第37回定期大会(2016) 於:京都外国語大学

第37回定期大会実行委員長 立岩礼子(京都外国語大学)

今年度の定期大会は、6月4日(土)および5日(日)の2日間、京都外国語大学(京都市右京区)において開催され、政治、経済、移民、人権、教育、開発、文学、歴史、文化人類学などのテーマについて、9つの分科会と5つのパネルで活発な議論が行われた。

記念講演は200人収容の小ホールがほぼ埋まり、フランス国立スペインおよびイベリア半島高等研究所Casa de Velázquez所長Dr. Michel Jean-Marie Bertrandを招き、“La construcción del Estado colonial en América: de la historia de las instituciones a la historia de las prácticas políticas”と題して、とくにフランス人研究者による植民地研究への貢献を中心に、スペイン植民地経営の枠組みと実情についての研究成果について講演が行われた。多くの会員の関心が現代の政治や経済にあるということで、ベルトラン教授は大枠の説明を優先させ、ご自身の研究成果については少し触れるだけと配慮されたようであった。また、進行の都合上、質疑応答の時間はとれなかったが、ランチミーティングや懇親会で、多くの会員がベルトラン教授と直接意見交換する機会を持っていただけたのは幸いであった。近い将来、フランスからの奨学金や研究助成を得て、スペインにてラテンアメリカのテーマで研究に取り組む会員が増えることを期待したい。

シンポジウム「ラテンアメリカにおける女性の政治参加とジェンダー・クオータ」では、アルゼンチン、ボリビア、コスタリカ、ニカラグアのケースについてそれぞれ睦月会員、重冨会員、丸岡会員、松久会員からの報告があり、こうしたラテンアメリカの動きを丁寧に追うことで、この地域が抱える複雑な問題を浮き彫りにし、ひいては日本の状況を問うことにもつながった。開始時には、昼食休憩からの戻りが遅く、また新理事会が長引いたことも手伝って、集まりが悪かったが、ピーク時には70名ほどの参加があった。報告もさることながら、討論者に秋林こずえ氏と菊池啓一氏を迎えたことで討論も聞きごたえのある内容となり、パネリストの方々が入念に準備してくださったことに感謝申し上げる。本研究がさらに進化発展し、その成果が再び会員の皆様に還元されることを切に願う次第である。

以上、終わってみれば大会は一定の盛り上がりを見せたようではあるが、実行委員会としては、近年の京都の宿泊施設の不足と値段の高騰に、どれほどの会員の参加が期待できるか甚だ心配であった。幸いにも予想以上の参加があり、用意した要旨集200部は初日終了時には残部40部となった。急遽追加コピーで対応した。ただ、急いだため、そのコピーに乱丁があったことをお詫び申し上げる。最終的には、非会員約30名を含め、合計200名強の参加があったとみられ、延べ人数も相当数になったはずであろう。懇親会の参加者も100名を数えた。懇親会は学生会員のために会費を低く設定し、交流の輪を広げるべく自由に歓談するスタイルにした。新しい研究構想やプロジェクトが生まれるきっかけになっただろうか。

また、会員の成果の発表の1つとして出版社との接点が増えるようにと、当初出展スペースを2か所用意し、休憩所のほか各発表会場出入り口付近にもスペースを提供した。今年から、賛助会員を除く出版社の出展料が大会開催校に支払われることを考えれば、出展スペースの拡大は当然の配慮ではあった。しかし、映像や音による教材や書籍の宣伝をはじめ、あらかじめ出版社どうしで取り決めておく事項が多くあるとのことであった。実行委員会として書籍の受け取り、スペースの提供、初日終了後の商品管理だけでは不十分であることが判明したため、次回からは出展を希望するすべての出版社との事前協議を検討する必要がありそうだ。

さらに、2月から4月上旬にかけて司会や討論者探しをする中で、病気や介護で出席が叶わない会員が多いことを知った。また、大会運営やプログラムのキーパーソンが数人体調を崩され、非常に心配した。会員やそのご家族の一日も早い回復と学会への完全復帰を祈る次第である。一方、妊娠中や授乳中の参加者もあり、今後の大会においては、こうした対応の充実を図る必要を強く感じた。

最後に、大会運営にあたって大串前会長はもとより前理事会の方々には様々な助言をいただき感謝申し上げる。また、司会や討論者を引き受けてくださった会員の皆様にもお礼申し上げるとともに、報告が年報に投稿されるよう、引き続き報告者への激励をお願いしたい。そして、私自身を含め、報告者の方々には、『研究年報』への投稿を通じて、学会の活性化ばかりでなく、本学会からの「知の発信」に寄与していこうではないか。

第37回定期大会プログラム 36

分科会

分科会1 アンデス諸国の政治変化
司会:生月亘(関西外国語大学)

本分科会1「アンデス諸国の政治変化」では、3名の会員による研究報告発表があった。岡田勇会員は、「ボリビアの新鉱業法の問題」、杉田優子会員は、「エクアドルの教育改革の問題」、河内久実子会員は、「コロンビアにおける国際協力の問題」に関する発表があった。ボリビア、エクアドル、コロンビアと、アンデス諸国における政治、教育、安全保障の問題であった。政治学の分野だけでなく、広くアンデス諸国に関わる研究者にとり、近年のアンデス諸国の政治問題の動向には目が離せない状況の研究報告であった。フロアーも満席の状態であり、この地域の政治状況に対する会員の関心の高さを示していた。

ボリビアのモラレス大統領、エクアドルのコレア大統領による社会改革は、いかに両国の社会に大きな変化や影響を与えているのか、岡田会員は、ボリビアの鉱業部門の詳細な事例から、杉田会員は、自らがNGO活動を行っている教育活動の視点から、その問題点の紹介を行った。両大統領の具体的な影響力についてボリビア、エクアドルの社会状況を知る上で大変興味深いものであった。今後の両国の動向にも注目したい点である。

一方、河内会員は、コロンビアにおける国際協力活動を行う、協力隊員の安全管理に関する事例報告であった。国際協力の問題に関しては、協力隊員の援助活動は、実際に常に危険と表裏一体であるにも関わらず、隊員の安全管理やリスクマネジメントの問題はなかなか声として表面化していなのが実情である。外交政策としても、海外援助を実際に行う当事者である協力隊員に対する安全管理は、今日、重要な問題である。日本の国際協力の課題としても、考えていきたい点である。

フロア全体からの質疑応答も活発にあり、大変意義のある分科会であった。各発表者からの報告は以下の通りである。

◯なぜ新鉱業法の作成は遅れ、しかし成立したのか?―今日のボリビアにおける大統領と社会組織の関係―
岡田勇(名古屋大学)
討論者:宮地隆廣(東京外国語大学)

岡田報告は、ボリビアの鉱業部門についての詳細な事例研究から、エボ・モラレス大統領と社会組織との関係を論じた。モラレス政権は、2006年から鉱業部門における国家管理の強化を謳ってきたが、新鉱業法は2014年5月にようやく実現した。まず法案成立が遅れた原因として、強力な社会組織である鉱山協同組合(FENCOMIN)の抵抗があったことが紹介された。続いて、モラレス大統領がFENCOMINに便宜をはかって、政府の外で起草委員会で法案がデザインされることを認めながらも、最終的にはFENCOMINを説得して妥協させるのに成功したことを明らかにした。一連の過程から、モラレス大統領の果たす役割の大きさが強調された。討論者の宮地会員からは、モラレス大統領は議会や行政組織を無視した裁量拡大や権限濫用を行っているわけではないのではないか、FENCOMINが妥協したのは勝ち馬にのろうとする行動として理解できるのではないかといった指摘が寄せられた。またフロアからも多くの質問があった。

◯エクアドルの教育改革と市民参加の現実──北部シエラにおけるNGOの経験から──
杉田優子(エクアドルの子どものための友人の会)
討論者:受田宏之(東京大学)

エクアドルの教育政策の一つであるミレニオ学校の建設に伴うピチンチャ県の小規模校の閉鎖に対する再開への取り組み、また学校給食の廃止による栄養問題と子どもの権利への侵害を根拠にした告発という2つの問題に焦点をあてて市民による2つのタイプの抗議活動について報告した。一つは、子どもの権利を守るための法律と制度に則った取り組みであり、もう一つはコムニダの強い集団交渉によるものである。集団交渉による抗議の形はこれまでも取り上げられてきたが、制度を活用し行政組織を動かした抗議活動の例は少ない。市民の政治参加を唱える政権の政策は実際に機能する場合もあるが、それには制度を熟知したキーパーソンが必要であること、中間機関が適切に機能していないことなどを示した。会場からは教育改革の現状についての質問があり、公表されるものとは異なる側面も紹介させていただいた。全過程を通してディスカッサントの受田さんには多大なご助言をいただいた。

◯国際協力と安全管理──麻薬戦争下のコロンビアで活動した青年海外協力隊を事例として──
河内久実子(横浜国立大学)
討論者:狐崎知己(専修大学)

本研究では、無差別テロや誘拐事件が頻発した麻薬戦争下のコロンビアで活動した協力隊員91名分(1985年-1991年コロンビア着任者)の『隊員報告書』を主な一次資料とし、現地での隊員の活動状況、隊員を取り巻く安全対策の実態と安全対策がボランティアの国際協力活動に与える影響について考察した。当時の彼らの経験を分析した結果、恐怖やストレスを感じながら活動を続けた隊員の存在や、約20%以上の隊員が強盗被害や発砲現場に居合わせるなどの危険な体験や任地変更を経験していたことが明らかになった。その一方で、協力隊が当時のコロンビアで活動を続けることが可能だった要因は、「厳しすぎる」と批判されたJICAの安全対策によって、隊員の危機管理意識が高まった為との結論に至った。安全対策と協力活動のバランスに関しては、安全対策が任地や配属先との「信頼関係の崩壊」を招くことが本研究にて事例として示された。 討論者及び参加者からは、今までにない新しいテーマと研究手法であるとのコメントがあり、さらに研究を発展させるために、ODA事業の一つである協力隊事業の性質やJICAや外務省の安全対策ガイドラインや情報源についての言及の必要性などが指摘された。

分科会2 越境から定住へ
司会:布留川正博(同志社大学)

分科会2では2つの報告が行われた。いずれも、舞台は違うが、国境を越え移住してきた人々の定住過程の問題群を探った報告であった。在日ペルー人の子弟教育の問題を扱ったピニジョス・マツダ報告では、日本には現在5万人弱の在日ペルー人が生活しており、そのうち永住権を取得している人が7割にのぼっていることを前提に、各家庭における子弟教育の問題が大きく浮上してきたことが指摘された。報告者は、神奈川県西部に住む在日ペルー人20人から聞き取り調査を行い、「家庭での母語使用・文化伝達」に焦点を当て、その結果を来日第一世代、同第二世代、日本生まれ世代に区別して、その特徴を説明した。その分析は、これまでの研究の常識的な見解にとどまり、討論者の山脇氏からは、日本は外国人に対して母語の保証をしていない国で、アメリカやヨーロッパの外国人に対する保証や支援の状況を研究し、在日ペルー人の当事者としてオリジナルな貢献を期待しているとコメントされた。

在米エルサルバドル系二重国籍者のトランスナショナルな結びつきと政治意識を扱った中川報告では、ロスアンジェルスとサンフランシスコで2015年に共同研究者の中川智彦氏とともに行った現地調査に基づき、彼らのアイデンティティや政治意識を問題にしている。アンケート調査では、①本国の家族・親族への送金の有無、②本国地元社会の諸団体への投資・寄付・党費のための送金の有無、③本国への一時訪問の頻度、などを質問項目とした。その結果、本国地元の団体への送金や一時帰国の頻度が高まる傾向は、渡米期間が20年を超えてから強まること、また、米国市民権や持家を取得しても、アメリカ市民としての意識を持たない人たちが85%にものぼることが明らかになった。討論者の渡辺氏からは、当事者の政治意識の捉え方はフォーマルで、もう少し広くとらえる必要があるのではないか、また、定量的分析だけではなく、当事者それぞれに対するディープなインタビューを試みる必要があるのではないか、といったコメントがなされた。

◯在日ペルー人保護者の教育戦略  
デレク・ケンジ・ピニジョス・マツダ(上智大学大学院博士後期課程)     
討論者:山脇千賀子(文教大学)

神奈川県西部に位置するペルー人コミュニティを中心とした調査の報告と彼らの持つ言語における教育戦略について発表した。討論者の山脇先生より、本発表を日本ラテンアメリカ学会において発表する意義の確認があった。本発表は教育学系の学会で発表する内容となっており、日本ラテンアメリカ学会会員の方々に発表する内容には思えないとのコメントを頂いた。また、本発表はこのコミュニティを中心に理論も展開されているが、実際にはアメリカから始まった公民権運動などを参考にする必要があるとの指摘があった。また、フロアからは全体的に勉強不足だという指摘も受けた。今後は、歴史的観点等も取り入れた形で本研究を改善させていくことを目指したい。

◯在米エルサルバドル系二重国籍者のトランスナショナリズムと政治意識
中川正則(フェリス女学院大学)      
討論者:渡辺暁(山梨大学)

2015年のカリフォルニアのアンケート結果から、本国生まれのエルサルバドル系二重国籍者(64名)の国民意識、トランスナショナル行動と、米国と本国にわたる政治行動・意識との関連性について報告した。米国籍を取得しても米国市民意識は低く、本国選挙での投票を目的に一時帰国し、将来的に本国への永住帰国を希望する10名では特に、移民以前の本国と市民権取得後の米国での選挙投票率がともに高く、かれらの投票の持つ影響力への信頼度の高さが提示できた。ただし、データの少なさが課題である。

討論者、フロアから次の点が指摘された。本国での自由選挙が疑問視される内戦時も、他の時代と同列に投票行動をとらえていいのか?米国人意識などのアイデンティティは社会的場面に応じて変わりうるのではないか。 状況に応じて回答が変わりうる定量学的調査よりも、組織指導者などに人類学的手法でインタビューする方が適切ではないか。これらは今後の課題としたい。

分科会3 文学・大衆文化
司会:立林良一(同志社大学)

本分科会では20人ほどが参加する中、詩に関する報告2つと、メキシコの大衆向け出版物に描かれた女性像についての報告1つが行なわれた。中村会員はホセ・マルティの詩に現れる色彩表現の中で特に青について注目し、この色が帯びている肯定的なイメージを様々な引用を通して分析した。討論者の安保寛尚会員(立命館大学)からは、分析対象が多すぎたために結論が少し漠然としてしまったが、マルティの青の持つ「美しさ、やさしさ、愛」といった側面に注目した点に発表者の独自性が感じられたとの指摘がなされた。フロアからはV.ユゴーやランボーからの影響についての質問、思想的な側面との結びつきに関する質問などが出された。太田会員はグアテマラのフラビオ・エレラのハイクをいくつか取り上げ、特に「アチョーテ」と題された作品の、ホメーロスと結びつけての読み取りを通して、スペイン語ハイクの、季語を持つ日本の俳句とは異なる表現的広がりの可能性について論じた。討論者の井尻香代子会員(京都産業大学)からはそうした可能性の指摘を評価すると同時に、エレラの作品の官能性、メキシコのタブラーダとの影響関係について質問が出された。長谷川会員は19世紀のバネガス=アロヨ社のコミカルな印刷物から読み取れる、メキシコ市の社会底辺層の女性たちの結婚願望や、男女関係、生活実態などが示された。討論者の田中敬一会員(愛知県立大学)からは、当時の識字率を考えた時、こうした印刷物が飛ぶように売れたのはなぜなのか、どのような読者がこれを買い求めていたのか、またこれらが果たした社会的役割についてどのように考えられるか、といった質問が出された。配布資料に掲載されていたのはポサダのイラストひとつだけだったため、映像資料を投影しながらの発表であれば一層興味が深まったであろうと感じられた。以下、報告者による要旨である。

◯ホセ・マルティの詩における色彩表現について──青を中心に──
中村多文子(京都外国語大学他非常勤講師)
討論者:安保寛尚(立命館大学)

ホセ・マルティの詩に使われる色のなかで、本報告では青に着目した。青の主な使われ方として、空を意味する表現、空の色としての青、その他の表現に分類でき、空にかかわる表現は青の使用の半数近くに及ぶ。空を意味する表現では、格別独特な表現は見当たらないが、それが示す場所は、傷ついたものや疲れたもの、恐怖などを包み込むような場所として描かれる。青い空を描く場合は、青い空と空の色として青が選択される表現がある。特に空が青を獲得するために必要なものも示され、空が青であってこそ肯定的な意味で表現され、完璧なものとなることが読み取れた。空以外の表現で水の色として青が使われる場合、純粋なイメージが窺えた。青とは限らないものを青く形容している場合では、肯定的な意味のなかでも特に幸せな時間や空間、優しい気持ちの表れが読み取れた。

◯フラビオ・エレラのハイク──俳句的対象把握からスペイン語ハイク発展の可能性へ──
太田靖子(京都外国語大学他非常勤講師)
討論者:井尻香代子(京都産業大学)

本報告では、グアテマラの作家・詩人フラビオ・エレラ(1895-1968)のハイク作品のうち、特に暗喩の手法に焦点を当て、彼の独自性が見られるものを取り上げ分析した。彼のハイクには、単純な暗喩も多いが、なかには、井本農一が俳句的対象把握と呼んだものに匹敵する要素を持つハイクもいくつか見られる。さらに、単なる暗喩に終わらず、神話のなかの人物を暗示することによって、二重構造的に別の事物を意味するに至っている句もある。発表者は、スペイン語ハイクに季語に代わる象徴性の高いキーワード(神話・歴史上の人物、土地の名前、キリスト教関係の名詞など)を詠み込むということを提唱しているが、エレラの二重構造の句は、その良い見本となり、スペイン語ハイクが今後も発展していくための可能性を秘めていることを示した。

◯Las mujeres de la clase humilde capitalina a través de los impresos de Vanegas Arroyo (バネガス・アロージョ社の印刷物に登場するメキシコ市の社会底辺層の女性)   
長谷川ニナ(上智大学)
討論者:田中敬一(愛知県立大学)

En la ponencia se analizaró una decena de hojas (principalmente cómico-satíricas) del reconocido impresor popular mexicano decimonónico Vanegas Arroyo para ver en qué contextos aparecían las mujeres de la clase humilde y cómo se las describía. Se pudo apreciar que aunque muchos de los textos eran jocosos o estereotipados en algo reflejaban la realidad. Del cúmulo de datos verificados pudo constatarse: 1) que las mujeres temían quedarse a vestir santos aunque una vez casadas podían experimentar violencia intrafamiliar; 2) que muchas de ellas trabajaban ya sea de cocineras o de sirvientas en alguna casa o en la calle vendiendo cosas; 3) que su sueño imposible era encontrar un esposo cariñoso (de preferencia artesano o comerciante) que las mantuviera y las quisiera a la vez ; 4) que a las más jóvenes les gustaba salir con el novio los domingos y que éste las agazajara con algún antojito, fruta o dulce; 5) que entre ellas y ellos el contacto físico no era raro (oímos hablar de besos y pellizcos) ; 6) que las relaciones de pareja podían ser poco estables (de semanas o meses); 7) que no faltaban mujeres bravas dispuestas a defenderse de quien fuera.

分科会4 サブナショナルとトランスナショナル
司会:住田育法(京都外国語大学)

サブナショナルとトランスナショナル、すなわちナショナルなレベルの地域主義とナショナルを越えたラテンアメリカの地域統合体などを考察することをテーマに、吉野、星野、浦部の3氏が報告した。ラテンアメリカ33ヵ国において、社会的格差是正のナショナルな政策が注目される中で、メキシコとチリは域内において成長重視の経済的発展が期待される存在であると言えよう。報告者が要旨で述べているように、個々の国の事情を、ナショナルなレベルとナショナルを越えたグローバルな地域において議論できる機会となった。最初の報告者は、米国とカリブ海、太平洋に接する北米域のメキシコに関する国内の政治に関わる地域主義を扱った。続いて、南米の南北に細長い太平洋に面した地理空間を領土とするチリ国内の地域主義に関する報告がなされた。メキシコについては討論者がナショナルな視座からの普遍的議論につながる質問を行った。チリは報告者の要旨のとおり、討論者がチリの事情を踏まえた具体的な質問によって議論を盛り上げ、フロアーからも質問がなされた。浦部氏の報告は地域統合の視座からのラテンアメリカ全域の地域主義の考察であった。討論者は持続可能な開発目標や地域主義研究のための枠組みを示し議論を深めた。統一のテーマを掲げるパネルではなく、独立した複数の報告の分科会であるため、「地域主義」の意味もナショナルなレベルとグローバルなレベルの区別を必要とする議論の展開となった。しかし、メキシコやチリのナショナルな事情に加えて、トランスナショナルな域内統合論を踏まえた報告に参加し、ラテンアメリカ研究者として特に南米ブラジルを専門領域とする司会者には貴重な機会を持てた。

◯国民行動党(PAN)の躍進──グアナファト州の事例を中心に──
吉野達也(大阪経済大学)
討論者:岡田勇(名古屋大学)

当発表では1990年代のメキシコにおける選挙競争をグアナファト州における1991年と1995年の州知事選挙の選挙結果を事例に挙げながら分析を行った。この州では1991年メキシコで2番目に早く野党であるPAN出身の州知事が誕生した。しかし州知事選挙では実際はPRIの候補の票数が上回っていたが、PANが選挙での不正を指摘し、PRIとの政治取引でPAN出身の臨時州政府が誕生した。結果、グアナファト州で本当の意味で野党候補が勝利したのは1995年の選挙であると結論づけた。

討論者からは、1990年代、2000年代に全国的にPRI以外の政党が勝利した大きな波があり、数州を研究対象にする必要があるという助言を頂いた。また、フロアーからは連邦政府がどのような形でPAN臨時州知事を認めるに至ったのかを大衆レベルで見るのが有益であり、例えば米国メディアは、この結果をどのような受けとめ方をしたのかなどをリサーチする必要があるという有益なご提案をいたただいた。

◯チリにおけるサブナショナルな政治の差異と社会的亀裂
星野加代(東京大学大学院博士課程)
討論者:安井伸(慶應義塾大学)

本報告は、近年チリの地方政治において地域主義とよばれる政党がなぜ議席を獲得しているかについて考察を行った。これまでチリの政治に関しては、国政レベルでの研究がすすめられ、多勢を占めてきた二大連合の分析に焦点が当てられてきた。本報告は、地方選においては二大連合ではなく地域主義と呼ばれる政党連合が議席を獲得している事実を提示し、その要因として、地域間の格差と既存政党の弱体化を取り上げた。特に、市政府の財政が弱い地域、および、それまで政権を担ったことのある中道政党の支持が低い地域では地域主義政党が議席を獲得しやすいことを明らかにした。

討論者からは、地域主義の定義や財政力の程度と当落との因果関係、分析手法、国政との関連等について質疑を受けた。また、報告後も会場の研究者と活発な議論を行うことができた。特に、地域主義政党の選挙戦略といった要因の考察についても議論を膨らませることができた。

◯ラテンアメリカにおける新しい地域統合の現状と展望──UNASURとCELAC──
浦部浩之(獨協大学)
討論者:松本八重子(亜細亜大学)

南米諸国連合(UNASUR)やラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)などのラテンアメリカの新しい地域共同体を評価するうえでは、次の2点に注意しなければならない。まず、統合の経済的側面のみに目を奪われるべきではない。UNASURやCELACは政治・経済・安全保障を包摂する統合体であり、その活動の領域は着実に拡充している。次に、統合の進捗度を欧州の事例を基準に測るべきでない。統合の目標は、自由化の力学が働く中で国家の役割を回復し、米国による覇権的利益の追求に連帯して抵抗することにあり、欧州で進む主権移譲型の超国家的機能の創設とは異なる。新しい共同体(とくにUNASUR)のこれまでの大きな成果は、内政危機への協調的対処で実績を重ねてきたことである。しかし、国家間対立を緩和・解消するメカニズムについては公式にも非公式にも構築しえておらず、この点に大きな課題が残っている。

分科会5 人権侵害の記憶と復権
司会:内田みどり(和歌山大学)

3つの報告は扱う時代も国も異なるが、「社会にとって異質とされたものの排除」にかかわる事例という点で共通するのではないか。青木報告は、19~20世紀のメキシコで「恵まれない」子どもが「問題」として発見され保護や矯正の対象となった過程を分析する。討論者の奥山会員から「当時すでに厳罰化から矯正へ」という流れが存在したのか、またフロアからも犯罪者として排除された子どもはどうなったのか、当時子どもが「将来の市民」ととらえられていたのか等、今後につながる建設的討論がなされた。Martí報告は、20世紀の反騒乱作戦で頻発する「強制収容キャンプへの移住」のルーツを独立戦争期のキューバに見出すユニークな研究。だが、討論者の森口会員やフロアからの指摘にあるように、一次資料の問題や、農民一般とキャンプでの生活条件の異同、キャンプにおける農業の位置づけ等解明すべき課題は多い。林報告は1980年代後半のアルゼンチンで「軍政の無垢な被害者」なる被害者像が構築された過程を負う。討論者の大串会員は、「大きな物語」の終焉後、「人権」が新たなマスターナラティブになっているのではないか、その中で人権に連なる側が「左派の暴力は容認できるが軍の暴力は容認できない」という二重基準に陥っているのではないか等の疑問を投げかけた。約20人の参加を得て、討論者やフロアとの質疑応答も活発であった。

◯メキシコにおける子どもの保護と矯正――19世紀後半から20世紀前半のメキシコ・シティを中心に―― 
青木利夫(広島大学)
討論者:奥山恭子(横浜国立大学名誉教授)

本報告では、19・20世紀の世紀転換期のメキシコ・シティを対象に、浮浪、非行、障がいなどの「問題」を抱えた子どもたちの保護や矯正のための政策とその問題点が検討された。貧困家庭に生まれるなど「恵まれない」子どものなかに「問題」を抱える子どもたちが少なからず存在し、そのことが社会の不安定要因になるという危機感が支配層や専門家に共有されるようになったこと、これらの政策が「恵まれない」子どもの保護という側面だけではなく、教育、保健衛生、医学などの知見をもとに、「危険な」子どもたちを選別し、「健全化」して国家へと統合するという側面があったことが論じられた。討論者からは、子どもの社会統制をめぐる厳罰と矯正の問題や、福祉の世俗化の問題をどのようにみるかという指摘がなされた。またフロアからは、この時代の子どもがどのように認識されていたのか、子どもの概念をめぐってさらに検討する必要があるという意見が出された。

◯“Reconcentration Camps and Counter-Insurgency in Latin America: A Genealogical Perspective.”
Alberto P. Martí (ノッティンガム大学博士課程)
討論者:森口舞(大阪経済法科大学)

Aprovecho estas líneas para agradecer de nuevo la oportunidad de presentar mi investigación de doctorado en el Congreso Anual de la Asociación Japonesa de Estudios Latinoamericanos (Kyoto, Junio 2016). Ha sido para mí un verdadero placer compartir este evento con el resto de participantes y poder intercambiar impresiones e ideas sobre mi proyecto y otras investigaciones relacionadas con Latinoamérica, y en especial con Cuba. Agradezco en particular a la Dra. Mai Moriguchi sus comentarios y preguntas tras la presentación. La fase de discusión de mi ponencia me resultó sumamente interesante, ya que trajo a colación aspectos a mejorar en mi texto y también preguntas importantes que me permitieron ampliar algunos aspectos concretos de mi charla. Una cuestión fundamental al tratar el tema de la reconcentración en Cuba tiene que ver, por ejemplo, con la paculiar manera en que tanto la historiografía cubana como la española se han ocupado (desde posiciones tradicionalmente muy enfrentadas) de este episodio concreto de la historia compartida de ambas naciones. Éste es un aspecto de la Guerra de Independencia que, sin lugar a dudas, merece una mayor atención por parte de historiadores, arqueólogos, y expertos en estudios cultrales, memoria y post-conflicto. Espero que mi proyecto sirva de invitación a ampliar estas investigaciones, tanto en Cuba como en aquellos otros países en donde tuvieron lugar episodios similares de reubicación forzosa de la población civil. Por útimo, agradecer el apoyo financiero que me he permitido asistir a este congreso, tanto por parte de la School of Cultures, Languages and Area Studies (University of Nottingham), como de la Society for Latin American Studies (Reino Unido).

◯ポスト軍政期アルゼンチンにおける集合的記憶の社会的構築」
林みどり(立教大学)
討論者:大串和雄(東京大学)

アルゼンチンの1994年憲法改正は、国際人権条約を国家の最高法規に登載する画期的なものだった。本報告は、国際人権法の登載を可能にしたエイジェンシーを民政移管後の集合的記憶に見出し、1980年代から90年代にかけて構築された制度的暴力に関する記憶の形成過程を検証した。軍政末期から民政移管を経て免罪法施行の時期まで、政治や法制のあり方は異なるが強制失踪者に関する社会的記憶は社会的忘却とはほど遠く、集合的記憶の原資となる諸表象─〈軍政の無垢な若い犠牲者〉と〈サディスティックな加害者〉─が爆発的に生産・消費され蓄積された。こうした集合的記憶形成は国内に閉じられていたわけではなく、70年代から90年代にかけてグローバルに生産・消費された人権侵害の記憶(ホロコーストやジェノサイド)と相互に引用・参照関係にあった。討論者からは2000年代以降の訴追増加の指摘やポストモダン的語りという整理の妥当性への問い等がなされた。

分科会6 先スペイン期/植民地時代
司会:大越翼(京都外国語大学)

この分科会に共通したテーマは、「様々な史・資料への新しいアプローチ」である。発表者が自ら得た「生のデータ」を独自の視点で分析し、それが意味するものを大きなコンテクストの中で考察するという、手堅い研究手法が背後にあることは言うまでもない。塚本憲一郎会員は、エル・パルマール遺跡の発掘を通して得た豊富な碑文資料や遺物と、これを取り巻く様々な都市で発見されたものとを比較し、エル・パルマールの支配者がカアン王朝を代表してコパンへ赴き、これと同盟を結んでティカル王朝の包囲網を作り上げたのではないかという仮説を立てた。一方谷口智子会員は、アルボルノスの『功績報告書』の分析を通して、「歌い踊る病」としてのタキ・オンコイの一部は、これがそれより少し前に始まったワンカベリカ鉱山での水銀生産から派生したその中毒症状に関連するものではないかという提案をした。井上幸孝会員は、『高貴なるトラスカ市の年代史』の分析をもとに、史料の読みはそれが書かれた「現在」、そして写本が作成された時点での「現在」を考慮することなしには行うことができないことを、具体的にその作者であるサパタ・イ・メンドサの記述からあぶり出した。最後に武田和久会員はイエズス会グアラニ布教区における信心会システムの構築・維持を、同時期のヨーロッパで起こりつつあった管理社会の誕生に並行したものと捉え、これを社会工学的観点から説明し直した。

自らの手で「発掘」した豊富な史資料をもとに、厳密な史資料批判をし、その上で新しい解釈を提出し既存の知に疑問を投げかける。研究の醍醐味の一端を垣間見せてくれたひと時であった。討論者のコメント、それに対する報告者の回答は熱のこもったものであり、それだけに時間があっという間に過ぎてしまい、ほとんどフロアからの質問を受け付けることができなかったことが悔やまれる。時間配分にもう一工夫をすべきだったと猛省している。

以下に各発表者の報告要旨を掲載する。

◯古典期におけるマヤ諸王朝の政治戦略──エル・パルマール遺跡の調査より──
塚本憲一郎(日本学術振興会/青山学院大学 特別研究員SPD)
討論者:嘉幡茂氏(ラスアメリカス大学)

本発表では、古典期後期(後695~738年)のマヤ文明における蛇王朝の政治戦略を検討した。これまでティカル王朝との戦いに敗れた後、後695~736年にかけて蛇王朝が諸王朝と同盟を結んだ個別の事例は明らかにされていたが、マヤ地域全体における蛇王朝の戦略については不明な部分が多かった。発表者は、その未解明部分を2007年から実施しているエル・パルマール遺跡の調査成果から検討した。同遺跡の碑文史料を他の遺跡群から出土した碑文と比較分析した結果、ティカル王朝を囲い込む蛇王朝の政治戦略を浮き彫りにした。討論者の嘉幡茂氏(ラスアメリカス大学)からは、データから解釈への飛躍と史料批判不足の指摘があったために、発表では説明しきれなかった詳細な碑文の内容を補足した。

◯セクトと背教──C・アルボルノス『功績報告書』の証言から見るタキ・オンコイ、ワカ、偶像崇拝──
谷口智子(愛知県立大学)
討論者:真鍋周三(南山大学ラテンアメリカ研究センター)

タキ・オンコイは「歌い踊る病」を意味し、1564−71年、ペルー・クスコ管区ワマンガ地方を中心に広がったとされる先住民の宗教運動である。本発表ではすでに知られているこの運動の様々な側面に加えて、同年代に発見されたワンカベリカ水銀鉱山でのミタ労働による「水銀中毒」との関係を論じた。発表者が注目したのは、『功績報告書』の中に、①タキ・オンコイに関して水銀が使用されていたと論じる箇所がある、②複数の年代記作者が、水銀が祭の「赤い」化粧として使用され、水銀の身体摂取による中毒の可能性が既に知られていたと記述、③ワンカベリカ水銀鉱山主もタキ・オンコイの証言者である、の3点である。先行研究では全く注目されなかったこの仮説について、討論者真鍋周三氏は、「タキ・オンコイが、ワンカベリカ鉱山労働での水銀中毒と関わると直接証拠でわかれば、ペルー植民地時代史を大きく覆すものになるだろう」と述べた。

◯サパタ・イ・メンドサ『高貴なるトラスカラ市の年代史』に見る先スペイン期の歴史」
井上幸孝(専修大学)
討論者:山崎眞次(早稲田大学)

本報告では、トラスカラ出身の先住民フアン・ブエナベントゥラ・サパタ・イ・メンドサ(Juan Buenaventura Zapata y Mendoza)が編纂した『高貴なるトラスカラ市の年代史(Historia cronológica de la noble ciudad de Tlaxcala)』の先スペイン期の記述について論じた。まず、植民地時代メキシコ先住民の歴史文書について概観し、次にトラスカラの歴史記録に関するここ数十年の研究・出版の進展を見た。

『年代史』は17世紀後半にサパタがナワトル語で編纂し、同じ町の先住民サントス・イ・サラサールが追記を行なったものである。先スペイン期に関する記述(年代記形式の先スペイン期の記述と年代記形式ではない移住史の記述)の分析から、当時の社会状況(メスティソ台頭への危惧)がサパタの叙述に反映されている一方で、トラスカラの歴史を伝える伝統をサパタが積極的に維持しようとしたことが見て取られる点を指摘した。討論者からは、サパタの民族的な誇りやナショナリズムとの関連などについて有益なコメントと今後の研究のための重要な示唆をいただいた。

◯イエズス会グアラニ布教区における信心会システム(1609-1767)──社会工学的ひとつの実験──
武田和久(明治大学)
討論者:桜井三枝子(南山大学ラテンアメリカ研究センター)

本報告では、南米ラプラタ地域イエズス会グアラニ布教区(レドゥクシオン)内に設けられた信心会が、キリスト教の定着と平行して、住民の肉体と精神を規律化するための装置として機能していたことを指摘した。近世ヨーロッパでは現在のドイツを中心に宗派化と呼ばれる状況がカトリックとプロテスタントの抗争の最中で生まれており、政治権力者たちの介入も相まって、支配地域の住民に対して頻繁な告解が半ば強制力を伴って求められていた。住民規律化のための装置という布教区内の信心会の特徴は、遠く離れたこうしたヨーロッパの状況が反映された帰結とみることができる。  本発表に対するコメントとしては、副題の「社会工学的」という言葉について、先スペイン期とそれ以後のグアラニ先住民の何が具体的に変容したのか、数値的なデータも含めて言及することの必要性が指摘された。これに対して報告者は、現在進めている布教区内でのカシカスゴの変容の問題と絡めて、本報告で扱ったテーマを今後深化させたいと返答した。

分科会7 国家と文化・宗教
司会:柴田修子(大阪経済大学)

この分科会では、国家と社会との関係をスポーツ、民衆芸術、宗教から考察するという意欲的な試みが行われた。それぞれのコメンテーターは、発表者の着眼点の斬新さを評価しつつ補うべき点についても指摘し、建設的な議論の形成に貢献した。

松尾氏の発表では、チリ、アルゼンチン、ウルグアイにおけるスポーツの制度化を比較することで、国家と社会の関係性がとのように構築されるかを考察した。彼の研究の新しさは、民衆史として語られることが多いスポーツ史を政治社会史として位置づけ直したことにある。これに対しコメンテーターの村上勇介会員(京都大学)から、ヨーロッパにおける研究蓄積を整理し、国家だけでなく社会に関する分析を補うことでよりよい研究になるという指摘がなされた。

山越氏は、オアハカ州抗議運動(APO)におけるストリートアート活動(ASARO)に関する事例研究を発表した。国家に資源化されたはずの革命の英雄が、現在再び抵抗のアイコンとして用いられているという「矛盾」に着目し、英雄に対する意味づけの複数性を示した。これに対し兒島峰会員(筑波大学)からは、革命の英雄が抵抗のアイコン化するのは必ずしも矛盾することではない点、ASAROの思想性が不明確であることが指摘された。

近田氏の発表は近年ブラジルで台頭しつつある福音派の活動を取り上げ、宗教団体と政治との関係を考察した。彼の研究の独自性は、福音派議員の法案作成過程への関与のあり方から両者の関係性を明らかにしようとしたことにある。これに対し山田政信会員(天理大学)からは、「福音派」は一枚岩ではなく、独自の意思決定を持っている組織があるわけではないことが指摘された。

フロアからも活発な質問が出され、発表者、フロア双方にとって建設的かつ有意義な分科会であったと思う。各報告の要旨は以下のとおりである。

◯20世紀初頭南米南部三カ国におけるスポーツ・国家・社会──スポーツをめぐる政治社会史へ向けて──
松尾俊輔(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
討論者:村上勇介(京都大学)

本発表では、スポーツに関わる立法及び行政の一次資料をもとに、20世紀初頭の南米南部三カ国において国家とスポーツとの間で築かれた三者三様の関係性構築のプロセスを検討した。具体的には20世紀の早い段階で国家主導の「上からの」制度化を推し進め安定した国家‐スポーツ間の関係性を築いたウルグアイ、逆に私的イニシアチブによるスポーツの組織化が早期に進み、その「下からの」圧力に答える形で始まった公的スポーツ政策は、むしろ国家と市民社会との軋轢を引き起こし、スポーツ行政上の制度的安定性を確保しえなかったチリ、そして世紀中葉まで国家官僚組織を通じたスポーツへの制度的介入を行わず、代わりにスポーツに対する公的支援として諸スポーツ団体と政治家との間の個人的恩顧関係が卓越したアルゼンチン、という明確な対比が見受けられる。この対比は、より広く近代国民国家形成をめぐる政治と社会のあり方の本質的差異に敷衍可能であろう。

◯現代メキシコ社会における革命の英雄に対する意味づけの複数性――2006年のオアハカ抗議運動におけるストリードアートを事例として──
山越英嗣(早稲田大学人間総合研究センター)
討論者:兒島峰(筑波大学)

メキシコ革命以降、政権を掌握してきたPRI政権は、領土内に散住する先住民・混血者たちを統合・国民化するために、先住民出身の英雄たちを「国家のために戦い、死んでいった者たち」として象徴化し、国民国家建設のための資源として用いた。しかし他方で、近年、英雄たちは社会運動の文脈で、民衆の統合シンボルとして持ち出される。

本報告は、2006年にオアハカ市で生じた民衆の州知事への抗議運動のさい、ストリートアートを用いて抵抗のメッセージを発信した若者アーティスト集団、ASARO(Asamblea de Artistas Revolucionarios de Oaxaca,オアハカ芸術革命家集会)の活動に注目した。彼らは保守化されてしまった革命の英雄たちのモチーフに、若者サブカルチャーを援用することで新たな象徴性を付与し、現代に甦らせた。そして、歴史的に周縁化されてきた南部メキシコから、ナショナルヒストリーを脱構築するような新たな歴史意識を発信した。

◯ブラジルにおける国家とキリスト教団体の関係──福音派の台頭と政治化する社会問題──
近田亮平(JETRO・アジア経済研究所)
討論者:山田政信(天理大学)

本発表は、ブラジルにおける国家とキリスト教系宗教団体の関係が近年どのようになっているかについて、同国で政治的に争点化する「人工中絶」と「LGBT」という2つの問題に焦点を当て、その態様を明らかにすることを目的とする。本発表では、近年増加傾向にある福音派の議員団および議員が、国会において宗教的な価値観や教えにもとづき、自らの利益を政治に反映させるべく行っている行為を分析した。その際、所属する宗教団体に対してそれらの議員たちが高い代表性を備えている点を指摘し、国家と宗教団体との関係性を明らかにした。結論として、国家レベルの代表制民主主義の政治過程において、民主化とともに希薄になっていた国家との関係性を宗教団体が構築しようとしている態様を述べた。ただし草の根レベルでは、一部の教会や信者がこれらの問題に直接または間接的に関わる活動を行っている点も指摘した。

分科会8 人種イメージの諸相
司会:坂野鉄也(滋賀大学)

本分科会は、ディシプリンではなく共通テーマによって編成されたためか、多くの参加者を得、盛会であった。全体を総括するならば、岩村報告の中でも触れられたが、「人種主義」に関する議論が十分に熟した段階となった今、改めてどのように「人種」「民族」をめぐる研究をおこなえるのかという論点を見据えながらおこなわれた3つの報告であったように思われる。在アルゼンチン日系移民を対象とした石田報告は、意識化されない、日常化されたレベルでの差別が、「勤勉」といったポジティブな評価も含んでいるがゆえに逆に、そうした評価を与えられた側にとっては抵抗しづらいものであることを示した点で興味深いものであった。続く、戦前期メキシコ日系移民の歴史をテーマとしたペディ報告は、既存の研究分析を再検討するものであったが、メキシコの私的セクターにおける「人種」「民族」イメージが移民の受け入れにおいてどのような作用を引き起こすのかという論点を開くものであった。最後の岩村報告では、有色人独立党に関する研究史そのものがキューバにおける人種主義の変遷を照射することが示された。人々はしばしば、有色独立党をめぐる事件の実態について関心を向けがちであるが、それをどのように示すのかそのものが解釈であるという岩村氏の見解は、「人種主義」をめぐる議論が一巡した今日において取るべき立脚点の一つであろう。日本において「人種主義」的な動きが表出していることを含め、人種をめぐる問題がアクチュアルとなっている今、新たな視点での研究が必要とされていることを再確認できる分科会となった。ただし、報告者のそうした前提がフロアとの間で十分に共有されているようには思われなかった。これはシンポジウムやパネルではなく、分科会であったことによる限界でもあるが、フロアとの間で共有できていればより有意義な議論の場となったであろう。

◯アルゼンチン社会と在亜日系コミュニティにおける「ハポネス」のイメージ」
石田智恵(日本学術振興会特別研究員PD)
討論者:大場樹精(上智大学)

本報告では、国民の概念と人種のイメージの関係を考察する方法として、アルゼンチンにおける「絶対的なよそ者」とさえいえる「ハポネス」のイメージの日常的な表出の仕方と場面を、現地調査に基づいて検討した。無知と無関心に基づく肯定的なステレオタイプに対する抵抗といえる日系人の活動も紹介し、他者からは差別と認識されない現実が、社会問題化しないがゆえに差別・抑圧となり得る可能性を指摘した。討論者の大場樹精会員(上智大学イベロアメリカ研究所)からは、アルゼンチン人の「ハポネス」イメージと、在亜日本人・日系人の自己イメージとの間のずれ、報告者の属性とインタビュー対象者の関係、近年の多文化化の影響等についてコメント・質問を受けた。フロアからは、インタビュー対象者の属性・背景、「差別discriminación」という語の用法、報告者の調査地である首都と地方での実態の差異などについて質問・指摘があった。

◯¿Por qué México?: una examinación de los factores que influyeron a la inmigración japonesa a México, 1897-1941
Francis Peddie(Nagoya University)
討論者:野内遊(名古屋大学)

El día 5 de junio presenté los resultados de mi investigación preliminar sobre la inmigración japonesa a México bajo el título ¿Por qué México? Una examinación de los factores que influyeron a la inmigración japonesa a México, 1897-1941. Habiendo terminado la presentación, el doctor Yu Nouchi de Nagoya University (la Universidad de Nagoya) y varios miembros del público me ofrecieron sugerencias puntuales para mejorar la dirección de mi investigación continua. En concreto, el doctor Nouchi me sugirió desarrollar un enfoque más claro sobre el tema, así como también introducir un elemento comparatativo con las experiencias de inmigrantes japoneses a los Estados Unidos y a Canadá en la misma época para mejor contextualizar mi investigación. Además, el doctor Nouchi y otros asistentes me sugirieron consultar obras recientes e investigaciones sobre los japoneses en México, sobre todo hechas/realizadas por investigadores mexicanos, ofreciéndome los nombres de personas que investigan el mismo tema. Tales sugerencias, junto con las preguntas del público, me han mostrado los huecos que existen en mi investigación en este momento. Agradezco a todos por su intervención y críticas constructivas, e intentaré aplicar sus sugerencias en mi futuro trabajo.

◯キューバにおける人種表象の諸相──有色人独立党の反乱(1912)を巡って──
岩村健二郎(早稲田大学)
討論者:倉田量介(獨協大学)

報告者は早稲田大学の岩村健二郎で、討論者は獨協大学の倉田量介氏に担当していただいた。ソビエト崩壊後のキューバの言論における「人種」の語りにおいて、1912(プログラムに「1812」とあるのは誤り)年の「有色人独立党」の反乱がいかに再文脈化されているかを例示し、それはなぜなのか、とりわけ21世紀に入ってからの「人種問題」ないしは「人種差別」の議論において、「有色人独立党」を歴史上に再配置することがどのような意図、もしくは効果を持ったかを報告した。のつもりであるが、「人種」を日本語で問題化するにあたっての前提条件や報告者の意図についての説明に時間を要し、本論の展開・掘り下げが不十分な結果となった。これは討論者との質疑応答の質にも少なからず影響を与えてしまったと思う。

分科会9 文化人類学
司会:敦賀公子(明治大学)

本分科会では、3名の会員による長年にわたる現地調査・研究に基づく、文化人類学の興味深い報告が行われた。

山森靖人会員は、1995年と2008年に実施した詳細な聖週間儀礼の参与調査から、先住民共同体の近代化の中で、伝統の継承・変容の具体例を提示するとともに、同儀礼が担う今日的社会的役割についての考察を報告した。討論者の岡本年正会員からは、近代化による同儀礼をとりまく状況・環境の変化が明示されたことを評価した上で、その本質的な経年変化についての考察が期待されると示唆した。また、参加者からウィチョールのその他の儀礼についての質問があった。

上原なつき会員は、「死者の日」(11月2日)に、歌と祈りを死者に捧げる合唱団について、ペルーとスペインで行った意欲的な参与調査による比較研究を報告した。両事例の共通点は複数あるものの、背景にある他界観に差異が見られる点を明示した。討論者の禪野美帆会員からは、比較研究の意義について言及した上で、方法論の再考と、さらに多くの事例を取り上げる必要性などの助言がなされた。

小林致広会員の報告は、今世紀初頭からメキシコ・テワンテペック地峡部において、事前協議抜きで推進された風力発電計画に対し、先住民やエヒードが彼らの土地を守るために行った抵抗運動を分析するものであった。特に、同計画撤回を勝ち取った2つの事例を取り上げた。討論者の千代勇一会員からは、小林会員の研究意義が述べられたのち、メキシコのエネルギー政策や住民協議に関する詳細など、報告の内容を補完するいくつかの有益な質問がなされた。

二日目の午前中の開催であったが、平均して常時25名ほどの参加者があり、予定時間を超えて有意義な議論が交わされた。なお各報告者による要旨は以下の通りである。

◯ウィチョール族共同体における聖週間儀礼の近代化」
山森靖人(関西外国語大学)                            
討論者:岡本年正(東京大学)

メキシコ先住民ウィチョール族の共同体で実施される聖週間儀礼の事例報告、及び、同儀礼の近代化と役割変化の考察を実施した。1995年と2008年の聖週間儀礼の比較では、同儀礼がウィチョール族の伝統を共同体内で共有するための儀礼であり、農耕予祝儀礼である点に変化はみられなかった。一方、幹線道路や村内住環境の整備が進んだことで、聖週間儀礼が実施される場は急激に変化していることが確認できた。ウィチョール族の聖週間儀礼は、伝統の継承と農耕予祝を実践する場であり続けているが、同時に共同体と外部社会との交流を活性化し、共同体の近代化を促進する役割を有し始めている点、さらには共同体を離れて暮らすウィチョール族にとって、ウィチョール族らしさを回復するための場として機能する可能性について考察した。

◯「死者の日」における死者のための合唱団についての比較研究──スペイン・ムルシア市とペルー・アンタバンバ郡の事例から──
上原なつき(名桜大学)
討論者:禪野美帆(関西学院大学)

本発表では、11月2日「死者の日」において死者のために歌と祈りを捧げる2つの合唱団、スペイン・ムルシア州ムルシア市SC地区のアウロロという合唱団と、ペルー・アプリマック県アンタバンバ郡A村のアニメーロと呼ばれる合唱団の比較を試みた。両事例の共通点は、1)15~16世紀スペインのカトリック祭祀を起源とすること、2)死者のために歌と祈りを捧げること、3)消滅の危機に瀕していたが近年になり復興したこと、4)復興に関わる人物がそれぞれおり、彼らはインターネットなど現代的ツールを用いて情報を内外に発信するなど重要な役割を果たしていることがわかった。両事例の共通点は多いが、しかし、背景にある他界観は全く異なっている。ムルシアでは死者への歌と祈りが煉獄にいる霊魂の救済という役割を持つのに対し、アンタバンバでは、死者の霊魂があの世であるコロプーナ山に生者を道連れにすることを防ぐ役割を果たしているという違いが明らかとなった。

◯巨大開発「地峡部風力発電回廊計画」に対する先住民の領域防衛と抵抗
小林致広(神戸市外国語大学名誉教授/京都大学名誉教授)
討論者:千代勇一(上智大学)

メキシコ・テワンテペック地峡部では、「生産性の低い土地」が囲い込まれ、再生可能でクリーンなエネルギーとされる風力発電基地が建設され続けている。カルデロン政権以降に建設された基地は28にも達している。発表では地元住民の抵抗によって風力発電基地建設計画の撤回に成功した2つの事例を取り上げた。 マレーナ・レノバブレ計画は、先住民族イコートやビニサーの漁労民の重要な生業活動の場であるラグナ・スペリオール湖の砂州に130基の風力発電塔を建設するものだった。もう一つは内陸部のフチタン市北東2区画のエオリカ・デル・スル計画で、「先住民事前協議」が実施された最初の事例である。具体的には分断・解体の危機に直面した共同体やエヒードが、「伝統的領域・聖地の防衛」という戦略をどのように展開して抵抗したかについて検討した。

パネル

パネルA 文化遺産の創出と普及活動──人類学研究の新たな挑戦と課題──
責任者:南博史(京都外国語大学)
討論者:松田陽(東京大学)

メキシコ・中米諸国における遺跡の文化遺産化は、今日まで、国家主導で行われてきた。また、国からの資金提供を受ける考古学者も、国威高揚や国民への文化啓蒙のためにこれに従事してきた。つまり、遺跡の文化遺産化はトップ・ダウンの形で進められてきたと言える。

しかし近年、遺跡は国や考古学だけのものではなくなった。世界のグローバル化と地方の再発見が進む中、遺跡は政治、社会、経済をも含めた様々なアクターによって価値づけされている。文化遺産はそうした多様な価値を包含した用語であると言える。従って、考古学者が文化遺産を語る時は、その学術的な価値はもちろんのこと、その背景にあるもの、それを生み出したもの、それに関わる人々を理解する必要がある。つまり、文化遺産としての遺跡に関わる多様な価値を発見し課題を解決するには、地域や関連分野を総合的に見通す視点と実践的理論が必要になる。

本パネルでは、国家主導型ではない文化遺産をどのように創出していくべきなのかについて各発表者がその実践例を提供し、その後、松田陽氏(東京大学)をディスカッサントとし議論を行った。

南博史(表題:文化財ガバナンスの構築~ニカラグア共和国プロジェクト・マティグアスを通して~)は、総合政策科学としての博物館運営が遅れているニカラグアで、文化財ガバナンスづくりを目指す実践研究について発表した。村野正景(「アートと考古学」という取組の可能性)は、日本とエルサルバドルの事例を基に、アートという新しい視点を考古学研究に取り込み、既存の考古遺産の価値観や学問的営みの見直しに迫った。嘉幡茂(マンガが伝えるメキシコの歴史と文化)は、メキシコにおける考古学成果が一般国民までに行きわたっていない現状を指摘し、マンガによる普及方法について発表した。小林貴徳(地域遺産を子どもたちの手に-メキシコ、トラランカレカにおける学習マンガ導入の試み)は、嘉幡の発表と関連し、文化人類学的観点から、研究者によって作成されるマンガの有効性を評価する方法を提供した。

松田氏の総評として、各発表者の研究はいずれも独自性の高いものであるとの評価を受ける一方で、継続調査により普及活動における建設的な成果が望まれるとの指摘を受けた。本パネル開催により、各発表者とディスカッサントの人類学的視点や実践理論を共有できた点、また実践方法における相違点を確認できた点は大きな成果と言える。

パネルB 様々なコンテクストにおける移民とトランスナショナリズム――構造的制約に抗するエージェンシーに着目して──
責任者:福間真央       
討論者:禪野美帆(関西学院大学)   
    中川正紀(フェリス女子学院大学)

本パネルでは様々なコンテクストにおける、国家の枠組みを越えた移民としての主体がどのように構築されているのか検討することを目的とした。特に構造とそれに対抗する移民のエージェンシーの間の弁証法を議論の中心に捉え、地域、出自の異なる「移民・トランスナショナリズム」の研究から、以下のような発表がなされた。

◯メキシコとアメリカの境界域におけるエスニック空間と歴史の再構成――ヤキ族を事例に──
福間真央(メトロポリタン自治大学)

福間の報告では、メキシコ先住民とみなされていたヤキ族の人々が、ネイティブ・アメリカンとしてアメリカ連邦政府の承認を受けたことを契機に、アメリカ側のヤキの人々による、アメリカとメキシコの両国のトランスナショナルな空間において政治的、文化的実践を行うようになったことを紹介し、そのことはアイデンティティー構築と深く関わっており、また植民地主義に抗する闘争とみなすこともできると主張した。ディスカッサントである禪野美帆会員からは、発表で示された事実からは、国境で分断されたヤキの人々の関係性が見えず、領土結合を主張するには不十分だというコメントが述べられた。またグアテマラ・メキシコの国境との比較をする必要性も提示された。フロアからは、ヤキ族がネイティブ・アメリカンになった経緯についての質問が多く寄せられた。その中でも、なぜ近年になってこの政治的・文化的実践が行われるようになったかという質問は、今後の研究の課題を提起してくれるものとなった。

◯「(もう一方の)ドリーマー」とは誰か──米国強制送還レジームと若者『非合法』移民の運動主体が生みだす包摂と排除の境界線──
飯尾真貴子(一橋大学)

飯尾の報告では、アメリカにおける移民政策の中で、米国移民運動を新たに牽引する勢力へと変化を遂げた「非合法」移民の若者「ドリーマー」に焦点をあて、その主体が強制送還レジームと移民運動との連関の中でどのように構築されてきたのか論じ、その包摂と排除の境界線を指摘した。またそのプロセスにおいて、移民運動の言説や「ドリーマー」の定義も変化していったことを主張した。ディスカッサントである中川正紀会員からは米国社会の貢献度や将来の米国市民としての適性を重んじる傾向はドリーム法案に限られた特徴ではないとの指摘を受けた。またDream in Mexicoの理想とする帰国者像はDACAプログラムの創設によって変化してきたということではないかという示唆的な指摘もなされた。フロアからは、ドリーマー運動で使われるメッセージなども昔の運動で使われていたものと酷似しており、ドリーマー運動をコミュニティ全体における移民運動に位置付ける必要があるのではないかという意見や、ドリーム法案を米国移民規制政策の歴史的流れに位置付ける必要があるのではないかという指摘がなされた。

◯還流するオキナワン・ディアスポラと「境界域のフェミニズム」――横浜市鶴見区のブラジル系移民の事例から──
藤浪海(一橋大学)

藤浪の報告では、横浜市鶴見区の沖縄系-ブラジル系移民のコミュニティにおいて行われている、女性を対象にした、一見すると「同化」主義的に見える日本語教室が、日本の社会構造において困難な立場に置かれている移民女性のエンパワーメントに繋がっていると主張した。ディスカッサントである中川正紀会員からは、「怠惰な妻」というスティグマはブラジル、沖縄どちらのジェンダー観に由来するものなのかという質問が寄せられた。また、ここでのエンパワーメントは結局「女性の解放」にはつながらないのではないかという指摘を受けた。フロアからは沖縄系の人々を一律に含めて論じることに注意を促すコメントや沖縄由来の移民の人々を指す、用語の統一を促すコメントがなされた。また沖縄の伝統的なジェンダー観のもとではそもそも母親は低い地位に置かれがちであり、「母親の権威の低下」は文化の問題と位置づけることが必要だとの声が寄せられた。

本パネルでは、構造とエージェンシーの関係性に焦点を当てることを目的として、異なる三つの事例を紹介したが、地域も出自も全く異なることから、三つの報告に関係性を見出すことが難しかったかもしれない。しかし、移民研究において、移民という主体に焦点をあてる研究は意義のあるものだという意図はフロアの人々と共有することができたと認識している。フロア及び討論者からの指摘や批判を参考にし、今後も研究を発展させていきたい。

パネルC Haiti: Envisioning a Future, Grasping the Present, and Learning from the Past
Chair: Tomomi KOZAKI (Senshu University)
Commentator: Yoshiaki HISAMATSU (Toyo University)

This panel has been realized with the special participants of Jacky LUMARQUE, the rector of Quisqueya University from Haiti and also of Takeshi TAKANO, the director general of JICA, in addition to AJEL member Kiwa OJIRI, associate professor of Tokyo Woman's Christian University.

The purpose of the panel is shown in the title: to envision Haiti's future, to grasp Haiti's present, and to learn from Haiti's Past. The panel was kicked off by the presentation "JICA's Cooperation Strategy for Haiti", dealing with Haiti's future, by Director General TAKANO. First, an overview of JICA's cooperation before the 2010 earthquake was explained and it was centered around technical cooperation. Then came the earthquake, and its efforts switched to emergency assistance: namely, the areas of education and vocational training, health and sanitation, food security, and basic infrastructure for recovery. And after six years of implementing emergency assistance, JICA has revealed new cooperation strategy concept for Haiti. Adopting the policies of decentralization and necessity of balanced development, specified in the Plan Stratégique de Développement d'Haiïti of UNDP, "Nobody Left Behind", it employs strengthening of administrative capacity in local governments. To realize this, JICA came up with the strategy concept of territorial development approach, of which JICA tries to realize after 2025, and its prioritized fields from 2016 to 2025 are: health care and sanitary promotion program, education and vocational training, food security.

The presentation dealing with the present state of Haiti was "Haiti's Educational policy" by Rector LUMARQUE. The presentation started with the basic information about Haiti before it dealt with the educational reform after Papa Doc era. According to Rector LUMARQUE, a new academic structure of Haitian educational system was adopted with the so-called Bernard Reform. The most striking reform was that education in Creole language was introduced for the first time in Haiti. However, this reform was attacked by elites and it never reached secondary school after 30 years. It was in this context that the current educational policy was adopted. After stagnation of the reform with the coup against President Aristide, the National Education and Training Plan was adopted in 1998 and later, the National Strategy for Action-Education for All in 2007. The former contained four programs: quality enhancement, expansion of school provision, improving external efficiency, and strengthening governance. The latter contained five strategic orientations: quity in access to basic education, increase internal efficiency, increase external efficiency, increase the efficiency of the management of education. Currently, there has been an effort to realize the National Education Pact, containing 33 recommendations in the fields of early childhood care and education, basic education, secondary education, vocational and technical education, higher education, governance of education system, financing, civil society and strategy for implementation. However, these efforts up to now are not fruitful enough because these plans were not an instrument for systematic and coordinated actions. To the donors, main financial sponsor, the Plan remained nothing more than a "reference". To conclude, Rector LUMARQUE reaffirmed the importance of achieving a national pact for education of four main actors: government, civil society and private sector, parliament, and donors.

The final presentation dealing with the past of Haiti was "In Search of National Reconciliation: Current State of Haiti in Historical Perspective" by AJEL member OJIRI. The main argument of this presentation was that history of Haiti was full of efforts and failures of achieving national reconciliation in the three areas: the sovereignty question, social question, and political-economic question. First, the dilemma of sovereignty was examined, and of three different kinds of sovereignty (becoming an independent state, right to rule exclusively without foreign intervention, and establishing single authority in its territory), Haitian leaders did not achieve all three kinds at once but had to choose one or two to prioritize, sometimes at the expense of another. Secondly, the color question was examined, and the two conflicting ideologies of black nationalism and Haitian unity had been presented. Lastly, the political-economic question of another conflicting ideologies of liberal democracy with market economy and populism was examined. It has been emphasized that the effort to reach national reconciliation has already begun, and the efforts of achieving Educational Pact by Rector LUMARQUE was such an example.

AJEL member HISAMATSU, commenting on the presentation of Director General TAKANO, especially JICA's new strategy concept of territorial development approach, stressed that it is important, first, to improve the infrastructure and health service and also educational and vocational training. As for food security, given the big size of the rural sector in Haiti and the significance of its relationship with the Dominican Republic, he sincerely hoped that this would work. He also stressed its long-term vision of Territorial Development and its importance of local stakeholder's initiative. AJEL member HISAMATSU also commenting on the presentation of Rector LUMARQUE, asked him to give insight on what was happening in Haitian politics. This was because just days before this panel took place, the Haitian verification commission on 2015 elections had reported the public that the first round of presidential election was marred with irregularities and had to be re-done. This was also because Rector LUMARQUE had tried to run for presidency under the banner VERITE, but his candidacy was rejected by the electoral body. In response to the question, Rector LUMARQUE explained that elections in Haiti had not been correctly run, and in past elections, the former head of Haiti's electoral body publicly admitted that the election results were changed because of international pressure. Therefore, the report of Haitian verification commission was the sign that for the first time, Haitians made their own decision, despite the international pressure of not canceling the first vote. The enthusiastic audience, present at the panel, asked to specify some JICA's policies and also Haiti's educational policy. The panel was closed with a round of applause.

パネルD ラテンアメリカにおける連帯経済──制度化と課題──
責任者:幡谷則子(上智大学)  
討論者:受田宏之(東京大学)
    中野佳裕(明治学院大学国際平和研究所)

本パネルでは、メキシコ、アルゼンチン、ブラジル、エクアドル、ボリビア、コロンビアの6か国における連帯経済の実践と社会と国家による制度化過程を、代表的事例を紹介しつつ、政府および既存の市場システムとの関係性に焦点をあてて検討し、連帯経済が既存の資本主義経済モデルの改良の提案か、あるいはオルタナティブな経済システムの提示であるのかの議論をめざした。

小池洋一会員(立命館大学)の報告「ブラジル-労働者協同組合の連帯性と経済性」では連帯経済の持続性には連帯性と経済性の両方の実現が必要であるという観点から労働者協同組合を考察した。また、連帯性が経済性あるいは企業性を高めることができる点をイタリアの地方経済における産業クラスター理論を援用して論じた。連帯経済は現段階では市場のオルタナティブという認識よりも、経済的困難の救済という直接的目的との関係が強いが、市場に連帯の倫理を埋め込むことが大切であり、政治的な力を主権者である労働者がもつことが必要であると主張した。続いて、宇佐見耕一会員(同志社大学)は「アルゼンチンーウエルフェアー・ミックスにおける連帯経済」と題し、福祉多元主義のもとで、福祉サービスがアソシアシオン・シビルや互助会などの社会組織によって提供されていても、完全に市民社会の領域にとどまらず、国家、市場との隣接領域において相互に影響していることを示した。事例からは、政府の社会扶助政策を補完しているものや、営利医療保険事業と同様の活動を行っているものもなど、多様な実態があることが指摘された。山本純一会員(慶応義塾大学)は「メキシコ―コーヒーのフェアトレードの位相」と題し、チアパス州におけるコーヒーのフェアトレードを中心に、政府と市場との関係において、社会性、事業性、政治性におけるフェアトレードの3事例の比較を行った。メキシコでは連帯経済が法制化されたものの、サパティスタ運動や解放の神学の影響を受けて農村部では国家との軋轢が強い。また資金力のない生産者はフェアトレードに参入するための組織化ができず、大手企業が有利であったりする。そのような状況で、交換的正義の成立が問われると指摘した。コーヒーのフェアトレードには6次産業化や地産地消をめざし、国内のフェアトレードをめざす例もあり、交換的正義が確立すればモラル資本主義経済とも呼ぶべきオルタナティブの提示が可能であると結論づけた。新木秀和会員(神奈川大学)は「エクアドル―先住民コミュニティの実践事例」において成功例として知られるサリナス連帯企業の経済循環モデルをとりあげ、その普及の可能性について議論した。連帯経済の概念はコレア政権のもとで強力に押し出され、制度化も進んでいる。サリナスの事例は、地域固有の資源の調達や資金調達回路も整っており、協同組合とアソシエーションなどの6組織の連携のもとに経済循環とネットワークが形成されている。基本的にエネルギー資源開発を経済政策の中心に据えるコレア政権のもとでこのような成功事例が拡大できるかについては、サリナスの事例に特有の地域的な初期条件を考慮して議論すべきだと指摘した。重冨恵子会員(都留文化大学)は「ボリビア―連帯経済をとりまく状況と立ち位置」と題し、連帯マーケット創出に向けた動きを取り上げた。ボリビアでは政府が「反ネオリベラル、反資本主義」を掲げ、多元経済を新経済モデルとし、国家のもとに民間、社会協同組合、コミュニティ経済が配置され、集団的「buen vivir」を実現するという考えを打ち出している。連帯経済の位置づけは明示的になされていないが、民衆経済活動から派生したオルタナティブ・マーケットに注目し、これらの事例が顔のみえる国内フェアトレードに結びき、また生命系の持続可能性もふまえた活動として注目すべき連帯経済の事例であると結んだ。幡谷は「コロンビア―協同組合運動と、生産者と消費者を結ぶアソシエーション」において、伝統的な協同組合運動は、地域主体の活動とカトリック教会の社会活動によって支えられていたが、国家との軋轢が常にあったことを指摘した。他方、同じく社会運動を出自としつつも、生産者と消費者を結ぶ90年代に成立したアソシエーションの事例に、農村部と都市部の連携と経済循環の形成を基盤としたオルタナティブな経済システムの可能性を見出した。

以上の報告を踏まえ、コメンテーターの受田宏之会員(東京大学)が、ラテンアメリカ地域研究の立場から、「連帯経済を、国家、企業との協同、対話を可能とするような広義な理解でとらえるべきか、あるいはより狭義のコミュニティ中心の連帯経済に限定すべきか」という問いを掲げつつ、メキシコ先住民の経験に照らして、広義の理解に立つ連帯経済が、不利な立場におかれた人びとの自由を拡大しつつ、市場経済の横暴や国家による統制を削減する効果をもたらすのではないかと論じた。

ゲストコメンテーターの中野佳裕氏(非会員:明治学院大学)は連帯経済の研究はそもそも市場経済中心主義からこぼれ落ちる経済実践を再評価しようとするものであり、その再評価において見いだされる経済の民主化の可能性を顕在化するもので、社会科学の方法論を刷新してゆくものでなければならないと論じ、6つの報告が記述主義に陥っている点を批判した。その上で、ラテンアメリカの連帯経済研究がポスト資本主義経済のオルタナティブを論ずる際に、新しい分析方法を見いだすヒントとして、N・フレイザーの「3重運動」理論や、ラクラウの理論にある、社会的対立や社会的要求の接合などの要素を援用して、連帯経済の実践における市場、国家、社会間関係を分析する方向性を提案した。

フロアーからは、①連帯経済と共生経済の概念の違い、②グローバル経済の中で生まれる連帯経済の実践における、多国籍企業や外資との距離感、③連帯経済実践をとりまく地域開発政策と大きな市場とコミュニティベースの経済活動との関係、特に地方行政との関係についての質問がなされた。

パネルE ニカラグア・大西洋岸地域における開発の歴史と現状
責任者:辻豊治 (京都外国語大学)
討論者:狐崎知己(専修大学)

3年前に京都外国語大学ラテンアメリカ研究所で中米・カリブ海地域研究会を立ちあげ、当初は中央部のマティグアス郡の遺跡調査の継続と地域事情の研究に着手し、昨年からニカラグア・カリブ海側 (大西洋岸)の調査を開始した。今回はその中間報告の形でパネルを引き受けることになった。ニカラグアはラテンアメリカにおける最貧国のひとつに位置づけられているが、なかでも大西洋岸地域は「開発」が最大の課題となっており、パネルでは「開発」を軸にして、この地域の歴史と現状を明らかにしていくことを共通の課題とした。以下では各報告者の報告趣旨と討論者および質疑をパネルの責任者の立場からまとめていきたい。

◯ニカラグア植民地期におけるスペインとイギリスの入植に伴う交易拠点の建設
立岩礼子 (京都外国語大学)

本報告では、植民地時代におけるニカラグアの開発は、ヨーロッパからの入植者が先住民を商品あるいは労働力として、本国と入植先の商業の発展を促したとして、スペインが太平洋沿いに港を建設して定住し、アジア貿易(長距離航海用)のための造船業を興したのに対し、イギリスはカリブ海に年に一度スペイン船を襲撃してその積み荷を奪うという期限付きの移動する拠点を設けたことを提示し、当時、両大洋をつなぐ交通路を模索した形跡がないことを補足した。また、植民地時代のニカラグア関連資料については、インディアス総文書館所蔵の大部分が未だにデジタル化されていないこと、またシマンカス文書館にも行政官の履歴書(Hoja de servicio)が多く所蔵されていること、英国国家文書(State Paper)を検討する必要があることを認識していることを説明した。

◯ニカラグア・大西洋岸における地域開発とアフロ・アメリカ」
住田育法 (京都外国語大学)

1888年まで黒人奴隷制度を続けた南米のアフロ文化圏ブラジルを研究対象とする立場からのニカラグア研究チームへの参加である。ブラジルは黒人奴隷制熱帯農業による砂糖生産をオランダと行っていたが、17世紀にオランダと対立する。やがてオランダとイギリスがカリブ海域で砂糖生産を開始し、ブラジルの砂糖生産は衰退した。しかし、黒人奴隷貿易によってポルトガルは大西洋システムの一翼を担う。大西洋システム南部のブラジルとカリブ海域のニカラグアの関係をアフロ圏の視座から一瞥した。

◯ニカラグア・大西洋岸地域における開発と運河計画の影響」
辻豊治 (京都外国語大学)

今ニカラグアの開発を取り上げるとすれば、運河計画に触れざるを得ない。1979年に成立したサンディニスタ政権の革命性は大西洋岸地域における民族性とのジレンマに阻まれ、第2次政権以降もカリブ海地域の政治的経済的統合を模索しているが、思惑通りには進んでいない。このような背景もあり、2014年には太平洋と大西洋を結ぶ「大運河」計画が公表された。この計画はニカラグア経済の起死回生を図り、運河建設に関連する資金や雇用の創出、インフラ建設、空港・道路・鉄道建設、油送管の敷設など、さらに完成後のフリーゾーンの設定、リゾート施設の開発などヒト・モノ・カネが集中する一大商業・観光地域としてニカラグア経済の成長を倍増させる切り札として位置づけられている。しかし運河建設に伴う総合開発が環境に及ぼす負荷や先住民自治区の分断と共有地収用などカリブ海地域への深刻なデメリットが指摘されている。

◯ニカラグア・大西洋岸における開発と文化遺産の価値──プロジェクト・マティグアスをモデルとした持続可能な地域活動とその課題──
植村まどか (京都外国語大学博士後期課程)

本報告では、ニカラグア大西洋岸地域における開発の現状と課題について考察し、京都外国語大学がマタガルパ県で行っている考古学と博物館学を仲介者とした実践的地域研究プロジェクトをモデルとして大西洋岸地域に適応させた場合の地域課題の解決方法を提示した。当該地域が抱える地域課題として、研究者不足により主体的に調査研究が行えない、博物館の機能不全、運河建設に伴うインディヘナ・コミュニティ区域の文化・自然遺産への負担を指摘した。当該地域において必要とされる「地域住民と協働した持続可能な開発」は、本プロジェクトで行っている博物館活動を通じて実践することができるだけでなく、大西洋岸地域が抱える地域課題の解決が可能である。

討論者からはニカラグアでの感染症対策に携わった経験をもとに開発における地元資源の活用が持続的な発展につながる、との示唆を得た。また運河構想とクレイトン・ブルワー条約との関係についての質問があった。会場からは、植民地期における造船業へのバスク人の影響、運河計画におけるフリーゾーンの内容、ニカラグアにおける資料入手の現状などについての質問があり、十分回答できなかったものについては研究会としての宿題としたい。 

シンポジウム

ラテンアメリカにおける女性の政治参加とジェンダー・クオータ
趣旨説明・司会:畑惠子(早稲田大学)
第1報告:睦月規子(拓殖大学)「アルゼンチン:ジェンダー・クオータ法の下での女性政治家の条件」
第2報告:重冨惠子(都留文科大学)「ボリビア:女性の政治参加とジェンダー・クオータ」
第3報告:丸岡泰(石巻専修大学)「コスタリカ:女性の政治参加と責任ある父親の法律の文脈」
第4報告:松久玲子(同志社大学)「ニカラグア:女性の政界進出とフェミニズム運動」
討論者:秋林こずえ(同志社グローバルスタディーズ研究科/婦人国際平和自由連盟会長)
    菊池啓一(アジア経済研究所)

近年のラテンアメリカで注目すべき現象の一つに女性の政治参加の飛躍的進展がある。世界経済フォーラムのジェンダーキャップ指数の政治参加指数(意思決定機関への参加)では、本シンポジウムで取り上げる4ヶ国が上位に位置しているが、その促進要因の一つに法律型ジェンダー・クオータの導入がある。だが、こうした量的な進出が多様な女性の利益代表や社会全体のジェンダー平等の推進へと自動的につながるわけでなく、今回、扱う国々は実践の質が問われる段階への移行期にあり、諸問題に直面している。本シンポジウムの目的は、域内の先進事例を通して、ジェンダー・クオータ制導入に至る過程、現状から見える課題を明かにし、今後の進展に資する議論をすることにある。以下、報告者による報告要旨と司会者による質疑応答のまとめである。

第1報告 ジェンダー・クオータ法の下でのアルゼンチン女性政治家の条件
睦月規子(拓殖大学)

アルゼンチンはラテンアメリカ初のジェンダー・クオータ導入国であるが、1991年に「国会の女性議員最低比率30%」と同法が定める前は、この数値は一桁だった。それが現在、国会の40%前後の議席と地方州議会議員の平均30%弱が女性である。同国では、軍事政権からの民政移管期に国際社会からの「外圧」を受けて女性参政権、ジェンダー・クオータが法制化され、細則によって実効化された。その結果、21世紀にクリティカル・マスとなった女性議員によってジェンダー、トランスジェンダー関連法が制定されると共に、「専門職の女性化」の進行もあって、労働、法曹界にもこの制度が波及しつつあり、国会議員については30%から50%へのパリティ化が俎上に上がっている。しかし、政界においては、各党地方諸州「覇権的権力」者がこの制度を利用して自らの縁故女性を候補にし、選出された女性議員がジェンダー関連法案審議にゲットー化されるなどの問題もある。

第2報告 ボリビア:女性の政治参加とジェンダー・クオータ  
重冨惠子(都留文科大学)

2014年には国会下院において、2015年には市議会において女性議員数が半数を占めるに至った直接要因は、2010年に制定されたクオータ5割規定である。都市部の知識人女性による女性運動の結果、ジェンダー政策は1993年に開始され97年にはクオータが制定され、その他の女性政策も策定されてきた。ただし市議会での女性進出の背景には、それまで「市民」の範疇から排除されてきた先住民女性/民衆女性が実質的な政治参加の経験を蓄積してきたことがある。そして全国行政網の整備と行政への住民参加という制度がこれを可能にした。一方、ボリビアのジェンダーギャップには民族格差、地域間(都市と農村)格差が複合的に反映されている。今後の課題として、議員のエンパワーメント、女性役割との競合の解消、意識改善、地域間格差是正の4点をあげ、引き続き女性団体、市民団体によるボトムの拡充の必要性、これと議員との連携が必要であることを指摘した。

第3報告 コスタリカ: 女性の政治参加と責任ある父親の法律の文脈 
丸岡泰(石巻専修大学)

初の女性大統領チンチージャ就任(2010-14)は女性の地位向上の象徴だった。女性の地位向上には、国際規範の受容、制度化加速、社会的要請の三文脈がある。1990年代に女性関連の法律が多数成立した。96年の選挙法改正で地方・国会議員選挙の比例代表候補へのクオータ40%とされ、女性議員数・比率が向上した。2009年の選挙法改正で同数制・交互制が導入された。15年の憲法法廷判決は水平的同数制・交互制により国会議員・地方議会議員の候補者名簿筆頭の約半数を女性とするよう求めた(18年~)。これは女性の政界進出の先進例かつ警戒すべき事例である。社会的要請の文脈では、「責任ある父親の法律」が注目される。これはDNA検査で父親を確定し、養育費「食費年金」で母子を支援する制度である。不払い者は逮捕の可能性がある。男性の法手続き支援は強化の必要がある。社会的要請が制度化加速の文脈に影響した形跡はなかった。

第4報告 ニカラグアにおける女性の政界進出とフェミニズム運動 
松久玲子(同志社大学)

2006年および2011年の国勢選挙の結果を見ると、FSLNの女性議員数の増加がGGIにおけるニカラグアの女性の政治参加指標を押し上げた。FSLNが政権に返り咲いた2007年以降現在まで、ジェンダー・クオータの導入をはじめ、さまざまなジェンダー平等政策が実施された。国会での女性議員・閣僚の数は増えたが、ジェンダー平等にかかわる法律成立過程を見ると、FSLNのもとで女性たちが意思決定の場に自立的な参加ができているとは言いがたい。2008年の「権利と機会均等法」成立の背景には、カトリック教会とオルテガ大統領との和解があり、その結果としてフェミニズム運動への締め付けと対立が先鋭化した。また、2013年「女性への暴力に対する総合法」の改正では、女性の権利よりは家族の保護に焦点が移った。さらに2014年「家族法」では、伝統的家族への回帰が見られる。オルテガ政権の意図する女性の政治参加は、FSLNへの女性の組織化、動員であり、女性の自立的かつ実質的な政治参加とは言いがたい。

討論者からのコメントと討論

秋林氏からは、何のためのジェンダー・クオータか、それは家父長制・伝統的な家族の維持や覇権的な男性性による女性性の支配を解決・解消しているのか、イシュー・政策への関与におけるゲットー化に関連して、女性の政治参加にはどのような役割が期待されるのか?という問いかけがあった。菊池氏からも、記述的代表(女性議員数の増加)と実質的代表(立法化過程における女性の利益の正確な反映)の関係性、前者が後者につながるための制度設計、女性の利益の多様性を前提とした実質的代表の捉え方などについての問題提起があった。

報告者からは次のような回答があった。女性議員の選出に関しては政府、政党などの家父長制的影響が認められ、女性代表の地域的、階層的、党派的偏りや格差等の問題もある。また女性議員の機能遂行、その影響の範囲や強度も限定的である。国際的な圧力、国際規約の遵守、知識人女性の運動、あるいは反対にフェミニズムと対峙する政府の取り込みなど、ジェンダー・クオータ制導入の要因は多様であるが、それを実効化するための仕組み(関連法、選挙裁判所の権限強化、水平的同数性、パリティへの移行など)が模索されており、国民の意識レベルでも受け入れられる環境が形成されつつある。ネガティブな諸問題の存在は決してジェンダー・クオータの意義を否定するものではない。

フロアからはアルゼンチンの同性婚法成立に関する議論、国際社会の外圧、コスタリカの「責任ある父親の法律」の保護法益などについて質問が寄せられた。十分な討論はできなかったが、女性の政治参加において“先進地域”ともいえるラテンアメリカの取り組みと課題を共有できただけでなく、地域の民主主義の深化にとっての意義や日本社会のあり方等についても考える貴重な機会になった。