研究部会報告2013年第1回

東日本研究部会中部日本研究部会西日本研究部会

東日本研究部会

 東日本部会は2013年4月6日(土)の13 時 30 分から 18 時 30 分まで、東京大学駒場 キャンパスで開催され、報告者 5 名、討論 者 4 名を含む約 20 名が参加した。5 つの報 告があったが、報告者に発表時間を厳守い ただけたこともあり、予定通りに進行する ことができた。多くの出席者に恵まれた活 発な研究会となった。以下は各研究の報告 と議論の要旨である。

(大串和雄:東京大学、上谷直克:アジア経済研究所)

○「‌セサル・チャベス主導の農業労働者運動 ―成功要因再考」
吉木双葉 (東京大学大学院総合文化研究科博士前期課程修了)
討論者:中川正紀 (フェリス女学院大学文学部)

 本報告は、1960年代から米国カリフォルニア州で展開された、メキシコ系米国人を中心とした農業労働者組合による労働運動・社会運動をテーマとするものである。メキシコからの移民家庭に生まれたセサル・チャベスが主導したこの運動は、米国史上初めて、栽培農場主との農業労働者の組合契約を達成するなど、大きな成果を挙げた。しかしその一方で運動は、資源の不足・運動に取り込める労働者間の社会的なネットワークの欠如など、複数の問題を抱えていた。こうした問題を解決し、運動を成功に導いた要因として本報告では、組合幹部が用いた、成員間を相互につなぐ「コミュニケーション戦略」に焦点が当てられた。具体的には、①農業労働者演劇、②組合が発行していた新聞、③リーダー、セサル・チャベスの言動の三つである。そして、それぞれの具体例を提示しつつ、こうした戦略がいかに運動の成功に寄与したかについて説明がなされた。この発表に対し、討論者から、従来の研究では演劇のスクリプトやスピーチの内容自体に運動の姿を読み取りがちであったが、本報告ではこれらを運動内のコミュニケーション戦略のツールとして捉える新しい視点があるとのコメントがあった。しかし一方で、運動の「成功」から「成功した戦略」を逆算して突き止めるという手法について、また、戦略の変化が組合の盛衰に影響したとする説明に対し逆の因果関係が存在するのではなどの疑問が呈された。さらにフロアからは、アメリカのマクロな文化との繋がりが欠けていた点や、比較の視点を導入せねば戦略の効果は分からないなどの指摘がなされた。

○「カリフォルニア州サンノゼ市のメキシカン・ヘリテージ・プラザ―建設の意図と財政問題からみえる課題」
丸山悦子(フェリス女学院大学文学部)
討論者:中川正紀(フェリス女学院大学文学部)

 カリフォルニア州サンノゼ市の公共施設として、1999年にオープンしたメキシカン・ヘリテージ・プラザは、メキシコ系文化の称揚、メキシコ系及び中南米系芸術家の支援や教育活動を促進するなどの目的のもと、市再開発プロジェクトの一環として注目を集めた。しかしオープンからほどなく、同施設は高額の維持費に苦しみ、深刻な赤字経営に陥った。同施設は貧しいメキシコ系住民が多く住む地区に建てられたが、地元住民は高額な公演チケットや設備レンタル料を負担できず、他方で負担能力のある白人系等にとっては、同施設の立地条件は悪いものであった。本報告では、サンノゼ市が公共プロジェクトとして試みた、地域の再開発とメキシコ系文化の振興という事業理念はなぜ頓挫したのか、サンノゼ市議会の資料やヘリテージ・プラザの報告書等を参照し、その要因が考察された。 この報告についてまず討論者から、この建設にサンノゼの歴史においてどれほど重要な意味があったか、なぜ1992年にプラザの構想が挙がったのか、そして、実際に会館がサンノゼ市に対しどのようなインパクトを持ったのかなどの質問がなされた。またフロアから、もしこのプラザが一般的な「コミュニティー・ミュージアム」に類似するものであるなら、先行研究は沢山あり、こうした一般的な事例との比較やより大きな文脈において本報告の事例がどうであるのか明確にされないならば、報告の意義がよく分からないとの指摘があった。さらに、この施設が対象とするのが「どのような種のメキシカン」なのかによっては、施設が持つ意味が変わってくるなどのコメントもなされた。  

○「非自発的帰還者の生活再構築プロセス―メキシコ市大都市圏大衆居住区ネサワルコヨトルに生きる帰国者たちの事例研究」
飯尾真貴子(一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程)
討論者:受田宏之(東京外国語大学)

 本報告では、米国における移民規制の厳格化を背景に、出身国メキシコに帰国せざるを得なかった非自発的帰国者の実態解明が試みられた。具体的は問いは、受入国における社会的排除の傾向や移民規制の厳格化によって、強制送還を含めた帰国を余儀なくされた移民が、帰国後の社会において生活を始める際にどのような困難に直面し、それをどのようにして乗り越える事ができるのか、あるいはできないのか、またどのような事例がより困難な状況に陥り、逆にどのようなケースが困難を乗り越える潜在性を持ち得るのか、である。メキシコ・シティ郊外のネサワルコヨトル地区で報告者が実施した聞き取り調査に依拠しつつ、帰還移民の生活の再構築の容易性は、1)移住の志向性(ホスト国中心の生活であったか出身国に生活基盤を残していたか)、2)帰国の形態と剥奪の度合い(強制送還、家族離散、財産喪失など)、そして3)帰国後の生活基盤(家族のサポート等)によって変化するという説明がなされた。この報告に対してコメンテーターからは、社会学や人類学の先行研究をフォローした上で、都市貧困層の移民へのインタヴュー調査に依拠しつつ、多様な分析枠組みを駆使して説明を試みている点は大いに評価できるとのコメントがなされた。ただ、インタヴュー・データが持ちうるバイアスや代表性の問題をもっと自覚すべきこと、説明変数や概念が多すぎて、議論が複雑で報告者の意図が伝わりにくいこと、社会関係資本に教育水準など人的資本の話が入っていない点などが、今後の課題として指摘された。また他の出席者からは、単に互酬関係ではなく「コンフィアンサ」との概念を使用する意義やその実証性について、また、今後特定のコミュニティーにフォーカスしたランダム・サンプリングで、比較研究などを行えばいいのではないかなどの指摘がなされた。  

○「JSL年少者児童の二言語・二文化思考の研究―日本語指導から教科指導へ」
酒井喜八郎(名古屋大学大学院博士課程単位取得満期退学)
討論者:シゲヨ・ミヤザキ・ミゾグチ(東海大学「在日ブラジル人教育者向け遠隔教育コース」プログラムコーディネーター)

 本報告の目的は、JSL年少児童((第2言語として日本語を学ぶ児童)のディスコース分析を通して、二言語・二文化と社会認識形成との関係を明らかにし、どのような支援をするとよいのかを考察することである。報告ではまず、JSL児童は、来日直後のブラジル人児童も、日本生まれ日本育ちのJSL児童もいずれも、「二言語・二文化思考力」を自然に備えているという仮説が検証され、また、母文化の体験を生かしたブラジル食料品店の授業はJSL児童の関心を高め、社会認識形成を目指す上で有効であることが明らかとなったと主張された。また、学校現場のJSL児童の学習形態に協同的な学びを取り入れる方略が必要であることが指摘された。この発表に対しては、討論者より、在日ブラジル人として重要なのはバイリンガル教育であり、日本語習得には母語をしっかり習得していることが大事であること、また、JSL児童の日本語の習得には漢字の反復練習が重要であることが示唆された。  

○「アルフォンシーナ・ストルニ『七つの井戸の世界』にみられる前衛詩への接近」
駒井睦子(東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程)
討論者:福嶋伸洋(共立女子大学文芸学部)

 本報告では、アルゼンチン・ポストモデルニスモ世代の詩人アルフォンシーナ・ストルニ(Alfonsina Storni)が前衛的作風に転換したとされる7冊目の詩集に着目し、どのような変化がみられるのかを示しつつ、前衛運動(ウルトライスモ=超絶主義)との関係についての考察が試みられた。分析の主眼は、この詩集内で大きな変化を見せた「語り手(詩中の『私』)の視点」と「物語性」である。また、アルゼンチンで最も活発な前衛詩人であったオリベリオ・ヒロンド(Oliverio Girondo)の作品との比較を通じ、ストルニが前衛運動をどのように自分の詩に取り込んだのかを検証し、彼女の独創性が明らかにされた。この報告に対し、ヨーロッパとラテンアメリカ文学のリンクという観点から、ボードレール以降に誕生した近代詩のもつ傾向(一つは古典主義的美学の否定で、もう一つは言語機能の変化)を踏まえると、ストルニの持つ幻想性は、ランボーの想像世界と共通性があり、ヒロンドは詩的言語の刷新、描写的なものの見方という点でボードレールに近いとのコメントがなされた。また、当時のアルゼンチンにおいて女性が詩を書くことについて社会からの圧力はどの程度あったのか、そして、前衛詩に転じたのは、圧力を緩和する目的からではなかったのかなどの質問が出された。さらにフロアからも、「頭」と「月」に着目した解釈は腑に落ちるものであり、「七つの井戸」における月から頭への役割交代は、抒情詩から離れ知性を重視する前衛に移行したこと(知的な詩の始まり)と一致すること、また、incendioは「破壊」だけでなく「照らす」という解釈も可能であると思われるといったコメントがなされた。  


中部日本研究部会

 中部日本研究部会は 2013年 4月 20日(土)の 13:30から 17:00まで、愛知学院大学楠元キャンパスで開催された。報告者4名を含めて 8名の参加があり、充実したディスカションを行うことができた。以下は各研究の報告と要旨である。

(田中高:中部大学、杉山知子:愛知学院大学)

○「‌北川民次と野外美術学校」
田中敬一(愛知県立大学)

 北川民次(1894-1989)は 1923年から 1936年にかけてメキシコに滞在し、美術教師として子どもたちに絵画・彫刻を教えた。そして帰国後は愛知県瀬戸市にアトリエをかまえ、メキシコ的なテーマの作品を発表するかたわら、メキシコ美術を日本に紹介した。本報告では民次のメキシコ時代に焦点を当て、その経験が彼の画家としての仕事にどのような影響を与えたか考察した。民次が子どもたちに絵を教えた野外美術学校(Escuela de Pintura al Aire Libre)は、1913年、サン・カルロス美術学校の元校長アルフレド・ラモスがメキシコ市郊外に創ったのがその始まりである。彼は伝統的なアカデミズムに対抗し、一般市民を対象に、当時としては前衛的な印象主義の手法を教えた。民次は、1924年、トラルパン野外美術学校で美術教師として働き、また 1932年からはタスコの野外美術学校で校長を務めた。そしてインディオの子どもたちに絵を教え、自由で自発的な教育を実践した。またこの時期、彼のもとをリベラ、シケイロスを初めメキシコ・ルネサンスの画家たちが訪れ、日本人の藤田嗣治や日系のイサム・ノグチらとも交流を深めた。そして民次はこの時期の経験をもとに「ロバ」(1930年、キャンヴァス・油彩)を描いたが、この作品は身近なテーマを生活者の目線で捉えた作品である。また「トラルパム霊園のお祭り」(1930年、キャンヴァス・油彩)や帰国後の作品「赤津陶工の家」(1941年、キャンヴァス・テンペラ)はメキシコ近代壁画の画面構成の中に、市井の人々の生活を描いた。このようにメキシコ時代の経験は彼が画家として大成する上で大きな影響を与え、その画風を決定づけたと言えよう。

○「‌現地調査報告―ペルー・リマにおける食糧事情と日系人」
寺澤宏美(名古屋大学非常勤)

 2012年 2月 21日〜 3月 11日の期間、ペルーのリマとクスコで行った現地の食糧事情に関する調査について報告した。調査の目的は在日日系ペルー人の食生活について考察するための資料収集であるが、主な留意点は(1)「食」の現状を理解し、日本在住者が日本で食べているペルー料理と比較する。特にスーパーや市場で一般的に売られている野菜や調味料などを調査する、(2)日本とペルーの教育環境の差異および共通点を理解するため、日系幼稚園、小学校を視察する、(3)ペルー人が来日当初に困惑したことのひとつである「コメ」について調べる、であった。なお、コスタとシエラの比較のため、クスコでも食糧・消費について調査した。リマでは消費行動に活気があり、複数のチェーンの大型スーパーが目だった。また各店舗の惣菜売り場では典型的なペルー料理が量り売りされるなど、「中食」傾向が進みつつあると推測された。今後はこれらの調査結果に基づいて、在日ペルー人の滞日期間が長期化する中で、食生活がどのように変化しているのか考察したい。

○「米国ロサンゼルスにおけるエルサルバ ドル系二重国籍者の政治意識・政治行動 ―2012 年の現地アンケート調査の結果 に基づいて」
中川正紀(フェリス女学院大学)

 中川智彦氏(愛知県立大学非常勤講師)との共同研究の一環として 2012年 2〜3月および 8月にロサンゼルスで行ったエルサルバドル系へのアンケート調査の回答データに基づき、二重国籍者を中心に分析結果を報告した。2012年 4月の同部会での智彦氏による調査事後報告の続報となる。今回の有効回答者数は 339名で、そのうち二重国籍者(すなわち、米国市民)は 62名であった。1990年代以来、本国国籍のまま米国に「帰化」した二重国籍者が、特に中南米系を中心に、増加しており、そのなかでかれらの米国政治制度への「忠誠心」の在り方が米国研究者の間で近年、論争の的になりつつある。本報告は、この論争に、実証に基づく 1つの仮説を提供するものである。エルサルバドル系二重国籍者の米国政治・本国政治への関心・行動の度合がいかなるものであり、それにかれらの米国における政治経験と移民前の本国における政治経験がどのように関係しているのか、について、他の法的身分の者(永住権保持者、TPS保持者、在留資格のない者)との比較において考察した。仮説的な結論として、以下のことを挙げた。エルサルバドル系の大半は本国政治と米国政治の双方に対してある程度の関心を持っており、しかも関心者の割合は二重国籍者において最大である。二重国籍者は、米国政治に対しては直接参加できる法的身分である一方、本国政治に対しては他の法的身分の者たちと同様に参加が制度上保障されているわけではないが、本国政治への働きかけのための経済的余裕・時間的余裕、そしてエルサルバドルへの移動のための制度的融通性・自由さなどが相対的にあるからではないか、と考えられる。フロアから、調査地の選定の妥当性、アンケートの選択肢の工夫、コロンビア系との比較の結果などについて、貴重な御質問・御教示をいただいた。今後の調査計画に生かしたい。

○「Moving to the agriculture sector after the Lehman Shock: the case of a Brazilian worker and an auto parts company in Hamamatsu City」
光安アパレシダ光江(浜松学院大学)

This presentation addressed the recent employment situation of foreigners in Shizuoka Prefecture and the case of a Brazilian worker who involuntarily moved to the agriculturesector after Lehman Shock.It also showed the case of an auto parts company in Hamamatsu City that diversified its activities to agriculture-related business after the international crisis and in May 2012, started a partnership with Hamamatsu Gakuin University.

西日本研究部会

 2013年 4月 13日(土)午後 1時半から 6時過ぎまで、同志社大学烏丸キャンパス志高館 2階 214教室で開催された。当日、早朝に起きた淡路島地震の影響で交通機関が大きく乱れたが、15名の参加があり、活発な議論が行われた。二瓶報告は、18世紀におけるテキサス−ルイジアナ境界地域に焦点を当て、毛皮交易や放牧がいかに境界を超えた多民族の交流を生んでいたかを論じ、議論ではテキサスの政治的動向やフランシスコ会の戦略について質疑応答が行われた。西條報告は、カルロス・フエンテスの『アウラ』におけるまなざしが、主体の側からの一方向的なものではなく、対象と両方向的なエロティシズムの性質と一致することを論じ、議論は既存の翻訳の問題や、まなざしの作用の分析対象をめぐって展開した。木下報告は、今年再選を果たしたコレア政権が、一見好調な経済成長によって国民から高い支持率を得ているものの、原油に依存する経済構造やドル化政策が大きなリスクを孕んでいることを示した。議論では原油の埋蔵量が話題となり、国有化政策による外国企業の撤退によって生産量が低下していることが指摘された。杉田報告は、発表者自身が携わってきたエクアドルの子供の教育支援を振り返りつつ、社会教育学的アプローチから、国際ボランティア活動で支援者と当事者は双方向に向かう学びを経験するのではないかという仮説を提示し、議論ではコレア政権が指導する「大きな政府」によって、NPOが圧迫されている現状が語られた。工藤報告は、ペルーにおける宗教系民営公立校の位置づけの解明に向けた、カハマルカ区における 3校の入学者選抜や徴収費用、宗教的制約等の調査結果を述べ、議論では、まだ割合の低い民営公立校に焦点を当てることの意義について、ペルーにおける私立校への志向の高まりの潮流にあって、一つの別のモデルになりうるのではないかという発表者の考えが提示された。以下は各発表者による要約である。

(安保寛尚:大阪大学他非常勤講師)

○「18 世紀スパニッシュ・ボーダーランズ における越境的な交流史試論―境界線の 両側の地域に焦点をあてて」
二瓶マリ子(東京大学大学院博士課程)

 本報告では、次の 3点を報告した。第一に、当該地域に、フランス人入植地ナキトシュとスペイン人入植地ロス・アダエスという、今日でいうツイン・シティーのような入植地が形成された過程を明らかにした。第二に、ナキトシュにおける毛皮交易とロス・アダエスにおける放牧、という当時の主要な経済活動に焦点を当てた。そして、両地域の住民が、境界線など気にもとめずに交流し、互いに不足している物資を調達しながら共存していた状況を浮き彫りにした。特にロス・アダエスはヌエバ・エスパーニャの中でも一番辺境に位置し、内陸部から物資を調達することが困難であった。そのため、当時、スペイン王室はテキサスとルイジアナの交易を公式には禁じていたが、ロス・アダエスにのみ特別措置をとり、ナキトシュから食料を入手することを許可した。こうして、ロス・アダエスの住民は家畜と引き換えに食料をナキトシュから取り寄せたが、これと同時に、当時テキサスで不足していた銃や火薬、その他のヨーロッパ製品も入手した。密輸は、辺境地の人びとが生き延びていくための常套手段であった。第三に、パリ条約(1763年)とともにルイジアナがスペイン領になると、テキサス—ルイジアナ間の人の流動が増した点を明らかにした。そのさい、ルイジアナと境を接するテキサスに新たにつくられたナコグドチェスという入植地に着目し、そこにはヌエバ・エスパーニャ内陸部のみならず、フランスやアイルランド、カナダ、キューバ、グアテマラなど、比較的遠隔地から様々な民族が流入していた状況を浮き彫りにした。このような人の流動性は、テキサス地方内陸部に位置するサン・アントニオでは見られなかった。ナコグドチェスは、地理的な要因もあり、テキサス地方にある他のどの地域よりも早く、外国人の流入がみられたコンタクト・ゾーンであった。本報告は、①境界線で隔てられる地域の片側だけでなく、その両側をひとまとまりの地域と目して考察した点、②当該地域の民族間の対立ではなく、彼らの宥和的関係に焦点を当てた点において、既存のボーダーランズ史学とは一線を画すといえるだろう。

○「まなざしとエロティシズム―カルロス・ フエンテス『アウラ』から」
西條万里那 (神戸市外国語大学大学院博士課程)

 フエンテスの「まなざし」には視線を交差することへの期待がある。ホフマンの『砂男男』やオクタビオ・パスのテキストと比較することで、フエンテスは視線を、主体からの一方向的な行為ではなく、主体と対象のあいだで成立する両方向的なものとみなしていることが明らかになった。視線の交差によって両者の立場は明確に定義できない融合状態に置かれる。二者を融合へと導くこの性質は、フエンテスの主要なテーマであるエロティシズムのそれと一致する。またこの作家は本来受動的な立場にあるものが持つ能動的な作用について繰り返し言及する。『アウラ』ではベラスケスの絵画《ラス・メニーナス》と同様、語り手が直接聞き手である読者に語りかける二人称の語りを採る。物語の語りそのものが現実と通じようとする積極性をそなえており、そのため現実と虚構の境界は曖昧となる。こうした技法を用いながら独自の物語世界を描くことで、フエンテスは普段意識することのない現実の重層性を強調するとともに、けっして表層にとらわれない全体像を認識しようと努めていると結論づけた。

○「エクアドル・コレア政権における「市民 革命」の成果と課題」
木下直俊 (東海大学非常勤講師、前在エクアドル日本大使館専門調査員)

 2013年 2月 17日、エクアドルでは大統領選挙が実施され、「市民革命」の継続を訴えた現職のラファエル・コレア大統領が再選を果たした。コレアが今般任期を全うすれば通算 10年を超え、民政移管(1979年)後、最長の政権となる。これまでの施政を振り返れば、憲法改正を皮切りに、国家機構再編、制度改革と進められ、大統領に権限が集中する政治体制が敷かれた。経済面においては、「大きな政府」が指向され、国家主導型の体制のもと経済活動への政府介入が強化されている。近時、原油価格の高止まりを背景に、大規模な公共投資、社会政策の拡充が実施され、好調な経済成長のもと国民所得、失業率、貧困率は改善している。しかし反面、原油に依存する経済構造は一段と強まり、2000年に導入されたドル化政策による弊害も重なり、新たな経済課題が生じている。ドル化政策による経済の歪みは確実に広がっており、成り行き次第では、ドル化政策の維持も、放棄も、茨の道に陥る可能性も否定できない。コレア政権は近視眼的な対応策ではなく、安定した持続可能な経済社会の構築に向けた成長戦略の具現化が求められている。

○「エクアドル山岳地域北部カヤンべでの 25 年間にわたる教育支援活動の成果と課題──学びのプロセスの視点から」
杉田優子 (エクアドルの子どものための友人の会代表)

 ボランティアの「自発性」「無償性」「公共性」という原則は共有されていても、具体的にどのような活動を指すのかとなると違いが出てくる。本研究で取り上げたのは、ボランティア性、アマチュア性、自己資金に依拠する経済基盤の小ささという 3つの性格を持つ、エクアドルの子どもたちへの教育支援組織である。このような組織の学びのプロセスは、規模の大きな専門家の組織のそれとは異なる。本研究では社会教育学的なアプローチによって、この活動に参加する個人と組織の学びに注目している。学びの分析ツールとして佐藤一子のNPOの教育力の特質と構造についての概念図を元に、アマチュア性と発展過程を念頭に置いた、発表者独自の動的な図を作成した。この図は、サービス提供と社会的問題解決を両端とする x軸、支援者性と当事者性を両端とする y軸に、時間の z軸を加えたものである。活動の中で、日本では支援者から当事者に、エクアドルでは当事者から支援者に移行という逆向きのプロセスが生まれ、ある時に同じ目的を持って、それぞれの国でも、日本と現地の間でも当事者性と支援者性が統合していくという仮説をたてて検証を試みた。先述の3つの性格による制限ゆえに生まれる、両地域での組織の外に広がるつながりがこのプロセスを導いている。

参考文献:佐藤一子2004『NPOの教育力—生涯学習と市民的公共性』東京大学出版会

○「ペルーにおける宗教系民営公立校に関 する一考察―カハマルカ区を事例に」
工藤 瞳(京都大学大学院博士課程)

 本報告では、ペルーにおける宗教系民営公立校の制度的位置づけ、歴史的背景を踏まえ、その特徴、課題を、北部山岳地帯の地方都市カハマルカの事例から考察した。宗教系民営公立校とは、修道会や修道会と関連する NGOなどの民間団体が、貧困層に教育機会を提供する目的で設立したものである。これらはペルーにおけるカトリック教会の歴史的な特権的地位を背景に、教員給与の全額補助を受ける。宗教系民営公立校に通う生徒は全国の生徒数の約 1.3%を占めるにすぎない。しかし、一般の公立学校より教育環境が良いといった評判や、一部の学校が他の公立学校よりも学業成績が良いことから人気を集め、また先行研究ではその慈善的性質が強調されている。本報告で取り上げたカハマルカ区の 3校の事例では、宗教系民営公立校は、より良い環境での教育を、カトリックの精神に則って提供するという理念は共通する一方で、理念の先に何を求めるのかが異なった。すなわち、小学校入試を実施し、私立に比べて少額とはいえ一定の費用を徴収することで、私立学校並みの教育を提供することを目指すのか、あるいは、小学校入試などはせず、近隣の子どもに対する教育を重視するのか、といった違いが明らかになった。ここには、教育における権利や公正に関する価値観の違いが見られた。