第42回定期大会(2021) 於:横浜国立大学(オンライン開催)

日本ラテンアメリカ学会は、ポストコロナを見据え、第42回定期大会を2021年6月5日(土)・6日(日)の二日間にわたり横浜国立大学を開催校としてオンラインにて実施した。大会一日目は、Maxine Molyneux 教授による記念講演:“Latin American Feminism: A Fourth Wave?”を行うとともに、18時よりオンライン懇親会を行い、横浜国立大学梅原出学長による歓迎の挨拶とパラグアイハープ演奏を行った。また、Zoomのブレイクアウトルーム機能を活用し、参加者の交流を図る懇親会を実施した。二日間にわたる大会は、6分科会および4パネルが組まれ、分科会では15名が、パネルでは20名が個人報告を行った。また、シンポジウムおよびポスター発表においては各4名の計8名が個人報告を行った。大会二日目は、シンポジウム:“Riesgo y genero: cuestiones de genero en tiempos del COVID-19”を行った。Maxine Molyneux 教授の記念講演を含めると、44 名が報告を行い、20 名が登壇したことになる。LGBTやジェンダー、セクシュアリティ、防災教育、感染症など、現在の社会課題を浮き彫りにしたテーマが取り上げられたことに実行委員会一同感謝している。
 第42回大会ポータルサイトへのアクセス数は、大会両日合計で3,483回あり、6月5日(土)は2,049回、6月6日(日)は1,434回と、開催時間が長かった一日目に多くのアクセスがあった。アクセス国は、日本(全国各地)、アルゼンチン20回、イギリス8回、エルサルバドル・パラグアイ各4回、メキシコ・オランダ各3回、中国、アメリカ合衆国、アイルランドであり、日本全国ならびに世界中から多数のアクセスがあった。大会終了後にもポスター発表の継続公開や記念講演の動画ファイルの公開を行ったことから、アクセス数はさらに多いと考えられる。また、二日間の大会を通し、常に60~100 人ほどが大会用Zoomにアクセスした。
 ポストコロナを見据え、オンラインならではの利点を最大限に生かし、本大会を準備・運営してきました。11ヵ月間一緒に伴走して下さった大会実行委員の先生方、大学院生の皆様方、理事・監事のみなさま方には御礼申し上げます。この度の学びは次期大会実行委員会に引き継がせて頂きます。誠にありがとうございました。

大会実行委員長 藤掛洋子


記念講演

“Latin American Feminism: A Fourth Wave?”

Maxine Molyneux, Ph.D( Institute of the Americas, University College London)

Maxine Molyneux 博士(Institute of the Americas, University College London 教授)による記念講演:“Latin American Feminism: A Fourth Wave?”が行われ、60 名が参加した。講演要旨は英語で公開され、記念講演はスペイン語で録画により行われた。南北の幅広い国でフェミニストと民主的な抗議の新しい波の中で主導権を得てきたフェミニズムであるが、近年の活動の波を特定することがどの程度有用であるのかという問の中、過去と現代のフェミニズムに共通する特徴を調べ、「波」の観点からフェミニズムを周期化することにより分析された。Molyneux 教授が示した第四の波は、交差性や多様性、包摂、反人種差別に対する強いコミットメントがある点が示されており、これらの動きは第一~第三波よりも顕著であると考察された。質問は日本と海外から多数寄せられ、Molyneux 教授からの回答は、大会ポータルサイトに6月18日(金曜日)23時59分までPDFファイルにて公開された。


分科会

分科会1 メキシコ・グアテマラの現代先住民社会

司会 禪野美帆(関西学院大学)

分科会1「メキシコ・グアテマラの現代先住民社会」では、3名の会員による研究報告が行われた。敦賀公子会員は、近年質問項目に大きな変更のあったグアテマラの国勢調査において、急速にアイデンティティを回復、あるいは創造しているように見えるシンカの人々の言語とアイデンティティについて、本谷裕子会員は、グアテマラ高地のマヤの女性による織物の意匠がヨーロッパをはじめとする大手服飾メーカーによって無断で使用される問題と、それに対抗する組織の活動について、三島玲子会員は、メキシコ、キンタナロー州におけるマヤ女性の民芸品創作と販売の支援をめぐる開発援助の事例と諸問題について、それぞれ発表した。どの発表にも複数のコメントや質問が出て、活発なディスカッションが行われた。
 各発表者の報告は以下の通りである。


○「消滅の危機言語からのアイデンティティの再生に関する一考察―グアテマラ東部シンカの人々の場合―」
敦賀公子(明治大学)
[討論]額田有美(国立民族学博物館外来研究員PD)

シンカの人々は、グアテマラ南東部の非マヤの先住民で、軍事政権下(1930~45年)において、言語や民族服などの文化的表象を否定されたため、現在、固有の言語は消滅の危機にある。しかし、「先住民のアイデンティティと権利に関する合意」(1995 年)に基づき実施された国勢調査(2002、2018 年)では、自己定義による帰属民族人口が大幅に増加しており、希薄化したアイデンティティの再生がうかがえる。本報告では、シンカ団体による土地所有権奪回および大規模鉱山開発反対などの活動が、その結果を誘引したと推察し、農業を生業とする彼らにとって「土地」は言語以上にアイデンティティ構築の現実的基盤であると結論づけた。さらに、シンカの事例を踏まえ、危機言語研究における言語とアイデンティティの関係を再考した。
討論者からは、コスタリカの事例と比較しつつ、シンカの抵抗運動は、少数民族がおかれる抑圧的状況からの解放に向けた政治的アイデンティティの訴えだと解釈可能ではないか、との重要なコメントを頂いた。


○「文化遺産保護に関する一考察―グアテマラ・マヤ先住民女性の衣文化を視座に―」
本谷裕子(慶應義塾大学)
[討論]鈴木紀(国立民族学博物館)

本発表は、2018 年2 月末に開催された米州人権裁判所にて、グアテマラ政府が提示した「衣文化の世界無形文化遺産登録」案を、マヤ先住民女性の織り手たちがなぜ受け入れなかったのかという問いから、グアテマラ高地に暮らすマヤ女性の織り手たちが2016 年より結集し展開してきた社会運動「Movimiento Nacional de las Tejedoras(以下MNTと称する)」に着目した。MNTがおこなう活動のうち、今回の発表ではとりわけ以下の二点(①創造品(織物と衣装)の知的財産権保護、②マヤ女性の肖像権保護)に関し、MNTが何を問題視しているか、それを踏まえどのような活動をおこなってきたか、今後何を実現していこうとしているのかに関する考察をおこなった。また、マヤ先住民女性の伝統衣装を所蔵する学術機関の実践的な取り組みとして、MNTのこれまでの活動とその問題提起をテーマに発表者が企画に携わった国立民族学博物館での特別展(2018 年秋開催)をとりあげ、その展示内容の詳細を紹介した。
討論者からの質問をきっかけに、MNTの成員の夫など、男性がどのように関わっているかについても議論が展開した。


○「キンタナロー州のマヤ系先住民女性の経済活動と新型コロナウィルス感染症の影響―メキシコ国キンタナロー州の村落を事例として―」
三島玲子(会議通訳者)
[討論]桜井三枝子(京都外国語大学ラテンアメリカ研究所客員研究員)

本報告では、女性の経済活動(民芸品制作・販売)の支援を目的に行われた、JICAの『マヤ族居住地域女性支援計画プロジェクト』(2007 年-2010 年)の対象村落での活動の継続と阻害の要因、配偶者の意識変化に関する調査から、村落のジェンダー秩序等が醸成する感情が参加者と活動に与えた影響を報告した。更に本年4 月の委託調査から、COVID-19による困難を限定的とする回答や、失業者の帰村による人口増、通信環境・費用面での遠隔授業の負担、女性の無償労働時間の長さ、政府の支援への依存等が確認された。
討論者からは、文化人類学者の視点で当該地域について貴重な情報を得た他、グアテマラで住民の利水の困難に接した際、調査への支障を回避するため表に出ずに「草の根援助」によるポンプ供与を取り付けた事例が紹介され、調査上の留意点や異分野 の接合点に有益な示唆を得た。インフォーマントの夫の意識と生育環境について司会者より質問があり、更なる観察項目も明確化した。


分科会2 現代ラテンアメリカの政治と社会

司会 新木秀和(神奈川大学)

本分科会では3組の研究発表が行われた。舛方会員と新川氏は大統領制という古くて新しいテーマを取り上げ、比較政治の視角から精緻な分析を加えた。ロドリゲス会員は新型コロナウイルスのパンデミックという現状を踏まえ、パナマ政府の対策を成功と失敗の文脈で整理・考察した。山本会員はメキシコ社会が抱える麻薬戦争の諸相を、行方不明者を捜す女性の活動に着目して詳細に報告した。国やテーマは異なるものの、いずれも現代ラテンアメリカの政治や社会が抱える問題や直面する課題に迫る重要な報告となった。それぞれの討論者から詳細かつ鋭いコメントが寄せられ、フロアからの質問と相まって、貴重な意見交換の場となった。今後の研究の進展が期待される。分科会における参加者数は38名から50名の間で推移し、関心の高さがうかがわれた。
各報告の要旨は次のとおりである。


○「大統領を介した権力分掌メカニズムへの一考察―コロンビアとブラジルの比較を通じて」
舛方周一郎(東京外国語大学)・新川匠郎(神戸大学)
[討論]菊池啓一(アジア経済研究所)

大統領制では、大統領が大臣職を配分することにより、大統領政党に有利な権力の独占がありえる。だが実際には、大統領が大臣職を他の連立与党に多く配分する比例配分的特徴も見られる。そのため、大統領に付与される権限が役職配分と連立形成という権力分掌に向けて有効に機能するとも考えられる。一方で大統領制下では多党化や上院の存在が大統領に連立を促す効果もありうる。本報告では大統領権限、多党制、二院制の関係に注目して、いかに大統領の権限を介した比例配分的な権力分掌が働くのか、その仕組みを検討した。その結果、ラテンアメリカ諸国の事例間分析、コロンビア(ウリベ政権・サントス政権)とブラジル(ルーラ政権・ルセフ政権)の事例内分析を通じて、大統領権を介した権力分掌の経路と、その権限が多党制と二院制とも連動して生まれる比例配分のメカニズムの特定を試みた。討論者からは、報告者たちによる過去の研究課題との差異化、大統領権限を公式・非公式にわけた分析の提案、両国の憲法改正が過大規模連合形成の契機となった可能性に関するコメントがあった。また参加者からも、本報告が民主主義の質の議論へいかなる示唆を与えるか質問が寄せられた。


○「新型コロナウィルスに対するパナマ政府の成功と失敗」
Ruben Rodriguez Samudio(北海道大学)
[討論]小池康弘(愛知県立大学)

パナマ政府は、2020 年3 月上旬に新型コロナウィルスの初感染者を確認し、外出禁止命令を発令した。感染防止の措置として、完全な外出禁止ではなく、性別と曜日によって一時的な外出を認める制度を設け、感染者数の多いパナマ県と西パナマ県からの移動を制限した。経済対策として、政府は労働法典を根拠に、労働契約の停止を命令した。労働契約停止によって労働関係が継続し、企業が解雇損害賠償を支払わない代わりに、ほとんどの解雇が禁止となった。教育の場面において、政府は、当初から小中高の授業をオンラインで行うことを決定し、これに合わせて教育専門ウェブサイトやその他のサービスを開始したため、義務教育を継続することができた。報告に対し、討論者からの質問として、①2021 年1月に感染者数が急激に上昇した原 因、②政府による措置の強制性(罰則など)、③ 2017 年に外交関係を樹立した中国との関係や医療保険制度の機能なども含め てパナマ政府のCOVID-19対策においてどのような「成果」や「失敗」があったと評価するか、との質問があった。


○「メキシコ・麻薬戦争の行方不明者―立ち上がる女性たち」
山本昭代
[討論]小林致広(京都大学名誉教授)

メキシコのいわゆる「麻薬戦争」では、殺人被害者、行方不明者の数に減少の兆しは見えない。犯罪組織が国土の大部分を分割支配する一方で、治安当局には汚職と腐敗が蔓延し、捜査はほとんど行われない。行方不明者の捜索は家族自身が行うしかなく、メキシコ各地に行方不明者の家族の会が生まれ、全国的にも連携を持つようになった。その中心となるのは、家族を探す母親たちであり、そこにはメキシコ社会に根差すマリアニスモと呼ばれる母であることを礼賛するジェンダー観が反映されている。しかし苦難の中で道を切り開く女性たちは、「たたかう母」という新たなジェンダー・アイデンティティをつくり出してもいる。
討論者の小林致広先生からの質問のうち、AMLO政権下でのナルコとの癒着関係に関しては、とくに地方によっては問題視されているところもあるとお答えした。会場からの質問で、日本へのメキシコからの麻薬密輸に関してはあまり知識がなく、十分な回答はできなかった。また、活動主体が女性であることが法令制定に影響しているかという質問もあったが、ジェンダーというより当事者である被害者家族の参加が尊重されるべきだという主張が入れられているとお答えした。


分科会3 移民をめぐって

司会 司会 牛田千鶴(南山大学)

本分科会では2名の会員による発表が行われた。米国からブラジルへ、またメキシコから米国へと移り住んだ人々をめぐる動機や背景、伝統的祝祭の役割の変容等に焦点を当てた、いずれも意欲的な報告であった。全体を通じ、20 名ほどの参加者があった。
今回は本学会年次大会初のオンライン開催ということもあり、機器使用面での不手際が若干生じたものの、報告時間そのものは充分に確保することができた。討論者および参加者からも、報告者の発表内容の理解をより深められるような観点からのコメントや質問がなされ、活発な議論が展開された。
各報告の要旨は、以下の通りである。


〇「なぜアメリカ人はブラジルに移住したのか?―コンフェデラードスの書簡にみる移住動機の諸相―」
中西光一(サンパウロ大学大学院博士後期課程)
[討論]山田政信(天理大学)

本報告は、アメリカの南北戦争終結後にブラジルへ移住したコンフェデラードスの書簡に着目し、彼らの移住動機を検証した。報告では主に三つの点を明らかにした。一つは、コンフェデラードスのブラジル移住には人種的な要因が関係していた。すなわち、アメリカにおける奴隷制の廃止で解放されたアフリカ系アメリカ人への恐怖、嫌悪、彼らによる支配への忌避であった。次に、移住には経済的な要因、南北戦争による南部経済の崩壊が関係していた。最後に、ブラジル政府による支援が移住に拍車をかけた。その背景には、コンフェデラードスの不安定な経済状況を考慮した点とブラジル社会の「白人化」を目的にした移民政策があった。討論者からは、①移住に対するブラジル側の視点、②トランスナショナルな視点から見たコンフェデラードスのネットワーク、③ブラジルの奴隷制と移住動機の関係性に関するコメントや質問があった。参加者からは、①移住者の階層、②コンフェデラードスによるプロテスタントの布教活動と社会貢献、③移民と戦争に関する意見や質問が寄せられた。


◯「ロサンゼルスのオアハカ人同郷者会OROが形成する異種混淆のコミュニティ」
山越英嗣(都留文科大学)
[討論]山崎眞次(早稲田大学)

本発表では、ロサンゼルスのオアハカ人同郷者会ORO (Organizacion Regional de Oaxaca, オアハカ地域組織)が故郷のゲラゲッツァ祭を再現する活動を事例とした。OROは祝祭の実施において、可能な限り「オリジナル」の祝祭に近づけるように細心の注意を払っていたが、報告者は参加者のみならず、演者側にも「非オアハカ出身者」が含まれており、自ら真正性を壊すような状況が生じていることに着目した。そして、一般的にOROのゲラゲッツァ祭は「オアハカ人」の連携を強化するものと理解されてきたが、本報告ではそれが他のマイノリティと協調するために用いられていることや、「オアハカ人」という概念が、民族や血統にこだわらないものとして使用されていることを指摘した。討論者からは、本報告にはナショナリズムの視点を加えて考察するべきであるとの助言があった。また、討論者やフロアから、「OROがそのように政治的プレゼンス拡大を図っているのか」「オアハカ先住民同士の連携はどのような状況か」「故郷への送金はおこなわれているか」「世代ごとの態度の違いについて」などについて質問があり、終始活発な議論が行われた。


分科会4 「記憶」の構築と叙述

司会 内田みどり(和歌山大学)

本分科会は、異境で戦争体験をした日・伯2人の知識人の記録を読み解いたモッタ会員の報告と、チリの2人のドキュメンタリー映画監督による対照的な「9・11 クーデターの記憶」の描き方を分析した新谷会員の報告で構成され、約35人の参加があった。いずれのケースも、歴史的にも個人的にも「強烈な」、癒しがたい記憶にまつわる「記録」であり「記憶」をとりあげたもので、ラテンアメリカ研究の重要な分野である「歴史と記憶」に対する重要な貢献である。以下に報告の概要と質疑を要約する。


◯「異境から戦争経験を語る―M.D.ミランダと岸本昂一におけるナショナリズム・国家・他者―」
フェリペ・アウグスト・ソアレス・モッタ(大阪大学大学院)
[討論]ガラシーノ・ファクンド(JICA緒方貞子平和開発研究所)

岸本はキリスト教徒で伯に帰化した教育者だが、同化政策に抵抗し第二次大戦中に日本語教育に携わり投獄。戦後その経験や日系移民弾圧をテーマに『南米の荒野に孤立して』を自費出版、ブラジルに帰化しても日本語で精神生活を営み、決して他と混血せず日本人の誇りを保てと説いた。この本はブラジルで刊行された日本語書籍で唯一発禁となり、岸本は国外追放寸前、最高裁の無罪判決まで10 年を要した。岸本の本を注釈付きで葡語に抄訳したのがミランダである。彼はサンパウロ大学の訪日団の一員で団の帰国後も日本に残り「本当の日本」に迫ろうとしたが、最後は収容所に入れられ1942 年に交換船で帰国。戦後は日系社会の「勝ち負け抗争」事件で警察の通訳となり「祖国に貢献」した。討論者からの①ブラジルの日系移民はいかなる意味で帝国の辺境にいたのか。②岸本におけるナショナリズムとは何か。という問いに、報告者は①については精査が必要、②岸本は民族、帝国、国民を混同している。本報告はナショナリズム研究の一環だが移民社会で均質化されたものとは違う岸本の戦争経験に注目したものである、と応答した。


◯「拡散する痕跡、収縮する記憶―チリのケル「記憶の場」の映画的表象をめぐって」
新谷和輝(東京外国語大学大学院)
[討論]柳原孝敦(東京大学)

パトリシオ・グスマンとイグナシオ・アグエロは、チリの1973 年クーデター以降の記憶をテーマとし、それを公的かつ客観的な歴史叙述ではなく私的で主観的な証言で描く点で共通する。報告者はベロニカ・ガーゴの「身体―領土」論を敷衍し、グスマンが、チリの様々な歴史の記憶が重なり合うアタカマ砂漠を当事者の言説や身体を越えたより長期的で集合的な記憶の場として描いているという。一方、アグエロはサンチャゴの自宅周辺の変わりゆく風景を題材に、自らの私的空間を訪れた人たちの痕跡をたどるが、彼にとって記憶は外部から訪れる異質なものの影響で、絶えず拡散し変化するものだ。いずれの記憶も単一の正当な記憶には還元できず、ピエール・ノラのいう(ナショナルヒストリーを支える)記憶の場とは区別されるべきだ。討論者は、他の権威によって自己を語る「証言文学」の隆盛の後、作家=語り手が自らの記憶・体験を再構成するという形式のオートフィクションへの注目が集まっていることが、フィクションとノンフィクション(ドキュメンタリー)の境界という映像研究の問題につながるのではと指摘した。

分科会5 ラテンアメリカ文学

司会 安保寛尚(立命館大学)

本分科会では、洲崎圭子会員と浜田和範会員の二人からの報告が行われ、およそ20 名近い参加があった。洲崎報告では、キューバの作家エドムンド・デスノエスについて、作家自身による原作の英語翻訳における加筆箇所に注目し、フェミニズムの観点からの分析が行われた。浜田報告では、アルゼンチンの作家フアン・ホセ・サエールの『グロサ』について、精緻なテクストの分析から、ダンテの『神曲』との間テクスト性と、これを異化するサエール独自の詩学の表れが論じられた。それぞれの報告について、討論者からの的確な指摘やコメント、そして発表内容を深める質問が寄せられ、非常に活発で充実した議論が展開された。以下は報告者による、それぞれの報告と討論、質疑応答の要旨である。


◯「文明人のようにふるまうこと―エドムンド・デスノエスの『低開発の記憶』と『いやし難い記憶』を比較して―」
洲崎圭子(お茶の水女子大学))
[討論]久野量一(東京外国語大学)

本報告では、エドムンド・デスノエスの小説『低開発の記憶』と、著者自身の訳による英語版『いやし難い記憶』を比較し、女性人物の描かれ方の差異について考察した。映画化にあたり著者が担当した脚本には、原著にはなかったエピソードが追記され、英語版にも同様に加筆されていたことが確認された。今回着目した点は、英語版において、語り手の妻が〈声〉を得て登場し自己主張したことである。これは、当時のキューバ政府が全世界に先駆けて男女平等政策を推進していたことを反映したものであり、第二波フェミニズムの胎動を見ていたにすぎなかった同時期の米国の状況と比較すると、キューバ女性が〈低開発〉な状況に置かれていたわけではなかったことが明らかになった。討論者からは、革命政府が、女性解放のみならず人種についても同様の政策を採用していたことにつき補足説明があった他、他の亡命作家への言及など、今後の研究をすすめる上での有意義な指摘があった。


◯「フアン・ホセ・サエール『グロサ』におけるダンテの存在」
浜田和範(慶應義塾大学)
[討論]大西亮(法政大学)

本報告は、夥しい間テクスト性の張り巡らされたサエールの小説『グロサ』において、従来は詳細に論じてこられなかった『神曲』とのそれを立証した。作家が書いた三篇の詩「ダンテ」において観察しうる特徴、特に三人での散歩という要素が『グロサ』と重なる点を挙げつつ、小説終結部の虚無的な宇宙観が『天国篇』への対抗として書かれていること、また未来の破局から現在を照射するその構成が比喩形象的リアリズム(アウエルバッハ)を逆向きの形で具現化していることを指摘した。しかしそのようなアイロニカルな間テクスト性を通じて『グロサ』における瞬間的なエピファニーも明らかになること、その記述に隣接する埋み火のイメージは、ダンテの火とは異なるサエール独自のものであること、サエール作品におけるそのイメージの通時的分析を通じてサエール詩学の核心を把握しうることを指摘した。
討論者からは様々な質問が投げかけられた。まずサエールにおける政治と文学の関係をめぐっては、政治的立場は左派だが作家としては政治性を表象の次元において追究し続けたと応答がなされた。本報告が「詩学」の語を採用する理由に関しては、思想的プログラムではなくそれを表象する際のイメージ創出に着目するためだと応答がなされた。意思疎通のズレを執拗に描き出すサエールの到達点をめぐっては、経験の伝達不可能性という宿命の中でそれでも人は語ってしまうという営為を描き出そうとしたのではないかと応答がなされた。『神曲』に描かれるダンテの詩人としての自己形成との連関はあるかという問いに対しては、サエールにとっての詩は構築ではなく瞬間的な啓示であるというアイロニカルな対抗意識が伺えると応答がなされた。フロアからは、その他の間テクストをめぐる質問が飛んだ。『ユリシーズ』の取り込み方に対しては、限られた時空間に全世界が凝縮されているという設定や二人の主人公の性格づけが生硬ではない形で取り入れられていること、また『ブヴァールとペキュシェ』と書題『グロサ』の関連性をめぐる問いには、経験と有機的連関を持たない言葉という点で通じる点はあることが応答として述べられた。


分科会6 呪術・死・差別をめぐる歴史

伏見岳志(慶應義塾大学)

本分科会では、3 名の会員による報告があった。第一報告と第二報告は、いずれも征服期のメキシコに関する報告であり、第三報告は独立期キューバに関する報告である。分科会タイトルが示すように、それぞれの扱うテーマはだいぶ異なる。しかし、3 つの報告が共通して問いかけていたのは、簡単には理解し得ないことがらを、ある社会集団が認知し、編成していくプロセスだったように思われる。討論者による充実の議論に加えて、40 名を超える参加者からも多くの質問があり、活気のある分科会であった。以下に、各報告の概要を示す。


◯「石材の呪医的利用―黒曜石を中心とした古代メキシコの事例―」
千葉裕太(南山大学)
[討論]岩崎賢(神奈川大学)

植民地期初期、及び時代を少し遡った古 代メキシコにおいて、石材は医療器具や薬、護符として、広く身体の異常を治癒、予防するため呪医的に利用された。しかし鉱物製薬は、石材の入手場所が限定され、増殖は不可能、西洋科学的根拠を持たないことから、ほとんど研究されてこなかった。本報告では植民地期初期の記述より、黒曜石を中心に呪医的利用の事例が抽出された。事例からは、解熱剤や解毒剤に緑色の薬、歯の治療には白色の薬、目の治療には赤色の薬など、色の共通点がいくつか確認された。色の象徴性と、在地の医術理論として知られる熱冷二元論との関連により説明し得る医術事例がある一方で、熱冷二元論では矛盾が生じ得る事例も確認され、今後の課題とされた。色に着目した石材の呪医的利用の研究は、それが薬とみなされた文化の世界観や身体観、他の医術理論の存在、色の象徴性などを考察する一つのアプローチとなる可能性が本報告では提起された。


◯「コンキスタドーレスが直面した死と恐怖」
立岩礼子(京都外国語大学)
[討論]安村直己(青山学院大学)

本報告では、16 世紀の新大陸において、コンキスタドーレスが直面した死に対する恐怖心について、アナール学派の感情史の枠組みを用いて考察し、恐怖心が征服活動にどのように結びついたか分析した。とくにドリュモー(1997[1978])によるヨーロッパ中世の人々の恐怖の分類を参考に、今回は海、自然、渇きと飢え、先住民との戦闘と傷の数、人身供犠を分析対象に選び、コルテスのCartas de relacion、ゴマラのHistoria general de las Indias、ディアス・デル・カスティーリョのHistoria verdadera de la conquista de la Nueva Espana、ヌーニェス・カベサ・デ・バカの“Naufragios”から該当項目の描写を抽出・分析した。その結果、コンキスタドーレスは、神に対する畏怖の念を持ちつつも、中世の人々が生命や生活圏を脅かすとした恐怖(海、渇きと飢え)に加えて、新大陸ならではの恐怖(自然、先住民との戦闘や傷の数、人身供犠)を日々経験したことを明らかにし、新大陸の征服は、死からの回避、死に対する恐怖の克服のプロセスであったと結論づけた。また、4 つのエゴ・ドキュメントは征服史を雄弁に物語る資料であることを確認するとともに、とくにコルテスのCartas de relacion には、ドリュモーが指摘するように、当時の貴族階級の名誉心に訴える文体や内容に仕上がっている点は否めないことの見解を示した。以上に対し、討論者の安村氏からは、今後の研究の方向性の指針として①ドリュモー論をいかに評価しているか、②「征服者」の個別化あるいは一般化をどう捉えるか、③征服活動の当事者(コルテス)、経験を聞く者(ゴマラ)、経験を書き残す者(ディアス・デル・カスティーリョ及びヌーニェス・カベサ・デ・バカ)との叙述の溝をどう埋めるか、④ラテンアメリカの歴史的経験をどのように語るかとの問いかけがあった。また、フロアからは、征服者の死生観、タウシグの議論を踏まえた20 世紀の植民者の恐怖との連続性あるいは断続性、植民地にわたった人の職業別の恐怖について質問があった。本報告はまだ取り組み始めたばかりの研究内容であったため、いずれの質問にも満足には対応できなかったが、今後は頂戴したコメントや質問を考慮して、考察を進めていく所存である。


◯「20世紀初頭のキューバにおける人種主義の分析―『犯罪人類学』を中心に―」
岩村健二郎(早稲田大学)
[討論]林みどり(立教大学)

本報告はまず、20 世紀前後のキューバにおける実証主義の受容と展開を制度的な知の布置において概説し、犯罪人類学者イスラエル・カステジャーノスの研究が同時代の言論のなかでどう定立していたのかを探った。アフリカ系キューバ人の「宗教」を犯罪化しようとする言説と実践、労働力不足による移民の門戸開放の際に起こったネイティビズムにおけるニグロフォビアの言説との関係や、とりわけその生物学的遺伝決定論が、19 世紀の「捜査民族学」や、奴隷の臨床医療とどのような関係を取り結んでいたのか、また人類一般に対する「科学」であったロンブローゾの隔世遺伝論が彼にいかなる認識論的「跳躍」を起こしたかを論じた。コメンテイターからは報告者の扱った現象をキューバの医療制度化、医療の国民化といったパースペクティブのもとに捕らえ直す可能性が示された。参加者の質問含め、大変有意義な報告となったことを感謝いたします。


ポスター発表

◯「ラプラタ博物館と遺骨の返還」
伊香祝子(慶應義塾大学等講師)

アルゼンチンは、植民地時代を起点に先住民の少ない国として、また、19世紀後半からの積極的な移民受け入れ政策によって「移民の国」というイメージでしばしば語られるが、先住民との間に葛藤がなかったわけではない。今回の発表にあたり、筆者が2021 年四月末までにラプラタ博物館から返還され埋葬の終了した36体の遺骨について、返還された共同体の帰属を調べたところ、そのほとんどが1880年以降、連邦州ではない政府直轄領(Territorio nacional)として、あらたにアルゼンチン共和国に組み込まれた地域であることがわかった。博物館に展示・所蔵された遺骨の中には、共同体の同意なく収集されたものや、博物館で生活し、亡くなると標本にされた人びとのものもあった。スラックによる質疑では、日本や世界の他の地域で起こっている先住民による遺骨返還の申し立ての動きに連なる同時代的なテーマであるとのコメントを複数の方からいただき、今後の励みとなった。


◯「コスタリカにおける先住民性と食文化 「ガストロポリティクス」という視点から」
額田有美(国立民族学博物館 外来研究員PD)

本発表では、フィールドワークとリモートでの調査より、今日のコスタリカで「先祖伝来の料理」や「先住民的な食」と呼ばれるものが、研究者を含むさまざまなアクター(主人公)によって解釈され意味づけられ実際に生み出されていく様子を、首都圏のレストラン、テイクアウト専門店、そして南部のインディヘナ居住区の家庭でのそれぞれ異なりつつも互いに関係し合ってもいる3つの事例から報告した。その際、これらの事例を文化の真正性や盗用ではなく、「ガストロポリティクス(Garcia and Matta eds. 2019)」という視点から議論することを試みた。そうすることで、「関係者や外部者たちとの変わりゆく、権力を帯びた諸関係のなかで、つねに再節合されつつある何か(クリフォード2020: 283)」としての先住民性と食の可能性に焦点を当てることが可能となるからである。SLACKでは、米の「移動」や、発表者が取り上げたアロスワチョのワチョという語についてのコメントをいただいた。ガジョピントに関する質問もいただき、応答した。


◯「メキシコ、バハ・カリフォルニア州の国民行動党(PAN) 政権への評価(1989-2019)」
吉野達也(大阪経済大学)

本発表ではメキシコ、バハ・カリフォルニア州における1989 年から2019 年までの選挙結果を研究対象にした。まず州内の主要都市における市長選挙、州知事選挙とPAN州政権の政策との関連性について考察した。社会インフラの整備などで評価は高かったものの、とりわけ州民が期待していた麻薬問題や治安問題に対して州政権が根本的な解決を与えることができなかったことでPANに対する期待が薄れ、その結果2019 年の州知事選挙ではPANは国民再生運動(MORENA)の候補に敗れるに至った点を指摘した。
発表へのコメントとして「2000 年代における国家レベルでのPANに対する失望感がバハ・カリフォルニア州の選挙に与えた影響が大きかったのではないか」、また「選挙競争や、政党システムなどといったフレームをしっかりと提示したうえで発表を行うべき」という貴重な助言をいただいたので、それらを踏まえたうえで今後さらにこの研究を深めていくことができるようにしたい。


◯「第二次世界大戦後におけるブラジル日本人移民の自己表象に関する一考察―先住民イメージと日本人イメージとの関係に注目して―」
長尾直洋(名桜大学)

本発表では、1930 年代にジルベルト・フレイレの著作にて肯定的に描かれ、ジェトゥリオ・ヴァルガスの国民統合政策に寄与した、白人植民者・黒人奴隷・先住民の混淆、混血文化、人種偏見無しというブラジル国民統合モデルの中で、第二次世界大戦後の日本移民が自身をどのように表象したか、その一例について検討を行った。具体的には、日本移民知識人層の香山六郎による日本語とトゥピ語の同祖論を取り上げ、その日本移民社会・ホスト側社会への影響について邦字新聞等の資料を用いて再評価を試みた。その結果、邦字新聞での一定の扱い、日本移民社会の反応、ホスト側社会への流布の試み等が確認され、香山説の社会的影響力は先行研究が示すより広範であったと結論づけた。本発表に対して、現在の先住民への評価、香山説のトゥピ語関連依拠資料、パラグアイ日系社会における香山説の影響、カボクロ言説との関連など、4名よりコメントを頂き、質疑応答を行った。


シンポジウム 「リスクとジェンダー:コロナ禍におけるジェンダー課題/“Riesgo y genero:cuestiones de genero en tiempos delCOVID-19”」

責任者 藤掛洋子(横浜国立大学)
Carlos Peris(Universidad Nacional de Asuncion)
浅倉寛子(CIESAS)
Ulises Granados(Instituto Tecnologico Autonomo de Mexico)
Denise Nacif Pimenta( Federal University of Minas Gerais)
[討論]柴田修子(同志社大学)

大会二日目にシンポジウム:“Riesgo y genero: cuestiones de genero en tiempos del COVID-19”を行った。登壇予定であったメキシコ自治工科大学のUlises Granados Quiroz 博士が5月31日に急逝されたことから、シンポジウム開催にあたり、Ulises教授のこれまでの学問的貢献を称え、参加者一同で追悼と黙祷を行った。
 本シンポジウムは、社会科学で取り上げられるリスク概念を用い、2019年末以降に拡大したCOVID-19とジェンダーの関係性についてパラグアイ、メキシコの事例を比較することを目的とした。藤掛洋子は、“Riesgos y oportunidades en tiempos de pandemia considerados por los residentes de la barriada paraguaya”と題し、マチスモ(男性優位思考)思想が今日も残るパラグアイのバニャード・スルというスラムを取り上げ、「リスク」の概念をフレームとし、スラムで生きる人々のリスクの認識と差異を抽出し、若者の社会活動やシングルマザーの複層的日常実践と「戦略」の多面性を考察した。
 Carlos Peris は、“El rol femenino en la contencion del COVID-19 en Paraguay”と題し、様々な社会課題を抱えるパラグアイの現状について報告するとともに、バニャード・スルで炊き出しを行う女性を事例に取り上げた。パラグアイは国家歳入の低さ、汚職、公共支出の少なさ等が課題となっており、COVID-19に対するワクチンの接種も遅れている。その中で、バニャード・スルをはじめとした貧しい地域において炊き出しを行う女性たちは地域の人々に対し、ただ食事を与えるのみならず、コミュニティとしての団結を強める効果を示している点を考察した。
 浅倉寛子は、“Desigualdades y violencia de genero en Mexico en el contexto de la pandemia”と題し、パンデミック禍のメキシコにおけるジェンダー不平等と暴力について報告した。新型コロナウイルスによって引き起こされた公衆衛生の危機により、メキシコの人々の生活は劇的に変化し「ステイホーム」という明確なメッセージが発せられた。マルチタスクの場と変容した家庭という親密な空間は、安全で安心できる場所だと考えられてきたが、パンデミックは、多くの人々―特に女性たち―にとって、「ステイホーム」が女性たちの脆弱性を増し、暴力にさらされるリスクを高めることを明らかにした。
 討論者に柴田修子を迎えるとともに、Zoom上でも活発な意見交換が行われた。参加者は60 名である。
 * 当日、緊急事態のため欠席となったDenise Nacif Pimenta の報告動画:“Gender and Race in the Covid Pandemic in Brazil”が後日届き、大会ポータルに6月18日(金曜日)23時59分まで公開した。WHOがPHEIC (国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態)を宣言してから1年半が経過した現在、ブラジルでは47万4千人以上の死者が出ており、人種、民族、階級、その他の社会的特徴によってそれぞれ異なる問題が生じている。具体的に、フェミサイドが22%、暴力を受けている女性のためのコールセンターへの通報が27%増加した。一方、社会的に孤立した女性からのレイプや身体的暴力などの報告は減少している。COVID-19は社会格差を強化し、その影響は社会的弱者や女性に偏っていることが報告された。


パネルA 「プライド・パレードとLGBT運動―6か国比較から見えてくるもの―」

責任者 畑惠子(早稲田大学招聘研究員)
渡部奈々(獨協大学非常勤講師)
近田亮平(JETROアジア経済研究所)
尾尻希和(東京女子大学)
畑惠子(早稲田大学招聘研究員)
上村淳志(高崎経済大学非常勤講師)
磯田沙織(神田外語大学)
松久玲子(同志社大学嘱託研究員)
[討論]砂川秀樹(一般社団法人ピンクドット沖縄名誉顧問)

[趣旨・概要]  本パネルは「LGBTの権利保障に関するラテンアメリカ6カ国の比較研究」[科研費基盤研究(B)(一般)]の成果の一部である。ここではアルゼンチン、ブラジル、コスタリカ、メキシコ、ペルー、ニカラグアに共通するイベント、プライド・パレードに焦点をあてて、経緯・形態・機能など、各国の特徴を発表した。パレードは米国発祥だが、様々な国や地域の固有の文脈の中で定着し、要求表明だけでなくLGBTコミュニティ内の対立・緊張の調整・調停の場となっている。パレードは比較研究への切り口になると考えている。6か国については、以下の報告要旨のとおり、権利保障(同性婚・法的性別氏名の変更等)の観点から3グループに分けている。
[権利保障が先進的な国]
 渡部会員は「アルゼンチンにおけるプライド・パレード」において、民政移管後のLGBT運動の展開とパレードのテーマを分析し、90年代の可視化、2000年代の権利要求と法整備の実現を経て、2010年代からはより平等な社会の実現に向けて人々の価値観の変容を促すために、包括的性教育(ESI)の施行要求や、ヘイトクライム・トランス殺人に抗議する動きなどが強まっていることを明らかにした。近田会員は「ブラジルにおけるプライド(LGBT)パレード―世界最大規模のサンパウロ市のプライド・パレード」と題して、LGBT運動・パレードと国内の政治経済社会的変遷との関係、パレードのスローガン等を整理し、サンパウロ市のパレードのスローガンが同国の性的少数者の状況や問題を明示していること、寛容性の拡大が排他性を強め、両者が衝突する現状があることを指摘した。
[権利保障がある程度進んだ国]
 尾尻会員は「コスタリカにおけるプライド(LGBT)・パレード」において、先行研究およびパレード主催者へのインタビューに基づいて、LGBT運動の中でパレードはLGBT組織の「団結」とLGBT以外の組織との「連携」という役割を果たしていることを示し、古参運動家による「パレード=祭り」という批判にも言及した。メキシコは州によって異なるため、二つの報告を行った。「メキシコシティにおけるプライド・パレード」で畑は42年間のパレードの歴史を振り返り、20世紀末に始まる第3期はパレードの祝祭化・公的催事化と性の多様性というアイデンティティによって特徴づけられることを示した。また、上村会員は「メキシコ北東部三州におけるプライド・パレード」において、コアウィラ、ヌエボ・レオン、タマウリパスを比較し、パレードの進展に特徴的な差があること、運動(パレード等)と権利要求・実現の順序は一様ではないこと、国内(首都)の影響があることを指摘し、州別研究の必要性を強調した。
[権利保障が遅れている国]
 磯田会員の報告「ペルーにおけるプライドパレード」では、LGBT団体が1982年に結成されたにもかかわらずパレードの実施が2001年と遅く、しかも政治家の参加が目立つようになったこと、パレードとは別に「ホモフォビアにキスを」という集団行動が首都大聖堂の前で行われていることが指摘され、今後の法整備に関しては消極的な見通しが述べられた。松久会員は「ニカラグアのLGBTパレード」で、1979年からの政治的変化の中でパレードなどがどのように誰によって実行されてきたのかを明らかにした。1992年の刑法204条(ソドミー法)発効とその廃止要求、フェミニズム運動とLGBT運動の密接な関係に同国の特徴があり、それゆえにフェミニズム運動とカトリック教会あるいはオルテガ政権との対立がLGBT運動に大きな影響を及ぼしていることが示された。
[討論者のコメント・質問など]
 討論者の砂川氏からは「社会変化・再編をもたらすものはなにか―プライド・パレードから考える」と題して、以下の4点が考慮すべき事項として指摘された。①パレードはその土台があるときに取り込まれ、接合し社会と相互作用し、グローバル化すること。またイメージが行動を生むこと ②HIV/AIDSをめぐる活動・意識への影響 ③パレードを「不安定さを抱えながら拡大する連帯」として捉え、差異を意識しながら構造的対立を越える象徴・契機となりうるのかを考えるべきこと ④抵抗の形は多様であり対立もある。パレードはその結果の体現だが、運動の一つとして捉えるべきこと。
 会員からは、パレード参加者の階級・人種的な多様性、カトリック教会の影響、財源、左派政権との関連、開始時期などに関する質問があった。多くの方々の積極的な参加に謝意を表したい。


パネルB ラテンアメリカ太平洋沿岸域における防災教育と地域研究

責任者 小林貴徳(専修大学)
中野元太(京都大学防災研究所巨大災害研究センター)
岩堀卓弥(慶應義塾大学SFC)
藤田護(慶應義塾大学SFC)
パリーク亜美(株式会社オリエンタルコンサルタンツ)
Alvaro David Hernandez Hernandez(国際日本文化研究センター)
[討論]大平秀一(東海大学)
佐藤正樹(慶應義塾大学)

災害による被害をできるだけ減らしたいと願うことは世界共通だが、災害の現れかたも災害の捉えかたも地域によって異なる。本パネルでは、日常生活と結びついた防災・減災の取り組み、すなわち生活防災について、それぞれの地域特性を踏まえて考察し、地域住民と連携した教育実践の可能性を探った。対象となるラテンアメリカ太平洋岸域は、地震や津波、熱帯低気圧がもたらす豪雨など多様な災害に見舞われる地域であるものの、防災の取り組み状況にかなりの濃淡がみられる。メキシコとペルーの個別事例より各地域の災害リスクの現状を明らかにする本パネルでは、各報告者が当事者の経験や記憶、そしてその語りをどう取り込むかという意識を共有しながら、それぞれの専門領域から防災教育の課題と可能性を議論した。


報告①「災害の記憶と民俗知―メキシコ、ゲレロ山岳部におけるコミュニティ防災にむけて―」
 小林貴徳(専修大学)

メキシコ太平洋沿岸部では、直近10年間だけでもM6~7クラスの地震が10回以上発生し、沖合で発達する熱帯低気圧が毎年のように内陸部に土砂災害を引き起こしている。太平洋に面するゲレロ州の山岳部は、災害発生時の被害増大や被災からの復旧復興の遅れが目立ち、災害に対する高い脆弱性が指摘される地域である。本報告では、同地域における災害復興および防災計画の問題点を浮き彫りにしつつ、近年にわかに注目されつつある生活防災の取り組み、とくに被災者の語りの記録と活用、民俗知を取り入れた防災意識啓発の実践について考察した。


報告②「重層的ダブル・バインド解消を目指す津波防災教育―メキシコ・シワタネホでの実践」
 中野元太(京都大学防災研究所巨大災害研究センター)

メキシコ・シワタネホでの防災教育実践を報告する本報告では、防災専門家が地域社会の学校教員に「主体的に防災教育を実践せよ」と明示的指導することが、「防災は防災専門家が行うものだ」という非明示的文脈と矛盾することで、学校教員の主体性が停滞することをダブル・バインド論で説明した。この種の矛盾は、より日常に近い行政(ex. 防災専門家)と市民(ex. 学校教員)とのあいだにも生じており、重層的な矛盾が両者の過保護/過依存関係を生じさせる。この矛盾を解消する実践が学校教員の主体性を回復させ、防災教育を推進していくことにつながることを論じた。


報告③「ラテンアメリカにおける対話的な科学と社会の関係性の構築に向けて―メキシコとペルーでの防災教育の事例をもとに―」
 岩堀卓弥(慶應義塾大学SFC)
 藤田護(慶應義塾大学SFC)
 パリーク亜美(株式会社オリエンタルコンサルタンツ))

本報告では、メキシコ合衆国、太平洋沿岸部のシワタネホ市での地震・津波災害と、ペルー共和国、クスコ県のケチュア語話者が多い山岳地域での土砂・気象災害に関する防災教育事例を紹介した。ここでは特に、災害リスク認知に関する現地住民の語り(ナラティブ)が、自然科学の客観的な知識とは異なる視点から、彼ら特有の社会的現実を構成していくあり方に焦点を当てた分析をおこった。こうしたアプローチは、知の複数性(pluralidad de saberes)と異文化間相互性(interculturalidad)の理念の下での取り組みの最先端に位置づけられるものである。


報告④「 歴史と実践からみる災害の経験をめぐる表現―2018年にメキシコで開催したワークショップとシンポジウムの経験からの考察―」
 Alvaro David Hernandez Hernandez(国際日本文化研究センター))

本報告では、2017年9月に発生したメキシコ中部地震に関連して翌年2月にメキシコ市で開催された二つのイベントに焦点を当て、震災をめぐる表現について考察を行った。ひとつ目は子ども向けのワークショップとして、日本人漫画家が地震を経験した子どもにその経験を共同で描けるように指導したものであった。もう一つは、メキシコに招いた5 名の日本人研究者による、日本の大衆文化史(映画、広告、漫画)における災害の描かれ方に関するシンポジウムであった。特に関東大震災が取り上げられた同シンポジウムでは、専門的な内容でありながらも日本の漫画文化に興味があるメキシコの若者も多く参加した。この二つのイベントをとおして、災害や戦争のような破壊的な共同経験が如何に大衆文化の表現方法に影響を与えたのか検討されたとともに、そうした表現方法を用いて、実際に破壊的な経験を描き、嫌な体験と向き合うという場が作り出された。
 以上の報告に対し、討論者からは災害のとらえ方に対する地域差のあらわれについて指摘がなされた。とりわけ、政府による防災計画の導入とそれに対する地域社会の応答の差異の背景として、国家権力に対して地域社会の人々がどのように向かい合ってきたのか、向かい合っているのか考慮することが必要ではないのかといったコメントが寄せられた。防災学習に関する実践にたずさわる者と地域社会のあいだの関与の相互性、およびその非対称性について更なる検討を要することが確認された。


パネルC 感染症とブラジル―「人と社会」からみえる過去と現在の姿

責任者 舛方周一郎(東京外国語大学)
長村裕佳子(JICA緒方研究所)
グスターボ・メイレレス(神田外語大学)
澤邉優子(NIPPON ACADEMY)
奥田若菜(神田外語大学)
[討論]山崎圭一(横浜国立大学)
新木秀和(神奈川大学)

COVID-19の流行地の一つであるブラジルは、歴史的にも様々な感染症と向き合ってきた国である。しかし感染症をめぐる諸 相は「人と社会」の論理が捨象されてしまうことが多かった。本報告では「空間と歴史」を重視する地域研究の知見を活かして、日系人、移民・難民、教育、格差といったテーマから、ブラジルでは感染症とどのように向き合ってきたのかを考察した。
 長村会員の発表「感染症と移民史にみる医療の経験―ブラジルへの渡航者を事例に」は、20世紀初頭にブラジルへと渡った日本人移民が直面した感染症をめぐる医療の経験を、記念誌や当時の邦字新聞の分析に基づき考察した。日本人の渡航に伴い、移民による病気の伝搬は問題となった。感染症の流入は外交問題に発展するため出発前の予防接種や移民船での衛生管理は移民事業の課題であった。移住後も、開拓事業に従事した移民などは開拓地特有の感染症に見舞われたため、日本政府は衛生費補助金によるブラジルでの日系医療機関設立や、日本人医師の派遣を通じた日系人の衛生管理に努めた。邦字新聞も衛生知識の普及に寄与した。移民が遭遇した感染症との対峙は日系社会の感染症との闘争史でもあり、移民史を異なる視点で捉え直した。
 メイレレス会員の発表「「感染症と移民・難民―政府のCOVID-19対策とベネズエラ出身者の受け入れを事例に」は、ブラジル政府のCOVID-19への対応に、移民・難民や市民社会がどう応じたかを分析した。感染症の拡大は、移民・難民など社会的弱者やマイノリティに偏り悪影響を及ぼす。特に国境を越える移動をめぐる対応措置は、厳しく長期化しがちなため、パンデミック下の移民・難民に対する人権侵害の増加や、その動きを正当化する言説もあった。報告ではブラジル政府によるベネズエラ出身者の受け入れの事例を取り上げ、コロナ禍が浮き彫りにした移民・難民の脆弱性とそれに伴う政策の課題を整理した。
 澤邉会員の発表「感染症と教育―学校や地域のコミュニティからアプローチする感染症対策」は、今までの感染症で活かされたコミュニティの繋がりが通用しないコロナ禍で、いかにして個々の社会との繋がりを認識する必要があるのかを考察した。蚊媒介感染症による被害は世界的にみて公衆衛生上の問題となっている。近年の急速で無秩序な都市化や不衛生な環境、不適切な廃棄物の処理が蚊の繁殖地を増やしていることが原因となる。地域や学校コミュニティ単位で行われる対策や教育・宗教活動は、個々と社会との繋がりのために少なからず活用された。しかしコロナ禍によって、コミュニティ内での情報格差の問題なども可視化した。
 奥田会員の発表「感染症と格差―蚊媒介感染症およびハンセン病の事例から」は、二つの感染症が社会の一部の地域/集団に集中的に被害を及ぼす要因を整理したうえで、各感染症がその後の社会の議論(政策や道徳的規範)に与えた影響を明らかにした。感染症は、社会の成員に均一に被害をもたらすわけではなく、感染拡大の中心地が存在し、感染のしやすさは集団の特性によって異なる。本発表では、現在のブラジル社会で活発な感染症として警戒されているジカウイルス感染症とハンセン病を比較して、感染・発症・社会問題化などの相違を明らかにした。
 討論者の山崎会員は、ブラジル地域研究の視点から、4報告に対する個別コメントと、コロナ対応機関の政治的独立性に関する質問を寄せた。また新木会員は、ブラジル地域外(グローバル)の視点から、意味論への射程、権力との関係、時間・空間の流動化への示唆と、地域設定の変化に伴うグローバル関係史・比較史の可能性を提起した。本パネルの登壇者は、いずれも感染症の専門家ではなかった。しかし各々の専門性を持ち寄り、感染症というテーマに向き合ったことで、複合領域的・総合的な地域研究の利点を活かせる問題群の発見につながった。登壇者たちによる研究の発展が期待される。


パネルD 政治暴力の後の日常性:終わりのない問いを生きる

責任者 石田智恵(早稲田大学)
内藤順子(早稲田大学)
柴田修子(同志社大学)
狐崎知己(専修大学)
細谷広美(成蹊大学)
[討論]池田光穂(大阪大学)

本パネルでは、1970 年代以降内戦や強権体制下で政治的暴力を経験してきた現代のラテンアメリカ諸社会を対象に、和平や民主化等の移行期正義のプロセスや枠組の外で、暴力がどのような余波・後遺症(aftermath)として人々の現在の日常に存在しているかを、各自が対象とする地域や人々の個別の文脈のなかで捉えることを試みた。
 まず石田からパネルの趣旨説明があり、続く石田自身の報告「アルゼンチン、失踪者の問いかけとその変化」では、アルゼンチンにおける人権運動の成熟と不正義の揺り戻しとも言える政策を受けた新たな動きとして、国家テロリズムの加害者の子供たちの公共空間への登場が取り上げられた。この新たな動きは、加害者との近さを引き受けることによって親密さと公共性を接続しつつ、現在の状況のなかで社会の「道徳的負債」に主体的に応えようとする実践として提示された。
 内藤による第二報告「軍政後のチリにおける社会運動:声を上げはじめた女性たち」では、チリでここ数年大きな影響力を示しているフェミニズム運動を背景に、かつて軍政下で拷問を受けた女性たちが苦しみ続ける語り得ない痛みへのアプローチが模索された。チリ社会で民政移管後も続く家父長制・ジェンダー暴力に対する次世代の女性たちによる告発が、軍政を生き延びた女性たちにとって、終わることのない拷問の痛みに向き合う手がかりとなる可能性が示された。
 柴田による第三報告「和平合意後のコロンビア:暴力のなかの日常を生きる」では、FARC―政府間の和平合意(2016年)以降に治安が悪化し社会不安が深刻化しているコロンビア太平洋岸の町トゥマコにおいて、紛争期から現在まで、FARCやパラミリタリー由来の暴力とコカ栽培などの違法経済活動の連動が地域の日常生活を不安定化していること、そうした外部からやってくる暴力と隣り合わせの、しばしば重なりもする人々の日常的現実が明らかにされた。
 狐崎による第四報告「「低強度ジェノサイド」に抗するグアテマラ先住民女性たち」では、ジェノサイドの国家責任追及・犠牲者の補償がなされないまま、国家とあらゆるセクターの構造的・持続的腐敗(「略奪された国家」)のもとで「低強度ジェノサイド」(Ricardo Falla)が進んでいるとの現実の認識が示された。そしてそのような社会において尊厳ある生を回復・構築する手段として、報告者自身が現地で協力して実践してきた「生活改善アプローチ」が紹介され、その理論と現地における実践の様子、成果の一端が報告された。
 細谷による第五報告「紛争「後」の先住民コミュニティにおける「真実」とリアリティ:バルガス=リョサ委員会後のウチュラハイ村」では、紛争下のペルーでアンデスの先住民が非先住民の記者たちをテロリストと誤って殺害したウチュラハイ事件をめぐる調査、裁判、公共の記憶の構築過程を分析し、先住民/非先住民、ケチュア語/スペイン語という関係性を基盤とした「社会界」の相違とその選択におけるヘゲモニー関係が論じられた。また、被害者と加害者、その家族がともに暮らす紛争「後」の日常における、「真実」とリアリティの複雑かつ重層的な関係が報告された。
 討論者の池田からは、「過去の政治的暴力を解決済みのものとして扱うことはできない」というパネル全体を貫く問題意識の指摘や、各報告に関する個別の質問のほか、暴力についての語りを聞いてしまい「心が呪縛された」私たち研究者が、その暴力の現実を抑圧された人々の視点から論じ書くことの希望と責任についてのコメントがなされた。
 フロアからの質問はZoomのチャットによって集められ、該当する報告者から口頭またはチャットにて応答がなされた。参加者は最も多い時で80名近く(登壇者・スタッフを含む)に上った。