第29回定期大会(2008) 於:筑波大学

6月7日(土)、8日(日)の両日、筑波大学の大学会館を会場にして、第29回定期大会が開催された。筑波大学で開催されたのは20年ぶり二回目、今回は筑波大学との共催のもとで行われた。梅雨の晴れ間、各分科会、パネルの他、講演会、懇親会、シンポジウムに、多数の参加者を得て(会員134名、50名を越える非会員の参加)、内容のある討論が行われ、盛況の内に終了した。

特別講演会の講師として、京都大学地域研究統合情報センターの支援で招待したビクトル・ウゴ・カルデナス・ボリビア元副大統領が急遽訪日できなくなり、大会二日前に同センターの事業で来日したシモン・パチャノ教授(政治学、エクアドルFLACSO)に講演を快諾いただき、急場を凌ぐことができた。講演会の実現に協力いただいた同センター所属の村上勇介理事に感謝申し上げる。

またシンポジウムには、三輸昭(外務省中南米局長)、坂野正典(住友商事総合研究所代表取締役)、磯田正美(筑波大学准教授)の非会員3名に参加を願い、会員の報告者、コメンテーターとともに、ラテンアメリカの変化とそれに伴う日本のラテンアメリカ関係のあり方について有意義な議論を行うことができた。

本大会は学会事務局が大会実行委員会を兼ねる形で行われ、理事選挙事務等とも重なったため、大会準備に十分時間を充てることができるか、大いに心配されたが、院生会員(岡田勇、石井登の両君)の指導のもと多数の院生の協力を得て、なんとか開催にこぎつけ終了することができた。この場を借りてお礼を申し上げたい。

来年の次期定期大会は、東京外国語大学で開催される。第30回大会が、会員諸氏の協力によって、名実ともに学会の節目の大会となることを期待する。(遅野井茂雄)

第29回定期大会プログラム 29

特別講演

"Desafíos para lad democracia en Bolivia, Ecuador y Perú,"
Prof. Simon Pachano (FLACSO, Ecuador)"

(要旨)

現在、アンデス諸国は、貧困、格差、麻薬、反政府武装組織の存在、市民的安全の欠如、法的不安定性など、ラテンアメリカの抱える最も深刻な問題が集中し、紛争の多発する地域となった。政治的に各国は代表制の危機にみまわれ、政党システムの危機・崩壊が生じている。統治や改革のため一定の安定を保障してきたそれまでの合意や協定が崩れ、アウトサイダーが登場する状況が到来している。社会的要求に対応できる国家の制度的能カが失われ、統治の危機が訪れている。政治家、政党、制度に対する信頼が低下し、反政治的、ポピュリスト的な傾向が強まっている。
とくに1990年代に対照的な政治・経済の枠組みと結果を経験してきたボリビア、エクアドル、ペルーにおいて、現在、民主主義は大きな挑戦に直面している。ボリビア、エクアドルでは、憲法制定議会を通じて、国家統治構造の再構築(refundación)を目指し、新憲法の全面的な改革の過程にあるが、コンセンサスを欠き、排他的な形態のもとでそれは行われている。ボリビアのプロセスは、手続きにおいて正統性を欠き、氏族と地域の深刻な妨立をまねき、仲介者を欠き、権威主義的な解決の道も排除し得ない状況である。エクアドルの改革も、まったく中長期的な有効性を欠き、排他的だが、現政権に代わる勢カが存在しないのが現状だ。ペルーは政治・経済の継続の上に立ち、異なったルートを歩んでいるように見えるが、2006年選挙のウマラ侯補の登場に示されたように、モデルの継続性に対し信頼があるわけではない。いずれも大統領の決選投票制度に起因する間題、政党の断片化の進行、強い可変性など政党制度に深刻な間題を抱え、新たな勢力の要求に応える統治能力を欠き、複雑な過程にある。質疑応答では、増大する資源収益が政府能カに与える影響、地域統合(アンデス共同体)との関係をめぐり議論が交わされた。(遅野井茂雄)

研究発表

分科会1<政治・文化> 司会:畑恵子(早稲田大学)

政治と文化の関わりについて、対象も分析視角も異なる3発表と政治に限定された1発表が行われた。中島会員は歴史的手法により,国民文化創成におけるチリ大学の役割を明らかにした。会場からは同大学とカトリック大学の役割の違い,資金面での大学の自治などについて質間があった。林会員は文化思想的視点から、写真を交えて近年のブエノスアイレスでの軍政期の暴力の記憶のされ方を分析した。質疑応答の中で、軍・ゲリラは二つの悪魔とみなされたこともあったが、メディア等での証言を通して両者間に奇妙な和解が生じているとの指摘もあった。金澤会員は文化人類学的視点から世銀プロジェクトを少数民族に対する支配を正当化するものであると結論づけたが、支配層とは誰かが問われた。笠原会員はフジモリ政権期の政軍関係をテロ問題から論じた。テロ以外の要因の評価が問われたが、意外なことにテロ問題は当然視されたがゆえに、これまで検討が十分に行われなかったようだ。以下、発表者自身による要旨(発表順)である。

「国民文化創造・制度化の試み一20世紀前半までのチリ芸術分野を中心に―」
中島さやか(明治学院大学非常勤講師)

独立した国家のアイデンテイテイーの源の一つとなり得る芸術文化は多くの場合、自然発生したものが歴史を通じて時の権力者や文化産業などに支えられ発展してきたものだが、歴史の浅い国や文化産業の基盤が弱い小規模な国などでは、政治家や知識人らが制度を作り、文化活動を奨励して意図的に発達させたり、場合によっては作らせることもある。本発表で紹介した20世紀前半までのチリには、このような傾向が特に1920年代の終わりから大学という組織を中心に顕著に見られるが、その背景には政府や民間といった各時代のチリ社会の芸術文化を取り巻く経済的要因だけでなく、世界情勢、チリの一般的な文化的・社会的要因、チリが独立以来発達させてきた大学の役割の概念や組織のありかた、そして当時の知識人らのナショナリズム的思想など様々な要素が反映されている。

「『記憶の文化』と失踪者―アルゼンチンにおけるメモリアル、アート、証言の現在―」
林みどり(立教大学)

前半では軍政下の暴カの記憶の変遷を80年代から現在まで辿り、政治・社会的な動きと文化的動きが相互に作用しつつも同調していなかった点と、メディアの役割の重要性を指摘した。後半では、(1)「記憶公園」等の施設が、「ホロコースト言説」を介してナショナルな暴力の記憶をグローバルな文脈に接続させようとしていること、(2)CCDyTのClub AtléticoやMemoria Abiertaの仮想散歩地図を通じて、都市がパリンプセストとして起ち上がってくること、(3)エスクラチェやGrupo de Arte Callejeroは、同心円的な喪の儀礼に特徴づけられる従来の人権運動とは異なり、都市が身体感覚のインターフェースであることに自覚的で、遊戯性を伴ったいわば「ジェオグラフイテイ」の実践である点を提示した。なお、当日は機器の不備により御迷惑をおかけしたこどをお詫びします。また会場からの極めて有意義な質疑に感謝します。

「世界銀行の「我われのルーツ」プログラムとガリフナの土地間題―ネオリベラル多元主義をめぐる一考察―」
金澤直也(東京大学大学院博士課程)

本報告では、ラテンアメリカの支配層は、少数民族が新自由主義の流れに取り込まれるように少数民族の権利を定めていると述べるHaleの「ネオリベラル多文化主義」をふまえて、ホンジュラス少数民族の能力開発と社会的包摂を謳う世界銀行の「我われのルーツ」プログラムの社会的機能を複眼的に検討した。その結果、「我われのルーツ」プログラムが民族組織を分断統治している実態を浮き彫りにした。そして、少数民族を対象にした共同体参加型開発計画「我われのルーツ」プログラムとは、中米各地で民族運動が活発化した1990年代に、「我われ」を名のる支配層が権力付与された社会空間を強調し、少数民族に対する支配を正当化するプロセスである、と論じた。すなわち、同プログラムは民族運動を鎮め、排除してきた少数民族を「我われのルーツ」として包摂し、特定の限界や境界のうちに位置づけ階層化する国民統合の役割を担っている、と主張した。

「ペルー軍における自主クーデターの意義―フジモリ政権初期の政軍関係に関する一考察―」
笠原樹也(神戸大学大学院博士課程)

本報告では、フジモリ政権初期の政府と軍の関係緊密化を支えた要因について考察し、その中で、同政権初期の政軍関係における、テロ問題の重要性について再評価を試みた。フジモリ政権は、発足時から、政軍関係に関わる問題を抱えていた。1980年代の文民政権がテロ対策に失敗したことから、軍は文民のテロに対応する能力について強い不信感を抱いており、軍事クーデター勃発の懸念すらあった。このような状況において、テロ対策に関し軍を積極的に支援することは、フジモリ政権にとって軍を統制するための重要な方策の一つであったと言える。また、軍のテロ対策への関心の高さは、フジモリ政権による軍首脳部取り込みの進捗や1992年の所謂「自主クーデター」の実施にも大きな影響を与えた。さらに、1992年末から軍の内部対立が顕在化する要因の一つとして、テロ指導者の逮捕により軍内部でテロ問題への危機感が薄まったことをあげた。

分科会2<移民> 司会:田島久歳(城西国際大学)

海外在住ペルー人をテーマとする三つの個別発表からなり、テーマや方法論はそれぞれ異なるものであった。在日ペルー人の歴史は20年をむかえ、その間の研究蓄積は多い。そのため研究・発表は就労実態、コミュニティ形成といった全体像を扱うテーマから、より詳細なテーマ設定が求められているのが現状だ。その意味で、エリカ・ロッシ(一橋大学院生)の世界に拡散しているペルー人とチチャ音楽の関係についてのテーマ設定は、興味深い。フロアからの指摘があったように、今後は、インドネシアのクロンチョン音楽の事例―外部から来た人々の音楽がホスト社会成員のアイデンティティを表すものになる―なども参考にし、幅広い比較の視点からの考察が期待される。寺澤宏美(名古屋大学院生)は在日ペルー人の概要、愛知県犬山市の事例、アイデンティティ登録の問題について報告した。発表は多岐にわたり、焦点が絞りきれていなかったような感がある。今後は先行研究を踏まえたさらなる展開が期待される。ベルナルド・アスティゲタ(神奈川県立外語短期大学)の多文化社会形成におけるラテンアメリカ出身移民の貢献についての発表は壮大な構想に基づくものである。今後は、実証的な側面も取り入れた調査・研究が期待される。

「移民の音/声:チチャ音楽とペルー人の国際移動」
エリカ・ロッシ(一橋大学大学院)

本発表では、ペルーの国際移民を音楽的観点から考察した。具体例として、60年代後半に首都リマの貧困地域(pueblos jovenes)で創造された「チチャ」(chicha)音楽を取り上げた。都会で流れていた様々なリズムとアンデスの民族音楽が混在しているこのチチャ音楽は、貧民街での暮らし、移住の経験などといった諸現実をテーマにしている。しかし、報告者は、チチャ音楽をペルーの国内現象として扱わずに、国際移動という社会的プロセスを背景にするジャンルとして取り上げた。そのため、首都リマを出発点としてサンティアゴ、ブエノスアイレス、ロサンゼルス、ミラノ、太田市などの地域においてチチャ音楽を追い、移民にとりその音楽の実践が成している意味について考えた。この音楽に対する移民達の思いなどを、報告者の現場調査で収集した資料に基づいた短編ドキュメンタリーで見せた。そうすることによって、諸々の地域に分散している人々が音楽的実践を通じて連なっていることを指摘した。

「在日ペルー人のコミュニティとアイデンティティに関する考察」
寺澤宏美(名古屋大学大学院)

1990年の入管法改正以降、南米から労働者として日本に大量に流入してきた人々は、一時帰国を繰り返しながら日本に生活基盤を置き・外国籍住民として各自治体に居住する。結婚・出産による家族の形成、離婚による家庭の再編成、思春期を迎える日本生まれの子どもたち、老後をどこで過ごすかの決断を迫られつつある高齢者など、ライフステージを日本で展開する彼らには、もはや「デカセギ」という言葉は当てはまらない。
本発表では、ここ数年顕著になってきた在日ペルー人の居住地域や団地内におけるコミュニティ形成に向けた動き、地域の日本人コミュニティとの関わりを中心に、行事などを通したペルー人としてのアイデンティティの確認・維持について愛知県内の2つの事例を挙げて考察した。また、偽装日系人が持つ本名と偽名の「二重のアイデンティティ」について、現状を報告するとともに偽装による来日がもたらすさまざまな代償について言及した。

"Aportes de los inmigrantes de América Latina a laformación de una sociedad multicultural en Japón"
Bernardo Astigueta (神奈川県立外語短期大学)

Según las cifras oficiales la población y la fuerza laboral de Japón disminuyen, obligando a una incorporación cada vez mayor de trabajadores extranjeros,los cuales tienden a establecerse de forma definitiva. Este fenómeno social constituye el núcleo de la convivencia multicultural, que ocasiona una serie de problemas: estado legal, trabajo,vivienda,salud, educación, convivencia e integración, delincuencia, etc. Pero,no se puede tratar adecuadamente sobre la convivencia a menos que se tengan igualmente en cuenta los aspectos positivos: contribución al sostenimiento económico, mano de obra, consumo, actua1ización de las leyes, estabilización demográfica, activación de la conciencia social y la internacionalización “ad intra”. Los inmigrantes de América Latina aportan la lengua y la cultura singular de aquella región. El carácter particular 1atinoamericano resulta un aporte por su contraste con el carácter típico japonés. Los nikkeis latinos, por su parte, mantienen viva la memoria de la migración japonesa al extranjero y son un testimonio de la convivencia multicultural en otros países. Pero el aporte más valioso de la migración Latinoamérica es su propia identidad cultural : América Latina se reconoce a sí misma como una sola nación por la lengua, la cultura y la religión comunes, enriquecidas con el sustrato americano. América Latina es un continente mestizo por excelencia y la conciencia demestizaje como un va1or positivo sostiene su identidad. El mayor aporte de los 1atinoamericanos en Japón es el ser portadores de la “cultura de la diversidad”o“cultura del mestizaje”que implica e1 respeto al derecho de ser diferentes, considerado como uno de los derechos humanos más genuinos.

分科会3<宗教> 司会:大久保教宏(慶応義塾大学)

4人の会員による発表はいずれも斬新なテーマを扱ったものであったが、いくつか共通する問題設定を見出しうる点でも興味深かった。まず、渡部会員、武田会員が扱ったペンテコステ派や、小林会員が取り上げた義賊信仰の台頭は、ラテンアメリカをカトリック文化圏としてきた視点の相対化を迫るものである。そのことは、当のカトリック教会が最も認識しており、だからこそ、乗会員の発表が指摘したように、先住民神学のような対抗策を講じるのである。他方、民衆に広まるペンテコステ派、その影響を受けたカリスマ派カトリック、擬似聖人信仰的民衆宗教、プロテスタント先住民神学者等の存在は、カトリック、プロテスタント、民衆宗教それぞれの間での影響関係が強まり、境界線が不明瞭になりつつあることを示している。今後、ラテンアメリカの宗教研究は、様々な宗教が混在し、互いに影響を及ぼし合っていることを前提に進められていく必要があることを強く認識させられた。

「アルゼンチンにおけるペンテコステ教会の現状」
渡部奈々(早稲田大学大学院博士後期課程)

1900年、全世界で98万人にすぎなかったペンテコステ派が、わずか100年で5億2000万になり、カトリック教会に次ぐ最大のプロテスタント教派となった。アルゼンチンでも、同様の現象が見られる。1960年代後半に始まったペンテコステ研究により、無神学、体験重視、禁欲主義といったペンテコステ派の特徴が、都市に流入した貧困層の心をつかみ、爆発的拡大につながったという通説ができあがった。
アルゼンチンでペンテコステ派の急速な成長が見られたのは、宗教の自由が拡大した民政移管後のことである。ペンテコステ派が持つ民間的信仰要素は、大衆セクターに難なく受容され、そればかりでなく既存のプロテスタント教派やカトリック教会でもペンテコステ化現象が見られた。このような拡大の背景やプロセスを明らかにすることにより、それまで広まっていた通説やステレオタイプを検証し、さらにはアルゼンチン独自のペンテコステ派拡大の要因を考えたい。

「チアバスのネオペンテコスタリズム―T教会のデモ行進―」
武田由紀子(神戸市外国語大学大学院)

チアパス州はメキシコ国内で最も非カトリック人口の多い州である。また近年歴史派プロテスタンティズムからペンテコスタリズムさらにネオペンテコスタリズムヘの急速な移行が生じている。本報告では文化人類学的視点によるこうした社会変動へのアプローチとして、チアパス州サン・クリストーバル市に本部を置くネオペンテコステ派のT教会が昨年12月半ばに行った「マルチャ」(デモ行進)を事例として取り上げた。この事例はミリタリー・ファッションに身を包んだ約250人のT教会の信者が3日間かけてチアパス高地の8つの先住民集落とサン・クリストーバル市をまわるというもので、後日チアパスの地方紙にも報じられた。さまざまな象徴(ナショナリズム、リージョナリズム、インディヘニスモ、軍隊・左翼ゲリラ色)がそこでいかに利用されているか、またマルチャの実践を通じて、あらゆる行為者との間でどのような交渉が行われているかについて報告を行った。

「「貧者の味方」から「ナルコの守護者」へ―メキシコの「ねずみ小僧」をめぐる宗教的動態―」
小林貴徳(神戸市外国語大学大学院)

民衆宗教のダイナミズムの解明に焦点を当てた本報告では、19世紀末のメキシコ・シナロア州に登場した義賊ヘスス・マルベルデをめぐる言説の展開を事例として取り上げた。ここで着目したのは、この人物が歴史的に実在したのかという是非を検討することではなく、「富める者から奪い、貧しき者に分け与える」という件の義賊講をべ一スとしながら、現代では、「メキシコのロビンフッド」や「ナルコ(麻薬関係者)の守護聖人」として崇拝されている一連の動向について、歴史的経緯を明らかにするとともに、その背景に介在する社会的要因について検討を試みることだった。ローカルな義賊から国境を越えて多くの信者を抱える「聖人」へと至るマルベルデ崇拝の経緯について考察した結果、この背景には、いくつかの重要な契機があったこと、そして、それらの契機は、近現代メキシコの社会形成の諸過程と不可分の関係にあることが指摘された。マルベルデ崇拝をめぐる一連の展開には、民衆宗教の力学とも言うべきダイナミズムが見出され、とくに、トランスローカルな傾向を強めているマルベルデをめぐる今日的な状況は、移民やナルコといった越境する人びと、商品や情報、イメージの流通といったグローバルなフローが重要な役割を果たしていることについて言及した。

「解放の神学から先住民神学へ」
乗 浩子(元帝京大学)

近年活発な先住民政治運動の背景に、解放の神学の延長で生まれた先住民神学の台頭をみることができる。メソアメリカやアンデス地域の解放の神学者は、先住民宗教に神の存在を認め、先住民神学者を育成し、布教補助者の活動の場を広げた。こうした働きかけによって、伝統宗教とキリスト教を主体的に統合して新しい神学を形成する動きが、先住民のアイデンティティを強めた。また先住民の反乱に教会は寄り添い、支援してきた。先住民神学は個人よりも共同体中心の視点を持ち、土地と文化的記憶の回復・人権の擁護を求め、政治的経済的周縁化・上からのグローバル化に抵抗する。先住民神学には人種・文化・宗派の対立を超えて神学の再構築を目指す動きがある。キリスト教世界における発展途上地域の比重が増すなか、キリスト教の脱ヨーロッパ化の可能性もある。

分科会4<歴史> 司会:横山和加子(慶応義塾大学)

本分科会では植民地期に関する報告3つと独立期に関する報告1つが行われた。谷口智子会員による第1報告では、17世紀にアンデスのカハタンボ地方で行われた偶像崇拝・魔術撲滅の巡察記録4件(現在リマ大司教区に所蔵さる手稿本を『神への侮辱』として編纂出版されたもの)を詳細に検討し、偶像崇拝・魔術撲滅運動の背後に、巡察使、地元有力者、教会関係者、村民らの土地をめぐる利害関係や複雑な人間関係があったことを示した。長尾直洋会員の第2報告では、ヨーロッパ世界による他者表象の1事例として、16世紀から17世紀にオランダで出版された版画集『大航海』に収められた南米最南部フエゴ島住民に関する3つの図像とそれに対応する諸航海誌のテクストを比較し、時代を追って(オランダが新大陸へ進出し始めるとともに)図像の中に先住民の劣性と自然領域への所属を強調する表現が強まる傾向があることを示した。大平秀一会員の弗3報告では、エル・ドラード神話の起源と内容を確認し、そこが、黄金に満ちた場所であると同時に、自然の中に忽然と姿を現す都市、文明社会、王国、帝国というイメージをもつことに着目する。そして、黄金に輝く太陽を神とし、黄金宮殿を有したインカの首都クスコがこのイメージに合致するとした。松久玲子会員の第4報告は、メキシコ革命期のフェミニズム運動家で教育官吏として農村地域への初等教育の普及や生活向上運動にかかわったエレナ・トレスの活動の中で、彼女が近代国家における新しい女性役割のモデル作りに果たした役割とその限界について明らかにした。

「16~18世紀偶像崇拝・魔術撲滅について―カハタンボ地方の史料から―」
谷口智子(愛知県立大学)

本発表では、スペイン統治時代、特に16―18世紀にかけて、アンデス、特にカハタンボ地方で行われた偶像崇拝・魔術撲滅運動の史料、教会人の著作等、先行研究等を踏まえて、「偶像崇拝」に関わっていたとされるクラカの祭司的役割や祖先崇拝、農耕儀礼等に注目し、その関連について発表した。しかし、「偶像崇拝・魔術」崇拝者を訴訟した側の人間は、それ以外の理由で(土地占有や個人的利害など)訴訟を起こしたケースが多く、必ずしも宗教的側面のみで捉えられる問題でもない、というのが、今回の発表の結論である。参考文献:Juan Carlos García Cabrera ed., Ofensas a Dios, pleitos e injurias. Causas de idolatrías y hechicerías (Cajatambo, Siglos XVII-XIX), Cusco: Centro de Estudios Regionales Andinos “Bartolomé de las Casas”, 1994.

「植民地期南米を巡る先住民表象の多元性に関する一考察―16世紀末から17世紀初頭におけるFuegian表象―」
長尾直洋(三重大学非常勤講師・京都外国語大学大学院研究生)

本発表では、植民地期南米に対してヨーロッパ世界が向けた先住民表象の多元性を示す一環として、16世紀末から17世紀初頭にかけてパタゴニア地方及びティエラ・デル・フエゴの先住民族(Fuegian)に対してなされたヨーロッパ世界による他者表象態度を分析した。
ヴェスプッチ報告において南米先住民の巨人性に絶対的他者性・異界性が付与された後、マガリャンイス航海にて巨人性が見出されたFuegianは、薄い野蛮性を持った自然領域の存在として表象された。しかしながら、新教的文脈を持った図像案『大航海』によって、先述のFuegian表象はその自然性を減じられ、旧教側に征服の口実を与えないような表象として図像化されていった。その一方で、旧教国スペインの覇権を脅かすオランダ航海におけるFuegian表象に対しては、より野蛮・自然領域に近付けて図像化することによって、オランダ側の支配の正当性を促すような表象がなされていたことが明らかとなった。

「エル・ドラード神話とインカ・イメージ」
大平秀一(東海大学)

エル・ドラード神語は、インカ征服以後に創出されたもので、代表的なものとしては、ギアナ帝国の都マノア、アンデス東方の森林域に漠然とイメージされたパイティティ王国やモホ王国をめぐるものなどがある。文書におけるこの神語の記述には、建造物の要素や経済的構造(通商・貿易・税)など、当時のヨーロッパにおける典型的な都市観念が反映されている。ヨーロッパにおいて、黄金をはじめとする富は、通商・貿易により、王族・貴族・富豪が支配・居住する中心的都市に集積されたものであった。また中心都市を基盤とした複数の都市の集合体は、王国とみなされていた。「ギアナ帝国」にみられるように、イメージされた富の量に従い、その概念は「帝国」にも発展してよい。初期段階のインカ表象においても、同様の特徴をみてとることができる。富をめぐっては、自然・動物性というカテゴリーの中に位置づけられた新世界の中に、ヨーロッパと等質的な都市性・人間性を求めざるを得なかったものと考察される。

「エレナ・トレスとメキシコ革命期の農村教育―フェミニズム運動と近代公教育の形成―」
松久玲子(同志社大学)

エレナ・トレスは、教育官僚としてメキシコにおける近代国家の新しい女性役割のモデル形成にかかわった。欧米の優生学がラテンアメリカにおいて独自の解釈により受容されたが、エレナ・トレスは社会衛生の考え方を女性の教育に導入し、家庭で女性が果たすべき衣食住に関する再生産労働と女性の身体に関する知識を普及させようとした。つまり、女性が自身の身体に関する知識を得、教育を与えて育てられるだけの数の子供を産み、衣食佳に関する科学的な知識をもとに家庭を運営することを女性の役割として提示し、健全な家庭の形成を通じて女性が国家建設に参加する新しいジェンダー規範を提示した。しかし、当時のメキシコ社会は、女性の出産調節への反対が強く、衣食住に関する衛生教育とその技術から構成される家庭科カリキュラムが、女性の教育として定式化された。

分科会5<米国のラティーノ> 司会:牛田千鶴(南山大学)

大統領候補指名をめぐる米民主党予傭選に際し、G・カーティス氏(コロンビア大学教授)は、「オバマ氏が勝利するにはヒスパニックの支持を増やす必要がある」と日本の新聞紙上で強調した。また、自由連合州ということで本選での投票権はないものの、プエルトリコにおけるH・クリントン氏の圧勝ぶりについても、メディアはこぞって関心を寄せた。21世紀半ばまでに米国人の4人にひとりを占めるに至ると推計されるラテイーノヘの関心は、米国内はもとより、ここ日本においてもかなり高まってきている。ラテンアメリカ研究者にとってもラティーノは、大続領選への影響を通じて米国の対ラテンアメリカ外交をも左右し得る存在として、いまや見逃せな対象となっている。そうした背景を反映してか、本分科会も満席に近い盛況ぶりであった。移民による故郷への貢献、階層分化に伴う政治意識の変化、芸術文化活動といった、独自の視点による大変興味深い三報告であった。

「ユカタン州ぺト市の事例に見る「トレス・ポル・ウノ」移民関連プログラムの現状」
渡辺 暁(東京大学非常勤講師)

1990年代以降、メキシコ政府はアメリカ合衆国に住むメキシコ系移民に対して様々な働きかけを行っているが、本発表ではその試みの一つとして「トレス・ポル・ウノ」プログラムを取り上げた。本プログラムは、出身地の公共投資のために移民団体が寄付を行う場合、その額に応じて政府が補助金を出すことで、移民の資金力を出身地社会の発展に活用する試みであるが、ユカタン州ペト市の事例ではプロジェクトがことごとく失敗に終わっていることを紹介し、その間題点を論じた。本来ならば本プログラムと地方分権化、あるいは国家・社会関係の移り変わりといったより大きな問題と結びつけるべきところ、発表者のカ量不足でかなわなかったが、移民研究やメキシコ政治経済をご専門とされる会員諸兄に、それぞれの立場からご質問をいただき、また発表後にユカタンを長く研究してこられた吉田会員からご意見を頂いたことは、発表者にとって大きな収穫であった。この場を借りてお礼申し上げます。

パネルA 「ラウル新時代のキューバ―変わるものと変わらないもの」
コーディネーター:後藤政子(神奈川大学)
報告(1)「革命にとって安全な国際関係の構築
―ソフトパワーとしての白衣外交とキューバ対外関係の多負化」(小池康弘、灘久美子)
報告(2)「対キューバ経済協力の考え方」(宇野健也)
報告(3)「キューバはアヒアコになれるのか
―現代キューバにおける「人種」に関する考察―」(工藤多賀子)
報告(4)「社会主義の多様性:キューバとベトナムの国家・社会関係」(山岡加奈子)

小池・灘報告では、キューバの外交政策は20世紀のプラグマチックな対応から「イデオロギーへの回帰」へと向かっており、医療、教育、災害救援等(「白衣外交」)によりベネズエラ等のいわば「盟友」諸国だけではなく、広範な発展途上国との関係が改善・強化されていること、また欧州諸国も含め世界的に対外関係は改善の方向にあることが明らかにされた。これを受けた形で宇野報告では、日本政府の対キューバ援助は本格的な経済協力実施へ向けて準備段階にあること、今後の援助政策としてはキューバにとって急務である生産性向上問題に対し、日本の経験の共有が重要であることが指摘された。
工藤報告はポスト・カストロ体制における変動要因のひとつとして黒人問題を取り上げ、ラッパーの動きから「抵抗の人種としてのネグロ」の形成の可能性を考察した。結論としては、その可能性があることは否定できないが、キューバのような混血社会では人種概念は生物学的人種概念とは異なるものとなり、むしろ「外延をあいまいにしたままの開かれた人種的共同性としての『ネグロ』の可能性」が存在するという。この指摘は混血社会全般の民族・人種のアイデンティティ問題を考える上でも重要な示唆を含んでいる。
山岡報告はキューバにおける「強力な国家」の形成要因をベトナムとの比較において分析し、主たる要因として1.伝統的農村社会の不在、2.社会的均質性、3.革命体制への帰属意識の強さ、4.市民社会の弱さ、5.高度な中央集権的経済体制などを挙げた。フロアからの指摘にもあったように、この分析は他の諸国については必ずしも当てはまらない。キューバとベトナムを比較する意義にも関わる問題である。
このパネルの報告は一部を除き表題とのずれが感じられた。キューバの「変動」の可能性やそのあり方を洞察するための第1歩ということであろう。

パネルB 「民衆の音楽・舞踊実践にみるアイデンティティの形成過
―キューバ、ボリビア、ブラジルのフィールドから―」
コーディネーター:渡会環(上智大学大学院)

ラテンアメリカのあらゆるところで、新しい文化的実践を通じてアイデンティティを表現している人々の姿がみられる。「新しい」というのは、その音楽や舞踊が近年に誕生したという意味で新しかったり、あるいはそれまでとは異なる形で展開されているという意味で新しいものであったりする。それらの新しい実践に着目し現地調査を行ってきた3会員が本パネルを企画・構成し、音楽や舞踊を取り巻く「今」に注目することで、従来とは異なってみえる新たなアイデンティテイの勃興を明らかにすることを試みた。
倉田会員(東京大学・放送大学ほか)は、近隣諸国からの影響により21世紀のキューバで暮らす若者の間で急速に広まった音楽レゲトン(クバトン)を取り上げ、1960年代に同じく諸外国との関係にもとづき若者によって実践され始めたヌエバ・トローバとの比較を通じて、キューバにおける「若者」の概念形成について論じた。政治参加の主張であったヌエバ・トローバに対し、レゲトンはラップで個人の日常生活的な内容を語り、また一種のアパシーが世代的共感を喚起していると仮定されることから、その点に社会主義キューバの若者をめぐる集合原理的な変化が読み取られるのではないかと指摘した。
梅崎会員(慶應義塾大学大学院)は、ボリビアのアフロ系住民による復権運動の推進力となった音楽サヤを取り上げた。ナショナリズムの過程で周縁化されたアフロ系住民が、サヤの実践を通してどのようにして自らのアイデンティティを再構築・表出してきたのかを、聞き取り調査とサヤの歌詞分析に基づき報告した。メディアを介すことで急速に展開した復権運動によって、文化的・社会的認知を得るという当初の目的を達成したアフロ系住民が、今後何を目指していくのかについて、フロアから質問が出た。
渡会会員(上智大学大学院)は、日本の現代的祝祭の舞踊をブラジルの日系人が自己表現の手段として変容させたYOSAKOI SORANを取り上げた。ビデオテープやインターネットを通じて日本の舞踊を導入し変容させる過程において、日系人がどのようにアイデンティティを再考したかを報告した。YOSAKOI SORANが文化的諸要素の混合によって創作されていることから、若い世代の日系人がアイデンティティを表現する上でハイブリッド性が重要性を有していることを指摘した。
    西村会員(名古屋大学)は司会およびコメントを行い、3つの事例に共通する点として、ほぼ同時代(1990年代)に起きた現象であること、だがそれは偶然ではなくグローバル化による情報流通の迅速化によって芸能創造・復興・広報ができるようになったためであること、活動の主体が若者であること、の3点を指摘した。

パネルC 「政治意識と政治参加をめぐる比較のパースペクティブ
―グアテマラとペルーの事例からみえてくるもの―」
コーディネーター:山脇千賀子(文教大学)

ラテンアメリカ諸国でも先住民人口割合が比較的大きいと考えられているグアテマラとペルーにおける政治意識と政治参加をめぐる現状について、異なる学問的アプローチによる複眼的・複合的パースペクティブを模索することが本パネルの目標であった。国民国家体制内部の分析に終始しがちな政治意識・政治参加をめぐる問題群を、グローバル/リージョナル/ローカルな視点から浮かび上がらせるような議論がしたかったのであるが、扱われたテーマの大きさに比して、それぞれの報告時間および質疑応答の時間を十分に確保することができず、活発な意見交換ができなかったのが残念だった。プログラムではコメンテーターと予定されていた出岡直也(慶応義塾大学)氏には、時間の制限により司会としての参加に変更していただいたことも、パネル運営上の不手際だったと反省している。
以下、ごく簡単に各報告の要旨を紹介する。グアテマラに焦点を絞った本谷裕子(慶応義塾大学)および狐崎知己(専修大学)両氏の発表においては、国内にむかってネイション枠組みを解体することによって見えてくるものが何なのか、それぞれ異なる学問的アプローチから示唆された。本谷報告では、先住民としてひとくくりにされている人々の内戦の経験やジェンダーによる分断状況が、調査データに照らして分析された。狐崎報告では、既存の社会調査結果のみならず、独自の詳細な選挙結果の分析や調査結果を基にして、ナショナル/地方/コミュニティレベルの選挙結果と人々の所属アイデンティティ・政治傾向の分断状況が、エスニックな所属集団に対応していない現状が示された。さらに、今後起こりうる政治的シナリオの見通しを関連する変数とからめて展開された。続いて、村上勇介(京都大学)報告では、ペルーにおける政治意識と政治参加の概観を示した後、グアテマラ・エクアドル・ボリビアなどの状況との比較のパースペクティブから、先住民運動が全国レベルでの政治に影響を及ぼす状況にない要因が、主に政治的な観点から示された。最後に山脇報告では、国外にむかってネイション枠組みが解体されつつある状況が、主にペルー出移民・在外ペルー人をめぐる政治意識と政治状況を事例として分析された。脱領土化と再帰性・相互参照性をキーワードにして、国民国家体制を支える動きと脱構築するベクトルが交錯している状況のなかで、新たな「市民」の権利やあり方が想像・創造されるプロセスとして「政治」を捉えなおす問題提起であった。
以上の報告に対してのフロアからの反応は、ディシプリンの壁を越えた自由な議論を深化させようというパネルの意図が十分に伝わったとは言い難いものだった、というのが私個人の印象であり、さらにこうした議論の場を重ねる必要を感じている。

パネルD 「地方公共政策の改善を通したポスト・ジェノサイド社会の再編
―グアテマラへの国際協力の事例―」
コーディネーター・司会:狐崎知己(専修大学)
報告(1)狐崎知己(専修大学)マクロ:グアテマラ和平協定とガバナンス
報告(2)中村雄祐(東京大学)ミクロ:地域リーダーと文書管理
報告(3)渋下賢(東京大学) ナノ:先住民教育と能力開発
報告(4)久松佳彰(東洋大学)メソ:地域経済の振興

比較ジェノサイド研究の一環として、グアテマラを対象にポスト・ジェノサイド社会の再編という視点から4名が、共同研究の中間報告を行った(中村会員については、公務海外出張のため、渋下会員が代読)。まず、ジェノサイドからの復興プロセスを分析するには、マクロやミクロなど特定の分析レベルを個別に把握するのでは不十分であり、マクロからメソ、ミクロ、ナノという国際レベルから人々の認知構造にまで至る重層的な分析レベルを相互に関連づける形で設定し、政治学、経済学、認知科学、言語学、社会学、人類学、農学などの学際的な研究グループを編成し、最低でも5年程度の調査研究を行うことの必要性が強調された。本報告は以上のようなアプローチのもと、メソ・レベルでジェノサイド社会の復興に役立つ政策立案と実証を目指した点にあり、JICAの国別特設研修の枠組みを用いたグアテマラ先住民指導者29名に対する3年間の研修内容と成果について、各報告者の専門分野からの報告が行われた。マクロ・レベルでは研修生たちがネットワークを通じて一種のスモール・ワールドを構築し、相互信頼・協力関係が高まっていること、ミクロ・レベルでは文書管理能力が先住民組織やNGO、自治体の組織運営に活用されていること、ナノ・レベルではケクチ語を用いて日本での研修成果の普及活動がおこなわれていることが紹介された。また、メソ・レベルでは研修成果を活用して、地方自治体の開発計画の策定や先住民組織による新たな経済活動の展開など地域レベルでの生活向上に資する効果がでていることが示された。
質疑応答では、報告者にとって非常に役立つ刺激的な質問が活発に寄せられた。主な質問は、「地方選挙の自由と公平性」、「研修内容の立案手法」、「研究者チームが実際に地域指導者の研修と地方公共政策の立案にコミットすることで懸念されるべき影響」、「ジェノサイドの犠牲となった人々や地域の復興に役立つ研修内容」、「非識字者に対するナノ・レベルでの効果」などである。

パネルE 「ラテンアメリカの急進左派政権」
コーディネーター:宇佐見耕一(アジア経済研究所)

本パネルでは、21世紀に出現したラテンアメリカにおける諸左派政権の多様性を認めつつも、その中で急進左派政権とみなされているベネズエラのチャベス政権、ボリビアのモラレス政権、エクアドルのコレア政権を取りあげ、各政権の実像に迫ることを目的とした。そこでは、各急進左派政権においてどのような言説が行われ、実際にどのような政策が実施されているのか、またそれに対してどのような制約があるのかなどの諸点に関し発表があった。
林和宏会員は、チャベス大統領の2006年12月の再選以降開始されたベネズエラ統一社会党(PSUV)の結成に向けた動きに関して、チャベス政権の掲げる参加型民主主義の現実と可能性に関する分析を行った。坂口安紀会員は、チャベス政権の経済社会政策とボリバル革命の展望に関し発表を行い、ボリバル革命の維持可能性は、政府の経済管理能力と石油収入の見通しによって規定されると総括した。遅野井茂雄会員は、ボリビアのモラレス政権による「新自由主義の終焉と植民地国家の解体」という目標は、どこまで進展したのかという課題を論じた。モラレス政権は先住民運動など社会運動を支持基盤としているため、その革命アジェンダはラディカルだが、「民主的革命」という表現自体に込められた矛盾と困難に直面している点を指摘した。新木秀和会員は、エクアドルのコレア政権に関し、同政権が選挙公約ないし施政方針として、制憲議会を通じた政治改革、対米FTA交渉の打ち切り、米軍によるマンタ基地の使用延長の拒否、エネルギー資源をめぐる外国企業との契約見直し等を提起している点を指摘したうえで、言説と政策の違いを見つめる必要性を強調した。最後にコメンテーターとして上谷直克会員から、各政権の組織的基盤はどのようになっているのかという問いが発せられた。

パネルD 「ディアスポラ的デカセーギの精神生活の諸相」
コーディネーター:田島久歳(城西国際大学)

ロビン・コーエンらの「ディアスポラ論」は、歴史をとおしてヒトの移動を国民国家間の移動に限定されることなくディアスポラと定義し、共通の物差しで理解しようと試みたパラダイム転換である。ただし、近年では、コーエンらのディアスポラ論が特定集団を外部規定し、ホスト社会内の隔絶された集団として固定化し、差別を増長するものとなるといった批判がなされている。本パネルでは、上記のディアスポラ論の視点から、日本におけるブラジル人デカセーギの精神生活の再構築・文化創造の過程・側面を中心に、ヒトの移動が何をもたらしているのかについて議論を進めた。
まず、鈴木康之(外国人就労者相互扶助組織代表)「日系人相談センターと相互扶助組織」報告では、ベレンやサンパウロ領事を勤めた後、海外日系人協会内に設けられた日系人相談センターの所長をつとめた経験から、行政機関による日系人支援の限界について発表した。その後、新たに設立されたボランティア団体の外国人就労者相互扶助組織の代表者としての活動内容について報告した。1990年の入管法改正により日系人の入国は容易になったものの、支援体制や受け入れ体制が未整備のため、多くの問題が存在することがあることを現場の視点から指摘して、アカデミズムの社会的役割を問う発表だった。
次に、アンジェロ・イシ(武蔵大学)「在日(在外)ブラジル人のトランスナショナルな模索」報告では、不安定な受け入れ体制の中で生活しながら、ディアスポラとして新たなトランスナショナルなアイデンティティ形成を模索するブラジル人の芸能・音楽活動といった文化創造過程の分析を、魅力的かつ豊富な実例を挙げながら行った。
山田政信(天理大学)「三重県下におけるデカセーギのプロテスタント教会」報告においては、ブラジルや日本、および世界を舞台としたプロテスタント系の新たな宗教団体形成がトランスナショナルな人の移動・交流のなかで行われている実態について発表した。
以上の報告をとおして、デカセーギ自らがディアスポラとしての内的変化を遂げつつ、日本を基点にして世界にネットワークを広げたトランスナショナルな表象活動を行っていることを明らかにして、今後のディアスポラ研究のめざすべき方向性を示唆した。

シンポジウム「転換期ラテンアメリカと日本の対応」
コーディネーター:遅野井茂雄(筑波大学)

ラテンアメリカ諸国は、厳しい構造調整の時期を経て、2000年代前半の世界経済の回復と資源価格の急騰を背景に、5%平均の成長率が5年近く続く景気拡大期に入った。また政治的には、民主化の進展と新しい社会勢力の参加を背景に、民主政治の下で社会的公正の課題に積極的に挑戦しようとする左派政権が誕生した。「ポスト新自由主義」時代の到来とも言える変化の中で、成長を背景に自信に裏づけられ、国益重視の積極的な外交を展開し始めた国が多くなったのが特徴である。
他方、日本とラテンアメリカの関係、とくに経済関係は、双方の「失われた10年」を経て20年間の停滞があり、その間、貿易拡大や資源確保を目指す中国の台頭などがあり、日本のプレゼンスは著しく低下した。こうした状況を打開するため、2004年「中南米と日本との新パートナーシップ」が宣言され、関係の再構築を官民挙げて目指すことが戦略的に打ち出され、昨年の中南米政策に関する外相演説(「中南米の意味を問う」外務省HP参照)では、社会的公正や改革を進める政権への支援が明示的に表明された。
中南米外交がこのように政策的に打ち出された自体、大きな変化と言え、メキシコ・チリとのEPAの締結、愛知万博から日本人ブラジル移住100周年、APEC開催等を通じた首脳外交の活発化など、関係活性化は着実に進んでいる。日本企業にもようやく変化が現れ、ブラジルなどを中心に市場や戦略拠点としてラテンアメリカを捉え始めたように思われる。だが緊縮財政とODA削減の中で、各国の経済水準の向上等を背景に、戦略的外交ツールであるODAを通じた援助拡大には大きな制約が立ちはだかっているのが現状である。
本シンポジウムは、こうしたラテンアメリカの変化を受け、日本とラテンアメリカとの関係再構築を様々な角度から検討することを目的に企画された。
まず「最近の中南米情勢と日本の対中南米外交」と題する基調講演で、三輪昭外務省中南米局長は、中南米諸国が社会改革のプロセスにようやく入ったとの認識の下に、国内の反応を総合的に把握・判断しながら、改革努力を支援するとの外交スタンスを強調した。ブラジル移住100周年など「周年行事」を通じた関係の活性化に触れ、これまで蓄積された信頼関係を背景に経済関係が力強く活性化してきたとする認識を披露した。また気候変動等共通のテーマに基づき国際場裏におけるパートナーシップの強化が必要であると述べた。基調報告を受け、中南米政策を統括する外交責任者と学会の研究者との活発にして率直な質疑応答が行われるなど、貴重な対話の機会となった。
これを受けて、4名のパネリストが報告を行った。
まず堀坂浩太郎会員は、ラテンアメリカ諸国のマクロ経済上の大きな変化に触れ、交易条件の好転のみならず、新自由主義を経て進んだ構造改革が重要で、グローバル化への対応力を増しており、今後、資源をどう活用するかが重要であると説いた。日本人ブラジル移住100周年に触れ、日系社会、日系人に生じている変化を強調、その固定観念を払拭し、多様な知の連携を活用し協働することの重要性を強調した。日本としても地球大での問題に対し、共に対応提示力を発揮することが必要であると力説した。
細野昭雄会員は、債務危機以降の国際援助の潮流を振り返るとともに、日本の開発支援の独自性(東アジアの経験、公平性への配慮、南・南協力等)の要点を整理し、その特徴を踏まえ、大使時代の経験に基づきエルサルバドルでの日本の東部開発協力を紹介した。改革の優等生でありながら成長と公正につながらなかったエルサルバドルの開発経験に対し、日本の開発支援が、長期的ビジョンと総合的観点に立ち、人造り、農村電化、零細部門への技術協力等を盛り込み、貧困削減への配慮等ニーズに的確に対応しているとの高い評価を得た点を強調した。
続いて坂野正典氏(住友商事総合研究所代表取締役社長)は、現在の総合商社のリスク・リターンとグローバル連結に基づく経営戦略に照らし、中南米はもはや特別視する地域ではないこと、新しい中南米を認識し、積極的に関係を推進すべきと強調した。資源エネルギー・食糧の供給先、ペトロブラスなど中南米企業の多国籍化との連携、中間層の増大に伴う消費拡大、また製造・販売・輸出の拠点としてのグローバル・バリュー・チェーンにおける中南米の役割を念頭に、日本企業がそのポテンシャルを活かしビジネスを展開することが重要であると力説、住友商事の事例から具体的に紹介した。
磯田正美氏(筑波大学教育開発国際協力研究センター准教授)は、ホンジュラス等の中米、チリ等で進めてきた理数科の授業研究の支援経験に基づき、子供が主体になった学び方、そのための教員研修の実績、教科書作成等に及ぶ成果を報告し、ODA予算の削減される中で効果的でヴィジブルで影響力の大きな相互の協力が重要との点を強調した。
これらの方向を受け、コメンテーターの恒川惠市会員は、「ポスト新自由主義」とする転換期についての情勢認識の内容を問い、青写真や長期的なモデルを欠いているのではないか、単に資源ボナンサのもと社会支出が増えているだけではないかとの問題提起を行った。中国、米国等、国際要因の分析が足りないのではないか、日本も混迷期ですでにモデルとなり得ないのではないか、削減されているODAをどうするか等の問題点を指摘した。また日本企業がラテンアメリカでリスクをとることにいぜん臆病ではないか、雇用創出効果の薄い資源に偏りすぎているのではないか、との問題を指摘した。
パネリストとの応答・討議を経て、密度の濃い応酬があり、内容のあるシンポジウムとなった。残念ながらフロアーとの質疑を交える時間を十分とることができなかったが、長時間、100人近い参加者が熱心に聞き入り、日本とラテンアメリカの関係のあり方について、改めて考える機会となったものと思われる。(遅野井茂雄)