第23回定期大会(2002) 於:慶應義塾大学

記念講演

"La importancia de la historia regional para los estudios latinoamericanos:El caso de Chiapas, México" (要旨)
講演者:Dr. Jan de Vos
(Centro de Investigaciones y Estudios Superiores en Antropología Social, México)

メキシコ、チアパス州のラカンドン地域の地域史研究者として世界的に著名なデ・ヴォス氏は、30年にわたる同地域の歴史研究と先住民社会との接触の体験を踏まえて、研究者と研究対象、地域史研究の可能性、文書史料以外の史料への接近などの問題につき、極めて具体的な話題を提供しつつ、幅広い問題提起をおこなった。

他者世界に接近する際に、われわれ研究者に可能なことは、「その世界の周囲を繰り返し逡巡し、その現実をより的確に把握すること。そしてさらに、みずからの内に、価値観の変化を感じ取ることではないか」 という。

当然そこで、われわれが扱うべき史料が問題とされる。とりわけ基本的にオーラルな伝統・口承を基礎に生きてきた先住民社会の歴史に接近する際、文書史料とともに、記憶として保持された過去としての口承伝承、語りとしてのオーラル・ヒストリー、壁画をはじめとするモニュメンタル・ドキュメント、さらに、祭り、儀礼といったリチュアル・ドキュメントにも積極的に接近する必要性を説く。こうしたさまざまなドキュメントへの接近を通じて、われわれは、既成アカデミズムの「不快な角に、丸みを帯びさせること」 が可能ではないかと主張する。

一方、地域史の可能性について氏は、一国史に代表される従来の歴史学のあり方を基本的に 「首都からのまなざし」 だとして批判する傍ら、地域史研究は、研究者に現実との対面を迫ると述べ、地域の現実の歴史への探索なくして、マクロな歴史には到達できないはずだという。つまり、一国に包摂された各地域、各社会集団の特異性と歴史的現実に目を向けること、これこそが、地域史の果たすべき役割なのではないかと述べる。

また、1950年代より世界的な規模で展開しつつある 「処女空間」 への人間の入植と自然破壊といった問題に象徴されるように、地域史のもつ普遍性への言及も忘れなかった。

清水 透 (慶應義塾大学)

第1分科会《人の育成/社会の変容》
司会:西島章次 (神戸大学)

「人の育成/社会の変容」と題した分科会1は、4本の報告があった。第1報告 (斉藤泰雄氏) はメキシコの研究者支援策を論じたが、評価システムなど今日のわが国の大学改革にとっても示唆深いものであった。第2報告 (三輪千明氏) はチリのケースで教育効果に関する計量的研究を行なったもので、改善の余地はあるものの今後優れた研究となる可能性を秘めている。第3報告 (原田金一郎氏) はペルーでのフィールドワークに基づき、貧困と精神文化という新しい研究領域を提起する報告であった。第4報告 (新木秀和氏) はガラパゴス諸島についてその特異性でなく社会的観点から分析する必要性を問うた報告であった。全体のコメントとしては、重要なテーマを掲げた分科会であったが、必ずしもその意図に沿ったとは言えない報告が見られたことや、25分の報告、10分の質疑では十分な議論ができなかったことが悔やまれる。

「メキシコにおけるアカデミック・プロフェッション支援策 -国家研究者システム (SNI) を中心に-」
斉藤泰雄 (国立教育政策研究所)

SNIとは、大学教授・研究員などの研究業績を国家が評価し、選ばれた者に 「国家研究者」 の栄誉称号を与えるとともに、等級に応じて通常の給与に上乗せする形で、毎月かなりの額の報奨金を授与するという研究者優遇策である。このシステムは、80年代の経済危機の中、優れた研究者が外国に 「頭脳流出」 するのを抑止するために緊急避難的な措置として導入された。個々人の研究業績を体系的に評価し、その結果を基に研究者の身分・待遇の差別化を図るというその理念とメカニズムは、メキシコの高等教育界・学術界に 「評価の文化」を植えつける契機となった。経済危機克服の後も、この制度は継続し、メキシコ学術界に定着しつつある。SNIは、メキシコにおけるアカデミック・プロフェッションの中核的部分を形成する上で大きな役割を果たしている。1999年の改正では、審査基準の拡大、専門分野の細分化、評価への異議申し立て・再審査請求などを導入した。

「基礎教育の質的向上における学習過程の重要性-チリの低学力校の分析から-」
三輪千明 (名古屋大学大学院)

本発表は、ラ米諸国の優先政策課題となっている基礎教育の質の向上には、どのような課題があるのかを、チリの事例を用いた統計的分析を通して探ることを目的とした。特に、質の問題が最も深刻な低所得地域の学校に的を絞り、過去の研究から効果的と判断されてきた投入を受けたにもかかわらず学力改善を果たせない学校群に着目した。発表では、最初にチリの全国学力検査結果を用いて、これらの学校群の存在を確認した。その後、発表者による現地調査から得たデータをもとに、改善を果たした学校群とそうでない学校群の違いを、学習過程、学校運営 (人的、組織的)、学校と家庭との関係の各領域で調べ、さらに各群を決定する要因を探った。結論として、基礎教育の質の改善には、教員が習得する新たな知識を如何に教室内での確実な実践へとつなげるかが中心的な問題であり、それを可能にするような学校運営や家庭との関係づくりを進める必要があるとした。

「ビジャ・エルサルバドル精神衛生共同体センター -周辺社会における貧困と精神衛生-」
原田金一郎 (大阪経済法科大学)

1987年ペルーのビジャ・エルサルバドルに創立された精神衛生共同体センター (CECOSAM) は、1999年までに3万9641人の患者を無料で治療した。その6割は11歳以下の子供である。元スラムであるビジャ・エルサルバドルにおいてセンターの果たした役割は大きい。貧困社会における精神衛生について既成の経済学は無力である。「モノの経済学」ではなくて 「ココロの経済学」 が必要とされているのである。この点について報告者はいまだ確信はない。ただ保健と教育の重要性については言及しておきたい。この領域における国際協力が望まれるゆえんである。

「ガラパゴス人間社会の変容-サンタクルス島を中心に」
新木秀和 (神奈川大学)

ガラパゴス諸島については、珍しい生物と生態系が注目される一方で、そこに人間が居住し 「社会」 を営んでいる現実が看過されがちである。エクアドル本土との関係を考慮しつつ、ラテンアメリカ研究と接合する試みも必要だが、そうした研究はあまり行われてこなかった。そこで、住民人口が最も多く変化が激しいプエルトアヨラ (サンタクルス島の港町、1998年の統計で諸島全人口1万6083人のうち7836人が集中) を中心に 「人間社会」 の実相を分析し、その特徴を指摘した。まず移住史に注目しながら社会の形成過程を概観したうえで、ガラパゴス特別法 (1998年) 前後の状況を中心に、1990年代における社会変容の内容を検討した。また社会統計 (人口動態、生業形態、教育状況など) の分析によりサンタクルス島の社会状況と居住・生活の問題をまとめた。このように見ると、ガラパゴス諸島は孤立した空間ではなく、観光や居住にともない人や物資や情報が内外を移動するネットワークの場であり、「地域」 として捉えうる対象だと言えるであろう。

パネルA  「先住民の社会経済発展に関する事例研究」
コーディネーター 柳原 透 (拓殖大学)

本パネルの目的は、3ヶ国4件の事例研究を通して、先住民の社会経済発展の諸相にミクロの視点からアプローチし、そこで示された理解や提起された問題を研究および政策論の展開の中に位置付け、さらなる検討課題を明らかにすることであった。多くの会員の参加を得て、多数の有益な質問・コメントをいただいた。各報告に即しての現状と課題の理解、分析方法および結論導出の適切さ、政策含意の検討などにつき質疑を行った。討議の時間が十分に取れなかったことが惜しまれた。

以下、各報告の要約を掲げる。なお、論文、発表資料、関連資料は以下の Web Site で閲覧およびダウンロードすることができる。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/9844/tyana3.html

「1997年先住民地域雇用調査の分析」
受田宏之 (日本学術振興会)
久松佳彰 (東京大学)

メキシコの先住民居住地域を対象とする家計調査から得られたデータを用いて、先住民と非先住民との間の所得格差が、教育、職業、雇用形態といった(原理上)変更可能な要因により約80%は説明され、「先住民であること自体」 は約20%の説明力を持つとの結論を得る。この報告は、データの適切さと分析の厳密さを可能な限り追究した上で最も妥当とみなしうる結論を得ており、「先住民問題」 の経済学分野での研究の進展に貢献をなしている。政策上の含意としては、「先住民」 のみを対象とする施策よりも、教育、労働、産業といった一般政策の分野で先住民の立場の改善を図ることが重要である、との見解が示された。次の課題として、「先住民であること自体」 による不利を生み出す要因とメカニズムの解明と、貧困政策(PROGRESA)との関連が指摘された。

「職業訓練工房における機能的文書管理の試み」
中村雄祐 (東京大学)

本報告では、先住民の社会経済発展のための必要条件として識字技能が強調されるのに対して、実際の場で意味を持つ記録・通信・保管・参照能力 (「文書管理能力」) の獲得の必要を重視し、「文書での文字、数字、図の組み合わせ方」 と 「文書という道具の使われ方」 に焦点を当てて、多面/多層にわたる能力強化の構想を示した。ボリビア、スクレ市近郊の編物教室の事例に即して、特定の文脈での能力の獲得が、より一般に適用可能な能力の形成・強化に貢献し、異なる文脈での能力獲得を促進する、というシナリオを提示し検討した。主な知見と含意として、識字技能や学校教育が 「文字偏重」 を生み実践能力の形成にはマイナスの影響を及ぼしかねないこと、逆に実際の場での能力形成の自覚が識字や学習への意欲を高めうること、そして、日常生活とは無縁な 「文書サイクル」 の習得には継続した支援の体制が必要とされること、が提起された。

「エクアドル高地農村部における 『家計戦略』 の事例研究」
野口洋美 (東京大学大学院)

報告は、エクアドル高地農村部での事例を踏まえて先住民農民組織の発展の条件を示すことを目的とした。フィールド調査による家計レベルの情報に基づき2つの基礎農民組織の比較を行い、組織活動への家計の参加に影響を及ぼす諸要因を確認し、組織活動が持続し発展するための条件を示した。調査対象の2組織は、いずれも経済目的で新たに形成されたが、設立以来の経緯、階層別経済活動、組織活動の実際といった面では大きな違いがあり、組織の存続・発展の見通しについては対極にある。考察は、家計と組織との関わりに焦点を当て、「家計戦略」 の分析枠組に即して組織活動のベネフィット (経済面の機能)とコスト (事前と事後の 「取引費用」) が階層によっていかに異なるかを示し、階層の異なる家計間での利害の違いを浮き彫りにした。結論として、組織が存続・発展するには成員家計の選択肢を広げ制約要因を緩和するよう機能する必要があることが示された。

「コミュニティ博物館活動と外部支援団体との関係」
小松万姫 (東京大学大学院)

メキシコの先住民地域 (オアハカ州) における村落レベルでの文化活動/社会運動として注目されているコミュニティ博物館について、外部支援団体との関係に焦点を当て、諸事例の比較検討を通して類型分けを示した。主な関心は、博物館の設立・運営にかかわる外部支援団体が、村落と政府機関・資金提供機関などの外部アクターとの間の仲介者として、博物館活動の展開にどのように関与しているかを確認し、そこに働く論理を解明することにある。村落にとっての外部支援団体との関係のメリット (資金・技術・斡旋の支援) とデメリット (会議費用と時間の負担、団体の方針の受入れ) を論じ、観光資源の多寡と存立目的(観光客誘致かコミュニティ文化活動か)の2つの視点から村落を特徴付け、資源に乏しい村落が観光事業を図る場合に外部支援団体の援助を受けていることと、文化活動を重視して支援団体との関係を持たない村落が存在することを示した。

「先住民の社会経済発展をめぐる論点の整理」
柳原 透 (拓殖大学)

1980年代以降の先住民の地位と権利をめぐる世界および米州レベルでの大状況の変化の下での社会経済発展の面での運動と政策理念・対応の展開を概観した上で、「先住民を見るレベル」 (個人、家計/組織、コミュニティ)と 「発展を見る側面」 (経済、社会)のそれぞれの視点から各事例研究の位置付けを行った。次いで、先住民の社会経済発展の構想を「統合」 (適応と参加を通じての利益の実現) と「自立」 (知識・文化・伝統の共有を基盤とする自律発展)の2つに大別して特徴付け、各事例研究を位置付け、主要な論点と貢献を示した。そして、先住民の経済活動における変化が研究と政策の両面で視点の転換を迫っていることを強調し、「統合」が従属や同化としてでなく「自律」を伴って実現されるための条件を、個人/家計のレベル(能力-アクセス-機会) と組織/コミュニティのレベル (「規模の経済」、「文化資本/社会資本」) のそれぞれにつき提示した。

パネルB  「メキシコにおけるフェミニズム運動の展開」
コーディネーター 松久玲子 (同志社大学)

パネルでは19世紀末から始まり今日に至るメキシコのフェミニズム運動の展開を歴史的にたどり、さらに、現在進行中のフェミニズム運動において、重要課題のひとつとして取り上げられている性的暴力の問題を紹介した。

19世紀末から婦人参政権獲得に至る1953年までの第一次フェミニズム運動に関しては通時的に報告を構成した。1970年以降の第二次フェミニズムに関しては、以下の流れの中でフェミニズム運動のトピックスを扱った。第二次フェミニズム運動は、アメリカ合州国のラディカル・フェミニズムの影響を受けながら発展したが、メキシコでは独自の展開がみられた。1970年代に形成された小規模な左翼フェミニストグループは、①「自由意思による母性」② 性的暴力に対する闘い ③ 自由な性的選択を掲げて運動を展開した。1980年代にはいると、FNALIDMの解体や経済危機の影響で、フェミニズム運動は停滞するかに見えたが、1985年のメキシコ大地震を契機とした縫製女工の運動や貧困層の都市住民運動などの民衆セクターの女性たちによる運動が活発となり民衆フェミニズムが台頭した。1990年代に入り民主化の動きと重なり合いながら女性、先住民、セクシュアル・マイノリティを視野に入れた政治参加への要求となっていった。第二次フェミニズムでは、その動向と文学におけるフェミニストの言説および、第二次フェミニズムが取り組んできた重要課題のひとつである性的暴力の背景と現状について2つの報告が行われた。

質疑では、近代化の過程とフェミニズムに関する質問およびメキシコの現代の女性学の状況についての質問が出された。討論に十分な時間が取れなかったのが残念だった。

「19世紀のメキシコ女性と尊厳の獲得―ポルフィリオ・ディアス期を中心に―」
林 美智代 (関西外国語大学)

デクラインハンスやモンテロ、デフラケルなどによるメキシコフェミニズム運動の黎明期は、ディアス期に求めることができる。運動家は性別役割を女性の「本質」 と結びつけ、母性を 「女性の使命」と称揚した。近代国家の方針に合わせてディアス夫人を 「共和国の母」 として理想化し、各自の必要性に応じた教育による母性の質の向上と自尊意識の獲得を目指した。メキシコ市で活動していた指導的運動家は下層女性の現実を無視しないまでも、能力ある女性の増加を優先課題とした。その成果として1869年の女子中等学校設置令と90年の女子師範設置令を契機に中産階級女性の教職への進出は著しく、運動は所期の目的を達成した。しかし近代化のひずみを深める社会で、女性教師は人種的・階級的矛盾に目覚め、運動は各自の階級や地域の特殊性に応じて多様化せざるを得なかったのである。

「女性の政治参加と法改正―革命期を中心に」
北條ゆかり (滋賀大学)

本報告では、革命の萌芽とみなしうるポルフィリアート末期の体制批判と再選反対運動が高まった1900年代初頭から革命の争乱が収束する1917年頃までを中心に、女性が政治的領域へといかにして進出し、どんな具体的要求を掲げていったかを女性誌等出版物・ユカタン州の「フェミニスト会議」 録・法令 (家族関係法と憲法) を通じて検討した。その結果明らかにしえたことは、19世紀末以降主流をなしリベラリズムの諸原理と接合された、母性をはじめとする女性的特性を高く評価する女性原理派フェミニズムが、この時期に立場の異なる多様な女性集団の積極的な権利要求運動によって、議会制民主主義、個人主義、人権思想等新しい価値観に根ざしたリベラル・フェミニズムへと変化していったということである。運動の主体者は教育を受けた一部の女性層であり公的領域での根強い性差意識に阻まれていたという限界を抱えながらも、女性の財産権・私的所有権・家庭内での女性の地位向上、そして参政権を重要課題とする一連の運動であった。

「『婦人参政権獲得』 への道程」
松久玲子 (同志社大学)

1920年代には、フェミニズム運動の中に活動原理や方針の違いによりいくつかのグループが形成され、この時期に開催されたいくつかのフェミニズム会議の中で意見の対立があった。革命運動の中で、ユカタン州などで、農婦や女工などの組織化が行われ、社会主義フェミニズムの萌芽がみられた。汎アメリカ大陸女性同盟の下部組織として形成されたリベラルフェミニストは、市民権の平等、法改正、参政権の獲得を基本方針として、女性独自の組織をもつことを主張した。共産党系フェミニストは、階級闘争を最優先課題として女性労働者の労働条件の改善を機軸に据えた。共産党系フェミニスト内にも、階級闘争と女性独自の活動の必要性を主張し、農民女性の中で活動するグループが存在した。さまざまなフェミニズム諸派を連帯させたのが女性の参政権獲得要求だった。婦人参政権は、1938年の議会通過にもかかわらず、1953年まで公布されずにたなざらしにされた。この過程で、フェミニズム運動は次第にその活力を失っていった。

「70年代以降のメキシコにおけるフェミニズム運動と女性作家たち」
山蔭昭子 (大阪外国語大学)

1970年以降の第2派フェミニズムは、68年の社会変革を目指す運動に触発され、米国のラディカルフェミニズムの影響を受けて、中産階級の女性を中心に始まった。従来の運動との相違点は、従来私的な領域に属する事柄だとされてきた女性に関する問題を公的な領域に持ち込んで議論されるようにしたこと、「私的なことは政治的なことだ」という言説を確立したことである。特に、自由意思による母性、性暴力反対、自由な性の選択についての問題が取り上げられ、セクシュアリティの領域に重点が置かれた。これらの動きに呼応して、女性作家たちによる新たな女性の視点に立った創作・評論活動が隆盛となる。

Rosario Castellanos は、閉塞的な社会と伝統的な価値観の狭間で孤独と疎外に悩みながら新たな生き方を求めて苦悩する女性の姿を取り上げて、フェミニズムの行動課題のテーマに迫り、Laura Esquivelは伝統的に女性のいる場所であり今まで文学作品の中で取り上げられることのなかった台所を舞台に、レシピと調理法で各章が始まる台所文学ともいえる作品を書いた。

「メキシコにおける性暴力と家庭内暴力」
マルタ・トーレス (コレヒオ・デ・メヒコ)

メキシコはカトリックの国であり、暴力の背景を考える場合、カトリック教の行動規範の影響を考慮する必要がある。忍耐、従順、許しといったカトリックの規範と結びつき、暴力が社会の中で容認されている。

女性の権利に関しては、1923年に家族法が成立し、離婚がラテンアメリカで初めて認められた。しかし、都市と農村では民法の適用がかなり異なる。例えば、1923年の民法で規定された 「既婚女性の労働は夫の許可を必要とする」 という条項は、現在でも8州でそのまま残っている。堕胎に関しては、ほとんどの州で罰則が設けられている。

性的暴力は、さまざまな形態が存在する。しかし、性的暴力は、第二次フェミニズム運動が始まる1970年以前には、その存在が認識されていなかった。現在では、フェミニスト・グループの活動を通じ、セクシュアル・ハラスメント (性的嫌がらせ)、家庭内での暴力、レイプなど、具体的な事例が数多く報告されている。

第2分科会
《ナショナリズム/アイデンティティ》
司会:初谷謙次 (天理大学)

4つの個別エントリーの報告を、ひとつの分科会にまとめたものであるにもかかわらず、各テーマには相互関連性がみられた。開始から終了まで、たえず30名以上がこの分科会に参加し、しかもずっと会場にいつづけた会員が多かったことがテーマの一貫性を物語っている。取りあげられた地域は、メキシコ、アルゼンチン、マルティニークおよび米国 (プエルトリコ) とさまざまであったが、植民地支配を体験したアメリカス諸国にとって、独立後のナショナル・アイデンティティの形成が急務であり、そのために国民的シンボルや思想がいかに創造されてきたか、またそれが時代 (政権) によっていかに浮き沈みしてきたか、が語られた。また、ネーションの形成過程においてむしろアイデンティティの危機を体験した人びとのことも忘れてはならない。「近代」 という時代を考えるときに、いずれも避けて通ることのできないさまざまな問題提起がなされた。報告後は会場から積極的に質問・コメントが寄せられ、あっという間の2時間半だった。それぞれのテーマに関するさらなる研究の進展が楽しみである。

「英雄幼年兵の伝説と実像」
山崎真次 (早稲田大学)

チャプルテペック公園入り口に聳える6本の大理石記念碑は1847年の米墨戦争で、国家に命を捧げた6名の士官学校生を称えるために建設された。これら6名の殉教者はその若年ゆえに los Niños Héroes といつの頃か呼ばれるようになり、理不尽に侵略し国土の過半を奪った米国への抵抗のシンボルとしてメキシコ国民の間に、ある種の親近感と共感を呼んできた。しかし、近年、彼らを英雄視する従来の見解に異議を唱える研究が発表されている。本発表は、最近になり情報開示を始めた国防省公文書館の史料をもとに、これまで軍関係者を中心に語られ、英雄化や神話化が行われてきた、“英雄幼年兵”の実像に少しでも迫ることを意図するものであり、以下の項目順に論旨を展開した。1. 英雄幼年兵とナショナリズム。2. 6名の存在が疑問視される理由。3. 軍部の見解。4. その他の見解。結論として逸話と記録とのギャップが真相解明のネックになっていたと言える。

「1930年代アルゼンチン・ナショナリストに関する一考察― 『ボヘミアン』 文学青年による修正主義史観―」
睦月規子 (神戸大学大学院)

本報告では、アルゼンチンのいわゆる 「1930年代ナショナリスト」 の世代性について考察した。一世代上の 「百年祭ナショナリスト」 知識人と異なり、1930年代ナショナリストはいずれも1890年代に生まれ、多くが学生運動を経て1920年代に 「ボヘミアン」 文学青年として文学に傾倒した後、1930年の軍事クーデター前後より政治的な言論活動を始めた。彼らのなかでも、ネオレプブリカーノスとフォルハは当初、国内政治を巡って対立していたが、1930年代の半ば以降、両グループとも反英帝国主義を掲げるようになった。さらに、前者の 「政治からの逃避」 によって生まれた 「修正主義史観」は、後者からも共感が寄せられ広く受容された。報告では、この新しい史観を文壇権威に対する世代的挑戦として捉えた上で、そこで提示されたアルゼンチン・ネイション観についても論じた。

「エメ・セゼールの思想」
尾立要子 (神戸大学大学院)

エメ・セゼール (Aimé Césaire: 1913-) は、フランス海外県マルティニークの黒人詩人であるとともに、政治家として国民議会議員 (1945-93)、フォール・ド・フランス市長 (1946-2001) をつとめた。

セゼールの提唱した 「ネグリチュード」 という概念は、政治家としての活動に方向性を与えていた。奴隷制をめぐる集団的記憶の回復や文化政策は、地域の文化的独自性に形を与える意図を備えていた。セゼールは、「ネグリチュード」 を文化的エスニシティにとどめながら、複数の文化的集団の共存を許すフランス共和制度の実現を目指していた。

こうした活動は、「特殊の否定あるいは忘却からではなく、個の深化によって普遍に至る」 という思想に貫かれている。報告では、独自の文化的存在=エスニシティとしてのマルティニーク人というセゼールの考えを、奴隷の記憶の精算とフランス共和制への関わりから検討するとともに、それが多文化主義的試みであったことを論じている。

「移民、政治、女性-米国本土プエルトリコ人移民女性と政治-」
志柿禎子 (岩手県立大学)

米国におけるプエルトリコ人移民女性たちは、移民当初からタバコ製造業や繊維産業の分野で重要な稼ぎ手となってきた。70年代以降は、ヒスパニックに対する福祉政策を求めた社会運動でも女性たちは常に重要な役割を果たしてきた。しかしながら、米国政治に直接影響を与えるようなプエルトリカン・フェミニズムという事象は存在せず、彼女たちの多くは草の根運動のレベルでマイノリティグループの一員として活動を行い、ラテン系女性のフェミニズムの一部となっている。ただし、women of color としてのプエルトリコ人フェミニズムに関する研究はまだ数が少なく、また、プエルトリコ人移民が米国政治に与えた影響に関する評価ですら定まっていないのが現状である。従って、今後はプエルトリコ人女性運動に見られるトランスナショナルの側面およびナショナルアイデンティティの多様性に焦点を当て、研究を進めていきたい。

第3分科会《制度と政策》
司会:高橋 均 (東京大学)

竹村報告は本年2~4月のコスタリカ大統領選挙を現地調査に基づいて分析し、主な説明要因として民営化政策をめぐる二大政党間の妥協に対する国民の不信感、ニカラグア系住民の急増などを指摘した。長らく継続して追っている主題の最新局面を伝える鮮度の高い報告であった。ブラジル民事訴訟法にある独特な制度 (上訴ではなく判決を下したと同じ裁判所に判決見直しを求めることができる) をとりあげた佐藤報告は文化史的にも面白かった。昔は多くの国に類似の制度があったのだが、仏独を中心に民訴法が大発達した19世紀に淘汰され、その時期を通じて法律を整備する能力を失っていたブラジルにだけ残ったのだという。浦部報告は民政復帰後のチリが貧困層に的を絞った地域開発計画を策定する過程で、文民政府の動きにわずかに先行しつつ並行する形で軍部が類似の政策を独自に立案したことを指摘した。この国の民軍関係の現在を考える上でいかにも興味深い事実であったため活発な質疑応答が交わされた。

「2つの第1日曜日―コスタリカ2002年選挙の意味するもの-」
竹村 卓 (駿河台大学)

2002年2月3日投開票されたコスタリカの総選挙は、異例尽くめの展開を見せた。国民解放党PLN・キリスト教社会連合党PUSCの2大政党に新党・市民行動党PACによる3つ巴の激戦であった大統領選挙は、4月7日現憲法下初の決選投票となり、結果PUSCがこれも初めて連続して政権を担当する。国会議員選挙では共産党系諸派が20年ぶりに議席を失い、各地方政党も惨敗した。2月の投票率は過去ワースト3、加えて決選投票の総数は8%近く下落したのに無効・白票が228万弱の有権者中11,000も増加した。既成政治家を集めた新党PACの支持率が急速に低下するなど、有権者の政治への不信感は強い。

経済のグローバル化に対処する自由化・民営化の 「改革」 路線も先行き不透明であり、今回の選挙結果が、ニカラグア系住民の増加など内外の構造変動を反映した、コスタリカ民主政治の変化の兆しなのか、より詳細な社会経済的分析を加える必要があろう。

「ブラジル民事訴訟法における非全員一致判決異議申立制度―ブラジル流手続的正義の一局面―」
佐藤美由紀 (イベロアメリカ法)

非全員一致判決異議申立は、ポルトガル中世王国時代の裁判所への再考請求に由来し、大航海時代の三法典編纂過程で破棄目的の異議申立として形を整え、ブラジル独立後にも維持され、1939年の民事訴訟法でほぼ現在の姿となり、現行1973年民事訴訟法に残った制度である。この異議申立は判決に反対意見のある場合に判決言渡裁判所に対してなされ得、申立に根拠があれば原判決は破棄・変更され、根拠がなければ停止していた原判決の効力が再開する。学説・判例では、範囲に関して、特に保留不服申立・義務的再審理・先決問題の裁判をめぐり、肯否両論が対立する。上訴における訴訟経済と敗訴当事者保護との優先順位という古来の議論において、多くの国は近代法典編纂段階で前者を選択し類似制度を消滅させたが、例外的にブラジルでは後者への配慮が依然強く、本制度も単なる遺制ではなく、批判はあるものの、社会の要請に裏打ちされ現在も盛んに用いられている。

「チリの地域開発政策―政府の視点と軍部の視点の交錯―」
浦部浩之 (愛国学園大学)

チリで1994年、ふたつの地域開発政策が提起された。そのひとつである政府の 「貧困克服計画」 は、貧困指標の高い71市を対象に地域のニーズに応じた貧困対策を推進しようとの社会経済的視点に立つものであり、もう一方の陸軍の「内部フロンティア開発計画」 は、低開発地帯・希住地帯をなくして国土の空間的統合を図るべきとする安全保障的視点に立つものであった。注目すべきは、時系列的には陸軍の提案が政府にやや先行していること、しかもそれは政府に対する一切の相談なしに、自律的に行なわれたことである。政府は表向き陸軍の提案を尊重し、軍部との合同委員会でこれを検討しつつ、陸軍の示す 「内部フロンティア」 概念を政府の開発戦略に引き寄せて編み直そうと努めた。一連のプロセスからは、国家発展を安全保障と連関させる軍部の伝統的な論理思考、民主体制下での軍部の任務再構築の模索、そして民軍関係の態様を読み取ることができ、極めて興味深い。

パネルC  「パラグアイ・ラプラタ地域における社会・国家形成の諸相」
コーディネーター 田島久歳 (城西国際大学)

本パネルではパラグアイ・ラプラタという特定の地域が対象となっているが、三つの報告は共通の視点や枠組みを提示するものではなく、むしろそれぞれの発表をとおして共有できる問題点を模索するのが狙いであった。従来の歴史研究は国民国家の枠内にとらわれがちであることから、三つの報告をとおしてそれを払拭することも目的の一つであった。

パネルでは、次の点に留意して問題設定が行われた。つまり、文化や民族集団は常に動態的なものであり、これを時間の流れに沿って同一のものと規定して議論するのは困難だということである。発表者がそれぞれ取り上げたテーマは①現パラグアイ南部地域における植民地期の先住民の移動 (坂野)、②植民地期においてイエズス修道会の布教区だったパラクアリア (Paraquariae) におけるレドゥクションまたはミッションの軍事的側面 (武田)、③パラグアイがいわゆる近代国民国家として組織される時期のナショナル・アイデンティティ形成 (田島) である。

「インディオの移動と16世紀植民地社会-あるインディオ女性の半生記-」
坂野 鉄也 (法政大学)

パラグアイ植民地社会をどのように捉えるのかという問題は、これまで様々に論じられてきた。しかし、そのいずれにおいても具体的な事例が取り上げられることはなく、多様な現象が指摘されそれを論拠とするにとどまっている。これは、パラグアイ植民地に関する史料がまだ未整理な状態にあることに起因している。本報告では、これまで全く参照されることのなかった、インディオに対する夫役権の帰属を巡るスペイン人植民者間の訴訟文書に依拠し、あるインディオ女性の移動を再構成した。そして、これを一事例として、インディオの移動という視点から植民地社会像を再検討することを試みた。頻繁に移動を繰り返したインディオの動態をスペイン人たちが把握できてはいなかったことは、植民地社会の基幹をなすと考えられてきたエンコミエンダ制がこれまで考えられてきたようには機能していなかったことを示唆している。

「イエズス会レドゥクシオンの役割―グアラニーの自衛からラプラタ地域の防衛へ―」
武田和久 (上智大学大学院)

17世紀初頭のラプラタ地域でイエズス会士とグアラニー先住民の生活が始まると同時にバンデイランテは彼らを襲撃、パラグアイ北東部のレドゥクシオンは壊滅した。生き残った者は南部への移住に成功したが、バンデイランテの襲撃はここにも及んだ。

事態を重く見たフェリペ4世がグアラニーに銃器の使用を認めると、レドゥクシオンでは自衛のための軍事訓練が本格的に始まった。1641年のムボロレの戦いでグアラニーはバンデイランテに勝利、これにより日頃の軍事訓練の成果が証明された。

グアラニーの勝利はスペイン王権の関心を引き、彼らにラプラタ地域の防衛を任せる議論が活発になった。アスンシオン住民の反対にも関わらず、王権はレドゥクシオンへ銃器を常備し、グアラニーに減税特権も付与した。こうして、銃器の使用と減税という2つの特権を手にしたグアラニーは、以後ラプラタ地域の治安維持に大きく貢献するのである。

「象徴に見る19世紀パラグアイにおけるナショナル・アイデンティティの創造」
田島久歳 (城西国際大学)

多くのラテンアメリカ諸国とは異なり、パラグアイは二度独立した。最初は1810年にパラグアイの帰属を主張するブエノス・アイレス政府から。二度目はその翌年の1811年にスペインからである。もっとも、ブエノス・アイレスからの独立が正式に承認されるのは1852年のウルキサ政府によるものである。したがってこの承認を獲得するまで、パラグアイにおいては、40年間にわたりブエノス・アイレスとの違いを主張しつつ、差異化をはかる必要があった。

本報告では、1810年の独立宣言から1866年までの間に、知識人や政治家の考えるキリスト教精神に基づくヨーロッパ的なナショナル・アイデンティティをいかに創造しようとしたかを、象徴や表象の分析を通して議論した。そして、こうした表象が1867年以降 「三国同盟戦争」 の激化にともない 「先住民的」 なモチーフを取り入れて変化していく過程を考察し、パラグアイ独特のアイデンティティ形成の試みを検証した。

第4分科会 《先住民共同体の歴史的変遷》
司会:安村直己 (東京外国語大学)

文化人類学、歴史学の観点から、先住民共同体の現在と過去に関する3本の報告がなされた。本谷裕子氏は、現代グアテマラにおける共同体意識の在り様に、女性の衣装という側面からアプローチした。それに対し、禅野美帆氏は、メキシコ・オアハカ州の共同体に焦点をあてながら、エリック・ウルフの 「閉鎖的農民共同体」理論の有効性について論じた。両報告には現段階において先住民共同体をいかに把握すべきかという共通の問題意識があり、フロアからも多くの質問が寄せられ、活発な討論が交わされた。

井上幸孝氏は、植民地期メキシコの土地権利認定書に関する研究動向をまとめるとともに、今後の研究方向を提示した。氏の報告は、本谷・禅野報告とはかけはなれたテーマを扱っているようで、実際には先住民共同体をその歴史性において捉えている点で、共通性を有していた。フロアからも、その点を理解した上での質問が出され、討論となった。

この共通性ゆえに、パネルとしての側面をも備えた分科会となった。

「共同体意識の変遷と民族服-グアテマラ高地先住民村落の事例より-」
本谷裕子 (慶應義塾大学)

グアテマラ高地に位置する2つの先住民村落サンタカタリーナイシュタウワカン、ナワラに見られる共同体意識の変遷を1902年から約1世紀にわたる女性の着装する貫頭衣の変化をもとに考察し、同じ意匠の貫頭衣を着装しながらも女性たちが色使いの違いで互いの差異化をはかるようになるのは土地の境界をめぐり両村が対立するようになる1960年以降であることが明らかとなった。

「『閉鎖的農村共同体』 の現在-メキシコ、オアハカ州、ミシュテカ高地の一村落の事例から-」
禪野美帆 (慶應義塾大学)

エリック・ウルフによる「閉鎖的農民共同体」 の定義において、共同体の成員が共同体の維持のために様々な義務的な奉仕を強制されているという点は特に重要である。

メキシコ、オアハカ州、サン・マルティン村は、カルゴ・システムによってその特徴を備えている。一方で現在、サン・マルティン村の出生人口の約46%が、主に現金収入を求めて都市部に移住している。こうしたなか、村の成員権を保持したい移住者は、都市で実現できる方法、すなわち現金を村役場や村の祭礼のために提供することを通して村に奉仕することを強要されている。そして村は、移住者からの献金によって、村の公共施設を増やし、さらにカトリックの祭礼を大がかりに行っている。

現在のサン・マルティン村は、地理的空間としては閉鎖的でなく、移住者に対しては献金する者だけに成員権を与えることによって成り立つ共同体なのである。

「植民地時代メキシコの土地権利認定書」
井上幸孝 (日本学術振興会)

本発表では、メキシコ盆地およびその周辺の土地権利認定書 (titulos primordiales) に関する研究動向をまとめるとともに、現時点での問題点と今後可能なアプローチの提示を試みた。

まず、「偽文書」 と見なされていたこれらの文書群が 「歴史文書」 と評価されるに至るまでの研究史を追い、その後、現在までに明らかにされた土地権利認定書作成の歴史的背景、作成者に関する未解決の問題点、情報源を探る上での問題点を指摘した。また、土地権利認定書の一種とされるテチアロヤン絵文書群 (códices Techialoyan) にも言及し、これらを含む各文書間の関係についても課題が残されていることに触れた。最後に、時代および地理の両面からより広い視野に立った比較研究の可能性と、神話との比較によって先住民側の論理を重視したアプローチの可能性を指摘して発表を終えた。

第5分科会 《文化・思想》
司会:石井康史 (慶應義塾大学)

「O・パスBLANCOの構成と思想について」
真下祐一 (立教大学)

異様なレイアウト、蛇腹のように折りたたまれた一枚の紙面という斬新な書物形態の初版が物議をかもしたパスの詩作品BLANCO (1967) を、同年発表のレヴィ=ストロース論と突き合わせて読むことで、詩人/思想家パスにおける詩と思考の関係を検討した。パス自身が現代芸術の特性として指摘する構成力を持つ批評性、作品存在の二重性を、エッセイに浮き彫りとなる詩人の言語観の内部で了解することで、一般言語と詩言語、思考とイメージをめぐる問題として取り上げ、これを詩作品読解の鍵とした。作品中まなざしに象徴される思考は詩テクストのメタ次元の存在を告げるが、そこで主題となる詩人と言語との距離を解消し、人間と言語さらに宇宙の間の照応関係を肯定する言葉の働きがいかに思想されているかに迫った。メタファーとイメージによって現実認識に別地平を切り開く詩言語の生命力に支えられた、人間存在によせるパスの関心と期待を論じた。

「ドローレス・デル・リオの映画に映るラテンアメリカの女性像」
マウロ・ネーヴェス (上智大学)

今回の発表の目的は、メキシコだけではなく世界的に有名な女優であったドローレス・デル・リオ (1905-1983) が出演した映画作品を検証する中で、ラテンアメリカの女性像を探る事にある。

ドローレスは四半世紀以上映画の中でラテンアメリカの女性を演じ続けた。

そしてアメリカ映画界によって肖像化されたイメージからメキシコ映画黄金期のイメージを越え、世界の母親のシンボルにまでなり、キャリアの中で様々な女性像を演じてきた。

その中で最も強く浮ぶイメージは3つあると言えるだろう。

第一に、魅惑的なラテンアメリカ人女性である。この象はアメリカ映画界によってドローレスの定番となった。

第二に、自己を犠牲にする女性像である。そのイメージのシンボルになっているのはやはり聖母マリアである。

第三に、憧れの的としての母親像である。これも聖母マリアのイメージの影響だろう。

Globalización y liberación en América Latina: Realidad y Proyecciones de la Teología de la Liberación
Bernardo Astigueta (上智大学)

Los años 60 tuvieron un especial significado para América Latina al tomar conciencia de su realidad como país del tercer mundo y al iniciarse un conjunto de movimientos, de tendencia socialista, que encausaban una lucha contra la angustiante situación de desigualdad, injusticia y pobreza.

La Iglesia, como parte integrante e integradora de la sociedad latinoamericana, se auna a la lucha por la liberación contra la injusticia de un sistema político y económico que excluye a enormes masas de la población, y en base a la praxis liberadora del pueblo inicia un nuevo tipo de reflexión teológica que el sacerdote Gustavo Gutiérrez denomino la "teología de la liberación". Como parte del método, esta teología utiliza la mediación socioanalítica del marxismo por lo que se la identifico como partidaria de ese sistema político y económico. Su postura se caracterizó por la identificación de la Iglesia con la gran masa de la población empobrecida en lo que se denominó la "opción fundamental por los pobres". Esta postura crea todo un movimiento de liberación que se extiende hacia otras disciplinas y hacia las artes.

Con la caída del muro de Berlín y el fracaso del socialismo real el mundo cambia de aspecto, el capitalismo internacional se instaura globalmente como sistema único, imponiendo la ideología neoliberal como fundamento doctrinal y las leyes de mercado como criterio de reestructuración política y social. El lugar que anteriormente ocupaba la corriente desarrollista, con sus promesas de bienestar y sus frutos de exclusión masiva de las zonas no pudientes de la sociedad latinoamericana, es ocupado ahora por la ideología de la globalización, fenómeno que profundiza aun más las diferencias sociales no solo dentro de los estados, sino también entre los estados globalizados - los que forman parte del sistema - y los que no lo son.

La globalización es un fenómeno complejo que se manifiesta fundamentalmente en tres aspectos: el tecnoeconómico, el sociopolítico, y el cultural. En sus diversas facetas, la globalización es un fenómeno que ofrece las posibilidades hasta ahora nunca alcanzadas de una distribución justa de los beneficios del trabajo, pero contrariamente, aumenta el acaparamiento injusto, la especulación irresponsable, el individidualismo, además de desdibujar las fronteras culturales, homogeneizar, desvincular a los individuos de su entorno socio-cultural y crear una cultura de la indiferencia.

La teología de la liberación ha evolucionado desde los años 60, perdiendo en gran parte su matiz socialista. Pero continiua en su propuesta inicial de reflexionar a partir de la praxis liberadora del pobre y, frente al reto de la globalización, propone junto coneste la solidaridad, la sencillez de vida, la comunidad local, el bienestar igualitario, etc. como una alternativa dignificante de la condición humana.

パネルD 「Democracia, y que?」 -ラテンアメリカにおいて 『民主主義』にはどんな意味があるのか-
コーディネーター 出岡直也 (慶應義塾大学)

パネルDでは、レジュメ集に書かれた関心に従い、政治学における、手続き的な基準により定義された 「民主主義」 (以下 「手続き的民主主義」) の重視がラテンアメリカ地域においてどんな意味を持つ (持たない) のかを、4人の報告者の発表とそれに基づく議論により検討した。

まず、山脇千賀子氏 (文教大学) が、パネルのコーディネーターである出岡直也 (慶應義塾大学) の希望に答え、政治学の手続き的民主主義重視に対し、これまで最も強く疑問を呈してきたと思われる、フィールド・ワーク重視の社会学・文化人類学研究 (山脇氏は前者) を行ってきた中から得られた知見に基づき、体系的な批判を行った。第1に、学問的接近の側面につき、「民主主義」 の多義性の無視、人々の意識等、制度に比べて緩慢な変化を示す社会変動の軽視、西洋中心的な「民主主義」 理念型との乖離を 「診断」 する社会科学の限界が挙げられた。第2に、実態について、手続き的民主主義がグローバル・スタンダードとして人々が望んでいないのに押しつけられ、人々は選挙では「民主主義」 を実感できないという、「民主主義」 の名のもとで行使される力の側面が指摘された。そして、政治意識への関心を (その変容のための教育を行うためにも) 折り込み、実践・フィールドを重視した学際的学問の発展が必要との結論が提出された。

次に、大串和雄氏 (東京大学) が、政治学の立場から、出岡と山脇氏が行った問題提起に一つ一つ答える形での発表を行った。手続き的民主主義への批判の内容が紹介された後に、大串氏の見解として、「自由権」 を完全にカバーできない点で手続き的民主主義概念が不十分であるとの批判的評価と同時に、手続き的民主主義は、「自由権」保障との相関が高く、それ自体に意義があり、他の価値を阻害しないとする肯定的な議論がなされた。手続き的民主主義については、人権保障、民主主義の「質」、実質的参加の点での問題点がよく指摘されており、経済発展が無批判的に正しいとされるのに対して健全であること、また、ラテンアメリカの人々が、強力な指導者を求める志向などと同時に、「手続き的民主主義」 を求める側面も持つことが述べられた。また、関連する論点である、政治学が人々の実態から離れた理論志向を持つとの批判に対しても、現状認識として正しい面はあるが、それは他の社会科学にも共通する性格であること、また、日本のラテンアメリカ研究においては、幸いにも政治学とフィールド・ワーク的な研究との乖離が進んでいないことが指摘された。山脇氏の指摘に対し、「民主主義」 の問題とされているものが、資本主義など他の要素によるものではないか、などの反論もなされた (後のディスカッションでも重視された点)。

続いて、江原裕美氏(帝京大学)により、教育学の立場から、「民主主義」 と教育に関する非常に多面的な側面が取り上げられ、議論・事例の紹介と論点整理がなされた。教育学においては、手続き的な側面のみならず生活全般での内容を重視する 「民主主義」 が重要視されていることが指摘される。その上で、公教育については、平等化機能が果たされない点や学校内の社会関係における経済的権力関係の反映などの点において、またラテンアメリカの場合は学校教育の普及や質の点においても、「民主主義」の実践に教育が果たす役割は、現在のところ、困難・限界が大きいことを前提としつつ、一部の教育学者は、教育において、機会の平等のみならず、政治的意識、特に多様性重視などの 「民主主義」 意識を高めることを重視していることが紹介された。

最後に、村上勇介氏 (国立民族学博物館地域研究企画交流センター) により、本パネルのテーマに関する、フィールド的で、ミクロ的な事例研究に基づく考察が提出された。村上氏は、自らが行った意識調査に基づき、リマの低所得層の人々の 「民主主義」 理解が、政治参加の過程に価値や意義を見出すのではなく、政治や民主主義を極めて便宜的に捉え、経済的社会的な面での短期的な課題や問題を克服する手段と見なし、結果を重視する傾向があることを明らかにし、政治学の 「民主主義」理解との齟齬を指摘した。

以上の発表に基づき、パネリスト間で、また、フロアからの質問・コメントの形で、活発なディスカッションが行われた。政治学者の多くが、手続き的民主主義に大きな意義があることは、ラテンアメリカ地域において当然となっていると考えるのに対し、他のディシプリンの研究者からそれに疑問が呈されるという、ある意味では予想された論争が、本パネルでも顕在化した。例えば、手続き的民主主義重視のために何かが犠牲になっているのか否かについては、意見が分岐した。また、同地域の人々の意識が重要で、そのために教育(限界も指摘される公教育に限らず)の役割が重要だろう、という形でまとめうる議論の交換もなされた。手続き的民主主義重視に意味があるかに関する最終的結論は出なかったが(元来、出るはずもない大きなテーマであったが)、このテーマを考える際に踏まえるべき論点の整理・深化に役立ったと期待したい。(可能な限り報告者の査読を得て、文責出岡)

パネルE  「カリビアン/ラティーノ・アメリカのコミュニティを再想像する」
コーディネーター:木慎一郎、東 琢磨、杉浦 勉

グローバル化とネオリベラリズムが席巻する今日の世界にあって、カリブ海及びラティーノ・アメリカのコミュニティが提起する錯綜した問題に焦点をあて、それらにおいて「再想像」 されるコミュニティの社会文化的かつ 「政治」 的意味と、「再想像」 すること自体のなかに新たな文化創出の契機を見出す過程を、文化人類学、文化批評、テクスト理論などの複合的な視角から議論した。

「カリブ海地域英語圏文化におけるスタイルとpersonhood」
鈴木慎一郎 (信州大学)

カリブ海地域英語圏の民族誌群が着眼してきたことの一つにスタイルへの美学的関心がある。ピーター・ウィルスン以降の「名望」と「体面」 のデュアリズム仮説は、スタイルをおもに男性が公共空間で互いに承認し合うものととらえ、そこに脱植民地主義的な契機を見出してきた。報告ではこの仮説へのジェンダー的視座からの批判的修正をまずスケッチした。そのうえでネオリベラリズム下・さらにNAFTA以降の時期におけるジャマイカの諸表現文化におもに焦点をあて、その解釈共同体の感性のゆらぎについて考察した。

「小さな場所を作る―ニューヨークのプエルトリカンの実践から―」
東 琢磨 (音楽評論家)

急増すると同時にさまざまな局面を見せ、「アメリカ」 そのものの変化すらをも促しているUSラティーノ。「最大のマイノリティ」 化しているその集団は決して一枚岩ではない。そのなかでも、古くから特殊な位置を占めてきたニューヨークのプエルトリカンたちに焦点をあて、具体的な営為を検証した。1920年代のイーストハーレムの小さな「ミュージックショップ」 経営、重層的な 「あいだ」 から生まれてくる詩や音楽、具体的な場の占拠と意味の作り換えの実践である「カシータ・プロジェクト」や 「スパングリッシュ圏」 の提唱...。都市政策 (不動産、教育)、グローバリゼーション、軍事的戦略 (ビエケス島の基地問題) といった、USの大きな力に抗いながら、粘り強く続けられるコミュニティの場所の確保と、変容するその意味。さまざまな規模の具体的な 「場」 を作ることが、そのまま、文化政治の交錯する象徴的なトポスへと向かってきた歴史ともなっている。

「テスティモニオの挑戦 ─アメリカスとコミュニティをめぐって─」
杉浦 勉 (東京外国語大学)

「証言」 を意味するこのスペイン語は1980年代以降になって、急激に政治的な意味を充填されて多様な研究領域から注目を集めるようになった言説ジャンルだが、その発生や定義自体に曖昧さが指摘できるように、多くの文化的/テクスト的問題がはらまれる分野でもある。報告では証言者/記録者なる階層性の廃棄を企て、テスティモニオの意味を拡張すると宣言するラティーナ・フェミニスト・グループ、パフォーマンスという身体性に拠りつつ、「語り手」 なる全能の機能のラディカルな転覆をめざすカルメリータ・トロピカーナら、この言説へハイブリッドな変容をもたらすと想定される書き手たちをとりあげ、それら文化実践が抱える可能性とそれによって構築されるコミュニティについて論じた。