo de una opción neoliberal pura en el primero, y una variante con notas proteccionistas el segundo.

La coordinadora Dra. Marta Matsushita puntualizó la poca importancia que suele darse al aspecto ideológico de la globalización, resultado de su identificación con un neoliberalismo que proclama la muerte de las ideologías, y el carácter esencial del fenómeno como una invasión del "espacio local" por el "espacio global". Sus comentarios apuntaron al carácter de ideología totalizadora que posee la globalización, poniendo en tela de juicio la presunta perdida de dinamismo del estado, al que atribuyo, por el contrario, un marcado dinamismo en la función que el neoliberalismo le atribuye de desmantelar el estado de bienestar. Los comentarios de la audiencia orientaron el diálogo al tema del nuevo rol del estado, las soluciones alternativas, y el papel en el proceso de algunos fuerzas específicas, como la Iglesia Católica.

招待パネルII「20世紀のラテンアメリカの経済発展を回顧して」(司会・田中高・中部大学)

パネルの企画 (テーマ) が大きすぎたためか、それぞれの報告の間に必ずしも十分な関連がなく、密度の高い議論ができないのではないかと当初危惧したが、コメンテーターからラテンアメリカ経済発展のフレームワークの紹介もあり、活発な討論が展開できた。会場からは時間一杯の質問があり、司会の不手際で時間切れとなってしまい、反省している。

"Economic Development of Latin America in the Twentieth Century"
アンドレ・ホフマン (国連ラテンアメリカ経済委員会:ECLAC)

The presentation by Hofman about Latin American Economic Development in a comparative and historic perspective consisted, on the one hand, of a very long historic view of economic growth in the world and, on the other, of an evaluation of recent economic developments in the Latin American region.

The long perspective, based upon Angus Maddison (2001), The World Economy - A Millennial Perspective, presented economic growth per capita from 0 to 1998 in a world perspective. Angus Maddison is the founder of the Groningen Growth and Development Centre of which Hofman is a member.

More recent developments in Latin America were based upon Hofman's recent book; The Economic Development of Latin America in the Twentieth Century (2000), published by Eward Elgar. The author stresses the role of technological advance and the setting up of a stable institutional framework in Latin American economic development. His quantitative approach compares Latin American development with other groups of countries; advanced countries like the USA, UK and Japan, but also Korea and Taiwan and Portugal and Spain among others.

Finally, Hofman, who works at the United Nations Economic Commission for Latin America and the Caribbean, gave some insights of economic growth in the 1990s, the role of the economic reforms and perspectives for the first years of the new millenium.

(要約:田中)

「アルゼンチンの民営化」
竹内恒理 (つくば国際大学)

Andre Hofman氏の基調講演に対して、100年という長いタイムスパンでの20世紀のラテンアメリカ諸国の経済成長の推移を様々なデータにより分析する手法は極めて興味深い点であることをまず、指摘した。その後、アルゼンチンの場合にも長いタイムスパンでの経済成長の軌跡を辿ることが有効であるとした上で、1980年代末から本格的に着手された国営企業の民営化という現象がアルゼンチンの政治経済体制と如何なる関連があったかにつき、1950年代以降の国営企業の役割とその衰退の原因に関して論じた。アルゼンチンにおいては、輸入代替工業化の行き詰まりと国営企業の非効率性が根底に横たわっていた状況に加え、ペロニズムという政治体制における国家の労働者に対する過剰なまでの保護と外資の排除の帰結の延長線上に民営化という選択肢を選ばざるを得なかった経緯について報告した。特に電信電話公社ENTelの民営化の事例を取り上げ、同公社の民営化が政治的圧力のもとでそのプロセスが余りにも早急であり、しかも資産売却の際の入札過程が不透明であった点など民営化にあたっての他国の教訓となるケースであった点を力説した。

"Crísis cambiaria y financeira en América Latina"
安原毅 (南山大学)

メキシコ、アルゼンチン、ブラジルにおける為替アンカー型インフレ対策を検討し、通貨危機を金融不安定性として分析する。外資流入・外貨準備を確保するための実質高金利は必然的に設備投資の減退をもたらすが、一方で計量分析の結果証券指数の変動から設備投資に対して正の相関関係と有意な因果性が検出される。こうして相反する要因が投資を規定する上に、銀行部門の競争から貸出しは急速に増加し、生産活動と資金需給、預金形成、資産保有等の間の安定的均衡が消滅するところから金融不安定性が発現する。こうして通貨・金融危機の局面においては金融不安定性は不良債権の増加と設備投資の急減となって現れる。さらに注目すべき点として、99年以来為替切下げとインフレ率上昇との間の相関関係は低下しており、このことからも為替過大評価政策が限界に達していることが伺われる。

コメント西島章次 (神戸大学)

21世紀を迎えたラテンアメリカ諸国は何を経済発展の主軸とすべきか、それを探るために20世紀の発展過程を回顧し新たな方向を見極めようというのがコーディネーター田中氏の意図であったと考えられる。招待者のホフマン氏はまさに長期的観点からのラテンアメリカの展望を報告され、竹内氏は民営化について、安原氏は通貨危機について報告された。これら報告に対して、技術的な点を除いて基本的に異論は無く、議論を補完する意味で、主としてラテンアメリカの過去1世紀を回顧する上で有効であると考えられる視点を提示した。具体的には、国家と市場、保護主義的か市場志向的か、権威主義体制か民主体制か、ガバナンスとガバナビリティーなどをキーワードにラテンアメリカの発展パターンを類型化することで、結論的には市場志向的戦略が必然であるが、同時に望ましい結果を得る為にはガバナンスとガバナビリティーが前提となるということであった。

シンポジウム "América Latina ante el Nuevo Milenio"「ラテンアメリカの新世紀」(司会・二村久則・名古屋大学)

ちょうど新しい世紀と千年紀の始まりである2001年に開かれる全国大会を記念して、本シンポジウムでは、ラテンアメリカの来し方を振り返り行く末を望んでみようという趣旨で表記のようなテーマを設定した。問題が余りにも多岐にわたることを防ぎ、できるだけ実りある議論をするために、イシューを5つにしぼって各パネリストが報告を行なった。それぞれの報告要旨は以下の通りである。質疑応答では、話題がタイムリーだったせいか、おもに地域経済統合問題に質問が集中し、FTAAがラテンアメリカ社会、とくに農村や先住民社会に及ぼす影響、FTAAとGATT・WTOとの相互作用、 FTAAに対する米国の戦略的な狙いは何か、などについて議論が戦わされた。このほか、教育、先住民、イデオロギーの問題についてもいくつかの質問が出され、現在この地域で何が優先的な課題とされているのかが反映されたシンポジウムとなった。

「米州における地域経済統合化の行方」
武部 昇 (鈴鹿国際大学)

米州における地域経済統合化の動きは、新世紀に入り米州自由貿易地域 (FTAA) の形成に向かって急速に足並みがそろってきた。これはNAFTA方式の自由貿易地域を南北アメリカ地域 (the Americas) に拡大しようとするものである。ラテンアメリカにおける地域経済統合の再活性化の動きは、米国のイニシアティブにより1990年代に入り顕著になった。その狙いは、ラテンアメリカにおけるネオ・リベラル化を後戻りさせないというロック・イン効果である。しかしながら、2005年中に成立を目指すその交渉は、期限内に無事に終了するか否か予断を許さない状況である。米州における新しい地域経済統合は、新世紀のラテンアメリカにとって新しい開発の局面をもたらすものであり、その開発と協力の分野に関連するもの全てに新しく挑戦すべき課題を突き付けているのである。

「大学の危機と未来」
斉藤泰雄 (国立教育政策研究所)

1950年代ぐらいまでのラテンアメリカの大学は、社会的エリートの養成・再生産を担う特権的機関として安定した地位とイメージを確保してきた。しかし、最近30年ほどの間に大学を取り巻く状況は急速に変貌をとげ、それに伴いさまざまな危機論が出現してきた。70年代の急激な量的拡張によるマス化の危機、軍事・独裁政権の下での大学の自治の危機、80年代の経済危機に伴う大学財政の危機、 90年代のグローバリゼーションの進展による大学の質=国際競争力の危機などである。このため、■ 高等教育システム全体の調整・方向づけを行う組織の設置、自治の見直し、大学運営の効率化、 産業界との連携の強化、■ 教育の質の維持向上の努力、大学院の拡充、学業成績の学部評価システムの導入、■ 財政方式の改革(資金調達源の多元化、 傾斜的資金配分)、■ ラテンアメリカ圏内での知的相互交流の拡大、資格・免許の標準化、などが直面する改革課題となっている。

「イデオロギーの役割」
Bernardo Astigueta (上智大学)

第一に、意識現象としての、ベーコンの認識論的な概念から、マルクス・レーニン主義による現状維持の手段としての知的体系まで、哲学史に沿って、イデオロギーの意味と役割をみた。特に後者の否定的な捉え方からイデオロギーの現代的な理解への影響を指摘した。そして、イデオロギーとユートピアとを対比した。第二に、90年代以前のイデオロギー、即ち西洋・キリスト教的資本主義対マルクス主義・無神論的社会主義 (共産主義) との対決を取り扱った。そのなかで、自由主義対解放主義 (解放の神学・哲学など) のイデオロギーの対立という点を挙げた。 第三に、ベルリンの壁が崩壊した後の状況を取り扱い、イデオロギーとしての「新世界秩序」とグローバリゼーションについて述べた。結論として、ネオリベラリズムのイデオロギーが現実と同一化し、その社会的役割と現実に対する批判的立場を喪失したことによって無関心 (in-diferencia) を生みだしたという現状を説いた。

「言語とアイデンティティ」
青木芳夫 (奈良大学)

今回の報告では、先住民言語を中心に考察した。先住民条約として知られるILO第169号条約の批准14カ国のうち10カ国がラテンアメリカ諸国であり、憲法やその他の国内法のなかで、文化的・民族的多様性や言語・異文化間教育が謳われるようになりつつある。同条約では、母語による識字化とともに公用語の能力開発も先住民子弟の権利として認められている。ペルーもまたそのような国のひとつであり、1993年憲法ではケチュア語やアイマラ語やアマゾン諸語を地域的な公用語と規定し、近年では言語・異文化間教育が初等教育6年間の間ながら正規の教育として農村部で実施されている。最後に、アイデンティティとしての言語についてみれば、たとえスペイン語を話すようになったからといって先住民としてのアイデンティティまでも失ったわけではないことに留意しなければならない。つまり、スペイン語化というよりも多言語化という、一種の多重化現象として理解されるべきなのである。

「人間・文化・情報」
志柿光浩 (東北大学)

与えられた課題を「人口・言語・インターネットに関する予測データから何が言えるか」という問いに読み替えて各種の予測データを紹介した。ラテンアメリカ・カリブ地域の人口は、2050年には8億人にまで増大すると予測されており、人口が減少するヨーロッパを凌駕することになる。米国においては、今後100年間で6億人弱にまで倍増すると見られる人口増加の大部分がヒスパニック人口の増加に帰せられている。これらのことはスペイン語の重要性にも当然反映し、21世紀中葉の人類社会においてスペイン語は、 英語、 中国語、ヒンディー語、アラビア語にならぶ大言語となることが予測されている。インターネットの領域での中長期の予測は困難だが、当面ラテンアメリカ・カリブ地域でインターネットの使用が急速に拡大することが確実視されている。最後に、学会としてもこれらのことを踏まえて日本におけるラテンアメリカ・カリブ地域研究とスペイン語・ポルトガル語教育の拡大に向けて広くアピールしていくことを提言した。