第36回定期大会(2015) 於:専修大学

5月30日(土)、31 日(日)の両日、専修大学生田キャンハスにて第36回定期大会か開催された。両日とも初夏を思わせる好天のもと、9つの分科会、5つのパネル(うち二つは実行委員会の特別企画)、記念 講演、懇親会、シンポジウムに多数の参加者(会員159名、非会員34名)を得た。延べ人数では300名近い方々が参加したものとみられ、用意していた報告要旨集か不足する事態となり、ご不便をおかけしたことを改めてお詫び申し上げる。

記念講演では講師としてメキシコ国立自治大学(UNAM)のFederico Navarrete Linares教授を招聘し、 ”La historia de los pueblos indígenas de América en el marco de la historia global”と題する 45 分間のスペイン語による講演と質疑応答が行われた。 120 名を超える参加者に講演原稿の全文が会場で配布された。 シンポジウムでは、”Desarrollo Inclusivo en América Latina”をテーマに、メキシコ、エルサルバドル、パラグアイからの参加者を含む 5 名のパネリストかラテンアメリカにおける包摂型発展をめぐる諸概念、分析手法、成果と課題などを論じたのち、コメンテーターとフロアを交えての議論が行われた。報告、コメント、質疑応答ともすべてスペイン語で行われた。

本大会では、地域研究学会らしく政治学、経済学、国際関係、人類学、歴史学、社会学、文学、文化研究など極めて学際的な分科会とパネルが企画され、ラテンアメリカ諸国の参加者やスペイン語ての報告なども多く、参加者から好評を博した。

今回は専修大学として初めての定期大会の開催であり、試行錯誤で準備を進めざるをえなかったが、前々回及び前回の開催校である獨協大学及び関西外国語大学の手になる定期大会の開催マニュアルや諸資料が大いに役立った。実行委員会からの分科会司会の依頼を快諾していただいた会員諸氏、及び大会実行委員としてご協力いただいた会員各氏(井上幸孝、砂山充子、藤井嘉祥、 松田智穂子)、ならびに献身的に働いてくれた井上・狐崎ゼミ生に心より感謝申し上げる。(実行委員長 狐崎知己)

第36回定期大会プログラム 36

記念講演

“La historia de los pueblos indígenas de América en el marco de la historia global” (「グローバル・ヒストリーの中でのアメリカ先住民の歴史」)
Dr. Federico Navarrete Linares (Universidad Nacional Autónoma de México)

第 36 回定期大会の記念講演には、メキシコ国立自治大学、歴史学研究所(Instituto de Investigaciones Históricas)のフェデリコ・ナバレテ・リナーレス博士をお招きした。ナバレテ博士は、メキシコ中央高原の 先スペイン期および植民地時代の先住民史のほか、征服以降の文化間交渉、アメリカ大陸諸国の差別問題などのテーマに取り組んでおられ、メキシコの歴史学の第一線で活躍する歴史学者である。『メキシコにおける民族間関係』(2004 年)、『メキシコ盆地の諸民族の起源─アルテペトルとその歴史』(2011 年)、『もう一つのアメリカ史へ向けて』(2015 年)など、1990 年代から現在まで数多くの著書・論文を発表している。

「グローバル・ヒストリーの中でのアメリカ先住民の歴史」と題された本記念講演では、アメリカ大陸およびその先住民の歴史が、何世紀にもわたって西洋の歴史に取り込まれ、世界史の一部としてとらえられ てきた点を再考し、新たな観点を提示した。講演の前半では、「新世界」が旧世界のヨーロッパの歴史に組み込まれた点について、「発見」、「発明」、「抵抗」、「混血化」という 4 つのキーワードから考察がなされた。 後半では、コロンビアとメキシコの先住民の事例を挙げながら、「コスモヒストリー」 という観点からアメリカの歴史を見直すことができる可能性を論じた。講演後は限られた時間ながらも活発な質疑応答がなされ、その後の懇親会でも講演者と学会員との間で意見交換が続いた。以下は、記念講演の要旨である。

これまで、様々な観点からアメリカの歴史が論じられてきた。まず、コロンに端を発する「発見」に基づいた歴史観においては、アメリカはヨーロッパに見いだされ、 服従させられていく存在と認識された。次に、メキシコ人史家オゴルマンが提唱した「アメリカの発明」からは、ヴェスプッチの名に由来するこの命名自体か、アメリカの歴史のヨーロッパ史に対する優位性の低さを如実に表すものてあったことが見て取られる。第三に、1970年代から始まった「先住民の抵抗」という観点は、当時の政治的な状況が背景にあり、ヨーロッパ中心の見方に疑問を投げかけるものであったものの、アメリカ先住民諸集団を単純化して捉えてしまうという問題点を残した。第四に、「文化的混血化」という観点は、野心的で魅力的ではあるものの、各地域の伝統の存在を軽視したり、地域や集団間での反応の違いを説明しきれていないという課題を内包するものであった。

これらの観点を補うものとして、「コスモヒストリー」という概念を提唱することができる。それは、一つの世界史に収斂することのない複雑な実態を捉える概念であり、以下の 2 つの事例はこの概念の有効性を示してくれる。

一つめはコロンビアのインガノの事例である。インガノのシャーマンであるムトゥマホイの言説におけるスペイン人とは、 1900 年にやって来たカプチン会の宣教団を指しており、さらにマチュ・ピチュはスペイン人によって建てたられたものだという。ここから読み取られるのは、16世紀のスペイン人到来が必ずしも歴史の転換点とはされていない点である。インガノを苦しめてきたのは、先住民インカでもあり、征服者スペイン人でもあり、ずっと後にやって来たカプチン会士でもある。この見方は、外部から押し付けられた唯一の歴史を拒否するもので、我々の理解とは異なる歴史の理解の仕方を示すものである。

二つめの事例はメキシコのウィチョルである。近年の人類学の研究では、ウィチョルが外部者(メスティソのメキシコ人、外国人)と自分たちの世界もしくはウィチョル独自の世界観における両者の位置づけを明確に区別していることがわかってきている。ウィチョルにとっての時間と歴史は、ヨーロッパ人か自己と他者を区別してきたのと同様に、自己と他者を区別するものなのである。

この 500 年の間の歴史はヨーロッパ世界と先住民それぞれの世界との関係性の上に積み上げられてきた。コスモヒストリーとは、その関係性を「一つの真実」に収斂させることなく捉えようという観点である。この見方に立つことで、アメリカ大陸の歴史の複数性や異なる観点の間での対話が進み、その豊かさが一層見いだされていくことになるのではないだろうか。

(井上幸孝)

分科会

分科会1〈政治学〉
司会:内田みどり(和歌山大学)

分科会 1 では 3 つの報告が行われた。ペルーの代表制の危機を扱った磯田報告に対して、討論者の岸川会員は、報告の実証性を高く評価しつつも、政党政治が機能しているところでも住民参加や参加型予算が導入されているし、地方と国の政策課題は異なるので、もし住民参加と政党政治を機能 的代替物とみなすのなら因果関係を説明すべきであると指摘した。これに対して報告者は政党システムが崩壊しているペルーでは、住民が地方自治体に意見を表明できるルートがあることが大切である、デモはその点意見が通るか不確実である、と住民参加の意義を強調した。

吉野報告はメキシコの地方政治における選挙競争について、経済規模で国内 4 位のハリスコ州の PAN 政権が政策で成果をあげられず 18 年間保った州知事の座を明け渡したプロセスを紹介した。討論者の箕輪 会員は州政府の政策研究の先駆的意義を高く評価しつつ、報告の焦点は選挙競争の重要性なのか、それとも州政府の政策なのかを問うた。これに対し吉野会員は、政策(の成果)と選挙結果を関連づけたいと答えた。事例の選択についてもフロアをまじえて活発な議論が展開され、いくつもの有益な提案があった。

ガイアナが議院内閣制から大統領制へ移行したプロセスを紹介した松本報告に対して、討論者の岸川会員は、貴重な事例の報告であるので一層の研究の進展のために、政治体制と執政制度の問題を切り分けて論じ る必要性を指摘した(バーナム政権期の権威主義の原因は執政制度ではなくバーナム 自身の政治運営の仕方にある)。また、ガ イアナの事例はレイプハルトのいう多数決型とコンセンサス型のどのあたりに位置するのか、2000 年に導入されたエスニック対立を回避する規定には多極共存型あるいは権力分有の要素があるのかも議論になった。 松本会員は、ガイアナではエスニック対立 がインフォーマルなかたちで回避されていると指摘した。

朝一番の分科会であったが 20 人以上の参加者に恵まれ、活発な質疑応答が展開された。また国本会員から原語の仮訳が定訳化する危険についての指摘があった。これは会員全体への助言として重く受け止め たい。

◯「ペルー政治におけるポスト「代表制の 危機」に関する一考察」
磯田沙織(筑波大学博士課程後期・日本学術振興会特別研究員 D2)
討論者:岸川毅(上智大学)

1990 年代以降のペルー政治において代 表制が「危機に瀕している」と分析されたが、2000 年のフジモリ政権の終焉を経て、 代表制はどのような変遷を遂げているのであろうか。本報告では上述した問題意識を踏まえ、代表制と政治参加の関係性について検討した。

先行研究では、代表制民主主義の根幹を 支えていた政党システムの機能不全、街頭 での抗議活動の増加等が観察された場合、 代表制が「危機に瀕している」と指摘され ている。他方、市民の政治参加の制度化が 代表制の「危機」を補完し得るかといった 議論も展開されてきた。

本報告で取り上げたペルーでは、市町村レベルにおける住民組織の形成や参加型予算の導入が進められたものの、上述した制度の導入から 10 年以上が経過した後もこうした参加は様々な問題を抱えている。 従って、現段階では、参加の制度化が代表制の「危機」に与えた影響は限定的であったと結論付けた。他方、若年層の労働法改正に対する抗議デモが同法令を廃止に追い込んだ事例を取り上げ、制度化されていな い市民参加の可能性について指摘した。

◯「メキシコの地方からの民主化──ハリスコ州、国民行動党(PAN)の事例」
吉野達也(大阪経済大学非常勤講師)
討論者:箕輪茂(上智大学グローバル教育センター特別研究員)

本報告では、まず近年メキシコ地方における選挙競争が低く推移しつつある状況を挙げ、2000 年の政権交代以前から地方選挙で起こった野党の台頭いわば選挙競争を考察することは、メキシコにおける民主化の 過程を把握する上で重要な事項であると述べた。その上で、ハリスコ州の事例を挙げ、 PAN の州知事が 1995 年から 2012 年の間、州政権運営を行ったのかに関して言及した。 まとめとして州知事が公約とした州景気の回復や、治安の向上に対して好ましい結果を生み出すことが出来なかったことが、州民の失望を生んだという結論を出した。コメンテーターからは、ハリスコ州の事例を扱う理由、経済規模で選ぶと言うよりも地方の民主化が早く進んだ地域で選ぶという方法はどうか。他方、発表では選挙競争に言及しつつも、政策分析を中心としたアカウンタビリティーも扱われており、両者の整合性をどのようにとっていくのかというご意見を頂いた。会場からは州内 GDP で選択するよりも、制度的革命党(PRI)とPAN の二大政党制が存在している州で選んでみてはどうかという有益な提案も頂いた。

◯「ガイアナの政治制度の変遷 ─ウェストミンスター・システムから大統領制へ」
松本八重子(亜細亜大学非常勤講師)  
討論者:岸川毅(上智大学)

ガイアナは 1966 年の独立時、議院内閣制度をとっていたが、1980 年憲法により執行型大統領制へと制度転換し、英連邦カリブ地域では類がない政治制度の発展過程を辿った。本報告ではまず、どのような経緯で政治制度が変化してきたのか、概略を論じた。次に、シュガルトの執行府=立法府 関係モデル、デュベルジェの半大統領制モデルを用いて、ガイアナの制度は半大統領 制に近いが、大統領選出方法は議院内閣制型に類似しており、分割政府の問題が発生しないことを示した。さらに、1992 年以降与党内で大統領、首相を異なる党派、エスニック・グループから選出し、アフリカ系、インド系のエスニック・バランスに配慮する傾向があると指摘した。

分科会2〈経済学①〉
司会:藤井礼奈(上智大学大学院博士後期課程)

本分科会では、3 名の会員が現代ラテンアメリカ経済に関する研究報告を行った。

河合会員の報告は、ブラジル中央・州政府の財政・GDP 統計に基づいて「サイクリカリティ指標」を作成し、同国の財政政策の傾向が景気順応的かどうかを実証的に明らかにしようとする試みであった。討論者の山崎会員は、カウンターサイクリカルかプロサイクリカルかという論点も重要だが、ブラジルの財政運営を形成する要因の分析には、より広く全体像を捉える必要があるという点、報告者が依拠する先行研究と関連付けるのであれば、クロスカントリーデータで多くの国の最新データを検討する必要があるのではないかという点などを指 摘した。

藤井会員は、「 社会的高度化(social upgrading)」の概念を用いて、抑圧的な労働政策が敷かれるグアテマラにおいて、いかなるアクターの行動や連携が労働者の権利確保を実現し得るか分析した。討論者の 小池会員は、藤井会員の研究意義を強調した上で、東アジアの新興国の現状とも比較 し、経済的交渉力が低く企業の機会主義的行動の抑制が難しいと思われるグアテマラにおいて、「底辺への競争」を阻止し産業高度化を実現することは極めて困難ではないかという見解を示した。

大木会員は、台湾との外交関係を維持してきたグアテマラにおいて、近年急速に中国のプレゼンスが拡大していることに着目し、現状分析を行った。討論者の藤井会員は、中米諸国と台湾、中国関係の変化は今 後重要な研究テーマになり得ることを指摘し、グアテマラ経済界において対中関係に関するコンセンサスはあるのか、現政府内で親中派のグループが存在するならば、中国重視の野党 LIDER との連携模索などの動きはあるのかといった質問を行った。

会場には常時 15 名程度が参加し、各報告者に対して有益な質問とコメントが寄せられた。当日の議論を踏まえた各報告者による要旨は、以下の通りである。

◯「ブラジルにおける中央・州財政運営と地域経済」
河合沙織(龍谷大学)
討論者:山崎圭一(横浜国立大学)

本研究では、ブラジルにおける中央・州政府の財政運営が景気順応的か否かについて実証的に検証した。経済安定化を目指してカウンターサイクリカルな財政運営が行われた場合、景気後退期に財政出動や減税 を行い、拡大期に歳出抑制や増税により借入金を返済する。しかしながら、先行研究では、ラテンアメリカをはじめとする途上国においては、逆にプロサイクリカルなパターンが見られることが指摘されてきた。

中央・州政府の財政・GDP 統計からサイクリカリティ指標を作成し、財政スタンスを分析したところ、歳出面は後退期において、歳入面では拡大期にカウンターサイクリカルな傾向があることが明らかとなった。 州パネルデータ分析では、中央・州政府ともにプロサイクリカルな傾向は確認できないこと、財政改革は後退期におけるカウンターサイクリカルな対応を難しくする一方 で、拡大期におけるプロサイクリカルな財政運営を抑制している可能性が示された。

◯「グアテマラの輸出加工業における社会的高度化の現状」
藤井嘉祥(専修大学非常勤講師)
討論者:小池洋一(立命館大学)

企業の社会的責任(CSR)の世界的広がりに応じて、グローバル企業のサプライチェーン統治による途上国の契約工場の労働条件の改善が期待されている。本報告では、労働法の公正な履行や団体交渉の保証等による労働条件の改善を、産業高度化の基盤となる社会的高度化と位置付け、労働抑圧的なグアテマラのアパレル産業を事例として分析を行った。まずアパレルブランド企業の CSR にもとづく契約工場の査察 と労働問題に対する NGO の反ブランド運動の民間監視の考察から、民間監視が労働者の組合化と団体交渉の促進要因とはなりにくい点を指摘し、続いて、結社の自由と団体交渉権の保証という国内政治問題を多様な主体が関与する国際的議論の場に持ち込む手段としての DR-CAFTA の労働仲裁の役割を考察した。結論として、CSR の普及にともなう地域経済統合の社会条項の役割の重要性と企業・NGO による統治と国際公的統治の連携可能性を指摘した。

◯「グアテマラにおける中国のプレゼンスの拡大」
大木勝志(外務省在グアテマラ日本国大使館専門調査員)
討論者:藤井嘉祥(専修大学非常勤講師)

本報告では、昨今のグアテマラにおける中国のプレゼンスの拡大を、経済的・政治的・文化的視座から考察した。グアテマラは台湾と国交を結ぶ国であるが、近年、中国との貿易額の増加に加え、在香港グアテマラ通商事務所の開設や対中経済戦略フォーラムの実施等、中国との経済関係が緊密化している。また、元大統領が台湾との外交関係を維持する見返りに賄賂を受領していた事実が発覚し、台湾への風当たりが強くなる一方、次期大統領選において最有力とされる野党は中国寄りの発言を繰り返しており、大統領選の結果次第では中国への政治的接近の可能性もある。さらに、孔子学院の間接的支援を受けて、一部の公立学校において中国語の授業が開講される等、文化的にも中国の影響力が強まっている。討 論者からは、経済・政治・文化のそれぞれの分析が、どのように相互に関係し、何に収斂していくのかについて更に深く考察すると良いとのご指摘を頂いた。

分科会3〈先スペイン期社会〉
司会:福原弘識(埼玉大学教育機構)

本分科会ではアステカ 2 本、中間領域 1 本、ナスカ 1 本とバラエティに富んだ時期と地域の先スペイン期社会に関する研究成果が報告された。会場には 30 名ほどが集まり、討論者のみならずフロアからも手が挙がり、活発な議論が展開された。

岩崎報告は、アステカ図像研究を通し、血液が「人から神へ」向けて一方向的に奉納されるだけでなく、神から人へ」の分与と解釈できる場面も描かれていることが指摘され、供犠によりエネルギーが循環するという解釈が提示された。

小林報告では、アステカ(征服側)とトラパ(被征服側)それぞれに作成されたとされる貢納絵文書に対するヘラルド・グティエレスの分析と仮説が批判的に検討された。詳細な検討の結果、1510 年代の貢納増加をトラパ貢納地区への複数領主国の編入の結果として捉える説が評価できる一方、徴税官によるマージン留保仮説に関しては妥当と言えない事が指摘された。

植村報告では、中間領域において祭祀メタテと呼称される石器の形式分類と磨耗痕分析などを通し、すり道具としての利用だけでなく、イスとして利用されたと分類できるものが混在することを指摘し、今後の 研究の方向性が示された。

坂井報告では、ナスカ台地における地上絵の分布と考古遺物の分析を通して祭祀センター間のルートと景観構造の変化が検討され、パラカス期における地上絵の道標的役割が、ナスカ期においては儀礼の場所へ と変質したという作業仮説が提示された。

討論者を含む議論では、資料や方法論の妥当性などについて掘り下げた質問やコメントがなされたほか、研究に至った経緯についての興味深いやり取りなどもあり、短い発表時間であったが大変盛況であった。 以下は、討論者からコメントを受けた上での報告者自身による要旨である(発表順)。

◯「アステカ人の供犠における血のシンボリズム」
岩崎 賢(茨城大学)
討論者:杓谷茂樹(中部大学)

本発表では、アステカ人の供犠の新たな解釈のあり方を探るために、これまでアステカ供犠論の文脈ではほとんど扱われることのなかった特定の図像資料をとりあげて考察した。この図像資料とは、先スペイン 期にメキシコ高原中央部で作成されたとされる「ボルジア・グループ」と呼ばれる絵文書群の中のいくつかの図像である。

それらの図像では、太陽や月や大地が赤い血液を放出し、地上世界(人間)に注ぎ込んでいる様子が描かれている。またそうした宇宙内における血の流動の様子は、しばしば巨大な一柱の神の体内における出来事として描かれる。ここから言えることは、アステカ人にとって宇宙を構成する諸事物 は、巨大生命体を構成する各細胞・各器官のようなものであったということである。 そして供犠(血を太陽や月や大地に捧げる儀礼)は、この巨大生命体内部で血が一か所に(この場合は人間という「細胞・器官」に)滞留することを防ぎ、その全身的循環を促進・活発化させるような試みであった、ということである。

このようにアステカ供犠を「大いなる生命体のアナロジー」において論じることを、 筆者は新たなるアステカ供犠論のあり方として提案したいと思う。

◯「被征服地域から見たアステカ貢納システム─トラパ貢納地区に関するフンボ ルト絵文書断片 1 /アソユー絵文書 2 裏面の分析から」
小林致広(神戸市外国語大学名誉教授)
討論者:井関睦美(明治大学)

アステカ貢納システム研究は、『貢納表』、『メンドサ絵文書第 2 部』、モクテスマへの貢納に関する 1554 年報告』という 3 基本資料の分析に基づき構築されてきた。これらの資料は、貢納地区に編成された被征服地域の貢納の実態について何も語らない。本発表では、38 貢納地区の一つトラパ貢納地区の 1487 〜 1521 年の金粉、金板、木綿服という 3 種類の貢納を記録した『トラパ貢納記録』に関するヘラルド・グティエレスの分析と仮説を批判的に検討した。1510 年代の貢納の大幅増大は、メシーカ勢力に服属した複数の領主国がトラパ貢納地区に編入されたためとする仮説は妥当である。一方、3 基礎資料と『トラパ貢納記録』の貢納額の比較から、現地駐在のメシーカ側貢納徴収官が、3 基本資料にある戦士服と楯、カカオ用杯、ゴム製品を地元の市場などで調達し、約 1 割近くは自己のため内部保留したとする仮説は、貢納量の換算推定の手続きに無理があり、受け入れられない。

◯「先スペイン期の中米南部における祭祀メタテの機能に関する考察」
植村まどか (京都外国語大学博士後期課程)
討論者:長谷川悦夫(埼玉大学教育機構)

中米南部地域は、古代メソアメリカと古 代アンデスというアメリカ大陸の二大文明の中間に位置することから中間領域と呼ばれる。本報告では、先スペイン期の中間領域にみられるいわゆる祭祀メタテの機能について考察した。メタテとは、古代メソアメリカ地域で食物の製粉作業に利用された石皿のことで、当該地域ではメタテに線刻文様や動物表象などの装飾彫刻が施されており、それらのメタテが墓から出土する事例が報告されていることから祭祀メタテと呼ばれている。本報告では、報告者がコスタリカ中央銀行博物館およびヒスイ博物館で行ったいわゆる祭祀メタテの型式分類と摩耗痕分類の結果、さらに脚付きの台座に腰掛けた状態を模した土製品の例を挙げて、いわゆる祭祀メタテの再検討を試みた。摩耗痕分類や時期の特定などの課題は残るが、いわゆる祭祀メタテには複数の使用方法があり、その一例としてイスとしての機能があったという所見が得られた。

◯「 ナスカ台地の地上絵と景観構造」
坂井正人(山形大学人文学部)
討論者:渡部森哉(南山大学)

ナスカ台地に描かれた地上絵と考古遺物を検討することによって、ナスカ台地の南北に広がる 2 つの河谷に住む人々が、どのようなルートを通って移動し、そこでどのような経験をしたのかについて考察した。 その結果、以下の作業仮説が得られた。パラカス後期(前 400 〜 200 年頃)には、ナスカ台地を縦断する「カワチ・ルート」と 山の麓を通る「河谷間ルート」が設定され た。このルート上に描かれた動物の地上絵は、移動する際の道標的な役割を果たした。 ところがナスカ期(前 100 〜後 600 年頃) になると、動物の地上絵が巨大化し、地上絵は道標ではなく、河谷ごとの儀礼を行う場所に変質した。一方、カワチ神殿への巡礼は、諸河谷を統合する儀礼活動として位置づけられ、居住地とカワチ神殿を結ぶ道が設定された。今後、さらに現地調査を実施することで、この作業仮説を再検討する予定である。

分科会4〈文化人類学①〉
司会:本谷裕子(慶應義塾大学)

分科会 4 は土曜日午前の開催であったにもかかわらず、多くのオーディエンスにお集まりいただき、発表者三名のきめ細かな報告をもとに活発な論議が繰り広げられた。

大倉由布子会員の発表はメキシコ・ユカタン州バヤドリッドの事例から、観光経済が地域社会に浸透していく過程で、刺繍製品に新たな意味付けや機能が加えられていく状況をロトマンの文化領域論をもとに記号学的に分析したものであった。コメンテーターの禪野美帆会員(関西学院大学)からは、本発表がよくまとまっているものの、ロトマンの論にバヤドリッドの事例をそのままあてはめたという印象がぬぐえず、 伝統工芸の観光化を扱った他の研究と比べ、 その独自性が何かが不明である点が指摘された。

続く河邉真次会員の発表はペルー北部ピウラ県でおこなわれる二つの巡礼の社会文化的動態とその変遷の分析を通じて、宗教ツーリズムという視座から文化の商品化とそれに付随する諸問題を問うものであった。 コメンテーターの丸岡泰会員(石巻専修大学)は宗教ツーリズムと巡礼の定義の違いを述べられたのち、本発表では宗教ツーリズムと巡礼の違いが明確にされぬまま事例分析が行われている点、データ収集が豊富であるにもかかわらず、本発表はホスト側の視点での分析に偏りゲスト側の視点が欠けている点を指摘なさっていた。

最後を飾る桜井三枝子会員の発表は、ホンジュラスのフェミニズム運動の歩みを女性参政権に着目しながら分析したものであった。コメンテーターの北條ゆかり会員(摂南大学)はメキシコのフェミニズム運動との比較において本発表の意義を述べられたのち、本発表がこれまで研究がほとんどおこなわれてこなかったホンジュラスの事例をとりあげた点で、ラテンアメリカのフェミニズム研究の新たな地平を拓くもの であることを高く評価なさっていた。

なお、分科会 4 の発表者ご自身からの発表要旨は以下の通りである。

◯「商標「マヤ」:ユカタン・バヤドリッドを事例に」
大倉由布子氏 (メキシコ国立自治大学文哲学部大学院)
討論者:禪野美帆(関西学院大学)

本発表は、メキシコはユカタン州東部に位置する小さな観光都市、バジャドリ市における、新しい刺繍製品(アクセサリー) に焦点をあてたものである。さらに、作成・ 販売をするユカタン女性、バジャドリ政府、 および観光客にも着目をした。そして、1) 女性たちがなぜ新しい刺繍製品を創造するのか、2)どのようにそれらを売っているのか、3)彼女たちや観光客にとって、その新しい刺繍製品は何を表象するのか、を分析した。

さらに本発表は、ユリ・ロトマンの記号 論を基にしたものであった。彼の理論に よって、どのように新しい刺繍製品にどのような意味・機能を与えられてきたのかを明らかにしようと試みた。そして、ユカタ ンの女性、バジャドリ政府が、「マヤ」という言葉を、経済効果を引き起こす一因として、巧みに観光に取り入れている現実が見えたことから、新しい刺繍製品を「商標マヤ」の一部として結論づけるに至った。

◯「観光資源として演出されるカトリック聖地──ペルー北部ピウラ県の 2 つの巡礼地を事例として──」
河邉真次氏(愛知県立大学)
討論者:丸岡泰(石巻専修大学)

ペルー北部ピウラ県の二つのカトリック巡礼地パイタとアヤバカでは、各々の巡礼対象である「慈悲の聖母」と「囚われの主」の観光資源化への動きに明白な差異が生じている。前者は行政当局の協力の下、兄弟会が種々の世俗イベントを盛り込んだ大々的な祝祭を企画しており、行政もこの守護聖母を観光資源の中核に据えている。他方、 後者は 2013 年に国の無形文化遺産指定を受け、巡礼者のみならず多くの観光客の訪問が期待される一方で、社会基盤整備の圧倒的遅れに加え、行政と兄弟会との連携不足により、地域最大級の文化資源を活用できていない。しかし、住民の間では「囚われの主」の観光資源化の意識は着実に芽生えており、知的エリートによる新たな民俗舞踊の考案や、地元の観光協会による行政への働きかけも始まっている。アヤバカでは今後、ホスト社会を構成するアクター間の連携の推進が、囚われの主」の観光資源化の鍵を握ると言えるだろう。

◯「ホンジュラスの女性参政権とフェミニズム運動の歩み」
桜井三枝子氏 (南山大学ラテンアメリカ研究センター)
討論者:北條ゆかり(摂南大学)

19 世紀末、近代化に伴い自由主義憲法が制定されたが、女性参政権はなかった。 1920 年代から小学校教諭 V・パディジャら が「女性文化協会」を設立し、広範な社会運動を展開しホンジュラス女性委員会連合が誕生し、55 年国会で女性参政権を獲得した。50 年代に若い事務員 T・ロッシがバナナ・ストライキの指導者として頭角を現したが、政府により弾圧された。70 年代には都市部中流階級以上の女性にフェミニスト運動が浸透した。貧困化が加速し土地改革法が実施されたが、農村と都市部の経済格差は拡大し、農婦 E・アルバラドは農地払下げ運動に活躍した。80 年代に女性団体が誕生しマキーラ女性労働者の過酷な労働状態の調査をし、対女性法制度が整備された。2000 年代のクォータ制(30%)導入により、 政財界で重責を担う女性が増加した。以上約 20 年ごとに女性運動の歩みを概観した。見えてきたのは、女性間格差問題でありその解決への道のりは遠い。

分科会5〈文学・メディア〉
司会:後藤雄介(早稲田大学)

 本分科会では、19 〜 20 世紀転換期のメキシコを扱った報告がひとつ、現代グローバル経済下におけるトランスナショナルな動向をめぐる報告が 2 本なされたが、時代とその背景を違えこそすれ、いずれも大衆文化の生産(流通)と消費(受容)のあり方をめぐる内容であり、相互の関連性にも焦点が当てられるなど、常時 15 〜 20 名の 出席者を得て興味深い議論が交わされた。

長谷川報告は、編集者にして印刷業も営んでいたバネガス=アロージョのもとで生産されたさまざまな大衆向け刊行物のなかで、おもに戯曲を取り上げ、作者の匿名性および作品の持つ批評性について考察した。 討論者の柳原会員からは、ディアス独裁期という歴史文脈における言論の自由との関係等が問われた。

高山報告は、事前に提出されたペーパとはいささか異なる内容となったが、ラテンアメリカ諸国で生産されるテレノベラがどのように市場を拡大しているかについて、 その現状と傾向の分析を試みた。それに対して、討論者の林会員からは、テレノベラのグローバル展開の時代ごとの変容や資本戦略との関係が問われた。また、次報告の討論者でもあるネーヴェス会員からは、テレノベラ市場におけるプッシュ要因と呼応したプル要因側の重要性、および各作品のソフトパワーへも注目すべきことが示唆さ れた。

野内報告は、テレノベラのうちの、特にナルコテレノベラというジャンルに注目し、 麻薬文化をテーマとした一連の作品がどのように生産され、いかに大衆に受容されるようになったのか、そのメカニズムを解明しようとした。討論者のネーヴェス会員からは、この報告が今後テレノベラ研究として深められていくのか、それとも麻薬文化の研究へと発展していくのか、その方向性が問われた。

出席者からは、長谷川報告と野内報告のそれぞれの対象(戯曲、ナルコテレノベラ)は、社会の「不正」を表現するメディア機能としての共通性があるのではないかとの指摘がなされた。それに対しては、ナルコテレノベラの消費が「不正」の告発に繋がるとは思えないとの否定的な反応もあった。司会の後藤は、麻薬文化を扱ったドキュメ ンタリー映画『皆殺しのバラッド──メキ シコ麻薬戦争の光と闇』(シャウル・シュワルツ監督、2013 年)に言及し、ナルコテレノベラは麻薬文化の浸透の深度を知るひとつの指標になるのではないかとの感想を述 べた。

◯“La corrupción de las élites y la censura en las obras de teatro del impresor popular Vanegas Arroyo”
長谷川ニナ(上智大学)
討論者:柳原孝敦(東京大学)

バネガス=アロージョの工房がポルフィリオ・ディアス治世下に出版した約 60 の戯曲は 4 つに分類することができる。これらの作品の大半は作者不明であるが、すべてオリジナルのものである。それら一部は メキシコシティの濃厚な大衆文化の味わい、クリスマスなどの宗教的行事などを反映している。また、多くはサルスエラに着想を得ており、3 点のみが、検閲や当時の支配層の腐敗に言及している。そのうち 2 点は共通点が多く、同一の作家であることを同定することができるため資料的価値が高い。 また、このことによって明らかにバネガス =アロージョが文体や着想などを異にする多様な作家を出版していたことが伺える。これらの作品の分析によって、彼の印刷工房に関与していたそれぞれの作家の特性を 把握することができ、これらの例によって、同時に、大衆演芸の場において、民衆の政府批判がどのように形成されたかについても探ることができる。

◯“Estrategias de expansión de las telenovelas latinoamericanas”
高山パトリシア(早稲田大学助手)
討論者:林みどり(立教大学)

En esta presentación se trató el proceso de expansión que han tenido las telenovelas latinoamericanas en los distintos mercados internacionales. Dicha expansión se llevó a cabo en cuatro estadios bien definidos basados en los destinos de exportación de las telenovelas. A través del análisis de los factores que influenciaron y propulsaron la exitosa entrada de las telenovelas en cada uno de los estadios, se pudo concluir en que la expansión que han tenido las telenovelas avala lo sostenido por el“modelo de Uppsala”,que describe la expansión internacional de una firma como una secuencia que comienza extendiéndose primero a aquellos países geográfica y culturalmente cercanos para luego entrar a países geográfica y culturalmente más lejanos.

◯「ナルコテレノベラの特徴─テレムン ド作品を中心に」
野内遊(名古屋大学非常勤講師)
討論者:マウロ・ネーヴェス(上智大学)

本発表では、テレノベラのサブジャンルとしてのナルコテレノベラの形成とその背景について産業的要因及び社会的要因という観点から考察をおこなった。ナルコテレノベラが制作される産業的要因としては、 「ローカル」なテーマを主題とする作品を制作し、その作品が成功をおさめた後に、国外市場へと輸出するというテレノベラ産業の構図がある。2000 年代半ば以降、その「ローカル」なテーマのひとつとしてナルコトラフィカンテが選ばれている傾向が見られること、そして反社会的な存在としてのナルコトラフィカンテを主題として物語を成り立たせている要因として、現実社会においても見られる麻薬問題をめぐる汚職や政治不信を指摘した。

コメントで頂いたナルコテレノベラを取 り巻く状況を明示する具体的データの収集やより多角的な視点(ソフトパワー、ナルココリードやナルコ映画との比較、ナルコテレノベラに対する是非)を踏まえ、考察を進めていきたい。

分科会6〈現代社会とヒト〉
司会:牛田千鶴(南山大学)

本分科会では、3 名の会員からそれぞれ、「企業と先住民共同体」、メキシコの機能主義」、「組織犯罪の人類学」を主テーマに掲げる、刺激的で興味深い研究成果報告がなされた。最初の近藤報告に関しては新木秀和会員(神奈川大学)が、2 番目の大津報告に関しては山崎眞次会員(早稲田大学) が、最後の山本報告に関しては受田宏之会 員(東京大学)が討論者を務めた。

新木会員からは、パナマのエンベラ社会 における企業設立や先住民による起業と いった現状を、先住民共同体という現地の 視点から究明しようとするところに近藤報 告の独自性・特徴があると評価した上で、 「集合性」ならびに「共同性」という概念の 内容をより明確に示すべきとの助言がなさ れた。山崎会員からは、機能主義に取って 代わられた地域主義とは、中心と周辺の対 立、それとも融合によるものであったのか、 あるいは、中心を巻き込みながらもそれに 反発しつつ、同化することなく独自の建築 が地域主義の下で構築されたと言えるのか、 といった指摘がなされた。受田会員からは、 カルテル成員の行動を律し成員間の信頼を 確保するメカニズムの存在や、カルテルを 支える「受動的な」役割以外の女性の役割 に関する説明が求められたほか、麻薬カル テルの拡大と抗争、麻薬戦争という状況を 前に、国家への不信や法規の弾力的な解釈というメキシコの社会規範も変化していくのだろうか、といったより俯瞰的な視野からの問いも発せられた。

本分科会には、平均して常時 30 名近い参加者があった。司会の取りまとめの不手際から、フロアの方々との議論の時間を十分に確保できなかったことについては、この場をお借りし改めてお詫び申し上げたい。各報告者には是非、さらなる研究成果を基に、各地域の研究部会等で、じっくりとより詳細なご発表をしていただければと願っている。

◯「企業と先住民共同体─パナマ東部先住民エンベラに見る集合性の形式」
近藤宏(国立民族学博物館)
討論者:新木秀和(神奈川大学)

本報告では、近年パナマ国内で見られる先住民企業化の動向の概略と、エンベラによる取組について報告した。いまなお森林が多く残るダリエンに住むエンベラのもとでは国際的 NGO の支援を受け、森林伐採 活動が企業活動として組織化されるようになっている。このプロジェクトは、それ以前の違法/不道徳的な森林伐採の代替的な枠組みとして住民に受け入れられたのだが、 十年ほどの活動を経た現在、住民の多くは支持をしないようになっている。多くの不満の要因には、共同体企業を名乗るこの活動が共同体に何ももたらしていないことにあった。これは国際的 NGO らが導入する一般的なカテゴリーとしての「先住民」を念頭においた計画が想定する共同性のありようが、現地の人びとの社会生活のなかで育まれてきた共同性とはずれがあるということを示している。現地の人びとにとっては、企業化は単に現金収入の機会を提供するものではなく、社会関係の理解のありようさえも大きく変えることが迫られるようなものになっている。

◯「 メキシコの機能主義──ルイス・バラガンとファン・オゴルマンを事例として」
大津若果 (東京大学大学院工学系研究科 建築学専攻、研究生)
討論者:山崎眞次(早稲田大学)

今回の報告は、同時代のルイス・バラガン(Luis Barragán, 1902-88)とファン・オゴルマン(Juan O’Gorman, 1905-82)の作品を中心に、世界大戦でメキシコに移住した同時代の西洋近代建築家達を比較しながら、メキシコの機能主義がいわばその対概念とも言える地域主義に乗り移られる過程について、メキシコの社会変化などとどのように関連し合いながら進んでいったのかを紹介するものであった。

このような地域主義やリージョナリズムの批判性は、主流/傍流、強者/弱者、中心/周縁という相対的な力関係において、いずれも後者の立場を表明する際に機能するために、モダニズムの多くの問題点が明ら かになる。今回の報告では、地域主義やリージョナリズムという動向については、1959 年の CIAM 崩壊や、1964 年の『建築家なしの建築』展などの第二次世界大戦後の戦後建築における一潮流という定義だけではなく、20 世紀初頭のモダニズムや国際様式の完成の時点から、さまざまな建築家の内面で問われ続けてきたということを仮説として紹介した。

◯「組織犯罪の人類学──親族から読む解くメキシコ麻薬カルテル」
山本昭代
討論者:受田宏之(東京大学)

今日メキシコでは「麻薬戦争」と呼ばれる暴力的状況が拡大しているが、麻薬生産や密輸は経済的にも社会的にも大きな意味を持ち、なかでもシナロア州など北西部地域では地場産業といっていいほど地域に根 付いている。この地域を支配するシナロア・カルテルは世代交代の時期を迎えているが、 貧しい農村出身の父親たちとは異なり、ナルコの 2 世・3 世は豊かに暮らし、高学歴化しながら家業にもかかわっている。シナロア地域のボスたちは、婚姻などを通じ互いに結束を強めている。

一方麻薬の運び屋や売人など末端の仕事には、多くの女性や子どもたちがかかわっているが、その世界に入るきっかけにはしばしば家族や親族が関係している。なかでも女性は、夫や父親など家族の男性の逮捕 や死亡により、家族を養う必要からナルコの仕事についたというケースが多い。

分科会7〈歴史学〉
司会:柳沼孝一郎(神田外語大学)

分科会 7(歴史学)では、メキシコおよびブラジルの二国に関する発表が行われたが、その内容・時代背景は多岐にわたり、討論者および分科会参加会員の間で活発な質疑応答が交わされ、各報告者の研究成果が反映された示唆に富む発表であった。分科会 概要および報告要旨は以下の通りである。

長尾直洋会員は、サンパウロ人文科学研究所が所蔵する楡木久一に関する未分類の一次資料、とりわけ勝ち組の楡木久一の日記および新聞記事を整理・分析し、ブラジル移民史の一側面でもあるブラジル邦人社 会における「勝ち組負け組抗争」の時代背景について詳述し、併せて同資料の歴史的意義およびさらなる学術的活用の可能性について論述した。

和田杏子会員は、18 世紀のスペイン統治下にあったヌエバ・エスパーニャにおけるインディオ村落共同体の細分化いわゆる分村成立の推移について、プエブラ地方、メスティトゥラン、トゥラパさらにミステカにおける分村の事例をメキシコ国立総合文書館(AGN)の資料を駆使し、とりわけインテンデンテ制導入後の分村成立の変遷について論じた。

立岩礼子会員は、アステカの都テノチティトランがコルテスによって征服された 1521 年 8 月 13 日を 祝う聖イポリト祭の起源、メキシコ市の守護聖人(San Hipólito) の祝祭としての目的および 1528 年 から 1812 年の変遷について、Bernal Díaz Castillo, “Historia verdadera de la conquista de la Nueva España”の記述にも言及し、詳述した。

川上英会員は、ユカタン半島の基幹産業であった、米チューインガム巨大産業に依存するチクル産業のメキシコ中央革命政権による「国有化」、およびチクル生産地域を支配するマヤ集団の国民統合政策について、生産協同組合を導入し構造変革が試みられた 1920 年代のキンタナロー連邦領を中心に、チクル生産・輸出量のデータを駆使し、論述した。

◯「サンパウロ人文科学研究所所蔵の楡木久─資料に関する調査報告」
長尾直洋 (東洋大学人間科学総合研究所客員研究員)
討論者:住田育法(京都外国語大学)

本発表は、サンパウロ人文科学研究所所蔵の楡木久一資料についての調査報告である。特に、第二次世界大戦終戦直後のブラジル邦人社会を混乱せしめた勝ち負け抗争に関する資料としての価値に注目し、国会図書館所蔵の同氏資料と合わせて、その有用性について検討した。国会図書館には、戦前から 1960 年代前半までの同氏の日誌が所蔵されているが、サンパウロ人文科学研 究所所蔵の同氏資料からは、その続きである 1980 年代までの日誌が見つかった。これらを通して検討することで、「勝ち組」としてその一生を全うした一移民のライフストリーを追うことが出来るといえる。また、同氏資料の国会図書館への売却という出来事は、勝ち負け抗争に関する「勝ち組」 の集合的記憶を顕在化させたという意味で、 資料そのものの価値と同程度に重要であるとの指摘を行った。

◯「 エバ・エスパーニャにおけるインディオ村落共同体の変容についての俯瞰的考察」
和田杏子(青山学院大学大学院博士後期課程)
討論者:横山和加子(慶應義塾大学)

本報告では、17 世紀末から 19 世紀初頭にかけてメキシコ中央部および南部において生じたインディオ村落共同体の細分化の傾向について、メキシコ国立総合文書館 (AGN)のオンラインカタログ検索機能を 用いて抽出した件数をもとに論じた。先行研究との比較により、イダルゴとプエブラについては比較的正確な細分化の変遷を確認できるが、ゲレロとオアハカについては、 特殊な要因から正規の手続きを経ずに多くの村落共同体の細分化が進められた可能性が高いことを明らかにした。討論者の横山会員からは、意欲的ではあるものの、事例件数の抽出の精度を更に高める必要性がある点、さらに細分化以前の村落共同体数を考慮したうえで比較することでより実質的な細分化の傾向が明らかになる可能性について、ご指摘をいただいた。井上会員からは、事例件数の計上に際しての条件に関する確認や、現在のオアハカが特に多くのムニシピオ数を擁している点についてのご質問をいただいた。

◯「メキシコ市における防衛と祝祭の関連性──聖イポリト祭から──」
立岩礼子(京都外国語大学)
討論者:武田和久(早稲田大学高等研究所)

本報告では、メキシコ市においてスペイン人が 1528 年から 1812 年まで征服を祝っ た「聖イポリト祭」の開催目的について、16 世紀中は先住民に対する軍事パフォーマンスとして、17 世紀前半はメキシコ市に飲料水を提供する水源を守るため、17 世紀後半はスペイン人第 2 世代(クリオーリョ)の軍事教練の場として、スペイン王旗を掲げてプラサ・マヨールからイポリト教会までを往復し、闘牛や馬上槍試合が実施されたことを報告した。討論者の武田和久会員は、スペインにおける騎馬隊から歩兵隊への戦略上の変化の影響などを中心に、報告内容を補完する説明や質問があった。

◯「チューインガムとメキシコ革命:革命政府によるチクル産業「国有化」の試み」
川上英(東京大学非常勤講師)
討論者:ロメロ・イサミ(帯広畜産大学)

かつてユカタン半島ではチューインガムの原料チクルの生産・輸出が地域経済を支えていた。チクレロ(チクル採集人)が就労する地域は武装蜂起したマヤ集団が支配しており、チクレロとマヤ集団との衝突が 絶えなかった。一方、キンタナロー連邦領では、大会社が占有していた開発地をチクレロに分与し、マヤ集団にも土地を分与して、生産協同組合を組織させてチューインガム会社と直接チクルの取引をさせることでチクル産業の国有化とマヤ集団の国民統合が図られた。それに対して、チクル輸出と世界のチューインガム生産を独占していた米国の 3 大チューインガム会社は、非公式の協定によってチクル購入の競争をなくし、 メキシコ中央政府がチクル生産を生産協同組合に限定するとチクル購入をボイコットし、ユカタン半島のチクル価格を暴落させるなど産業を壊滅的状態に追い込んだ。従来、1930 年代初頭のチクル輸出量・価格の暴落は世界恐慌の結果としてのみ説明されてきたが、上述の歴史的背景およびチクルの代替物である東南アジア産のジェルトンの台頭という事実から、米チューインガム会社のイニシアティブの存在を本報告は明らかにした。

分科会8〈経済学②〉
司会:三澤健宏(津田塾大学)

経済学第 2 分科会は 3 つの発表が予定されていたが、当日は二つ発表が行われた。このような変更のため、セッションに割り当てられた 2 時間を十分に活用し、各自の発表と討論者からの質問に加えて、会場の参加者との質疑応答にも対応が可能となった。 討論者の安村・谷両氏による、発表内容の概略を踏まえた上での質問は的を射たものであり、発表者はより具体的な事例を提示するなど、踏み込んだ議論が行われた。

このセッションでは、新自由主義政策とその流れの延長上にある NAFTA の影響をメキシコ経済の動向に関連付けて分析する場となったが、最初の発表者、ロペス/アレソラ両氏は、NAFTA がメキシコの経済 に与えたとされる影響について、そのインパクトが決して一様ではなく、州レベルを 分析単とすることによって、NAFTA の恩 恵が特定の地域に集中することを明らかにしている。他方、二人目の発表者フェルナンデス氏は、メキシコの発展モデルを批判的に論じる際に、農業部門における、とくに北部国境地帯の米と大豆生産の事例から、付加価値をもたらす代替モデルの可能性について論じている。最初の発表者、ロペス /アレソラ両氏はメキシコ南東部のチアパス州の出身、また二人目の発表者ガルシア氏は北部国境地帯のタマウリパス州の出身であるが、両者の出身地域の違いが、各々の問題設定と分析の視点にも反映されている。ちなみに、メキシコ国内の格差について言えば、チアパスとタマウリパスはジニ係数の最大と最小値を示す州である(前者: 表 5)。

◯“El TLACAN: un balance de dos décadas(1994-2013)”
ホルヘ・アルベルト・ロぺス・アレバロ (チアパス自治大学)
エマヌエル・アレソラ・オバンド (オアハカ・マル大学、ウァトゥルコ)
討論者:安原毅(南山大学)

ロペス/アレソラ両氏は、1994 年に発効した NAFTA が 20 年を経過した現在、この間のメキシコ経済の動向について分析している。NAFTA によって貿易は拡大したが、期待された経済成長を導いたわけでは なかった。なぜなら、雇用、賃金、貧困削減の改善が見られず、また製造業中心に転じた輸出構造の変化によって経済が活性化することもなかった。州レベルの分析(周辺と 準周辺)から、NAFTA の経済効果が北部 諸州と中央の一部に集中し、それ以外の地域への波及効果が見られず、とくに周辺として位置付けられる南東部のチアパス州は NAFTA の恩恵からは完全に排除され、逆に後進性が強化される傾向が示された。南部は格差が最も大きく(表 5)、20 年間で貧困が拡大し(表 8)、さらに在米移民が急増するに至る。討論者の質問は NAFTA の影響を相対化するもので、①地域的排除の説明に対する、NAFTA 以後の包摂・統合の失敗、②周辺・準周辺の国内差異化の説明に対する、1960 年以降の歴史的背景、③貧困・格差の説明に対する、域外要因(中国の台頭、9.11 テロ、天然資源価格の高騰) の 3 つが挙げられた。

◯“Modelo de desarrollo y los retos de las reformas estructurales en Méxio. Caso del sector agrario”
フランシスコ・ガルシア・フェルナンデス (タマウリパス自治大学)
討論者:谷 洋之(上智大学)

2008 年の金融危機以来、メキシコ成長モデルの枯渇、その原因と特徴についての包 括的な研究(Huerta 2009)に対して、発表者は経済成長の阻害要因と貧困削減の取り組みが十分ではないのは、市場開放とマクロ経済の安定を求める現行の経済モデル自体の中に見出せると主張する。他方で、生産部門の中でも、とくに農業セクターの米と大豆の生産ストラテジーを地域レベルに焦点化し分析することによって、輸入と国内生産が逆転する逆境の中でも付加価値を生み出す可能性を提示する。米と大豆はいずれも 1990 年代後半から国内生産と輸入量の逆転現象が見られたが、2013 年のデータによると大豆生産では耕作地の再活性化と目に見える形での増産が示唆されている。 討論者からは、①農業生産に関する、メキシコ経済全体における地域の位置付け、② 現行の経済政策の地域農業への影響、③農業生産を地域レベルで担う具体的な主体について、質問がなされた。経済モデルと地域レベルの戦略との間に関係は見られないが、タマウリパス州の大豆生産は国内シェアの半数近くを占め、したがって他地域にインパクトをもたらす可能性が示唆される。 また、大学と政府機関の支援の下、土地に適した種子の開発によりメジャー・モンサント社との競争にも耐え、小規模ながらも高い収益を上げる農家の存在に言及がなされた。

分科会9〈文化人類学②〉
司会:梅崎かほり(神奈川大学)

 藤掛報告では、先住民文化の資源化に関する問題意識のもと、パラグアイにおけるグアラニー語の使用状況と制度化について行った調査の結果が提示された。スペイン語と並び公用語化されたグアラニー語の使用や教育が、一部の知識人や政府関係者によって制度化されるなか、実際に話されているグアラニー語との乖離が生じている現状が示された。討論者からは、ペルーやボリビアの状況との比較が示され、進展している事態がより複雑かつ多面的である可能性や、話者層ごとの状況認識に着目する必要性等が指摘された。

武田報告では、自身の参与観察に基づき、ミロンガという場において生成される社会関係と、ブエノスアイレスの日常におけるミロンガの位置づけが考察された。ミロンガという空間の中で用いられる暗黙のコードや、そこに集う人々によって実際に生きられる時間と経験についての分析が、映像と口述資料を用いて具体的に描き出された。 討論者からは、ミロンガについてのエスノグラフィーがブエノスアイレスの社会や歴史の理解にどう繋がっていくのか等、今後の研究の方向性に関して示唆に富んだ質問とコメントが寄せられた。

田中報告は、キューバで「クラシック音楽」がどのように実践されているのかを通 して、その社会的背景と今日に見られる変化を読み解く試みであった。キューバの「クラシック音楽」が、音楽家に社会的優 位性や生活の糧を与えるだけでなく、彼らのアイデンティティの拠り所となっていることを示すとともに、近年の観光客の増加によって音楽実践の現場に変化が見られることを明らかにした。討論者からは、「クラシック音楽」に着目することでしか見えない社会変容のダイナミズムが今後の研究で明らかにされることへの期待が寄せられた。また、フロアとの質疑では、ラテンアメリカにおける音楽ジャンルの境界が日本とは異なることが指摘され、本研究における「クラシック音楽」の定義が議論された。

以上、本分科会ではいずれも意欲的なフィールド調査に基づく 3 つの研究報告が行われた。二日目午前中の開催であったが、フロアには常時 20 名を超える参加者がみられ、予定時間を超えて活発な議論が交わされた。以下に報告者自身による要旨を掲載する。

◯「パラグアイにおけるグアラニー文化と表象」
藤掛洋子(横浜国立大学)
討論者:藤田護(東京大学)

南米パラグアイの人口は 669 万人であり、その内先住民族はわずか 1%と言われている。パラグアイにおいて先住民族を表象するのはグアラニーである。1995 年にグアラニー語が公用語となり、グアラニー語の放送局も人気を博している。2011 年に政府は言語法令を発令し、グアラニー語を一般化させるために言語学庁を発足させた。2014 年には政府機関の名前やロゴなどにもグアラニー語を使用するようになり 2015 年 2 月 には大学におけるグアラニー語の習得が義務付けられた。

このような動きを牽引していたのは、独裁政権時代に社会保障もなく、国家より見 捨てられ路上に住むグアラニーの血を引く一人の現代の知識人であった。グアラニー語を拡大しようとする動きと、2011 年に発令された言語法令にはいくつかの問題があり、グアラニー語教育は大きな課題に直面していることが明らかになった。

◯「Shall we タンゴ ?:現代ブエノスアイレスのミロンガにおける相互観客性」
武田優子(早稲田大学)
討論者:石橋純(東京大学)

現代ブエノスアイレスには、一般の老若男女が自らタンゴを踊り楽しむミロンガという場が、人々の日常社会のすぐ隣で、週に 100 以上開催されている。発表者はこれまで自分自身がミロンガのダンサーとして参与観察を行ってきた。本報告ではその二重性を活かしながら、ミロンガという場に生起する社会関係のあり方について、(1)ミロンガの非日常性、(2)ミロンガの遊戯性、(3)ミロンガの演劇性という 3 つの観点から考察した。その結果、ミロンガにおいて人々は、暗黙のコードをめぐるやりとりで自ら即興的に戯れる一方、演者(ダンサー)と観客の相互性と役割変換を演じている点を指摘した。演戯空間ミロンガへの着目は、国民文化や世界遺産といった、西洋近代的な芸術文化の価値意識ではとらえきれない、現代ブエノスアイレス社会の日常性考察になりうると考えられる。

◯「現代キューバにおけるクラシック音楽 の社会的布置をめぐって」
田中理恵子(東京大学大学院)
討論者:森口舞(慶應義塾大学)

本報告では、キューバのクラシック音楽を対象とした人類学的調査に基づき、1. 音楽専攻の学生たち、2. 活躍する音楽家たち、3. 愛好者たち(キューバ人/観光客)、の三つの側面に注目した。クラシック音楽 の実践は、キューバ社会において優位性を持ち、それがある程度再生産されてきたといえる。この背景には、人びとがこの音楽を、金銭や物品の獲得手段ないし精神的な拠所という意味での生存手段として、有効に機能させてきた動きが見て取れる。これに対し、近年増加する海外からの愛好者らの影響などによって、これまでクラシック音楽を成り立たせてきたキューバ特有の構造が表面化し、また変化しつつあるのではないかと指摘した。討論者とフロアからのご指摘を受け、これまで重点が置かれてこなかった「芸術音楽」から、キューバの音楽および今日的な社会文化の変化に注目することの重要性が示されると同時に、多くの興味深い課題が浮き彫りとなった。

パネル

パネルA「現代メソアメリカ社会における 古代遺跡の保存と活用─文化資源の管理を めぐる学際的パースペクティブ」
代表者:小林貴徳(関西外国語大学)

遺跡は人の手が加えられなければ廃墟に過ぎない。なかば土に埋もれた「廃墟」は、考古学者ら専門化された集団(学)によって学術的資源として意味づけされた「遺跡」となる。遺跡のなかには人類の遺産としての価値が認められるものもあり、国家(官)によって国家的資源としての「遺産」となる。その過程では、遺産を保護しつつ公開するための公園整備が進められることが多い。遺跡の公園整備は行政主導であるものの、企業(産)の投資によって遺跡ツーリズムの舞台となることもある。遺跡の観光資源化は、遺跡が位置する地域社会に対して、観光関連産業の裾野を広げるだけでなく、地域住民(民)の歴史観やアイデンティティに影響を及ぼしたり、住民の社会参加を動機付けたりする。

本パネルは、メソアメリカ地域における古代遺跡がどのように資源化されるのか、その多様なプロセスを学際的に検討するものである。資源化とは、ある事物を資源とすること、あるいは、何かの目的を達成するためにある事物を活用することに他ならないが、本パネルでは「古代アメリカ文明に関するモノと知識を何かの目的のために活用すること」と規定する。遺跡の資源化に関与する産官学民さまざまな社会的主体は、協働や排除、対立などどのように関わり合っているのか。遺跡の発掘から、遺跡を活用した地域振興や文化景観の創出にいたるまで、遺跡をめぐる実践はどのような状況にあるのか。遺跡の資源化をキーワードに新たな展望を見据える本パネルは、次の 4 つの報告により構成された。

報告 1 「考古学者は古代遺跡をどのよう に資源化するか─国家的モニュメントとしてのテオティワカン─」 福原弘識(埼玉大学教育機構)

報告 2 「遺跡を語り、活用し始めた人々──エルサルバドルにおけるコミュニ ティ考古学の実践例からみる古代遺跡の資源化のプロセス──」 市川彰(名古屋大学高等研究院)

報告 3 「観光業界、行政、そして地元住民──ステークホルダーのそれぞれの思惑が交叉する世界遺産チチェン・イツァの現実──」 杓谷茂樹(中部大学)

報告 4 「遺跡の地域資源化と文化景観の生成──メキシコの観光開発プログラム「プエブロス・マヒコス」における地域社会の取り組み──」 小林貴徳(関西外国語大学)

討論者 本谷裕子(慶應義塾大学) 鈴木紀(国立民族学博物館)

福原報告では、メキシコのテオティワカン遺跡を事例に、考古学者による学術的資源化と、行政による政治・経済的資源化の関係が検討された。国家的モニュメントとしてのテオティワカンの位置づけの歴史的経緯を明らかにした上で、報告では、考古学者が置かれる多様な立場の違いに留意しつつ、学術的な義務だけでなく観光業や国家戦略に囲まれた環境において、考古学者が実践する古代遺跡の資源化のあり方が考察された。討論者からは、市川報告に絡めて、テオティワカンにおける地域住民と考古学者の協力関係の状況についての質疑がなされた。

市川報告では、エルサルバドル共和国のヌエバ・エスペランサ村におけるコミュニティ考古学の実践に基づき、考古学者による学術的資源化だけでなく、住民による社会的資源(コミュニティの社会関係強化に寄与する資源)化の事例が論じられた。遺跡の発見から、そこに価値を見いだし、積極的に考古学調査へ参加することで自らが遺跡を語り、遺跡を活用し始めるまでの地域住民の意識や行動の変化の過程を振り返るとともに、住民参加による古代遺跡の資源化のあり方が提示された。討論者からは、福原報告に対比させつつ、考古学者と国家の関係について、とくに文化政策における本事例の位置付けを問う質疑があった。

杓谷報告は、メキシコのチチェン・イツァ遺跡公園に焦点を当て、行政・観光業者・地元露天商がそれぞれ遺跡を経済資源として利用しようとする際の葛藤を動態的に論じた。チチェン・イツァのおかれている場所を考慮しながら、報告では、遺跡公園の日常の風景が利益追求の強力なまなざしが重なった極度の緊張状態にある点、また、多数の観光客を連れてくるカンクンやリヴィエラ・マヤの観光業界の動向が行政によって管理され得ないためにその状態が強化されている点が明らかにされた。討論者からは、小林報告で言及された地域住民の連帯に関連させて、チチェン・イツァの露天商や組合の相互作用についての指摘があった。

小林報告は、メキシコ政府が進める認定型観光開発プログラム「プエブロス・マヒコス」に着目し、中央高原部の都市チョルーラの動向を分析した。プログラム認定を得るために産官学民の協働がみられていたチョルーラでは、認定後、行政主導による観光開発の表面化とともに産官と学民のあいだに亀裂が走った。報告ではメキシコで推進されている観光開発の地方分権化をめぐる問題点が浮き彫りにされた。討論者からは、古代遺跡の地域資源化に関わる地域住民が多様である点が指摘され、他事例との比較検討の必要性が示された。

パネルB 実行委員会特別企画 “Proceso de paz en Colombia: situación actual, alcance y retos pendientes”
代表者:幡谷則子(上智大学)

本パネルはロスアンデス大学政治学科 Carlo Nasi 準教授を招いた実行委員会特別企画として開催され、現在進行中のコロンビアにおける和平プロセスを取り上げ、その成果と課題について異なる側面から議 論を行った(使用原語はスペイン語)。まず幡谷が“Introducción: objeto del panel y antecedentes del tema en cuestión” にて、今日コロンビアでは「ポスト・コンフリクト」の段階を照準に入れた法制度整備や関連政策が議論されつつ和平交渉が進められていると主題を位置づけ、同問題へのアプローチにおける新しい側面に即して本パネルの意義付けを行った。次に Carlo Nasi の報告:“Las negociaciones de paz del gobierno de Juan Manuel Santos con las FARC:Balance y perspectivas”では、パストラーナ政権による FARC との和平交渉の失敗、交渉という選択肢を封印したウリベ政権(2002-2010 年)による軍事的解決方針について述べられたあと、現サントス政権が 2012 年以後再び交渉による和平プロセスに踏み切った背景と、対ゲリラ軍事政策における国政および世論の二極化に ついて考察された。2010 年の就任後 2012年 12 月までは前ウリベ政権のタカ派強硬路線を継続したサントス政権が、以後交渉による和平プロセスに転換した理由や、これまでの和平交渉政策の成果、特に事前交渉によって絞り込まれた 6 つの交渉課題の達成度などについて論じられた。次に二村久則会員(名古屋大学)が、“Las fases de las relaciones bilaterales entre Colombia y los EE.UU. en torno al proceso de paz”において第二期プラン・コロンビアも含むコ・米二国間関係の変遷を考察したのち、2012 年に再開された和平交渉について対米関係の視点から展望した。最後に千代勇一会員(上智大学イベロアメリカ研究所)が、“El impacto social del proceso de paz: reinserción e integración de los ex-actores armados”で元ゲリラ兵の社会復帰および紛争被害者に関する法制度整備過程のその実態について分析し、元ゲリラの処罰の可否、社会復帰プログラムの有効性、被害者支援のあり方などの点から、これまでの和平プロセスの問題と進行中の FARC との和平プロセスの今後の課題を論じた。

討論では、まず田中高会員(中部大学)からは中米和平プロセスとの比較において、コロンビアではなぜここまで紛争が長期化し、左翼ゲリラ勢力の政党参加が阻まれて きたのかという根本的な問いに続き、移行期正義における被害者の対応や、国民の和平プロセスに対する相対的無関心の理由などについて質問が出された。細谷会員(成蹊大学)からは、紛争が継続しているコロンビアにおける「ポスト・コンフリクト」の意味、テロリストとゲリラの区別、移行期正義に対するコロンビアの文脈での解釈と国内法での定義などについて説明が求められた。また、ペルーの経験における犠牲者への補償の技術的困難性に触れ、コロンビアでは国民和解について市民社会と国家とでどのように捉えられているかが質問された。

Carlo Nasi 先生は戦争の社会的コスト(犠牲)に対する実感が農村部と都市部とで大きく異なること、国民和解プロセスは世代を超えた長期的な課題であり、当面はまず国民が共生を学んでゆくことが肝要であると指摘した。二村会員は、麻薬密売組織とゲリラとの関係に言及し、FARC が米国への麻薬密売犯としての引き渡しを回避するためにもあくまでもゲリラとして交渉の席につく立場をとっている点を補足した。このほかフロアからは現在の和平プロセスを促すコロンビア社会の積極的な要素、和平プロセスの推進と民主体制の深化の可能性、根本の問題として残る土地問題(農地改革)などに関して積極的な質疑およびコメントが出された。千代会員は紛争被害者への補償に関する現状と法制度の適用の難しさに触れ、背景に土地権利をめぐる問題があることを指摘した。幡谷は「ポスト・コンフリクト」とは、かつては政府が既成事実化するために使われ始めたが、今日の和平交渉プロセスでは和平合意後の農業政策や野党の政治参加も視野に入れて議論されており、長期的な和平構築プロセスの一環として捉えられると補足した。本パネルは現在進行中のコロンビアの和平交渉の行方に焦点を当てて組まれたが、この課題に取り組むことで必然的に同国の政治体制と構造的な社会経済格差に接近することになり、コロンビアを総合的に理解する上でも大変有意義であった。

パネルC「ラテンアメリカの対外関係研究 における古い・新しいアプローチ」
代表者ロメロ・イサミ(帯広畜産大学)

近年、冷戦期のラテンアメリカ外交研究が盛んになってきた。なかでも、国際政治学において「古いアプローチ」として捉えられてきた外交史料の分析が目立つ。その理由は、公開されてきた英米の外交史料に加えて、今まで未公開であった旧ソ連と中南米の外交史料が閲覧可能になったからである。他方、新しいアプローチ」を用いた研究も存在する。特に大きな注目を浴びてきたのが「ソフトパワー」を用いた分析である。「ソフトパワー」とは、ある特定の問題に対して国家が軍事力や経済力による対外的強制力を避け、自国が持つ文化や政治的価値観の魅力などを通じて相手国の支持・理解・共感を得る戦略である。

本パネルでは、「外交史料分析」と「ソフトパワー」の魅力について考えてみたい。ディスカッサントは愛知県立大学の小池康弘会員が務めた。報告者のほとんどが大学院生であり、今回のパネルは現在執筆している修士論文、博士論文に大きく役立ったと思う。

第 1 の報告は、エドガル・ペラエス会員の 『日本のソフトパワーの分析: クール・ジャパン」とメキシコにおける日本のポップ・カルチャーの影響』であった。ここでは日本政府が推進してきた「クール・ジャパン」を取り上げ、その全体像を描いた。この対外政策は、主にアジアに焦点を当てきたが、日本政府は中南米、特にメキシコの重要性を忘れている。1980 年代以降、メキシコにおいて日本のポップ・カルチャーの人気が高まり、大きな市場が存在することを説明した。ディスカッサントは、メキシコの事例は重要であることを認めたが、「クール・ジャパン」のような政策が他国の選考を変えることができるのかを質問した。また親日や良好な関係を維持している国では有効であるが、その反対では有効ではないことを指摘した。オーディエンスからは、ハードパワーとソフトパワーの相互関係を考えるべきであるという指摘があった。

第 2 の報告は、一橋大学のマリアナ・キンタナ会員の『メキシコのパブリク・ディプロマシーとしてのメキシコ人のディアスポラ』であった。従来、メキシコ政府は国外にいるメキシコ人との交流を避けていた。その理由は、メキシコ外交の規則原則である「不干渉原則」の存在であった。しかし、近年メキシコ政府は、国外における自 国の悪いイメージ(麻薬密輸、治安、不法移民問題の影響で)を変えるために、米国に住んでいるメキシコ人とその子孫に焦点を当てたパブリック・ディプロマシーを展開してきた。特にメキシコ政府は自国の文化を共有するメキシコ人の移民者とその子孫を米国との架け橋にするのを試みてきた。ディスカッサントは、パブリック・ディプロマシーは重要な課題であることを強調したが、メキシコでは日本の国際交流基金のような文化を広める政府機構が存在しないことがパブリック・ディプロマシーの弱さでの象徴であると指摘した。またパブリック・ディプロマシーを明確に説明できる量的・質的証拠を示す必要があると指摘した。

 第 3 報告は、帯広畜産大学のロメロの『1960 年代前半における日本とキューバ革命政府の関係』であった。キューバ革命の勝利後、岸・池田政権は新政権と関係を深め、キューバとの国交を維持し、米国の対キューバ経済政策に反対した。先行研究では、日本のキューバ糖の依存がキーファクターであることが指摘されてきが、日本外交史料を分析してみると、その過程は先行研究が指摘する単純なものではなかった。 この報告では、戦後日本外交史におけるキューバの重要性を指摘した上で、いくつかの一次史料を紹介に加え、同じ時期に米国の他の同盟国が展開した対キューバ政策と日本の政策の比較分析を行った。ディスカッサントは、戦前から日・キューバ関係は決して良くなかったことを指摘し、キューバ革命後、両国の関係は普通になったことを指摘した。その理由は砂糖である。その意味で、資源外交」として捉えることができることを指摘した。オーディエンスからは、戦後日本の政策は、プラグマティズムが特徴であることが指摘された。しかもキューバが地理的に遠い国であることから安定した関係を維持できたという指摘があった。

第 4 報告は、オハイオ州立大学の上英明会員の『米・キューバ関係への新視角:移民協議、プロパガンダ、地政学の変動』であった。数ヶ月前に、米国とキューバは歴史的な国交正常化の交渉を開始した。ただ し、それ以前に両国は交渉をした事例がある。これが 1980 年代前半に両国が進めた移民協議であった。しかし、それ以降、米国のキューバ系団体が両国間の交渉を妨害し、米国・キューバ関係は冷戦構造から国内政治問題になり、これが解決できないまま、冷戦の終結後も対立関係が続いてきた。上会員の報告は、1980 年代前半に焦点を当て、米国、キューバ、カナダ、メキシコなどの外交資料を用いながらどのように米国とキューバの関係が構成されたのかを説明している。ディスカッサントは、米国・キューバ関係は冷戦構造から国内政治問題になったことを一次資料で明確に説明したのは重要であることを指摘した。オーディエンスからは、どうして 1980 年代を分岐点に選んだことが問われた。また冷戦終結が明確ではないにもかかわらず、交渉はできたのかは何故かが問われた。  

パネルD「詩の翻訳可能性と受容について ─ボルヘスの「十七の俳句」をめぐって─」
代表者:野谷文明(名古屋外国語大学)
司会:鬼塚哲郎(京都産業大学)

報告①「ボルヘスの十七の俳句」
ホセ・アミコラ (ラプラタ国立大学 アルゼンチン)

1951 年の「アルゼンチン作家と伝統」と題した講演で、ボルヘスは古びた国民文学に引導を渡し、世界文学へ向かう姿勢を示す。この宣言は同時に、ヨーロッパの伝統から切り離されたアルゼンチン文学の新しい潮流、そしてボルヘスのその後の作品を特徴づける手法の始まりを告げていた。パスティシュである。ボルヘスは 1981 年に出版した詩集『命数』の中で「十七の俳句」という日本の詩のパスティシュを試みている。ここには鏡や剣のような日本の神道や皇室の象徴と、「知る」「忘れる」といったボルヘス独自のテーマが組み合わされ、十七の小さな視点の連続の中に、大宇宙と小宇宙を行き来する振り子が揺れている。また、愛よりは知的な側面を重視する点にも、俳句とボルヘス作品の呼応が見られる。詩の翻訳可能性、そして西欧文学における東洋的なるもののパスティシュの観念を問うための材料として、ボルヘスの「十七の俳句」の英訳を試みた。

報告②「アルゼンチンにおける日本の詩歌の受容」
井尻香代子(京都産業大学)

俳句は 20 世紀初めに正岡子規によって確立されたが、欧米に Haiku、Haikai として紹介された作品の多くは、芭蕉や蕪村などが俳諧の発句として制作したものであっ た。今日の多言語による俳句は、連歌から俳諧に至る日本詩歌の伝統に連なるもので あり、明治以降の俳句とはその特徴を異にしている。アルゼンチンでは 19 世紀末から盛んになったジャポニスムの影響に加えて、日本人移民の積極的な俳句普及活動によって、スペイン語俳句というジャンルが成立した。ビオイ・カサレスの短編「他者のしもべ」、ボルヘスの連作詩「十七の俳句」など、アルゼンチン作家たちの作品も今日の隆盛に貢献した。アルゼンチン俳句は、ユーモア、人事の描写、取り合わせなど俳諧から受け継いだ特徴を有し、ラテンアメリカの他地域には類を見ない豊かな作品群を生み出している。

報告③「ボルヘスの詩作品を訳す──ボルヘス会による月例「読詩会」での取り組み」  
内田兆史(明治大学)

1999 年設立のボルヘス会は、ボルヘスの研究者、ラテンアメリカ文学やヨーロッパ文学の研究者、詩人、版画家、タンゴ歌手など多様なメンバーからなる。2006 年からは全集収録の詩作品を収録順に読む「読詩会」を毎月開催してきた。『ブエノスアイレスの熱情』、『正面の月』、『サンマルティンノート』『創造者』『他者、自己』まで読み進んできたが、例えば、ボルヘスが詩の並びに気を配ったであろうこと、作品の歴史的題材と制作時の社会状況との秘かな呼応などが垣間見える。また、専門の異なる者たちが同じ詩を読むことで様々な面に光が当てられること、積み重ねてきた議論が新たな議論を生むこともある。別のメンバーが担当した二つの詩のつながりや、異なった詩で使われる同じ単語の意味合いについての検討作業も興味深い。読詩会は、ボルヘスの詩の、短編やエッセイから距離を置いた特徴をあぶりだす共同翻訳作業の現場である。 ”Una mañana de 1649”を例に挙げて報告した。

報告④「詩の変容──ボルヘスのハイクか ら日本の俳句へ」
野谷文昭(名古屋外国語大学)

ボルヘスの「ハイク」は、俳句への関心を示すものだが、それは逆に日本人の関心を引き、二氏が日本語への翻訳を試みた。一人は詩人で俳人の高橋睦郎氏で、山本(佐藤)空子氏による直訳に独自の解釈を加えて俳句形式に作り替えた。俳句特有の季語を加え、視点を主観から客観へ変更するこの超絶技巧を駆使した試みは「すばる」誌 1999 年 10 月号に掲載された。もう一人は清水憲男氏で、敢えてボルヘスの『遊戯』の仲間入りをさせてもらうとの不遜な試み」に挑んだ(2006 年 8 月)。これは現在 Web 上で読むことができるが、高橋訳を参照していないと思われ、俳句形式で直訳的翻訳を行っている。それだけに両者の試みを比較すると、ボルヘスの詩の鑑賞と解釈の多 様性とともに翻訳の可能性について貴重なヒントが得られる。また、俳句がユニバーサルな詩的ジャンルとなった現在、海外の詩人たちが生む質の高い作品に真摯に向き合うことは、俳句並びにハイクの可能性を広げ、深化させるだろう。

ディスカッサント①
太田靖子(京都外国語大学)

報告者①への質問:ボルヘスの作品は 17 句の連歌風とも読むことができる。ボルヘスは 17 音節の俳句の力を信じていなかったのだろうか。

報告者①の回答:同じ語彙やテーマの使用と詩の並びに連歌的な意識が感じられるが、その一方で、17 の詩にはそれぞれの作品としての独立性も保持されている。

ディスカッサント②
真下祐一(駒澤大学)

報告者②への質問:アルゼンチン以外のラテンアメリカ諸国において、日本の詩歌はどのように受容されているのか。

回答(伊藤元ベネズエラ大使、高木加奈氏、報告者②)会場の出席者の参加を得て、ベネズエラ、ブラジル、ペルー、メキシコ等における現状が報告された。  

パネルE「イエズス会宣教を通じてのエリート現地民の誕生と社会・宗教組織の形態──アジアとラテンアメリカの比較に向けて──」
代表者:武田和久 (早稲田大学高等研究所)

本パネル「イエズス会宣教を通じてのエリート現地民の誕生と社会・宗教組織の形態──アジアとラテンアメリカの比較に向けて──」は、武田和久(早稲田大学高等研究所)を責任者として組織され、武田を加えた計 4 名の発表者と、一人のコメンテーターを交えて実施された。

本パネルは、主に「信心会」と訳出される宗教組織 cofradía(西), confraria(葡)が、12-13 世紀のヨーロッパで誕生し、大航海時代を経てヨーロッパ域外に拡散し、土着の社会制度や文化といかなる融合と齟齬を引き起こしたのかという問題を、近世ラテンアメリカと日本でキリスト教布教に従事したイエズス会士と信心会との関わりを中心に比較した。

第一報告(武田「信心会研究に関する若干の考察──グローバルな視点──」)では、中世ヨーロッパにおける信心会の誕生から、近世におけるヨーロッパ域外への同組織の拡散を素描し、この拡散にイエズス会が多大な役割を果たしていたことを指摘した。信心会に関する先行研究を概観し、続く三者の発表の理解を促すための導入的な報告であった。信心会の会員同士は「擬制的家族」と呼ぶに等しい血縁によらない紐帯を結んでいたこと、存命会員のみならず物故会員に対してもこうした擬制的家族という意識が及んでいたこと、天上の神とは信仰を通じての垂直的な絆を結ぶ一方で、会員同士は友愛に基づく水平的な絆を結ぶという、二つの異なる絆が存在していたことなど、信心会が、歴史学のみならず社会学や人類学の観点からも重要であることを指摘した。

第二報告(Guillermo Wilde (Universidad Nacional de San Martín / 国立民族学博物館), Identidad religiosa, memoria social y persona en las misiones jesuíticas de Sudamérica: congregaciones religiosas guaraníes y chiquitanias en los siglos XVII y XVIII)では、現在のパラグアイおよびボリビアでイエズス会が導入した信心会の発展と、「etnogénesis misional」との関連が議論された。先住民を主体として組織された信心会には、イエズス会士より有能かつ模範的キリスト教徒と認定された、いわば 「エリート先住民」が入会を許され、スペイン語やラテン語の読み書きなどの特殊教育を受け、ヨーロッパ伝来の技法に基づいて絵画や楽曲を作成する術を学んでいった。やがてこうした教育を修めた先住民たちは、イエズス会士から学んだ知識や技術を自己同定のための基盤とみなすようになり、先住民改宗施設(ミッション)に基づいたエスニック生成」(etnogénesis misional)が起きたというのが Wilde の主張であった。

第三報告(川村信三/上智大学)「16 世 紀日本布教地における慈善型「兄弟会」の 機能と発展─葬儀、病院、代替教区─」では、16 世紀の日本にイエズス会が導入した信心会の制度や組織が、代替教区の役割を果たしたことが指摘された。ヨーロッパでは、まず古代に教区が設定され、その後の中世において教区に根ざすかたちで信心会が発展するというプロセスが見られた。しかしそもそも教区という教会制度が存在しない日本では、信心会が教区の役割を担っていたというのが川村の主張である。また信心会が日本に定着する際、既存の仏教等の慣習や制度と融合しながら進展していったという点も、川村報告のポイントであった。例えば「慈悲役」なる日本型信心会の役職は、こうした融合の典型例である。

第四報告(Carla Tronu Montané (Japan Research Centre, SOAS, University of London), La relación entre las cofradías y el sistema de parroquias católico en la ciudad de Nagasaki en el siglo XVII)では、 17 世紀の長崎を事例として、信心会と教区との関係が議論された。はじめに長崎という街の特徴が紹介され、年を追うごとに信心会の数が増え、同じく教区の数も増加、細分化していくプロセスが説明された。中国や朝鮮半島の出身者やポルトガル商人の存在など、17 世紀の長崎は国際都市であった。Tronu は、こうした様々な出自、文化を有する人々から構成される長崎において、信心会と教区が相関的に発展し、やがては長崎そのものが「聖なる空間」として帰結するに至った流れを議論した。

4 名の報告の後、桜井三枝子(南山大学ラテンアメリカ研究センター)よりコメントがなされた。中米マヤ先住民村落の事例から」として、同氏が長年にわたり携わってきた現代グアテマラの信心会に関する人 類学的な研究が紹介されつつ、スペイン植民地期に導入された信心会の現在の状況、またグアテマラの人々への受容のされ方が、豊富な写真と合わせて説明され、信心会のグローバルな拡散の一端が解説された。また本パネルが時空間的に広大な広がりを持ち、人類学や社会学的な観点も重視する学際的なものと指摘され、中近世のみならず、現代の信心会をも視野に入れた総合的な共同研究へと発展させることの重要性が明らかになった。

最後に来場者を交えた全体討論を行った。植民地であった南米と、そうではない日本における信心会を比較する際の留意点は何かという質問や、イエズス会以外の他の修道会主導のもとで設立された信心会と、イエズス会型のそれとを比較する視座の有効性など、広い観点に基づく問題が提起された。

シンポジウム

“Desarrollo Inclusivo en América Latina”
コーディネーター:狐崎知己(専修大学)

ラテンアメリカでは 21 世紀に入り、貧困率の減少とジニ係数で計測される所得格差の是正が同時に進行する事例がみられる。ブラジルが顕著な例であるが、他方、グアテマラやコスタリカなど、貧困率の減少傾向が停滞し、格差が拡大傾向にある国々も存在する。同時に注目される傾向として、”Desarrollo Inclusivo” 以下 DI)を新たな開発アプローチないし政策目標として掲げる中南米諸国や国際開発協力機関が増えており、貧困率と所得格差の減少と DI という開発政策の間の関係性が研究者の間で注目されている。

シンポジウムではまず狐崎がグアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラスの中米 3 か国と米国が 2014 年に締結した Alianza para la Prosperidad を紹介し、締結に至る問題背景として、中米における犯罪・暴力と貧困を起因とする国内避難民と移民の激増傾向を指摘し、Alianza の基軸として包摂型成長が掲げられていることを指摘した。DI を論ずる際に、開発経路という視点から現在に至るまでその対極に位置する中米 3 か国がいかなる形で ”exclusivo”から ”inclusivo”に経路を転換することが可能なのかを問題提起とした。また、これまでにも ”desarrollo”に対して ”participativo”, “integral”, “sostenibile”, “equitativo”などさまざまな形容詞が付け加えられてきたが、 ”inclusivo”が果たしていかなる付加価値を加えることができるのかをパネリストに課題として問いかけた。

最初のパネリスト内山直子会員( 日本学術振興会・特別研究員/神戸大学)は、 ”Concepto y Análisis Económico del Desarrollo Inclusivo” と題する報告において、DI の定義を諸研究者や国際開発協力機関のサーベイから整理したうえ、 ① Crecimiento Económico Relativo favoreciendo a los Pobres、 ② Inclusión Social、③ Protección Social y Resistencia al Riesgo y la Vulnerabilidad の 3 つの柱から構成される指標群を中米諸国の実態に即して比較分析され、3 つの柱の関係性と中米諸国間の DI の相違を明確に提示した。

次に、エルサルバドルから来日された Manuel Edagardo Lemus 氏(SICA:中米統合機構)が ” Lineamientos del SICA sobre el Desarrollo inclusivo en Centroamérica y República Dominicana, con énfasis en la seguridad ciudadana”と題し、SICA の設立経緯、中米紛争の和平プロセスと復興、そして現在の中米市民の安全保障戦略(ESCA)における地域的な取り組みを論じた。

Héctor Salazar 氏(BID:米州開発銀行) は El Colegio de México の教員の後、ワシ ントンの米州開発銀行本部で社会局長という要職にあり、 ”Desigualdad en América Latina: Logros en la última década y Desafíos”と題する報告で、2003 年以降の中南米諸国における貧困と所得格差の是正について的確なデータ(evidence)を提示したうえ、貧困層の労働所得の増加と教育の期待収益の低下、条件付き現金給付(CCT/ TMCs)と非拠出型年金プログラムの効果を論じ、マクロ的な条件として 1990 年代の構造調整と市場開放、並びに過去 10 年のコモディティ・ブームの影響を指摘した。他方、現金給付の負の影響としてインフォーマル部門への滞留効果とフォーマル部門への懲罰効果が観察されることから、今後のラテンアメリカの発展には教育の質的改善と並んでインフォーマル部門のフォーマル化を通した生産性の向上が優先的に取り組まれるべき課題であると結論づけた。

藤城一雄氏(JICA:国際協力機構中米・カリブ課長)は ”Nueva ruralidad y desarrollo inclusivo: experiencias y políticas de JICA”と題し、農村開発におけるテリトリアル・アプローチの理論的政策的系譜を整理・紹介されたうえ、JICA が 2000 年から 2014 年にかけて中米諸国で実施してきた 33 件の開発協力プロジェクトをテリトリアル・アプローチに許して評価し、生産・所得の向上では効果が出ている反面、政治・制度分野においては頻繁なる職員の交代と政権交代のために持続性・自立発展性が課題として残されていると結論づけた。

最後のパネリストである César Cabello 氏(Instituto de Desarrollo)はパラグアイから来日され、 ”Modelo del análisis causal para el desarrollo inclusive territorial”と題し、因果推論モデルに依拠したテリトリアル・レベルでの意思決定の三層モデルをエクセル・ファイルで操作可能な形で提示し、開発プロジェクトの持続性欠如の要因として深層レベルにおける政治的利害関係と中間レベルにおける制度取り決めの交渉と合意形成が不十分であることを指摘した。

コメンテーターの久松佳彰会員(東洋大学)は、各報告の論点を的確に整理したうえ、ラテンアメリカにおける DI の阻害要因、各関連機関の DI への貢献と具体的成果、成功プロジェクトのスケールアップ問題、コモディティ・ブームの偽装効果、交渉と合意形成における暴力集団の取り扱いなどを各報告者に問いかけ、フロアーからも DI の基盤となるべき財政改革、貧困層の交渉参加といった質問がくわわり、活発な質疑応答が行われた。

各報告者は 40 枚を超えるスライドでプレゼン資料を作成され、学会 HP へのアップロードを通して会員に資料提供された。